青春
昨日の朝日新聞日曜版に俳優玉山鉄二のインタビュー記事が載っていた。
大学生6人の北海道での酪農実習経験を描く「牛に願いを」というテレビドラマに出演中だ。
「青春のイメージは?」という質問に:
「青春って、だれかに守ってもらえたり、言い訳ができたりする時期だと思うんですよ。今振り返ると、ハンパでいられたのに、なんでめちゃくちゃしなかったんだろうと思える時期は、高校卒業してすぐまでくらいかな」
この答えによると、玉山くんは青春時代にめちゃくちゃをしなかったお行儀の良い子であったと思われる。
彼にかぎらず、めちゃくちゃをするのは間違っているとみんなわかっているので、お行儀良くして青春時代を過ごす若者のほうが今も昔もずっと多い。
しかし、めちゃくちゃをしたり、勝手なことを言ったりするのが若者というものであり、そういうことを経験し、叩かれて大人になっていくものであるのに、それをする前に自己をセーブせざるを得ない世の中の締め付けが年々強くなっているような気がする。
爆音鳴らしてバイクで暴走したり、夜中に学校の窓ガラス壊して廻ったり、恐喝したり万引きしたり、そういうセコい犯罪を「若者のめちゃくちゃ」と混同するのは勘弁願いたい。しかし人に迷惑をかけるのを恐れすぎて思い切ったことに手をつけない若者が増えたのは、我々年配者の責任でもあると思う。
たしかに、若者の生き方を、微笑みながらただ温かく見守る、というのは難しいことだ。
冒険をしろ、あきらめずに夢を追いかけろ、などと言う一方で、迷惑をかけてはいけない、夢など追いかけずさっさと現実的な道を探せ、などと二つの相反するアドバイスをうまく使い分けるのは難しい。
何年か前、関西学院大学のワンダーフォーゲル部が冬山で遭難したことがあって、無事帰還はしたが、あの時彼らに対する評価が二分したのを覚えている。
天候が悪くなるのを予想できたのにも関わらず山に登り、遭難して迷惑をかけた、ということが批判者の言い分だった。
体が回復した部員がマスコミのインタビューに答えて「天候に挑戦してみたかった」という意味のことを言った。
私は、若者の冒険心は「無謀」の要素を大いに含んでいると思うので、「それでこそ若者だ」と思ったのだが、「天候を無視して遭難し、迷惑をかけておいて何という言い草だ」と思った人も多かったろう。
最近、大学の山岳部は部員が激減して存亡の危機に見舞われているところが多いそうだ。厳しい訓練や細かい規則などを窮屈に感じる学生が増えたため、というその理由を新聞で読んだことがある。
危険なことには近づかないのが一番だ、苦しいことは極力避けたい、冒険などして死んだらどうするのだ、だれが責任取るのだ、・・・そういう風潮の中、「悪天候を試したかった」と厳しい表情で語った学生に、私は近年めったにない新鮮さを感じた。
こういう果敢な挑戦の結果の遭難救助に税金が使われるとしても、それは正しい使い方じゃないか、と私は思う。
冒頭の「青春って、だれかに守ってもらえたり、言い訳ができたりする時期だと思うんですよ」という言葉を、若者に言わせてはいけないのではないだろうか。我々年配者がそう思わなければいけないのではないだろうか。
年配者自身がそれを理解し物分りが良くなる、ということは、「対立」を生まないので若者の甘えを助長する、とも考えられるが、表面的には叱責しても内心では許容する器を持つ、という非常に難しい対応が必要となる。
正しい年寄りになるのは難しい。
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