« 男は黙って・・・ | トップページ | 秋風が吹いて »

2007年10月25日 (木)

独立宣言

以前、NHK「日本のこれから」(憲法9条について)番組編成のためアンケートを募集していると舎亜歴さんに教えていただき、回答して送ったら、NHKの方から連絡をいただいた。
番組出演はできないが、という前提でしばらくお話をしたが、アンケートの最後の「あなたの憲法9条に対するお考えをお書きください」に対する私の回答に興味を持ってくださったようだった。

「憲法9条を持っているだけで世界が平和になるわけでないことはわかるのですが、一方で、9条をそのまま持ち続けて、今までどおり自衛隊海外派遣に際してごたごたを未来にわたって続けていったとしても日本の国益としてはあまり変わらないのかな、という気はします。
しかし、問題はそういうあいまいな国家に生まれ育つ子供たちの精神の支柱のようなものがどうなるのかということだと思います。
国民一人々が国家という共同体の一員である、ということ、そして日本という国も国際社会という共同体の一員である、ということを自覚し、国際社会でそれなりの態度を取ることがこれからの子供たちに求められるのではないかと思います。」

と、このようなことを書いたのだ。

番組スタッフは、この「子供たち」というキーワードについて詳しく聞きたい、ということだったので、

「態度のはっきりしないふわふわした国に育つ子供たちというのはいったいどういうことになるのか。家庭内で、あるいは国内だけでありきたりの道徳だけ教えていれば人作りはそれで済む、という話ではないと思う」というようなことを説明した。

つまり、国が自主性を持たないと、日本を担うことになる子供たちが大人になってもやっぱり防衛や国際協力に関してああでもないこうでもないと優柔不断の態度をとり続けるだけではないか、それは国際社会の一員として発言力を持たないというに等しい、ということだ。

山本大成さんはこういう記事をお書きになった。→「米軍は何故、日本に駐留しているのか?」  
私はもっともなことだと思う。
改憲しなければならないのか、それとも解釈でなんとかできるのか、細かい論議は私にはわからないが、国防のシステムをはっきりさせておくことは重要だ。

「世界平和」を訴えるのは正しいことである。
ただし、それは、「憲法9条を守りましょう」などと言ってるだけでは実現しないことを知るべきだ。

金だけはあるがポリシーのはっきりしない日本のようなあいまいな国の言うことを誰が聞くものか。
しかも金の力だってちかごろはおぼつかない。

日本が世界平和を全世界に訴えるならば、まず、強くなることを考えるべきではないのか。発言に重みがあってこそ、世界は注目する。もういい加減に「唯一の被爆国」というお題目だけで世界は動かないことを知る時ではないか。

本気で世界平和を訴えたいならば、国連を乗っ取るぐらいの意気込みでやったらどうなんだ。

軍事大国になることは日本にはできないだろうし、ならなくてもいいと思うが、せめて、他国と同じように汗を流すことができるようにするべきだし、アメリカに対してものが言えるようになるくらいにしなければいけない。

山本大成さんは仰る。
「現状のシステムでは、私たち日本人の知らないところで決断が行われた戦争の片棒を知らず知らずのうちに担がされてしまう状況なわけです。」
「なによりも米国が勝手に起こす戦争にもの申せる立場を確保せねばなりません。」

私は普段から、このままアメリカに追従でも、憲法改正して自主性を持ってもどっちでもいい、と言っている。そして、それは個人としては本心なのではあるが、もし、自主独立の姿勢をはっきりと示すリーダーが現れたら、迷わずその人を応援する。それはこれからの日本人のためだからである。

世界の中の日本をしっかりとさせるということは、これから日本を背負って立つ子供たちの背骨をしっかりと育てるということでもあるはずだ。

外交というものは態度をはっきりさせれば済むというものではもちろんないと思う。時にはあいまいさも戦略として立派に成立するものだろう。
しかし、基礎のしっかりしていない家が外からの力で容易に崩れるように、土台があいまいな国家では外圧に耐えられない。

それがわからない人が、いつまでも日本をあいまいな国にしておいて東アジアの片隅で「憲法9条」「憲法9条」とさえずっているつもりなのだろう。

右翼も左翼も、アメリカは日本から出て行けと言い、中立の人たちも、アメリカの言いなりになるな、と言う。これはもう、国民の総意とも言えるので、事を運ぶのは簡単ではないか。

国を構築し直すということは、結果的に強くなり豊かになるということにつながるが、ただし、アメリカと距離を置くということは、すなわち、試練も伴うということでもあると思う。
豊かさを保ちつつ、毅然とする、ということを日本は今まで経験したことがあるのだろうか。

