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2007年7月31日 (火)

体を張る

韓国のキリスト教ボランティア団体数十人がアフガニスタンでタリバンに拉致され人質となっている。交渉はなかなか進まないようだ。
韓国国内で、自己責任論も沸きあがっているようだし、拉致された人々の家族が泣きながら「助けてやってください」と懇願する有様は、数年前に我々日本人が経験したことを思い起こさせる。

「政府が行かないように勧告しているのにそれを無視して行ったことがいけない」という意見には、私はそうでもないんじゃないかと思う。
危険とされている地域に敢えて足を踏み入れる、その勇気はたいしたものではないか。
しかも、戦火に怯える人々を医療や心の面で何とか救いたいという立派な志に基づく行動だ。
何が何でも危険な目には遭いたくないから外に出ないのが一番とばかりに引きこもりを決め込むより、ずっと若者らしいし度胸があると思う。
自ら進んで危険地帯に赴く彼らの勇気を称えたい。
冒険は若者の特権ではないか。  →「新天地はもうないのか」  
死ぬかも知れない何かに挑戦することはそんなに悪いことだろうか。

ただし、冒険には覚悟が必要である。死ぬ覚悟である。
メンバーの女性の「助けてください。死にたくない」とのメッセージが送られてきたそうだ。
家族たちも、「おねがいだから何とかしてください」と泣き続ける。

人質になった人々は遺書を書き置いて出発したとのことだし、「死にたくない」という言葉は犯人に無理やり言わされているのだろう。(死ぬ覚悟があるなら「無理やり言わされる」というのも変だとは思うが)
しかし、これは件の日本人人質事件の時にも思ったことだが、家族の取るべき態度は、「なんとかしてください」と騒ぎたてることではなく、ひたすらこらえることだろう。
そして、韓国政府がすべきことは、「最悪の場合を覚悟してください」とはっきり家族に告げつつも、救出のために最善の努力をすることだろう。
生還を祈る。

それにしても、イスラム原理主義者のアタマには「卑怯」という概念はないのだろうか。
いや、ただの凶悪な犯罪集団とそのやり口を、なにかちゃんとした思想集団のように、あるいは弱者のやむにやまれぬ行動であるかのように扱うことがそもそも間違っているのだろうと私は思っている。

      

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2007年7月30日 (月)

「男の涙」と「若気のいたり」

フィギュアスケートの織田信成選手が酒気帯びでミニバイクを運転し検挙されたことで謝罪会見を開いて泣いた。
涙もろい体質なのだろうが、こういう場合には我慢したほうがいい。
以前書いた記事を思い出したので貼り付ける↓
良かったらお読みください。

    「男の涙」  

    「若気のいたり」  

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2007年7月27日 (金)

国家権力の横暴とは、つまり

日本は民主主義国だから「立憲主義」を基本としなければならない、と言われる。
立憲主義とは「憲法は、国家の国民に対する命令ではなく、国民の国家に対する命令」であり、国家権力を国民が監視し制限する、という考え方だそうだ。

民主主義国家ならば当然の考え方だろうし、わかるといえばわかる。
そして、この「立憲主義」を盾に、「国家権力の横暴を許すな!」と臨戦態勢をとるジャーナリズムや一部国民が勇ましく政府批判をする。

しかし、今までたびたび言ってきたように、私は「国家は国民と対決するものでなく、国民自身だ」と思っているので、この民主主義国家において国家を悪者扱いする風潮がよく理解できない。

例えば、「官僚支配のこの国のシステムが悪い!」といくら批判しようと、それは、それを変えることのできない我々国民自身の不始末なのだろう、と思う。
官僚政治を終わらせて国民による政治を目指すのか、それとも、優秀なエリート官僚を育ててある程度任すのか、その選択やそれを実現可能にする国会議員の選抜は我々自身がしなければならない。

しかし、そこまで国のことを考えている国民もそうはいないわけで、それならば政治の不具合も仕方のないことだ。

政府批判は当然しなければならない。我々が選んだ政権なのだからあきらめて従うしかない、などというつもりはない。
しかし、民主主義国家とはいったい「政府という悪者」と「圧政に苦しめられる国民」という対立構造になっているものだろうか。

