まだまだ説明不足?
「なぜ今憲法改正が必要なのか。そういう説明が不十分なまま、わけのわからないうちに国民投票法案を通そうとするのがいけない」というようなことを言う人がテレビのワイドショーの護憲派コメンテーターなどによく見られる。
「説明が不十分」、「わけのわからないうちに」・・・、これはいったいどういうことなのだろうか。
私など、普通の生活をしている普通の国民だと自分で思っているが、ボーっとしてても、毎日イヤというほど、憲法改正の話、国民投票法案の話は耳に入ってくる。
新聞を眺めても、テレビのニュースやワイドショーを見ても洪水のように押し寄せてくる。ネットを覗けばその話でもちきりだ。
逃れようとしても逃れられないほど、これでもかというくらい説明があふれているのではないか。
それでも、「説明がない。国民は何も知らされていない。何がなんだかわからない。」と言い張る人たちはいったいどんな生活をしているのだろうか。新聞もワイドショーもネットにもまるで触れない生活をしているのだろうか。
それは一言で言って「無関心」ということではないのか。
それほどまでに国のことに無関心な人たちにこれ以上誰が何を言えばいいのか。素朴な疑問である。
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コメント
同感です!
そして、いわゆる護憲派の方達は今回の「国民投票法案」は単なる手続き法で、改憲の有無とは別問題にこれまで当然整備されていなければならなかった法律だと言うことが認識されていないように感じます。
本来ならば、憲法96条(改正の条文)の発動をしようにも手続き法が無くて発動できない状況(私見ですが違憲状態のように思いますがいかがでしょうか?)を憂いて、自ら発議してこなければならなかったはずです。
今回の一連の流れを見て「護憲」と言う看板は、護憲派の人たちにとってご都合主義の政略に過ぎないように感じました。
また、日本国民の分別を信じないこと甚だしいとも思いました。
TBを送らさせていただきます。
投稿: 山本大成 | 2007年5月14日 (月) 16時05分
>山本大成さん、
はじめまして。
コメントとTBありがとうございます。
私は思うのですが、憲法改正はじめ国家の一大事について国民的議論が必要だとよく言われるし、自分たちの国のことなのだからもっとしっかり勉強してよく理解してから国民投票なりなんなりに臨むべきだ、というのはたしかに正しいことだと思います。
でも、国民ひとりひとりにそんなに専門的な知識を駆使した議論など望めるものではないし、現に私自身、ややこしいことはほとんどわかっていません。
マスコミやネット上にあらわれる膨大な量の知識や議論はたしかに洪水のように押し寄せますが、そして、それらのことは、私たちに「みんなで真剣に考えなければいけない大事なことなのだ」とわからせてはくれますが、実際問題として、それらを読む時間もない、難しい文章を読んでも理解できない、という人たちがほとんどなんだろうなあ、と思います。
でも、私がそうであるように、それらの人々がすべて「無関心」かというとそんなことはないと思います。
要は、「本質的なこと」がわかればいいんじゃないかなあ、と思います。
「憲法改正を望む人たちは何も戦争をしたがってるわけじゃない」とか「平和主義を掲げる日本は外交努力や国民の意思で戦争を回避する道を探るべきであって、『憲法9条大明神』を拝むことによってそれを期待すべきでない」とか、そういったことがわかれば、なにも難しい議論がわからなくたって国民投票に臨むことができると思うのです。
山本さんのコメントのお返事になっていないかもしれませんが、記事の補足としてお読みいただければ幸いです。
投稿: robita | 2007年5月15日 (火) 09時49分