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2007年9月23日 (日)

最終弁論

「くらたま」こと、漫画家の倉田真由美氏が「週刊朝日」誌上で安倍晋三をこきおろしている。
「まるで器がないのに血筋とタイミングだけで首相になってしまったうっかり者。逆風を、跳ね返しバネにする機転もなく、馬耳東風と動じない胆力もない。脆弱で頼りない首相は、大臣の不祥事やスキャンダルで叩かれまくり、弱っていく一方だった。」
「良家のボンボンって、身の丈に合わないポストに納まってしまうことが多々ある。しかも当人は、『ボンボン力』=『僕の実力』と勘違いしていて、器じゃないことに気がつかない。荒波に揉まれたことがないから、大海に出るまで分からないのだ」
「小さい子供も、出来ないことを出来るように錯覚していることがある。ボタンをつけたり包丁で野菜を切ったり、実際にやらせてやると初めて出来ないことに気づく。それでもしつこくやり続けたら、包丁で指を切ったりして泣き叫ぶのだ。『もうやめるー!』と」

・・・・とまあ、このようにいかにもありふれた「ボンボン論」を展開している。

しかし、この際、総理大臣の負った荷物がどのくらい重いものか、冷静に検証する必要はないだろうか。

安倍総理の背負った難問の数とその総重量、また、政界の動き、マスコミの猛攻、国民の冷淡で厳しい態度、それらは、果たして、歴代の総理大臣に比べてどの程度の負担だったのか。

私ぐらいの年になると色々な総理大臣を見ているので、こんなに逆風の強かった不運な人も珍しいのではないか、と思うのだがどうだろうか。

それを短絡に「お坊ちゃんだから」と一刀両断してしまっては、人間の知性や感性が泣くだろう。

おそらく、おおかたの一般大衆もくらたまのような見方をしているものと思うが、溜飲を下げるためだけにそういう表面的な見方で満足する人が大勢を占めるのであれば、民主主義などないほうが良い。

私は、常人には到底担えないであろう仕事を引き受けてやってくれている人には情けをもって常に冷静で公平な見方をしていきたいと思っている。
それで私は「観客席からお気楽に評論する人々」を厳しく評論したいのである。
そうでなければ世の中は不公平だと思うからだ。

             
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コメント

robitaさん、

民衆は「観客席からお気楽に評論する人々」なんです。そういうもんなんです。民衆に、国政を背負う責任を察せよというのはお門違いというものです。民衆が、自分たちの指導者は立派な人であって欲しい、誇れるリーダーであって欲しいと願う、その素朴な気持ちは間違っていません。今、年金問題とか、消費税上げる、上げないとか言っているこの時期に、無責任な指導者では困るわけです。自分たちの暮らしに直結していますから。

黒澤監督の『七人の侍』の農民たちと同じです。農民たちの要求は、野武士(のぶせり)をやっつける、腕の立つ侍でした。そして、雇われた侍たちは見事、野武士たちを倒して、その要求に応えます。

でどうなったのかというと、ラストでは、勝四郎とああなった(ああなったって何?)志乃はまるで何事もなかったかのように田植え仕事に向かいます。野武士と戦って死んだ菊千代たちの墓には誰も見向きません。勘兵衛は、平和を取り戻した喜びと共に田植えをしている百姓たちを眺めながらポツリつぶやきます。「勝ったのは百姓たちだ・・」と。

ようするに、そういうもんなんだと思います。
(いえ、勝四郎とああなった津島恵子の志乃が、なんかサラッと村の娘に戻るということが、そういうもんだではなく)(笑)

勝手に辞任すれば「坊やだからさ」と言われ、もし仮に行政改革に成功したとしても「コレコレについてはまだ解決していない」とか言われる。そういうもんなんです。どうであろうと、最後に勝つのは「百姓たち」なのです。