不祥事を表面的にばかりつっつくのでなく、政府批判はちゃんと行い、どうしてそんなことになるのかどうしてちゃんとできないのかをきちんと質す、そういう真面目な議論の中から、政治の仕組みの不具合が国民にもわかるようになるのではないか。

ただただ、失点をみつけてはひたすら責めて責めて攻めまくるというやり方は気持ちは良いかもしれないがあまり前進はないと思う。マスコミはもう少し使命感を持ってほしい。

立憲主義というのは今の世では、些かロマンチシズムの色合いを帯びているような気がする。
私には「国家権力に立ち向かう」という姿勢は、王族など一部の権力者に牛耳られてきた民衆が自らの力で立ち上がったという歴史へのノスタルジーを引きずっているだけではないかと思えてならない。

我々が国家に命令する、それはそのまま「我々のなすべきこと」すなわち我々への命令となって返ってくる。これは考えれば当然のことで (違ってたらすみません)、国家権力の横暴とは言えないのではないか。我々自身が決めたこと選んだことなのだから。

法の理解など無に等しい私がこのようなことを言うのは身の程知らずもはなはだしいが、これが庶民の素朴な感想というものである。

single40さんの『奇々怪々「国が責任をもって」』を読んで、国家についてたぶん同じようなことを仰っているのではないかなあ、と思った。

ただ、政治というのはやはり戦いであり、足の引っ張り合いであり、駆け引きである。議員というものは与野党共に支持者の立場に立ちその要求に従って主張するものだし何としても政権を取らなくちゃならないし誰が何と言おうと戦わざるを得ないのだろう。

そう考えると、「人間は話し合いができるのだから、真摯な議論を続ければ、政治の仕組みの問題点が明らかになってきて解決の道筋がつくのではないか」などという私の意見こそがロマンティックな平和ボケであり、「断固戦うべし!」と勇ましく政府に立ち向かう左翼のかたがたのほうが現実的なのだろうとは思うのだが。

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2007年7月26日 (木)

コスモス

アンナさんのコメントへの返事、急いで書いたため、わけのわからないものになってしまったが、昨夜、寝る前に曽野綾子さんのエッセイを読んでいてこんな文章に出会った。

【人間の生き方は、できるだけ目立たないほうがいい。人類が発生してからどれだけ経つのか私には考える気力も知識もないが、その間の夥しい死者たちが生きて力尽きたその方法は、大河のように自然なものであった。その偉大な凡庸さに従うことが、実は人間の尊厳でもある、としみじみ思うのだ。___略___
誰でも、たとえ心にどんな悲しみを持っていようが、うなだれずに普通に背を伸ばして歩き、普通に食べ、見知らぬ人に会えば微笑する。それこそが、輝くような老年というものだ。馬齢を重ねたのでないならば、心にもない嘘一つつけなくてどうする、というものだ。この内心と外面の乖離を可能にするものこそ、人間の精神力なのだろう。それは雄々しさと言ってもいいかもしれない。】

一人ひとりの抱える悲しみは大きいものから小さいものまでいろいろあるけれど、大河の一滴としての凡庸さを受け入れる、ということは、アンナさんのコメントの「どんなことでも、宇宙では最善のことが起きている」ということだろう、と思った。
それは、「宇宙」すなわち「秩序」そのもの、ということだろう。
曽野さんは、「辛くても愚痴など言わず淡々と老人らしく生きよ」ということを言っているのだとは思うが、私としては、「一人の人間の抱えるものは他には理解できないほど大きなものだろうけど、その個人は宇宙という名の秩序(cosmos)に組み込まれた一つの要素であるという、この「内心と宇宙」という最も大きな乖離をたまに意識することが、人間の精神力を鍛えるのではないかと思うのだ。

曽野さんの言葉を借りて、「どんなことでも、宇宙では最善のことが起きている」について語ってみた。余計わけわからなくなってしまったかもしれないけど。

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2007年7月24日 (火)

朝日新聞と共産党

無党派さんの「朝日新聞と社民党」に共感するところが多い。

【これは私の勘繰りだが、左派的な人達も皆心の中では本当のことを知っていて、自分の主張の不利になる事を口にしたくないだけだと思う。】

ここで話題の戦時中に日本が行ったとされるさまざまな「悪事」についてではないが、左翼的な人々について私も同じようなことを思う。
一昨日、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に共産党の志位さんが出て、通りすがりに聞いたので定かではないがこんなことを言っていた。
「私たちを支持してくれる人たちを裏切ることになりますので」