たぶん、辛い時代を乗り越えなければならないのではないか。
追従を続けて目先の楽チンを選ぶか、試練に耐えて未来の栄光を勝ち取るのか、そういうことではないのだろうか。
若い人に頑張ってほしい。よく勉強して力をつけてほしい。
そして、立派な政治家立派な官僚になっておくれ。
普通の国民は、国防のことも国際協力のことも本当は何もわからないのだ。
しっかりとした政府がうまくやってくれて、安定すれば、国民は幸せでいられるのだ。
政府が外交・国防で嘘をつこうが何しようが国民は安心してだまされて、幸せでいられるのだ。

国民が本当のことを知って民意で国が運営されるというのが民主主義というものだと思うが、この国で(いや、どこの国でも)民主主義が機能するはずだなどというのは単なる幻想なのかもしれない。

思えば、防衛がらみの汚職、密約、機密漏えいなど、それらは正義を追及するだけで済む問題ではないのかもしれない。

こちらを読んで嘘つきも辛いのだなあと思った。 いやなにも私は「国益について国民に説明のない今の日本の状態こそが、国民の『知らずにいる幸せ』だ」との喩え話だなんて言ってませんよ。言ってない言ってない。

試練の自立か、奴隷の幸せか。

しかし、選択はその二つだけではない。
試練を乗り越えた先の充足感があるはず、と思う。

何より重要なのは自主独立の精神だ・・・・ね?

           
              お願いします  →人気ブログランキング

 

 

 

|

« 男は黙って・・・ | トップページ | 秋風が吹いて »

コメント

 私のBLOGの拙い記事をご紹介いただきありがとうございました。
 米国追随と言うことに関しての釈然としない思いと、やはり米国追随という、本来は自国存立の「方法論にしか過ぎない」政策決定が、まるで日本の国是でもあり議論すらまともに行われていない状況を変だと感じ、いつか書きたいと思っていた記事で、評価下さり本当に感謝申し上げます。

 さて、「民主主義」についてなのですけれども、私は良きにつけ悪きに付け「結果を享受するものが、自ら選択する」と言うのが民主主義の真髄だと思っています。
 仮におかしな政策決定が行われ不幸な結末を招いたとしてもそれを享受すすのは私達有権者自身であり、その結果を受け止めて次回の選択の際には同じ選択を行わないというように「有権者自身が成長」できる分かりやすいシステムこそが必要だと感じています。
 「国民のレベル以上の政府を持つことは出来ない」などの言葉がありますが、広く情報を公開し国民のレベルの向上をどう行うか?というのが民主主義に課せられた課題で、国民に公開された情報の上に立った決断を国民自身が行ったのであれば、軍部の○○さんに騙されて戦争した結果負けたので、一国民である自分自身は関係ない等の議論がおこらない状況こそが民主主義だと考えています。
(国民自身が決定に明確に関与していたとすれば、仮に戦争に負けかつてのようにWGIP等を受けたとしても、現在のような為体は起こらず、自らの責任で必ずそこから復活できるはずです)

 その意味で、防衛・憲法・対米追従・中国韓国との関係など、一般国民に知られていないブラックBOXが多すぎると感じています。

PS.
 憲法関係になりますが、過去記事のTBを送らせていただきます。

投稿: 山本大成 | 2007年10月27日 (土) 15時34分

申し訳ありません。TBをふたつ送ってしまいました。
ひとつ消しておいてください。でまあ、また長い文章で書きました。

投稿: 真魚 | 2007年10月30日 (火) 00時08分

★山本大成さん

自主独立について真魚さんへの返事として記事にしましたので読んでいただければ幸いです。

民主主義について、山本さんのお考えは正しいと思います。
ただ、「選んだ結果、不幸な結末を招いたとしても自己責任」というのが、とても難しいことだなあ、と思います。
だって、1年くらいで結果の出ることなら「国民の自己責任」と受け止めることもできるのですが、2年3年とかかったりすると、それは国民の選んだ政策の結果なのか、他の要素も絡んできた結果起こったことなのか判然としなくなる場合もありますよね。しかもものすごく経済が疲弊してしまった場合など、「国民の自己責任」などと言って済まされない事態に陥ることもあると思います。
それに、2.3年ならともかく、20年30年以上後に結果の出ることであったりすると、自分たちが何を選んだのか忘れてしまったり、前世代の責任だということになったりしてしまいます。
だから、本当のことはわからない私など、偉い人に任せておきたい、という気持ちにもなります。
この「人に任せる」という気持ちこそが自主独立への道を阻んでいると思うのですが、国民が「覚悟」を持つということが民主主義の根幹であるならば、やはり、自分たちが選んだ結果どうなったかを理解することがまず求められますね。
前世代の人が選んだことであろうが、日本国民としての選択には日本国民自身の責任が伴う、これが国家というものなのですね。