投稿: 真魚 | 2007年9月23日 (日) 13時29分

>真魚さん、

「民衆とはそういうもんだ」というのはよくわかりますよ。
それでそういう民衆ばかりだったら、馬鹿馬鹿しくて総理大臣など目指す人はいなくなるでしょうね。
現に、自民党の心ある若手議員の「評価されるべきところを評価されないこと、公平な目で見てもらえないこと、そんな職業なら誰も選ばなくなり、結果、政治家の質は落ちるばかりです」という声が聞こえます。
だから、お気楽に評論する人はすればいいと思いますが、その評論を批判する人がいて当然だと思います。
だって、国民全員に責められる仕事なんて誰もやりたくないでしょう。何割かは弁護する人が必要だと思います。
江戸時代や戦前ならともかく、今や「国のために命を賭ける」など馬鹿馬鹿しいという世の中ですよ。
あとからあとからそういう子供たちが大きくなっていってるんですよ。
誰が政治家という職業を選ぶんでしょうかね。

それから、
>今、年金問題とか、消費税上げる、上げないとか言っているこの時期に、無責任な指導者では困るわけです。<
  
   ↑
  これですが、「体力的にも精神的にも限界状態で国会答弁しても余計に迷惑をかける、そのほうが無責任だ」と判断したのではないか、と私は言ってきたのですが、そういう弁護もなりませんか。

投稿: robita | 2007年9月23日 (日) 16時07分

robitaさん、

また映画の話で恐縮ですが、黒澤監督の『七人の侍』で志村喬が演じる島田勘兵衛以下、7人の侍たちは野武士を倒しても百姓から感謝されないと不平不満を言ったでしょうか。百姓から感謝されたいがために、彼らを助けたのでしょうか。人から感謝されたいがために、コレコレをやる。そういうものではないということはrobitaさんもよくご存じだと思いますが。

民衆から評価されないから政治はやりません。そんな政治家は落選させましょう。民衆から支持されようが、されまいが、公のため、私はコレコレをやります。そうでなくてはならないのではないでしょうか。

前にも書きましたけど、日本はおまかせ文化です。政治はエライ人にお任せなのです。お任せであるというのは、彼らは良いようにやってくれるだろう、やってくれるはずだという期待と信頼があるのです。エライ人がきちっとやってくれないと、自分たち庶民がきちっとしなくてはなりませんから、それはイヤなので、エライ人に任せているのです。これはこれで問題がありますが、日本というのは、そういう国なのですからしかたありません。ですから、エライ人はきちんとしてくれなくては困るのです。と同時に、庶民にはエライ人は信用しない、期待もしないという相反する感情もあります。それが庶民のしたたかさです。何度も申しますが、どうであろうと、最後に勝つのは「百姓たち」なのです。

政治家の職業存続のために庶民がいるわけではありません。庶民のために政治はある、と庶民は思っているんです。政治家の質を上げたいのならば、そうした民衆の現実があり、それでも政治をやりますという、七人の侍のような、そういう人を育てるべきです。

例えば、ここにお笑い芸人がいたとしてですね。漫才がおもしろくなかったらおもしろくないとそっぽを向く。これが観客の正直で正しい態度ではないでしょうか。彼は芸人なのです。お客さんから笑いをとってなんぼの芸をしているのです。それが、ああ、舞台にたってみんなに見つめられて、ほんまにプレッシャーやろな、せやから、ちょっとくらい笑いがとれなくても文句を言わんとーてな、では、良い芸人は育ちません。弁護はいりません。ええもんはええと言う、悪いもんは悪いと言う。それだけで、いいんです。

安倍はんは、みんなからやめい言われても、それでもうちは舞台に立つつーて、決断しなはったんやろ。せやったら、最後まで舞台に立つべきやおまへんか。それがお客さんへの芸人じゃなかった政治家としての責任とちゃいますやろか。政治家も芸人も同じじゃあおまへんか(方言がごっちゃだな)。