憲法9条や自衛隊に対する考え方を変えることについてのコメントだと思うが、「たとえ事実や現実がどうであろうと、我々が旗印にしていることを支持してくれる人たちがいるかぎり、考えを変えるわけにはいかない」という風に聞こえた。

「我々としてはもっと柔軟になりたいのはやまやまだが、支持者がそれを許さない」、という苦悩にも思える。

まるで、マスコミや大衆の熱狂を抑えきれずに勝ち目のない戦争をずるずるとひきずってしまった日本政府のようだ。

志位さんは頭の良い人だから本当はわかっているのだろうし、弱者への視点を忘れない温かい人柄は政治家として尊敬に値する。この人はいい人だと思う。

共産党とその支持者は、お互いを縛り合い、がんじがらめになって動きがとれなくなってしまっているように私には見えるのだが違うだろうか。

もう一点、無党派さんの言葉;

【このような主張と本音の問題に関して、私が今でも覚えており、同新聞の講読を止めた一因でもあるのだが、昭和30年代だったと思うが、同新聞で編集者か記者の、「若い人達にこれくらいの(極端な)報道をしても丁度良いのだ。何故なら彼らは企業に入れば本当の事を知るのだから。」のコメントを見て呆れ、憤慨した覚えがある。】

私が以前書いた記事、「たけしの日本教育白書」 で述べたことはこれに似ている。

つまり、若者のうちは左翼的な情熱や清廉さを持つことが大事で、そういうステップを踏まずに大人になることを朝日新聞は危惧しているのかもしれない。

【私は朝日新聞は日本の為によかれと思ってこのような報道をしていると思っている。
彼らは今でも、 「若い人達にこれくらいの(極端な)報道をしても丁度良いのだ。何故なら彼らは企業に入れば本当の事を知るのだから。」 と言う考えを持っておりそれが日本の為になると信じているからと思う。】

私も同じことを思っていて、「朝日新聞はそれが自分の役割だと心得て敢えて憎まれ役になっているのではないか」と前にどこかに書いた覚えがある。

国というものは、反対意見を一掃すればそれでうまくいくというようなものではない。

反対意見があるからこそ、議論が白熱し、問題点や真実が浮き彫りになる。

大事なことは、無党派さんの仰る、【三宅さんは日本は良い事もしたし悪い事もしたと言っているし、その事実をしっかりと知るべきだと言っているのだ。】、こういうことだと思う。

     

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2007年7月23日 (月)

母の入浴

寝たきりの母は週二回入浴サービスを受けている。

屈強なお兄さんが風呂桶をかついでやって来る。
体を洗ったりお湯をはったり後始末をするお姉さんと、母の体調を診たり寝間着の着脱をしたりする看護師さんと3人のチームを組んで手早く丁寧に作業する。
優しい言葉をかけながら洗ってくれる。
初日、その光景にこみ上げてくるものがあった。
介護の現場の感動の一端だ。

医師に体温や血圧がどれくらいまでなら入浴させてもいいですかと聞くと、「明日死ぬかもしれない患者さんでも最後まで気持ちよく過ごしていただくことが大事です。そういうことは気にせず、いつでも体をきれいにしてあげてください」とのこと。

もう回復の見込みのない母を、最期は家で過ごさせてあげようと病院から連れ帰り、一ヶ月余り。
家で介護するなら血管点滴栄養でなく「胃ろう」(お腹に穴を開けて直接流動食を流し込む)のほうが簡便ということでその処置もしてもらった。

お腹に開いた穴は痛々しいし、食べる楽しみもない母が可哀想だ。
話すこともできないし反応もはっきりしないので、状況をどのくらい理解しているのかもわからない。

私たちにできることは、なるべく気持ちよく毎日を過ごさせてあげることしかない。
たとえ明日死のうと、何年先になろうと。

  
       

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2007年7月21日 (土)

桜の国の静かなる気迫

こうの史代の「夕凪の街 桜の国」が映画になった。
主演は麻生久美子。イメージぴったりで、よくぞ起用してくれたと思う。

原爆投下への静かなる抗議。荒ぶる大声とは比較にならない迫力。

映画館に足を運ぶことはできないので、ビデオレンタルかテレビ放映を待つことにする。

      

