青春 2
サミュエル・ウルマンの詩 「青春」 とか、「いくつになっても恋する気持ちを持ち続けることが若さの秘訣」とか、そんな言葉にうんうんと頷いて人は老いを遠ざけようと努力する。
でも、老いることはいったい遠ざけなければいけないほど悪いことなのだろうか。
年をとっても様々なことに関心を持つのは良いことだし、健康に気を配って元気に生きるのは大いに結構だが、「青春」を無理やり老人の生き方にくっつけるのはどうも賛成できない。
青春はどう考えても若者のものだろう。
若き日に何らかの事情で恋愛にも結婚にも無縁だった人が50になり60になって初めてそのような機会に恵まれる、これは大いに応援したい。
しかし、もういくつか恋もしたでしょ、結婚もしたでしょ、子供も持ったでしょ、そういった人々の「いくつになっても青春」シュプレヒコールは私にはどうも不自然に思えてならない。
年を取っても元気なのは良いことだ。
しかし、恋をしたり、若作りしたり、無理やり体を動かしたりして若者の真似をする、そんなことが「元気」の印だとは思えない。
そういう人が存在するのはかまわない。しかし「そのほうが正しいのだ」みたいな世の中の空気はヘンだ。
お婆さんらしいお婆さん、お爺さんらしいお爺さん、そんな存在が自分の行く末に見えることは、果たして若い人たちにとってマイナスなのだろうか。
到達点としてのギラギラした老人は若者にとって果たして「希望」なのだろうか。
サミュエル・ウルマンの詩は「青春」という題でないほうがいい。
老人は枯れるがよろし。
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コメント
私の憧れの人は、もう亡くなってしまいましたが「盛田昭夫さん」「本田宗一郎さん」。
いづれも60代になってからスキーやテニスを始められたり、スキューバダイビングやスカイダイビングを始められたりされたそうです。
自分をコントロールできる範疇で、新しいことに「挑戦する心」を忘れずに、年老いていきたいものだと考えています。
ギラギラした老人というのとはまた違うとは思いますが、自分自身が年老いたと思い、挑戦しなくなったときが「青春の終わり」と考えています。
(もちろん、年相応の分別を持って...。)
投稿: 山本大成 | 2007年8月28日 (火) 11時26分
>山本大成さん、
長くなったので、記事にしました。
投稿: robita | 2007年8月29日 (水) 09時37分
こんにちは
サミュエル・ウルマンの詩「青春」、初めて見ました(不勉強でお恥ずかしいです)
とてもスケールの大きな詩で、私などは遥かに仰ぎ見るような思いがしました。
「青春」という言葉にはとてもワガママなイメージがあります。自分の為に行動し、自分の為に笑い、自分の為に泣き、自分の為に恋をする・・・。
いい大人が口にするのはあまりに無責任な感がありますね。
ただ、長年にわたる社会での勤めを終えられた方がワガママに生きるのは構わないと思います。
それくらいのことは働き盛りの世代が許容してあげて欲しいですね。
今の社会における「理想」
理想の子ども、理想の働く女性、理想の母親、理想の老人・・・多くの「理想のイメージ」がはびこっていますね。
「個性の尊重」と言われていますが、そんな事言われてもどうしたらよいのか分からない、教えて欲しい。そのとおりにやってれば安心するって人が山程いるということなのかもしれませんね。
偽善による同調圧力は私も感じます。やはり女性に多いんじゃないですか?
「ほっといてくれ」と言っても「かわいそうな人」と思われるんですから、たまんないですよね。宗教か!(笑)
投稿: bmtjn | 2007年8月29日 (水) 09時54分
>bmtjnさん
>「青春」という言葉にはとてもワガママなイメージがあります<
そういう年頃だということを、自分も嘗てそうだったとして受け入れる懐が我々年配者にあるかどうか。
ワガママにもいろいろありますが。
みんな一つの国の中で生きているのだから、個性も大事だけれど歯車としての自覚も大事、ってことですね。
若い時には「歯車である自分」に気付かないけれど、年取ると感じるようになります。
それが年を取る、ということかもしれません。
>今の社会における「理想」<
「理想」というのは「現実」を修正するために必要なものですよね。
だから理想を語るのは人間には必要なことだと思います。
投稿: robita | 2007年8月29日 (水) 17時11分