投稿: 真魚 | 2007年9月23日 (日) 22時45分

robitaさん、そして真魚さん、

このところ民主主義のあり方を問う記事がいくつか投稿されているようなので、以下のリンクが参考になればと思います。

ロシア退役将軍は語る:自由だが民主的でない国

>>それならロシアが真の民主主義国になるには何が必要なのだろうか?ドミトリ・トレニン将軍は西欧社会に民主主義が定着したのは自覚のある中産階級が拡大し発展してからと述べている。こうした展開になるには資本主義の発展が不可欠である。また国民の大多数が最低限の生活水準を維持している必要がある。そうでなければ、民主主義どころかポピュリズムに陥ってしまうと警告している。

現在、ロシアの政治は自己中心的なエリートに支配されている。この国の民主化を推し進めるには、所有権や意思決定についての基準を作り上げておく必要がある。これによって民主主義が保証されるというわけではないが、憲法に基づく法の支配を確立する前提にはなる。

こうした基準を作り上げるだけでなく、市民社会の発展も重要になる。クレムリンの官僚や片棒担ぎが好んで口にするのは、19世紀からよく言われている「ロシアで本当のヨーロッパ人と言えるのは政府だけだ」という諺である。そうした風潮の中にあっても、旧来からの自由主義は知識人の間に定着していた。しかしこうした自由主義は、愛国主義とは相容れないこともあって、国民に広く支持されてはいない。今日のロシアで自由主義が発展するには自由の理念とナショナリズムが一つにまとまらねばならない。新しい自由主義の担い手となるのは新興ブルジョワジーと都市の中産階級である。彼らはまず地方レベルから、自分達の要求を効果的に反映させて政治の透明性を高めようとするであろう。そうした自由主義は粗野でインテリ嫌いに見えるであろう。彼らの自由主義では社会の不正や人権の問題よりも、政治の透明性の方が重要になってくる。こうした動きが活発になれば、クレムリンの独裁政治は徐々に影をひそめるようになる。<<

最近のrobitaさんのブログでは、どうも民主主義とポピュリズムを混同したと思われるところがいくつか見られます。

それにしても真魚さん、日本がお任せ文化だろうとそうでなかろうと、トレニン将軍が述べている自覚ある中産階級の発展が民主主義の形成に重要なのは普遍的と思えます。旧ソ連の退役軍人がこれほどのことを書けるのは驚きです。

あまりお任せ文化を言い訳にして、日本の現状を肯定して良いのでしょうか?日本人とは本来は進取の気性に富み、古い時代の悪しきものを一点の曇りもなく捨て去れる国民のはずです。まさに「プロテスタント的な使命感」でヨーロッパとアメリカの最先端の知識と思想を彼ら以上に素早く学び取っていったのが日本人です。

お任せ文化という古い時代の悪しきものをサムライの一太刀
ごとくズバッと斬れるのが本ありの日本人だと思いませんか?

投稿: 舎 亜歴 | 2007年9月24日 (月) 01時54分

robitaさん、

仰せのことはよく理解できます。舎さんや真魚さんのような知的階級の方々は、私が読んでいるような低俗な大衆紙はお読みにならないのでピンと来なくても仕方ありません。

もう削除したようですが、週刊ゲンダイなんてひどいもんです、安倍氏が総辞職の閣議を欠席すると言う誤報のオチは「一生入院していろ!」です。私が傷ついてしまいましたよ。

本当に、最近は大衆紙も新聞も、自分たちが「便所の落書き」と散々蔑む「2ちゃんねる」と見分けがつかなくなっています。読者の側からこのようなメディアに対しての侮蔑を示す必要は大いにあると思いますね。

とはいえ、安倍氏はやはり前代未聞、国民から総批判されるべきことを数々行ったのは事実です。言いたくはないが言わねばfairではありません、彼の内閣が残した功績なんてほぼゼロでしょう。懐古主義的保守派は「いくつかの重要法案を通した」とよく仰るが、あれは小泉さんの郵政解散によって残されたプラスの遺産の賜物。しかも「強行採決」ときている。子供でも出来る、と言うしかありません。