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2007年7月20日 (金)

NHK「日本のこれから」

NHK番組「日本のこれから」(8月15日放映)で、憲法9条に関するアンケートを募集しているそうです。舎亜歴さんからの情報です。詳しくはこちら→http://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/2007/07/post_6e2e.html

護憲派の方も改憲派の方もご自分の考えを発信してみてはいかがでしょう。  

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2007年7月13日 (金)

「しょうがない」

北朝鮮に拉致された5人のかたがたが帰国された時、「日本にいてつまらないサラリーマンになってありきたりの人生を送るより有意義だったのではないか」というような発言をして、激しいバッシングを受けた女性作家がいた。
被害を受けた方々やその家族の長年にわたる苦しみは想像を絶するものであり、第三者が言うべき言葉ではない。

昨日、テレビ朝日のワイドショーで、ジャーナリスト鳥越俊太郎が拉致被害者蓮池薫さんをインタビューしていたのを見た。

蓮池さんは「朝鮮語は好きで覚えた言語ではなく、生き残るためにやむなく身につけたものではあるが、今、その言語は生活を維持するための手段となっている。自分はこういう運命を受け入れる」と言っていた。

それはもちろん、「拉致を今さら恨んでも仕方がない。もう済んだことだからあきらめて忘れよう」という意味ではない。不幸な出来事を容認する、という意味ではない。

理不尽な出来事が自分たちに降りかかった事実や意味を問い続けつつ、そのことがもたらした自分たちの立場や使命を見据えること、そして当然のことながら、個としての自分たちの幸せのためにどう生きたらいいかを合理的に判断し、現実的に使えるものは使って実行していくということだろう。強固な精神がもたらす柔軟さと潔さに感銘を受ける。
拉致されたことについても「すべてのことには意味がある」という、ある種宗教的達観のようなものを持つことで心の整理をしておられるのではないかと思う。

日本中から非難の声を浴びた久間前防衛大臣の「しょうがない」という言葉にも私は実は同じニュアンスを感じていた。

「しょうがない」は、「原爆を落とすより他に方法はなかった」「落とさなければ戦争は終わらなかった」という意味で使ったのではないだろう。そうでなければアメリカの原爆投下を容認する意味となり、久間さんはまさに「ひとでなし」ということになる。しかし私は「ひとでなし」などという人間はそうそういるものではない、と思っているので、久間さんもそんな悪魔のような人だとは思わない。

長崎出身の久間さんに、被害を受けた家族とか知人がいるのかどうか知らないが、どちらにしても部外者としてではなく、被害国の国民として言ってしまった言葉であろうと私は思う。実際に被害を受けたかたがたのことを考えれば公けに言うべき言葉ではもちろんなかったが、蓮池さんが「拉致を容認する」と言ったのではないと同様、久間さんも「原爆投下を容認する」と言ったのではないに違いない。

どうだろうか。こういう考え方は「無理な弁護」であり、やはり私も「原爆を容認するのか!」と非難されてしまうだろうか。

     
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2007年7月11日 (水)

国政選挙を考える

民主党の小沢代表が、今度の参院選には政治生命を賭ける、過半数をとれなければ政治家をやめる、と発言したそうだ。
長老の渡部恒三さんも同じ気持ちでいるとのこと。

民主党が負けて、代替わりするならば、つまり、次の世代に運営が任されて、党をすっきりした形にできるならば、それは民主党にとって、ひいては国にとって良いことなのではないか。

今のままの民主党であるかぎり、たとえ一時的に政権を取ったとしても、すぐにまた自民党政権に戻ってしまうだろう、というのは多くの人の指摘するところだ。そんなことになったら元の木阿弥で、結局時間とお金の空費を後悔するのではないだろうか。

民主党には良い政治家が何人もいる。彼らをこのままの民主党の中に埋没させてしまうのはなんとも惜しい。
現執行部の手法では(それも現状では仕方がないのかもしれないが)、彼ら優秀な若手の力が存分に発揮されない。渡部恒三さんは若手を応援しているようだ。
有権者の投票行動次第で民主党が変わるかもしれない。
たとえ今より人数は少なくなっても、納得のいく方向性を見せてくれれば国民の支持は得られると思う。民主党を育てたい。

