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2007年7月27日 (金)

国家権力の横暴とは、つまり

日本は民主主義国だから「立憲主義」を基本としなければならない、と言われる。
立憲主義とは「憲法は、国家の国民に対する命令ではなく、国民の国家に対する命令」であり、国家権力を国民が監視し制限する、という考え方だそうだ。

民主主義国家ならば当然の考え方だろうし、わかるといえばわかる。
そして、この「立憲主義」を盾に、「国家権力の横暴を許すな!」と臨戦態勢をとるジャーナリズムや一部国民が勇ましく政府批判をする。

しかし、今までたびたび言ってきたように、私は「国家は国民と対決するものでなく、国民自身だ」と思っているので、この民主主義国家において国家を悪者扱いする風潮がよく理解できない。

例えば、「官僚支配のこの国のシステムが悪い!」といくら批判しようと、それは、それを変えることのできない我々国民自身の不始末なのだろう、と思う。
官僚政治を終わらせて国民による政治を目指すのか、それとも、優秀なエリート官僚を育ててある程度任すのか、その選択やそれを実現可能にする国会議員の選抜は我々自身がしなければならない。

しかし、そこまで国のことを考えている国民もそうはいないわけで、それならば政治の不具合も仕方のないことだ。

政府批判は当然しなければならない。我々が選んだ政権なのだからあきらめて従うしかない、などというつもりはない。
しかし、民主主義国家とはいったい「政府という悪者」と「圧政に苦しめられる国民」という対立構造になっているものだろうか。

不祥事を表面的にばかりつっつくのでなく、政府批判はちゃんと行い、どうしてそんなことになるのかどうしてちゃんとできないのかをきちんと質す、そういう真面目な議論の中から、政治の仕組みの不具合が国民にもわかるようになるのではないか。

ただただ、失点をみつけてはひたすら責めて責めて攻めまくるというやり方は気持ちは良いかもしれないがあまり前進はないと思う。マスコミはもう少し使命感を持ってほしい。

立憲主義というのは今の世では、些かロマンチシズムの色合いを帯びているような気がする。
私には「国家権力に立ち向かう」という姿勢は、王族など一部の権力者に牛耳られてきた民衆が自らの力で立ち上がったという歴史へのノスタルジーを引きずっているだけではないかと思えてならない。

我々が国家に命令する、それはそのまま「我々のなすべきこと」すなわち我々への命令となって返ってくる。これは考えれば当然のことで (違ってたらすみません)、国家権力の横暴とは言えないのではないか。我々自身が決めたこと選んだことなのだから。

法の理解など無に等しい私がこのようなことを言うのは身の程知らずもはなはだしいが、これが庶民の素朴な感想というものである。

single40さんの『奇々怪々「国が責任をもって」』を読んで、国家についてたぶん同じようなことを仰っているのではないかなあ、と思った。

ただ、政治というのはやはり戦いであり、足の引っ張り合いであり、駆け引きである。議員というものは与野党共に支持者の立場に立ちその要求に従って主張するものだし何としても政権を取らなくちゃならないし誰が何と言おうと戦わざるを得ないのだろう。

そう考えると、「人間は話し合いができるのだから、真摯な議論を続ければ、政治の仕組みの問題点が明らかになってきて解決の道筋がつくのではないか」などという私の意見こそがロマンティックな平和ボケであり、「断固戦うべし!」と勇ましく政府に立ち向かう左翼のかたがたのほうが現実的なのだろうとは思うのだが。

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コメント

憲法は政府を縛るのではなく、政府の“権力”を縛っているわけですよね。確かに、昔は政府がほとんどの権力を握っていました。しかし、現在は民主主義の時代です。国民の権力も縛られるべきでしょう。光市母子殺害事件をみてもわかるように、個人の権利を侵害するのは政府とは限りません。
ちなみに憲法発祥の地であるイギリスは、民主主義では後発です。実は、憲法とはそもそも(民衆を搾取する)貴族の利権を国王から守るために作られたものなのです。
私は、徹底的な民主主義の行きつく先はファシズムだと思っています。ワイマール体制からナチスドイツの流れを見るとよくわかるでしょう。「聞き心地のよい政策」ばかり言い、政策を二転三転する大衆迎合政治家は必ず国力の低下を招きます。そして最後に、大衆はそれまでとは対照的な独裁者を望むのです。
結局、民衆は自分逹の民度と同じレベルの政府しか持つことはできないのでしょうね。

投稿: のれそれ | 2007年8月20日 (月) 16時18分

>のれそれさん、
はじめまして。

>現在は民主主義の時代です。
国民の権力も縛られるべきでしょう。
光市母子殺害事件をみてもわかるように、
個人の権利を侵害するのは政府とは限りません。<

はい、よくわかります、・・・というか私なりに理解するのですが。

>実は、憲法とはそもそも(民衆を搾取する)貴族の利権を国王から守るために作られたものなのです。<

そうだったのですか。

>私は、徹底的な民主主義の行きつく先はファシズムだと思っています。
ワイマール体制からナチスドイツの流れを見るとよくわかるでしょう。<

ワイマール体制ってなんだっけ、と検索してみたら、こういうことなんですね。
「自由」「平等」という個人の権利を謳った当時としては斬新なワイマール憲法下による体制。
しかし、この体制のもとで第一次世界大戦にやぶれ、多額の賠償金を支払ったことによる(世界恐慌と相まって)国内経済の疲弊が国民の不満を増大させ、ヒットラーの台頭を許すことになった。こういうことなんですね。

とは言え、事はそう単純でなく、google検索でトップに出てきたのがこれでした。→ http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe804.html

あまりに長くてきちんと読めないのですが、なんかすごく面白そうなことが書いてあるように見えます。
【成熟社会における「自由」「平等」は調和を崩し、国内を収束のつかない混乱に導くものである。さらに「自由」と「平等」の2つの概念の非両立性によりその矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。】 
こんな記述に私はいたく興味を持ちました。

我々が「自由だ」「人権だ」と騒いでいる中、賢者はとっくに民主主義の矛盾に気付いていたんですね。
それとも、やはりこれは全体主義信奉者の陰謀サイトなんでしょうか。
この暑いのにますます頭がヒートアップしてくる・・・。
そのうちゆっくり読んでみます。

勉強させていただいてありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。


投稿: robita | 2007年8月21日 (火) 13時39分

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