そういった意味では、

>自民党の心ある若手議員の「評価されるべきところを評価されないこと、公平な目で見てもらえないこと、そんな職業なら誰も選ばなくなり、結果、政治家の質は落ちるばかりです」という声が聞こえます。

こんな甘え切った愚痴が堂々とまかり通っていること自体が、職業的魅力の低下を招く主因では?私の見るに、国民の評価(メディアではありません)はかなり公平です。そもそもrobitaさんの様なお考えの方がいらっしゃるじゃありませんか。

だいたいなんですか、あの総裁選は?元首相子供vs.孫?その前の首相も元首相の孫?!・・・殆ど歌舞伎の世界です。そういう構造が政界の「人材不足・質低下」の大きな原因では無かろうか、と思います。

もちろん、DNAまでは「一子相伝」出来ぬことが明白になった今、選挙民は、文句ばかり言っていないで選出する国会議員の基準を「先代に顔が似ている」などに求めるのは、いい加減改めねばいけません。

そろそろ首相公選制を選択しても良い時なのかもしれないですね。

しっかし、あー腹が立つ、民主党に政権とらせるしかないじゃないですか、ホントに、もう!

投稿: kaku | 2007年9月25日 (火) 12時28分

>kakuさん、

>彼の内閣が残した功績なんてほぼゼロでしょう。<

そうなんですか。
私は政治のことは実はよくわからないのですが、私なりに信用している評論家の宮崎哲弥さんが高く評価していたので、そうなのかなあ、と思っていました。宮崎さんだけじゃないですけど。
そうですか、子供でも出来ることだったんですか。

>「評価されるべきところを評価されないこと、公平な目で見てもらえないこと、そんな職業なら誰も選ばなくなり、結果、政治家の質は落ちるばかりです」<

これはTBS「アクセス」での河野太郎さんだったと思いますが、正確にこう言ったかどうか、ともかくスタジオの皆さんでそういう話になって、私もそうだそうだと思いました。少なくとも愚痴のような感じではありませんでした。

安倍さんの辞任に至る経緯を見ていて私が思うことは、一人の理想家(たとえ彼が若かろうが経験不足だろうが)をみんなでよってたかって潰してしまったということ、そして、いつも生き延びるのは神経だけは図太く金集め票集めのうまいしたたかな連中なんだなあ、ということです。
安倍さんは運も悪かったし、党内の嫉妬の渦の中で苦労したでしょう。それぐらいは察してあげたいと思います。

>民主党に政権とらせるしかないじゃないですか<

いいと思いますよ。民主党の成長のためにも政界再編のためにも。

投稿: robita | 2007年9月25日 (火) 17時18分

>真魚さん、

今日の記事にしました。

>舎亜歴さん、

>最近のrobitaさんのブログでは、どうも民主主義とポピュリズムを混同したと思われるところがいくつか見られます。<

えっ、民主主義とポピュリズムは同義語ではないのですか? 知らなかった。

投稿: robita | 2007年9月25日 (火) 17時21分

robitaさん、

>そうですか、子供でも出来ることだったんですか。

いや、「衆院に法案を提出したこと」が素晴らしい功績、と言うなら、ああ・・・そうですか、それを「功績」と言うんですか、「後席」じゃなくてね?・・・と、力なくかすかーに頷きますけれど。

>いいと思いますよ。民主党の成長のためにも政界再編のためにも。

おお、そうじゃそうじゃ!今こそ!…と言いつつ、新内閣防衛相に石破茂御大の名を発見し、ちょっと浮気気味。私、大ファンなんですよ~著書は殆ど読んでますわ。

投稿: kaku | 2007年9月25日 (火) 23時00分

>kakuさん、

いや、実はですね、私も「法案を提出さえすれば」「しかも数が多いのだから」可決成立は簡単ではないのかとは思っていたのです。ただ、法案作成のため官僚を動かすのが大変なことなのかなあと思っていましたが。

>著書は殆ど読んでますわ<

すごい。軍事に詳しくなったのではありませんか?