また、自民党について言えば、安倍内閣をあまり小突き回すのはどうなのか、ただの感情論ではないのか、という思いが私にはある。

7/1の朝日新聞に、北海道大学教授山口二郎氏、東京大学教授御厨貴氏、評論家宮崎哲弥氏が「安倍内閣を点検する」でそれぞれ評論していた。

山口さんはただただ安倍さんをこきおろし、御厨さんは「当初は期待したが経験不足が弱み」と言い、宮崎さんの論は冷静だ。

【____純粋に安倍内閣がやってきたことだけを見れば、これほど失点の少ない政権はない、とも言えるのではないか。___略___短い期間に数多くの重要法案を成立させた。外交面でも、靖国問題を封印して中国、韓国との関係を劇的に改善し、アジア太平洋地域でのゆるやかな経済統合にも道筋をつけた。従軍慰安婦問題で米議会を刺激する不手際な発言をしたことが唯一の例外だ。皮肉な言い方になるかもしれないが、後になって振り返ってみると、評価のほうが高くなるに違いない。
それでは、何が安倍政権を窮地に追いやったのか。まず、参院選を席巻するテーマに浮上した年金問題だが、これは何代も前の政権から抱え込んできたカルマ(業)にほかならない。もっとも納付記録の不備は昨年6月の国会質問ですでに指摘されており、政府もかなり前から認識していたはずだ。ことの重大性を見抜く眼力がなかったことは事実だろう。
次に、閣僚人事の失敗である。___略___ が、松岡氏の入閣は小泉前首相からの引継ぎ案件とみるのが順当だろう。農林行政や郵政政局で松岡氏を使いまくったのは小泉官邸であり、その論功行賞が安倍内閣になってからだった、という経緯だったのだ。____略___
安倍首相は、良くも悪くも、小泉政治の遺産をどう引き継ぐかで揺れ続けた。「改革幻想」をどう持続させるか、というのも重要なテーマだった。だが、参院選の日程を当初の想定からずらしてまで公務員制度改革の端緒を開くのにこだわったことには、ひょっとしたら小泉首相を超えるかもしれない改革熱が感じられる。
郵政民営化で大衆の公務員バッシング志向を巧みに利用した小泉氏だが、長年の大蔵族であるだけに、官僚機構の本丸である財務省との対決姿勢には疑問符がつく。それに対し、財務官僚の反対を押し切って法案の処理を進めた安倍政権の「本気度」はかなりのものだ。
参院選後も政権が続いた場合には、秋以降に先送りされた公務員制度改革の本番で、「省あって国なし」の現状を打破し、真の官邸主導の行政を確立する制度を打ち出すことができるかどうかが問われることになるだろう。】

私はこういう冷静な見方をする人が大好きだ。
ある意味「表面的な」失点だけをあげつらって感情的にワーワーわめくのでなく、この内閣の実績や、これからやろうと努力していることをしっかりと見つめる冷静さを持たなければ、以後誰が政権を取っても政治はうまく運ばない。
宮崎さんの意見はいつも冷静で穏やか。視線は優しく時に厳しい。敬虔な仏教徒の品格というものか。

夕方、TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」というニュース番組をよく聴く。
コメンテーターは右派左派と取り混ぜているようだが、司会のキャスターが左派なので、コメンテーターに左派が来ると、政権批判で大いに盛り上がる。実に楽しそうだ。
聴取者の寄せる意見コーナーになると、さらに宴もたけなわとなり、首相に対するからかいおちょくり侮蔑の言葉に、楽しくてたまらないという風にゲラゲラ笑いころげる。自国の宰相に対する敬意のかけらもない。

公けに悪口を思いっきり言えるなんて政治家ぐらいしかないし、そしてそれはいつの世も変わらないことだが、よほどフラストレーションたまっているのだろうなあ。
もちろん、こういった政治家批判はガス抜きとして大衆には必要なことなのだが、それはそれとして、冷静な人は冷静に政治をみつめたらいいと思う。

なんでもかんでも悪口につなげて、国の全体を見誤らないようにしたいものだ。
単に野党の議席を増やしてやることが野党を育てることになるのかどうか、よく考えたほうがいいと思う。
愛国とはそういうことではないか。

