惻隠の情
社会党の村山さんが自民党にかつがれて首相だった期間、記者団の追及にたじろぐ場面をよく見た。
日本を良い国にしようという志を抱いて政治家になり、一生懸命活動していた人だと思う。
ずっと自民党政治に反対してきた党として、その「敵」と組んだことで生じた数々の矛盾を衝かれ、非常に苦しかったことだろう。
性格の良さそうなおじいちゃんがいじめられているようで、とても気の毒だった。
当時はインターネットが発達していなかったので、今のように、ネット上でおもちゃにされるということもなかったし、「左翼から来た」総理だったせいだろうか、「政権を常に攻撃する人々」からの批判も当然なかったと思う。
それでも、社会党のポリシーを転向させなければならない事態に直面し、そのたびにマスコミの猛攻に遭っていて、私はそれをみるのが辛かった。
橋本さんに替わった時はホッとしたものだ。
総理退任当日の夜、「ニュースステーション」に出演した村山さんは晴々とした表情で司会の久米宏のインタビューに答えていた。
「良かった良かった」と私は思った。
安倍さんが総理辞任を表明した。
テレビやラジオでは、「何故このタイミングで」「責任放棄だ」「ボクちゃんが逃げた」と言いたい放題のコメントが色々な人から発せられる。
自民党議員が困惑して「これから一丸となって闘おうとしている時に」と不満をぶつけるのはわかる。
しかし、「安倍やめろやめろ」と叫んでいた野党勢が、いっせいに「やめるなんてずるい」などと批判するのはおかしくはないか。
「やめるタイミングが間違っている」という言い分は、つまり、「適切なタイミングでやめろ」ということなのか。
「適切なタイミング」というのはいつのことか。
どのタイミングでやめれば、「うん、これならば良いやめ時だ」と納得したのだろうか。
いつやめても、何をしても、文句を言ったにちがいない。
「死ぬまでやるべきだった。甘いんだよ」
それはそうだろうと思う。どんなに辛くても、息絶え絶えになっても続けるべきだった、そうかもしれない。
でも、そう言って批判する人々の誰が、死んでも職責を果たす、という壮絶な覚悟を持って生きているだろうか。
一国の総理は庶民とは違う、リーダーというものは孤独なものだ辛いものだ、人はそう言うだろう。
たしかにそうだ。一億二千万の国民の生活がかかっている総理大臣の職責は重大である。
しかし、同時に、リーダーをみつめる我々の側にもまた、情けというものがなくていいのだろうか。
官僚支配のこの国の構造に手を突っ込もうとした矢先、数々の閣僚の金銭問題でつまづいた。
年金問題も浮上した。
復党問題にも悩まされた。
更新目前のテロ特措法にも危機が迫った。
体力的にも精神的にもダメージを受けながらも、なんとか頑張ってきた。
政治的求心力がなくなっていくのをひしひしと感じながらもなお、自分を奮い立たせ、外国訪問もしただろうし、所信表明演説もやっとの思いで済ませただろう。しかし、臨界点を超えたのだろう。
おそらく苦悩の様子をつぶさに知っている家族は、「誰かに替わってもらうことはできないか」と懇願したかもしれない。家族なら「死んでもやり遂げなさい」とは言わなかったにちがいない。
総理の職責の重さはみんなわかっている。でも考えてみれば誰か他の人に替わっても日本がつぶれるわけではない。隊長が敵前逃亡して部隊が全滅するのとはわけがちがう。
安倍さんはこの国を良い国にしようという決意で総理になった。青年のような大志に燃えていたと思う。
しかし、若過ぎた、経験不足だった、総理大臣の器ではなかった、ということかもしれない。(歴代の総理大臣で、「その器」と言われる人がどれぐらいいるのか知らないが)
そういうことで政治力が発揮できなかったとしても、敗北し、満身創痍で去って行く人の背に石を投げるようなことをしていいのだろうか。
批判は色々あるだろう。批判も総括もなされるべきだと思う。
しかしここはひとまず、国民みんなで、総理、お疲れ様でした、というねぎらいの気持ちを持つべきだろうと思う。
日本国民のほとんどは、そういう優しい心を持っていると私は信じる。
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コメント
それぞれの立場や考え方に違いは有れど、少なくとも私利私欲のために政治を行ったわけではなく、ただひたすら「日本」の為に働いた方に対し、マスコミなどの対応は心底むごいものだと思いました。
