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2007年8月29日 (水)

青春 3

「青春 2」に山本大成さんからコメントをいただきましたので、返信します。

>自分をコントロールできる範疇で、新しいことに「挑戦する心」を忘れずに、年老いて
いきたいものだと考えています<

そうですね。いくら老人でも、やる気をなくしてやることもなくただ退屈な日々を生きるだけ、というのでは困りますね。
それに高齢化社会に向けて医療や介護にかかる莫大な費用を思えば、健康を保つことは本当に重要で体は適当に鍛えなければなりませんね。

でも私思いますに、今いる老人じゃなくて、これから老人になる人々、つまり団塊の世代(私もその一員です)を筆頭とする老人予備軍の人々は正統派老人(笑)にならないんじゃないかという危機感を覚えるんですね。
いくつになっても自分のことにしか関心がない人が増えているような気がします。
私などが分析するのはおこがましいですが、おそらく戦後の「個人主義」の刷り込みがあまりに強すぎたゆえに、全体を見渡す力が育ってないんじゃないかと・・・。
私たちから見ると、先輩のかたがたは、あとを頼むという視線で次の世代を見ていたけれど、今、そういう感覚って薄れてきているような気がするんですね。

例えば、孫の世話より自分の楽しみを優先させる老人が増えると、若い世代の子育て外注傾向が強くなります。
そのことが良いこととは私には思えないんです。

団塊世代に同情的な堺屋太一さんは「団塊世代は世のためなんか考えなくていい。今まで企業戦士として働いてきた分、思い切り楽しめばいい。」と言います。
たしかに、団塊世代が世のために何かしようと張り切ったりするとおかしなことになるのかもしれません。
でも、年寄りらしい年寄りになるほどのことなら、そんなに迷惑かけないどころか、年寄り本来の役割を遂行することは大いに社会に潤いをもたらすんじゃないかと思います。

もちろん、おじいさんやおばあさんが縁側で日向ぼっこしながら孫に昔ばなしをする光景がなくなってしまう、なんて心配は無用なのかもしれません。いつの時代も「ふさわしい生き方」をする人はいますから。
でも、「いつまでもときめいていることが若さの秘訣」なんてあまりに喧伝されると、「それはそうかもしれないが、老人は『若さ』なんて保つ必要があるのか」と反論したくなります。

山本さんは、まだお若いですよね。
自分を振り返ってみても、30代40代の頃は私も確かに「若者」の感覚で生きていたように思います。でも50代に入る頃から、若者の残像を引きずりながらも、いよいよ「正しい老人」への道を模索するようになりました・・・・なんて、そんな大げさなもんじゃないですけど(^o^)そろそろ次の使命を考える段階に移ってもいいんじゃないか、とは思います。

>「盛田昭夫さん」「本田宗一郎さん」<

かっこいいですね。自己実現も社会への貢献も果たしていらっしゃる。
評論家の呉智英さんが、カジキとの死闘で誇りを守った「老人と海」の老漁師のかっこ良さに憧れる、と書いていたのを読んだことがあります。
私は「東京物語」の東山千栄子みたいなおばあさんらしいおばあさんになりたいなあと思います。

パワフルな老人、穏やかな老人、口やかましい老人、いろいろいて当然なのですが、いつまでも恋を期待したり、美容にとりつかれたりしている中高年を見ていると、その方面は少し枯れたほうが見苦しくなくていいのではないか、と思います。ちょっと主張の主旨からずれてしまって余計なお世話かもしれませんが。

    

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コメント

 こんな形での御返事、ビックリしました。

 一連の記事で書いていらっしゃるような「枯れた老人」というものにも、実は憧れを持っています。
 また、近所の悪ガキどもを叱り飛ばす「頑固親父」、縁側に佇んだり庭いじりなどに余生を過ごす「政党派老人?」、いずれも自分のライフスタイルを持った素晴らしい老人に思えます。

 思うに、「恋を期待する老人」「美容にとりつかれた老人」などは、「若い頃に十分生ききっていない」のを取り返したいとの思いでいらっしゃるのかもしれないと感じます。

 仰るように、私はまだ43歳。
 20代のこと出来なかったことで今は出来ることがいくつもある。(もちろん体力的には、衰退していますが)
 50代60代になると、今より当然いろいろな面で能力が落ちるのでしょうけれども、新しい扉が開くことに違いが無く、どんな自分になっていくのか?「不安半分」「期待半分」です。

 願わくば、robitaさんのように自分の経験を踏まえ「何か」を伝えられる老人になりたいものです。

投稿: 山本大成 | 2007年8月30日 (木) 10時02分

>山本大成さん、

>思うに、「恋を期待する老人」「美容にとりつかれた老人」などは、「若い頃に十分生
ききっていない」のを取り返したいとの思いでいらっしゃるのかもしれないと感じます。<

そういう人もいるかもしれないけど、もっともっと、と際限のない欲望にとりつかれやすいのが現代人なのかなあ、とも思います。


>仰るように、私はまだ43歳。<

白状すると43歳の頃、私はものすごく子供でした。(今も大人だなんて思っちゃいませんが)
だから世の中の43歳の人々を見ていて、なんて大人なんだろう、と思うばかりです。
山本さんのブログでいつも勉強させていただいています。

投稿: robita | 2007年8月30日 (木) 11時40分

はじめまして。還暦を目前にして日々老人介護に励んでいる専業主婦でございます。以前から拝見させていただいておりましたが、今回初めて書き込みさせていただきます。

老人ホームで沢山の痴呆症の方々を見ておりますと いつもニコニコしている方、悪態ばかりついている方、命令口調の抜けない方・・・本当に様々な方がいらっしゃいます。
いったいどんな人生を送って来られたのかな~と考えさせられます。自分が痴呆になった時、穏やかな痴呆老人になれるだろうかと、不安になります。

