「しゃべれどもしゃべれども」
もう10数年前になるだろうか。「話し方教室」に通ったことがある。
子供の小学校のPTAの役員を引き受け、さらにはくじ引きで副委員長を引き当ててしまった。
生来のアガリ症で、人前で話すことが最も苦手。4.5人の人数ならまだしも、大勢の人を前にして自分の意見を述べるくらいなら死んだほうがマシ、というくらい人前に立つことが嫌いだった。恐怖だった。
アガってしまうと、早くこの場を切り抜けたい一心で、言葉を最小限に端折るどころか、狼狽しまくって思うこととまったく反対のことを口走ってしまうこともしばしばで、その度に自己嫌悪に陥る。
学校の保護者会などで、一人ひとりお子さんの家庭での様子などを、と教師に求められ、みんなどうしてああも長々とお喋りができるのだろうと感心しつつ、自分の番になると、ほんの一行だけ感想を述べて終わりにするのが常だった。
副委員長という立場は補佐だから、しゃべる必要はあまりない。しかし、委員長が欠席などすれば、まとめ役はこちらにまわってくる。
書記の人に押し付けるか、いやそれはあまりにも卑怯で情けない。しかし、あの沢山の目がこちらに向けられる中、まともな口がきけるだろうか。仮病を使うか、死んだふりするか、ああどうしよう・・・・・、いや、逃げちゃいけない。子供たちに逃げるなと諭しながら自分が逃げてどうする。なんとかしなくちゃ。度胸をつけるんだ。勇気を奮い起こすんだ。
しかし、どうやったら度胸は身につくんだろ、どうすれば勇気を持てるんだろ・・・何かそういう練習の場というものはないのだろうか、・・・・・おおそうだ、話に聞く「話し方教室」というものがあるじゃないか。
というわけで、電話帳を調べて、一番大手の「話し方教室」に、えいっとばかりに行ってみた。
世間的には、「話し方教室」などというものに参加する人って、とっつきにくくて暗くてちょっと変わった人、みたいなイメージを持たれていないだろうか。
実は私もそういう偏見を持っていた。
しかし、集まった人たちはまったくそういうことはなく周りで普通に見かける普通の人たちだった。
若いサラリーマン。この人は、何故こんなところに来るのだろうと思うくらい話が面白かった。聞けば営業活動の研修の一環として、会社から言われて来たとのこと。
一児の母でもあるキャリアウーマン。彼女も喋ることに何の不自由もなさそうだったが、ステップアップの手段として話術を磨きたかったのだろう。
私と同じ専業主婦。よく笑う明るい人だった。喋り方が要領を得ないと言われてコツを学ぶために来たと言っていたように思う。
はるばる千葉からやってきた朴訥な農家のおじさん。五穀豊穣を祝う地域の祭りで挨拶役がまわってきたのでそれを滞りなくこなしたい、ということだった。
ちょっとはにかみやの感じの良い大学生。時々ぼそっと面白いことを言うタイプ。
説明会の時に知り合った可愛い女性は小学校の栄養指導をしているが、大勢の子供たちの前でうまく話したい、と言っていた。曜日の都合で私と同じクラスにはならなかったが。
毎回ひとりづつ3分ほどのスピーチをし、先生に論評をしていただく。他にどんなことをやっていたか今となってはあまり覚えていないが、早口言葉の練習などもあった。
レッスンが終わるとお酒好きの先生を先頭に飲食店に繰り出し、まだ陽の高いうちからビールを一杯やりながら懇談した。
一週間に一回、3ヶ月ぐらいやっただろうか。
PTA活動のほうは、幸いにして委員長は丈夫な人で、欠席することなく、私が喋らなくてはならなくなる事態にはならなかった。
その後、地域の子供会の役員にもなったが、7.8人のお母さんたちの前での連絡事項報告はなんなくこなせた。
あの経験がものを言ったのか、それとも年を重ねておばさん度が増しただけなのかはわからない。
話がうまくなったというわけでもないし、アガリ症が治ったわけでもないし、今でも公衆の面前で演説をしろなどと言われたら死んだほうがマシだと思うだろうが、話し方教室への偏見はなくなった、という意味で一つ壁を越えた。しゃべることに関してなんとかしたいと思っている人は案外多い。
佐藤多佳子「しゃべれどもしゃべれども」を読んで、昔のことを懐かしく思い出した。
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コメント
robtaさん、こんばんは。
私のブログの方へ、コメントとTBありがとうございました。
今日、映画も見てみました。原作の良さを活かした映画になっていました。
映画の感想記事もトラックバックさせていただいたので、お訪ねいただければ幸いです。
投稿: 拓庵 | 2007年6月 2日 (土) 21時20分