就任期間は一年間と短かったものの、いくつもの重要法案を成立させ、アジアを中心にした新機軸の国際外交を端緒に付けられた功績は、他の総理大臣であれば5年や10年かかっても出来ないだけの実績を残され、歴代の首相と比べても大きな仕事を成し遂げられたと感じています。
辞任に至る本当の原因は、恐らくご本人にしか知ることの出来ないものも多々あるでしょうし、時間が経過したとしても明らかには成らないと思いますが、何らかの必然性があったものと推察しています。
今は、robita桟の仰るようにただ一言
「お疲れ様でした!」と伝えたいものです。
投稿: 山本大成 | 2007年9月13日 (木) 13時43分
先の参院選の大敗を受け彼が「留任する」と表明した際、私が最初に思ったことは、「外交時に“首相”としてまともに扱ってもらえないだろうに、大丈夫かいな」と言うことでした。
今回の辞任決意までには様々な理由がおありだったのでしょうが、決定的だったのはその諸外国首脳に「まともに首相として接してもらえなかったこと」が大きかったのではないかなーなどと推測しています。
それにしても、安倍首相の登板以来メディアの姿勢は、自国の首相に対する敬意が全くありませんでした。ぶらさがり記者の質問の口調や新聞の見出しまで、まったくもって礼を失しており、私は立腹しておりました。
が、どこかの新聞の論説委員がTVで「あんな軽口をされている軽さの方が問題だ」と仰っていて、それもそうだな、とも納得。サンプロ辺りで朝日新聞とじゃれ合っている頃がハナだったか、と。
私ももちろん「お疲れ様でした」と思っています。一人の人間として、とても可哀想に思います。もういいじゃない、と。BGMは『聖母達のララバイ』です。
しかし、TVで様々な公人による厳しい批判を拝聴するにつれ、それじゃあ(言い方は大変悪く誤解を招きそうですが)「女子供のレベル」なんだろうなぁと思いました。
昨晩私が眼に出来た報道においては、石破茂さんが投げた大変厳しい言葉から、(これまた誤解を生みそうですが)「男の愛」を感じました(つまり、一般的表現としての“女子供”の対極としての“男”と言う意味です)。
日本人に「愛ある批判」が出来るかどうか。そして、願わくば、まるで何事も無かったように、日本国の運営が成されていきますように。日本の「底力」を信じています。
投稿: kaku | 2007年9月13日 (木) 15時41分
安倍首相という人は、徹底的に「公」にこだわった人だったと思います。みんなが「私」が大事、という時代に「いや、『公』の大事さを取り戻しましょう」というのが、すべての政策の原点にあったような人です。
で、安倍首相批判は常に「なにが『公』だ。『私』あっての公じゃないか」という文脈でなされてきました。
その安倍首相が、ついに「公」より「私」についた時、それが辞任のときだったわけです。「公」からすれば、ここは死んでも頑張らないといけないのかもしれない、だけどもう頑張れませんという「私」を初めて優先したのですね。
であれば、安倍首相の批判者は「ほら、ね」と納得すればよかった。ところが、彼らは安倍首相が「私」に帰った途端に「なんで公を優先しないのか」と怒りだした訳です。
何をもって自分たちが今まで首相を批判してきたのか、自分の思想すら理解していない人々。その人達に、満身創痍にされて退場される首相に、本当にお気の毒だと思います。
投稿: single40 | 2007年9月13日 (木) 18時03分
異常な支持率に支えられた小泉首相の次ということで、誰がなっても批判の対象になっていたでしょうね。個人的には公務員改革など、安部さんがやろうとしていた事に賛成する部分もありましたが、これらの大改革をやるには根回しが少なく脇が甘かったという印象があります。
おっしゃるように、辞めろ辞めろと騒いでおいて、辞めたとたんに批判するのも滑稽ですよね。そういうことに無自覚な人が多いのでしょうね。
投稿: はねもね | 2007年9月14日 (金) 01時06分
>山本大成さん、
>辞任に至る本当の原因は、恐らくご本人にしか知ることの出来ないものも多々あるで
しょうし、<
私は参院選の敗北の時点から苦悩は始まっていたと思っていましたが、昨夜の報道ステーションでは、「参院選後も十分にやる気が続いていた。落ち込みの原因は海外に行っている間に事実上の人事権を麻生さん与謝野さんに握られてしまったことで、孤立感を強めてしまったのではないか」という首相に近い人の言葉を紹介していました。