最近つくづく思うことは、若い時にどんな素晴らしい記録や実績を誇ったかなんて 人生最後の時には何の意味もないんじゃないかなって。人生の最終章は穏やかな心と優しい家族と過せれば(同居という意味ではありませんが)それが一番ではないかと。

リタイアした後 何をするかは人それぞれですが、世の為、人の為になるような事をなさるのが、いずれ自分の為と思うこの頃でございます。
特に男性の方はご注意下さいませ。

投稿: しくはっく | 2007年8月30日 (木) 21時30分

>しくはっくさん、

はじめまして。
読んでくださってありがとうございます。

>最近つくづく思うことは、若い時にどんな素晴らしい記録や実績を誇ったかなんて 人生最後の時には何の意味もないんじゃないかなって。<

終わりよければすべてよし、ということもあるかもしれませんけど、現役時代の実績もまた大きな意味があると私は思いますよ。

人生の終わりに痴呆になったとしても、「好ましい痴呆老人」になるかどうかは、現役時代の生き方によるのでしょうか?
しくはっくさんは老人ホームでいろいろな老人の人生、またその最後の様子を見ていらっしゃるようですね。
その人本来の性格は痴呆状態に反映するのでしょうね。

>人生の最終章は穏やかな心と優しい家族と過せれば(同居という意味ではありませんが)それが一番ではないかと。<

そうですね。でも母の介護をしていて時々思うのは、「ほんの少し反応のある母はいったいどの程度のことがわかっているのだろうか。少しでも状況が理解できるのであれば、この自分の状態を嫌悪してないだろうか。それならば、できるだけ長く生きてもらおうとこちらが努力することはとても残酷なことではないのだろうか」ということなのです。
介護する私たちは複数の手もあるし、介護保険にも助けられているし、大変だなどということは全然ないし、母も気持ちよく毎日過ごしているように見えるのですけど、ほんとうのところはどうなんだろう、とよく妹と話をします。したって仕方がないのですが。

でも仰るように「穏やかな心と優しい家族」これで良し、とする迷わぬ心が必要なのでしょうね。

>リタイアした後 何をするかは人それぞれですが、世の為、人の為になるような事をなさるのが、いずれ自分の為と思うこの頃でございます。<

「世の為、人の為」は、消費して楽しむことも含まれますよね。
国内でお金を使うことも、景気拡大によろしいかと思いますので、一族郎党引き連れて旅行したり、食事会やったり、おじいちゃんおばあちゃんは貯め込まず、自分のことに使ったり次の世代に投資したりするのがいいでしょうね。
そう考えると、老人の恋も美容もいいかもしれません(笑)。

投稿: robita | 2007年8月31日 (金) 10時09分

robitaさん、

こんな60代は駄目ですか?それにしても、この空手キック、いやライダー・キック、そして防御のポーズは本物だ!!

別に年だからと老け込まなくても良いではないですか。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年9月 1日 (土) 20時46分

robitaさん、

「東京物語」のお母さんは良かったですねえ。笠智集のお父さんも良かったですけど。このお母さんは、存在感がないようで、お父さんにただ付き添っているようでしたど、4人の子供を育てたのは、このお母さんなんだなということがよくわかります。東山千栄子は、次男の嫁の原節子の存在感といいコントラストになっていました。結局、親の面倒をみてくれるのは、子供たちではなく次男の嫁なんですねえ。

そのお母さんも亡くなって、一人残ったお父さんが部屋にいるシーンで、その前にあった「枕はそっちに入らんしたか」「渡したんじゃありませんか」(という会話だったかな)の会話のシーンが思い出されます。このシーンも良かったですね。

あと長女の杉村春子がまたいいんですわ。「ああっ、いやになっちゃうな」という台詞とか、葬儀の後で「おかあさんのあれ、もらおうかしら」と言うところなんか、いやあ、いるよな、こういう人って思います。

この映画は昭和28年で、この時代は、まだ老いた親の面倒を子供が見るのは当たり前みたいな時代だったんですけど、こうした映画を作った小津は、それから半世紀後の今の家族関係の崩壊を予感していたのかもしれません。

投稿: 真魚 | 2007年9月 2日 (日) 11時23分

>舎亜歴さん、

藤岡弘、若いですね。
この人が爺さんになるのはいつなんでしょう。
「気は優しくて力持ち」そのまんまの藤岡さん、いいですねえ。

>別に年だからと老け込まなくても良いではないですか。<

もちろんそうです。元気なのは良いことです。

投稿: robita | 2007年9月 3日 (月) 09時42分

>真魚さん、

「東京物語」の内容、よく覚えていらっしゃいますね。
私ももう一度見てみなくては。
思うに、昔の映画のほうが良いのがあったなあ、とこの頃しきりに思います。
描かれた内容についての懐古、という意味じゃなくて、映画として優れた作品が多かったという気がします。(と言うほど、昔も今も映画を見てるわけじゃありませんが)

>こうした映画を作った小津は、それから半世紀後の今の家
族関係の崩壊を予感していたのかもしれません。<

私はこのような時代の流れを眺めていて、「人間の意識の変化に合わせて社会のしくみを変えていかざるを得ないのは理解するが、家族だけは崩壊させてなるものか」と思うんですよ。
家族に替わる新しいコミュニティの構築の必要性を叫ぶ人もいますが、それはそれとして、親子関係、兄弟関係はどんなに失敗してもあきらめちゃいけない、そう思います。つまり、不幸な家族関係で育ったんなら、自分は良いのを作ってやる、みたいな意気込みはなくしちゃいけない、と。

投稿: robita | 2007年9月 3日 (月) 10時02分

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