投稿: robita | 2007年9月26日 (水) 09時58分

robitaさん、

民主主義とポピュリズムは言葉の定義では違います。しかしかながら、なぜか結局同じものになってしまいます。民主主義社会の政治は、必然的に大衆迎合的なものにならざる得ません。つまり、衆愚政治になってしまうのです。民主主義でありながらも、かつ衆愚政治にならないようにはどうしたらいいのか。このことは、ギリシャやローマの時代から無数に繰り返されてきた問いかけですが、今だ人間はその効果的な方法を見つけていません。

民主主義は衆愚政治になり、やがて衆愚であることに耐えられなくなった大衆は、偉大な指導者の出現を求めるようになります。あまりにも無秩序な自由が行き過ぎると、人は自分から進んで秩序、それも自分で自分を律するという秩序ではなく、国家権力が自分たちを管理してくれることを望むようになるんです。そっちの方がラクですから。

ここで現れるのが全体主義でありファシズムです。つまり、民主主義はやがてファシズムになってしまう可能性を持っているんです。20世紀のドイツでのナチスの台頭や日本での陸軍の政治支配、ソ連でのスターリン体制の出現などはこういった理由によるものです。アメリカでは、ルーズベルト大統領によるニューディール政策が行われましたが、これもどっちかという全体主義の統制経済です。つまり、20世紀前半というのは、世界恐慌が起きて資本主義もうダメじゃんと思われるようなって、ある国は全体主義っぽい統制経済の社会になり、またある国はファシズム国家になったりしたんです。その始まりは、みーんな、民主主義の国だったんです。

ですから、民主主義は良くないという意見もあります。その代表的な意見がプラトンです。プラトンは、そうやって民主主義はすぐ堕落するから、民主主義じゃなくて、優秀な手腕を持った指導者を置いて、それに従う世の中がいいと主張しました。こんな大昔から、そういうことが言われていたんですねえ。それほど民主主義って問題があるということなのでしょう。

しかしながら、優秀な指導者がいれば解決するというのは、いわば当然のことであって、そういう指導者がいないから、みんな困っているというが事実です。そういう優秀な指導者っていないんだ、ということが前提にしてモノゴトを考えましょうというのが、20世紀を経た、今の時代の考え方になっています。

しかしながら(しかしながらが続きますが)それじゃあ、ボンクラな指導者でいいのかというと、いいわけないので、やっぱり有能な指導者であって欲しいとみなさん思うわけです。

いずれにせよ、民主主義というのは、(ここんとこ大変重要なのですが)決して、「民主主義は、清く正しく美しい、人類普遍の最高の政治システムなのである。だから世界のみなさん、民主主義を導入しましょう。民主主義、ばんざいー!!」というものではないということです。そうではなくて、「他に選択肢がないんで、しょうがないから民主主義でやろうね」というものなのです。ですから、ちゃんとしているかどうか、みんなできちんとチェックをしなくてはならないわけです。みんなでチェックしなくては、すぐにおかしくなる政治システムなのです。ここんとこ、しっかりわかって、民主主義をやっているのかどうかで、その社会の質に雲底の差があります。

投稿: 真魚 | 2007年9月30日 (日) 14時27分

>真魚さん、

丁寧なご説明ありがとうございます。

>こんな大昔から、そういうことが言われていたんですねえ<

民主主義と全体主義の繰り返しやら、たとえば孔子の教えやら、今でもふーんと感心して納得するような人間への理解に紀元前に既に到達しており、歴史は進んだり戻ったりを繰り返してきたに過ぎないことを考えると、人間は成熟したらおしまい、と神さまが思し召された故のプログラムなのかなあと思えてきます。
結局、現代人が昔の人より理解していることは、地球は丸い、ぐらいなんじゃないでしょうか。

投稿: robita | 2007年10月 1日 (月) 12時00分

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