>時間が経過したとしても明らかには成らないと思いますが、何らかの必然性が
あったものと推察しています。<
そうですね。本当のところはわからないのに「やっぱりお坊ちゃんだ」などといった言い方は僻みでしかないですね。
育ちが良くてもやり手はいますし、育ちが悪くても軟弱な人はいますから。
投稿: robita | 2007年9月14日 (金) 09時24分
>kakuさん、
安倍さんが選出された総裁選の時に思ったことですが、やっぱり安倍さんは若かった、経験不足だったということかな、と。
人は「女子供の愛」と「男の愛」、この両方で鍛えられると私は思ってます。
批判も叱責も必要、同時に癒しだって求められて当然だろうと思うわけです。ま、これは世間がそんなことしてあげなくたって家族で充分だろうという考えもあろうかと思いますが、日本を背負ったわけだから日本国中の叱責だけでは、ちょっときつ過ぎるでしょうねえ。
>『聖母達のララバイ』<
昔流行ったのでこの歌のメロディは知っていましたが、この間何かのテレビ番組で流れていて、その時初めてじっくり聴いて「へえー、こんな歌詞だったのか」と驚きました。
これはまた殿方が泣いて喜びそうな歌だったんですねえ。
>日本人に「愛ある批判」が出来るかどうか<
「ざまあみろ」風の悪口を去る人の背に投げつけるといった子供じみた真似でなくね。
投稿: robita | 2007年9月14日 (金) 09時35分
>single40さん、
いつもながら面白い見方をなさいますねえ。
たしかに仰る通りかもしれません。
>ところが、彼らは安倍首相が「私」に帰った途端に「なんで公を優先しないのか」と怒りだした訳です。
何をもって自分たちが今まで首相を批判してきたのか、自分の思想すら理解していない人々。<
おそらく彼らは「総理大臣には人権はない」と言いたいのではないでしょうか。
投稿: robita | 2007年9月14日 (金) 10時32分
>はねもねさん、
>これらの大改革をやるには根回しが少なく脇が甘かったという印象
があります。<
たしかに安倍さんのやろうとしていたことは間違ってはいなかったけれど、やはり経験不足だったということでしょうか。
>そういうことに無自覚な人が多いのでしょうね<
マスコミの煽りには充分気をつけないといけないなあ、と思います。
投稿: robita | 2007年9月14日 (金) 10時38分
前略 客観視したとき、安倍晋三という希望の星を見つけた人たちに、当の人間が首相退陣を表明した今の段階で、「お疲れさま」と労う余裕があるとは思えず。それほど日本の保守にとって危機だと私は思うから。なぜなら在任期間に為したこととその方法を考えれば、首相自身にこそその責任を求められるべきと思うので。
私自身は参議院選挙で敗北したあの時点で、退陣すべきだと思っていました。それを強情を張って内閣改造で乗り切ろうとした決意については、それもありかと思うものの。改造人事と臨時国会の開幕を後回しにしたことは、「策士、策に溺れる」の典型例。
それでテロ特措法の期限切れの責任を民主党に押しつけようとしたのでしょうが、新聞やテレビの記者、解説者もそれほど馬鹿ではなし。そして最後の最後に敵前逃亡。少なくともこんな政治家を、選挙区の有権者はまた託してみようと思うでしょうか。
つまり現在の「進むも地獄、引くも地獄」という状況を作り出したのは他ならぬ首相自身の言動であるのだから、彼に託した人たちは夢の対象を徹底的に糾弾、批判をして、善後策を考えるべき。でなければ傷をなめ合う現在の保守を名乗る人たちを、「ひ弱な保守」、「頼りない保守」と私は命名を。
草々
投稿: コルホーズの玉ネギ畑 | 2007年9月14日 (金) 11時33分
>コルホーズの玉ねぎ畑さん、
はじめまして。
率直なことを申し上げれば、私は安倍さんをお気の毒だとは思うものの、日本のリーダーとして最高だなどとは思っていませんよ。
真面目に真剣に「良い国」を作ろうという大志は持っておられたでしょうが、経験不足ゆえさまざまな局面での判断ミスもあったこととは思いますし、運が悪かったということもあるでしょう。
しかし、安倍さんがリーダーとして失格であるならば、他の誰がリーダーとして適格であり、「この人ならば日本を任せられる」と言えるでしょうか。
情けないことを言うな、ですか?
