なんとかなるさ
近頃は専業主婦でも携帯電話を普通に携帯しているらしい。
私は持っていないがほとんど不自由を感じたことがない。
外での仕事を持っていないし、しょっちゅう連絡を取り合わなければならない友だちがいないせいもあるかもしれない。
たまに娘と待ち合わせして行き違いがあった時など、「お母さんも携帯持ってよォ」と叱られることがあるが、「すまないねえ、お母さんがふがいないばっかりに」としおらしさは見せるものの、持つ気は全然ない。
「ケータイが壊れちゃって、マネージャーと連絡が取れなくて本当に困った。ケータイなかった時、みんなどうしてたんだろうね」と芸能人が言っているのを聞いたことがある。
ほんの10年ほど前は、ほとんどの人が持っていなかったのに、今やそれがなければ世の中は機能不全に陥る。まったく不思議だ。ケータイなかった時、みんなどうしてたんだろうね。
便利なものができると、それなしには人間は生きていけなくなる、というより、なかった時はどうしのいでいたのかさえ思い出せなくなるのだ。
私は19歳で車の免許を取った。運転が好きでよくドライブにも行ったし、買い物や旅行にもよく車を使った。
20代になって、社会問題にも目を向けるようになり、環境汚染は食い止めなきゃならないのに、自分が排気ガスまきちらしてちゃいかんじゃないか、と深く自省し、車を使うことををなるべく遠慮するようになった。
しかし、結婚して子育てが始まると、車はものすごく便利で助かる。ずいぶんとお世話になった。車がなかったらどうしてただろう。もっともっと子育ては大変だったろう。事実、周りは車なしで子育てしているお母さんのほうが多かった。私は時々、彼女たちのために車を運転した。
今も短時間で買い物しなくてはならないので、よく車は使う。
しかし、そのうち、運転にも自信がなくなったら、歩くようになるだろうし、足が不自由になれば、今度はケータイが必要となるかもしれない。
10年後、20年後、世の中はどうなっているのかしらねえ。
とりとめのない独り言ですみません
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コメント
こんにちは。
僕が高校の頃がちょうど10年ぐらい前で3年のうちにポケベル・PHS・携帯電話の流行り廃りを見て来ました。
僕の高校は公衆電話が職員玄関のところに1台あったのですが、ポケベルが流行っていた頃は、その1台の公衆電話を巡って女子の行列が出来てました。
しかし何せ職員玄関でしたし、体裁が悪いということで学校職員の方は頭を悩ませていたようで、時々集会などでも注意されてました。
そして、高校2年ぐらいの頃からPHSが普及してポケベルを持つ人が少なくなり、公衆電話の周りが途端にスッキリするようになりました。
学校にそんなもの持ってくるなと携帯やPHSを注意していた先生は結構いましたし、現在に至っても携帯電話はマナーの面でいろいろ問題があるらしいですが、ポケベル全盛を知っていて皮肉にも携帯電話やPHSのおかげで(僕のいた)学校としてはかなり助かった面もあるということを知っているし、僕自身、携帯電話が普及してくれたおかげで公衆電話を使いやすくなったという恩恵を受けたので嬉しく思ってます。
むしろ、みんな、持ってくれ、と。
でも、携帯電話があまりにも普及しすぎて公衆電話が一切なくなってしまうとそれは困るので、持ってない人いるんだよというメッセージや、携帯電話不要論も大いに応援してます。
持ってる人も持ってない人も便利で快適であればいいですね。
投稿: コウイチ | 2007年5月 2日 (水) 21時54分
>コウイチさん、
お久しぶりです。
>皮肉にも携帯電話やPHSのおかげで(僕のいた)学校としてはかなり助かった面もある<
なるほどねえ。
>公衆電話を使いやすくなったという恩恵を受けたので嬉しく思ってます。<
ということはコウイチさんは携帯電話を持っていない、ということなんですね。若い人では珍しいことですね。
携帯は非常に便利なもの、というより、今の世の中もう必要不可欠なものだと思います。
>持ってる人も持ってない人も便利で快適であればいいですね<
その通りですね。
投稿: robita | 2007年5月 3日 (木) 10時48分