           

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この記事は下記の記事にトラックバックさせていただいています。

Roverさんの「非難のための非難をする人たち」  

single40さんの「やぶにらみ参院選」     http://blogs.yahoo.co.jp/singleandover40/48709307.html

無党派さんの「一党支配からの脱却のために」   

        「国会議員の選び方」   

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2007年7月 6日 (金)

真魚さんの「これだけです」 へ返信:

私は日本の産業構造について論ずるなんの知識も見識もないので、これは真魚さんとの「議論」というより、おばちゃんの素朴な疑問に見識高い憂国の青年が丁寧に答えてくれる、という形式で、これ、我ながら非常に良いと思ってるんですが、どうでしょうか。
政治オタクでもなく、特定の思想支持者でもない、書く人も読む人もごく普通の国民、そんなブログで、こんな会話ができることを、私はとても嬉しく思います。
コメントの多い特定思想系人気ブログだとこんなにゆっくりじっくりと話はできませんよね・・・・・負け惜しみというやつなんですけどね。
つきあっていただいてどうもありがとうございます。

さて、

【それは、もう高額ローンで家を購入した中高年世代や、それなりに充実した年金をもらっている老人世代が、そんなことを本心から願うわけがないではないですか。
今の産業構造では若者に未来はないんですけど、その産業構造の中で、しかるべき安定したポジションを作ってしまった人々が、その産業構造を自分から壊すようなことをするわけがありません。】

これなんですが;

豊かな中高年世代や老人世代って、自分たちのためだけにお金使ってませんよね。若い世代に還元してますよね。
だから、ニートが生きていけるし、子の世代は住宅購入の頭金も出してもらえます。それが良いか悪いかは別にして。
おじいちゃんおばあちゃんは孫にお土産を買ってやったり遊園地に連れて行ったりするのが大きな楽しみでしょうし、子供たちに資金援助して、なるべく豊かな人生を送って欲しいと願います。そもそもそういうことのために一生懸命働いてきた人は多いです。

「還元する先は自分の子供だけか」という不満は出るかもしれないけど、好き好んで見知らぬ人に自分の財産を還元する人はいないですね。自分の一族繁栄が優先ですから。
それとも、その「自分の一族だけ」という考え方がいけないのなら、「国のため」に財産を差し出せ、ということになってしまいます。
個人の権利や自由が第一のこの国で、お国のために個人の身を削る、というような滅私奉公はしたくない人も多いことです。お国のため、という生き方を忌み嫌う国民なれば、こうなるのは仕方がないでしょうね。

【そして、これが日本では、この問題が大きなムーブメントにならない理由でもあると思います。
ヨーロッパだと、若者問題や格差問題は、その当事者たちだけではなく、中高年の大人たちもしっかりと関心を持つので、
比較的に社会問題としてフォーカスが向けられます。】

日本はこうです。しかし他の国はこうです。この違いがなんであるか。
これって単純に愛国心じゃないですか?

「税金はちゃんと納めている、法律に反するようなことはしていない、公衆道徳も守り、きちんと公共心というものを身につけている、何か文句あるでしょうか?」
この言い分に足りないものは何でしょう。

【もちろん、やりようはあるんです。しかし、これを本気でやろうとしたら、かなり(かなりですよ、かなりの)根本的な変革になります。
道州制にすることや、外国からの輸入規制を見直すことが必要ですね。】

だから一度すっかり壊れれば、新しく立て直す希望も活力も湧いてくるんでしょうが、根本的なしくみを残したままとなると、やはりかなり(かなりですよ、うん、かなり)の覚悟が必要でしょうね。
もし本当に若い人にその気があるなら、「富の再配分」のムーブメントを起こすことは可能じゃないかと思うのですが。
日本だったら、社民党か共産党になるのかな、それとも、亀井さんや綿貫さんのグループなのかな、私にはよくわかりませんが、その勢力を勝たせてみればどうなんでしょう。年配者の年金額を減らす、というような政策を若い人たちが提案して、それを実行してくれる候補者に投票すればいいんじゃないですか。
「日本の産業構造が問題なのであって、年金をこっちにまわせば済むというような問題ではない」のかもしれませんが、それじゃあ、覚悟を決めて、産業構造をくつがえすようなムーブメントを選挙によって起こせばいいと思うのです。

