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2007年8月31日 (金)

演技の時代

先日、ラジオに「夜回り先生」として有名な水谷修さんが出ていた。

中高生の子供を持つ親からの悩み相談に答えていた。

「悪いのはすべて大人で、子供は全然悪くないのだ」

「子供が悪いことをしても、叱ってはいけない。言葉には力がない。大事なのは表情だ。悲しい顔をして子供を見るのだ。そして何も言わずに抱きしめてあげるのだ」

「子供にこっちにおいでというのでなく、むしろこっちから子供の布団に入っていって『お母さん寂しいの。一緒に寝てちょうだい』と言うのがいいのだ」

こんな風な回答だった。

ということは、子供を正しい方向に導くためにはかなりの演技力を要するということなのか。

演技力のない親は見透かされて、かえって冷笑を浴びることにならないだろうか。死にものぐるいで演技しなければならない。

そういえば、ずいぶん前だが、夜回り先生のルポルタージュ番組を見たことがある。

講演会での語りや、夜中に悩める子供たちの電話を受ける様子を映していた。その表情、声の出し方、まるで俳優の演技を見ているようだった。

これが子供の心を救うのか。そうだったのか。大人は演技力を磨かねばならないようだ。

いや、それほど難しいことではないかもしれない。近頃はお相撲さんだって、下を向いて元気のなさを装えば、「心の病だ」と言ってかばってくれる人がたくさんいるのだから。

しかし、演技をすること、そしてそれに乗っかること、それが良いことだとか悪いことだとか決め付けることはできない。

円滑な人間関係や物事の解決のためにたまに「演技」が必要なのは大人になればわかることだ。

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コメント

お久しぶりです。

私は義家弘介をはじめとした「夜回り先生的」な人物を一切信用していません。私は、彼らの性善説的なきれいごとに正直辟易しています。不登校経験者である伊集院光氏がラジオ番組で彼らをネタにしました、すると不登校リスナーは怒るどころか拍手喝采でした。
彼らは不登校=悪いことと決めつけますが、評論家の宮崎哲弥氏をみて分るように不登校でも社会に通用する人材は育ちます。不登校という選択肢もあっていいのでは?
教育で変えられるのは歴史観と学力の二つぐらいです。彼らの教育で社会を変えていくという発想は大いに結構ですが、社会に合わせて教育を変えていくという発想が欠如してないか?と思う次第です。

投稿: のれそれ | 2007年8月31日 (金) 20時48分

>のれそれさん、

私の知る限り、義家さんと水谷さんは、正反対のスタンスではないかと思います。
夜回り先生はたしかに「性善説的なきれいごと」を大切にする人なので、子供にいっさい非はなく、大人が作った社会が悪い、政治が悪い、と言い続けておられるようです。
この「社会が悪い政治が悪い」という言い分は「若者には責任はない」という意味にとられ、親や教師に反抗する若者には好ましく思われるのでしょうか、「俺たちの気持ちをわかってくれる人だ」として、ネットで検索しても、この先生を褒め称える意見は数多く見られても、批判する若者は皆無と言っていいほどです。

対して、義家さんのほうはちょっと乱暴に「お前ら、甘えてんじゃねえよ」というスタンスなので、反発する若者が多いんじゃないでしょうか。この人のことあまり知らないので無責任なことは言えませんが。
伊集院光は的を射たことを言う人なので好感を持っています。義家さんへの批判はどんなものだったのでしょうか。

たしかに学校に行かなくても大成した人は存在するのですが、そのことに若者をあまり寄りかからせるのはどうなんでしょうね。

>社会に合わせて教育を変えていくという発想<

そうですね。たしかにそういうことは必要だと思います。
でも、教育の分野では基本的なことは変えてはいけないのかもしれない、とも思いますし、どのようにするのが一番良いのか、誰にも「これが正しい」とは言えませんね。まったく教育とは永遠に我らの悩みのたねですね。

投稿: robita | 2007年9月 1日 (土) 17時42分

ありがとうございます。
私自身は、結婚も子育ても経験したことがない若造なのでrobitaさんの意見はとても勉強になります。

不登校の是非は、(悪い例かもしれませんが)犯罪者更生に関する議論近いと思います。不登校は学校の落伍者ですが、犯罪者は社会自体の落伍者です。そして、彼らの35%以上が再犯という状況。つまり、犯罪を防ぐには厳罰化よりもいかに彼らを更生するかが大事になってきます。
どうやっても、(教育に限らず)システムというモノは落伍者を生んでしまいます。不登校に関して言えば、一学年200人いて10人ぐらい不登校(落伍者)がでるのは当たり前の話でしょう。「フリースクールに行かざるを得ない」ではなくて「私は集団生活に向いていない」ということを自覚させ、そこから「どう生きるか」を教えることが大事でしょうね。(その点でいえば「私が不登校なのは、社会や親が悪い!」と声高に叫ぶ輩は正直ウザイですが。)いずれにせよ彼らが社会の落伍者=犯罪者にならないことを祈るばかりです。

まあ、義家氏が好き嫌いは個人の問題ですかね・・・。私が一番印象的だったのはTV番組爆笑問題の「センセイ教えてください」における「問題のある生徒とは4、5時間話し合う」という発言に対し、伊集院光が言った「問題のある生徒に関わっている間、問題のない普通の生徒はどうしているのか?」「(問題生徒にいじめられる)まじめだけがとりえの生徒はどうしたらいいのか?」という質問に義家氏は逃げるばかりでした。

まあ、自分の両親をみて「国も教育で右往左往しているのに、子育てとは大変なことだな」と最近思っています。

投稿: のれそれ | 2007年9月 1日 (土) 21時59分

>のれそれさん、

>伊集院光が言った「問題のある生徒に関わっている間、問題のない普通の生徒はどうしているのか?」<

これには、私も同感です。
夜回り先生(水谷修さん)にも同じ事を思いました。
あの先生は、毎夜毎夜渋谷などの繁華街を廻り、徘徊する子供たちに話しかけ、叱責することなく話を聞いてやる、また、電話相談には相手がある程度落ち着くまでとことん付き合い、困っている親には誰彼なく電話番号を教えて「いつでも相談に乗ります」と言っていました。
そういうのを見ていて、この先生は自分の生活をいったいどうしているのだろうか、家族はいないのだろうか、時間のすべてを問題児に費やしてその他の普通の生徒たちに関わる時間が果たしてあるのだろうか、と思いました。
伊集院氏の疑問は至極当然であって、義家さんも水谷さんも問題児に関わることにおいては「理想の先生」かもしれないけれど、「このように愛情を注ぐべきなんです」などと押し付けられてはたまったもんじゃないですねえ。

投稿: robita | 2007年9月 3日 (月) 15時32分

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