コルホーズの玉ねぎ畑さんは「保守の危機」を言われます。
当然です。
これという保守の政治家なんかもういないじゃないですか。保守でなくとも革新にもいないじゃないですか。
あるいはいるのかもしれません。
でも、誰がなっても国民やマスコミは文句を言います。
コルホーズの玉ねぎ畑さんは、「でも近年の政治はひどすぎる」と思っていらっしゃるのでしょう。
なぜそうなったか、なぜ日本が良い政治家を育てることができなくなったのか、そこのところから考えていく必要があるんじゃないですか。
そこを考えもせずに、この政治家がだめ、あの政治家もだめ、なんて言ってるだけじゃ何も変わらないと私は思いますよ。
「戦後レジームからの脱却」とは、もう一度日本の土台を構築し直す、という意味があるそうですね。
(この「戦後レジームからの脱却」についてはきっとコルホーズの玉ねぎさんも語りたいものがあると思いますが、私もそれに応じるとなると長くなるので、とりあえずここでは「独立国としての一応の体裁を整える」とか「公の精神を取り戻す」とか言っておきます)
なにも安倍さんでなくても、心ある人はみんなそう思ってると思いますよ。
保守の危機を感じた人々は、それをやる、と表明した安倍さんを支持したんですよ。少なくとも私は、当初は若い安倍さんを総理には早すぎると思ったものの、それをやってくれる、と思ったからこそ応援しました。
「敵前逃亡」とか「総理の座にしがみつく」とか、そう思われるなら、そうかもしれません。
安倍さんは弱かったんでしょう。甘かったんでしょう。
だから、我々はいつまでも総理の失敗をあげつらってるんじゃなくてその先のこと、どうしたら、良い政治家を育てることができるのだろう、というところから考えましょうよ。
投稿: robita | 2007年9月14日 (金) 16時02分
まあ、コルホーズ~さんの言うことのも一理あります。安倍総理は首相としての能力は「教育基本法改正にしても」「防衛庁昇格にしても」非常に優れていました。ただ、いかんせん政治力が足らなかった。
その点では小沢一郎と真逆でしょうね。安倍総理はしがらみが少ないからこそ大胆な政権運営ができたのです。
今回の退任にしても(参院選直後を除いては)ベストタイミングでした。だから、あんなに民主党・マスコミが批判するのです。あとは給油ができるかどうか、正念場ですね。
それにしても、マスコミの下品さは度を越してますよ。朝青龍報道にしても、横綱(総理)なんだからそれ相応の礼儀をもって接して欲しいもんです。被災地視察にとんぼがえりした総理に「露骨な選挙対策」と、いったはどこの新聞でしょう。
いくらマスコミが批判しても、私は安倍晋三は歴史が評価すると信じています。
投稿: のれそれ | 2007年9月14日 (金) 19時19分
>のれそれさん、
>ただ、いかんせん政治力が足らなかった。<
そうですね。
政界というのは本当に凄まじいところだと、今回の総裁選の展開を見ていても思います。
一夜にして形勢が変わってしまうんですから。
並みの神経ではやっていけないですね。
しかも国民やマスコミから突き上げられる。
割に合わない職業だからと、優秀な人はみな政界には入らない。
ああますます人材払底スパイラル。
投稿: robita | 2007年9月15日 (土) 13時48分