しかし、そういうことをほとんどの人は望まないので、やっぱり、仰るように泥縄式に、その場その場で凌いでいくしかないですね。

ところで、我々人間は、「市場原理」と、それに対抗する「共同体原理」をあわせ持つ、という大いなる矛盾を克服できるのでしょうか。

7年ほど前、週刊誌で読んだ評論家井尻千男の文;
食料自給率についての話なのですが、ヨーロッパでの自給率の高さの根源に共同体意識がある、と言います。

【_____ここまでいえば、もうお気づきだろう。戦後の日本が一貫して推し進めてきたことの一つが「共同体の解体作業」であったことに。最初はGHQの占領政策として始まったわけだが、バブル経済以降は、市場原理主義がその解体作業を引き継いだといえる。この二つの流れに身を置く限り、自給率の上昇を語る根拠を構想できない。だから「40%台前半」ぐらいのことしかいえないのだ。
ところが重大なことを最後に言わねばならない。ヨーロッパ諸国の自給率の高さは政策の結果ではなかったという一事だ。それぞれの国の生き方そのものが自給率を高めたということ。それが共同体意識の関数だったということ。日本だって国民各位が共同体意識に目覚めれば、政策当局が放っておいても自給率はごく自然に上昇するのである。】

井尻氏は「放っておいても」と言うけど、そうは簡単にいかないのが、国民の意識の目覚めなんでしょうけどね。
彼によると「イタリアの自給率の高さはこの国特有のパトリオティズムによるだろう」「1985年以降イギリスは自給率を70%台に乗せた。戦闘的な女性宰相サッチャーの共同体論の強固さがしのばれる」と。

過激なまでの思い切った政策や愛郷心とは、実は怖いものではなく、自分たちが生き残るために不可欠なものなのだ、ということを私はこういった論説を読んで学びました。

【今の日本って、なににおいても、さらっとしているというか、淡泊というか、熱意みたいなものはないですね。】

私もそう思うから、この国には「熱」が必要だ、という記事を以前書いたのですが、真魚さんは、「愛国のためにそれをやってはいけない」と仰るんですよね。

で、食料自給率の面でヨーロッパの国々がうまくいってるから、その他の問題もうまくいっているかといえばそんなことはなくて、どの国も色々と難問を抱えていることにおいては日本と変わりはないでしょうが、この日本ならばもう少しうまくいくんじゃないか、なんて私はどうしても思ってしまいます。

今でさえ、世界から一目置かれるほどの大した国なのだから、我々が素直に愛国心(愛郷心でもいいですよ、どっちでもいいんじゃ、そんな表現は)を持つことができれば、それこそ真に「キラリと光る国」になるんじゃないか、なんて。
祖国へのそんな期待も「愛国心は危険」の一言で「ボツ」でしょうか。

【答えはカンタンです。この現状を変える有効な政策案と、その政策を実行できる政治力。
その二つを持っている政党を支持し、大多数の人々がその政党に投票すること。コレだけです。なんども言いますが、コレだけなんです。】

ほんと、仰るとおり実に簡単なことなんですよねえ。
しかし、

【その政党は、どこの政党なのと言えば、今どこにもありません。そういう政党を育てることを、この国の国民はしてこなかったのですから。民主党ではダメですかといえば、ダメでしょうねえ。
だからみなさん、民主党に投票しないわけですし。もちろん、自民党では、なおさらですねえ。】

「そういう政党を育てることを、この国の国民はしてこなかった」
何故この国の国民がそれをしてこなかったのか、それは、鶏が先か卵が先か、という問題に近いでしょう。

時間はかかっても、共同体意識というものについてみんなで学習することが先決だと私は思いますね。自分たちの共同体を発展させ、良いものにしようという心、この共同体が「国」の場合、それは「愛国心」に他なりません。
愛国心の真の意味を我々が理解しなければ、いつまでたっても不満を並べ立てたり、何でもかんでも政治のせいにしたりの堂々巡りが続くだけだと思います。

書いているうちに、あれもこれもと付け足して、またこんなに長くなってしまいました。
読んでくださってありがとうございます。

       

        そうは言っても、できるだけ多くの人に読んでいただきたいので、
        押してくださるとうれしいです
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        寝る間を惜しんで書きました。  

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