>軍部の○○さんに騙されて戦争した結果負けたので、一国民である自分自身は関係ない等の議論がおこらない状況こそが民主主義だと考えています。(国民自身が決定に明確に関与していたとすれば、仮に戦争に負けかつてのようにWGIP等を受けたとしても、現在のような為体は起こらず、自らの責任で必ずそこから復活できるはずです)<

なるほどねえ。そういうことですよね。

先日「選択」という雑誌でこんな記述を見ました。
「世論によりかかり過ぎる政治は危なっかしい。国民が選んだ政治家が、勇断をもって施策し、その結果の優劣を世論が判断するならまだいい。
そうでなく、リーダーや政策の選択を最初から世論次第で処理する傾向は、政治の質を落とすだけでなく、失態につながりかねない。
日本の世論はそこまで熟成していないと思われる」

投稿: robita | 2007年10月30日 (火) 13時42分

 新しい記事の方も読ませていただきましたが、少し論点が変わりますので、あえてこちらの方に再度コメントを付けさせていただきます。

 「誰か信頼のおける人に任せる」と言う民主主義だって、私は構わないと思います。
 ただし、その「結果責任」を有権者がきちんと受け止めるという前提の元でのことですが。
 何か問題が発生すると「こんな人とは知らなかった」では通りません、あくまでも「こんな人とは見抜けなかった不覚」を自分自身が反省せねばなりません。
 その結果として、次の選挙では人を見抜くことを学んだ投票行動に少しでもつながれば、民主主義は前進したことになります。

 20年・30年前に行われた政治判断による結果についても、その当時の政治家は存命していなくとも「20年前のあの人が悪かった」では通りません。
 何故ならば、否が応でも「結果」は今を生きる私たち自身が負わなければならないからです。

 また、前のコメントで「国民に公開された情報の上に立った決断を国民自身が行ったのであれば」と書きましたが、よく考えてみると「意図的に隠された情報」や「捏造された情報」を元にした判断であっても結果は私たちに降りかかってくるわけで、情報を操作した人の責任を言ってもその人に結果責任をカバーする能力がなければ、「情報操作を見抜けなかった有権者の責任」と言うことになります。

 結果を享受するものが、自ら選択する「民主主義」とは、何としんどい政治システムなのでしょうか?


 余談ですが、「絶対王政」というのが最も優れた政治システムではないのか?と、かつて考えていたことがあります。
 私利私欲という観念の無い、自分自身と国家を良い意味で同一視できる王の存在さえあれば(当然人の意見を聞いたり人に任せるという部分も含めて)、こんな素晴らしい政治システムは他にないように思います。
 少なくとも、今は大変だけれども将来のためにしなければならない辛い政治決断(国家百年の計)は、現状の民主主義で実行することは不可能なのですが、絶対王政ならら可能になります。

 ただし、「無私な王」を三代続けて排出した国家は歴史上に存在しておらず、後継者選びで必ず問題が起こり長く続けることが出来ないことと、ひとたび私利私欲に走る項が出たときの惨禍は民主主義の問題点の比では無いことが非常に大きな問題ではあります。
(その意味で、室町期以降のストイックな日本の天皇制は、非常に良くできたシステムだと今でも思っていますが、天皇制と言えども歴史上で何度も権力抗争がありました)

 そうなってくると、やはり今のところ最も優れていると考えられる政治システムは「民主主義」以外に無いのではないでしょうか?

 私は、日本という国は他国に比べて「民主主義の高いレベルでの熟成」が可能な希有な条件に恵まれていると思っています。
 他国に比べて、概ね考え方の似通った「同一人種・同一言語・同一文化・同一階級・ほぼ同一の宗教観・ほぼ同一の価値」の日本人のみで構成されており、「多人種・多言語・多文化・他階級・多宗教」で構成されている国(大陸国家のほとんど)に比べて、阿吽の呼吸なども含めて本音での議論が可能な国になれる可能性を感じています。
(他国でこの条件を持っているのは英国ぐらいでは?)

 出来ることならば、日本にはそんなみちをも座して欲しいと思っています。

(余談めいた話が長くなり、失礼いたしました)

投稿: 山本大成 | 2007年10月31日 (水) 11時58分

★山本大成さん、

そうですねえ、私も「賢明な独裁者」が治めるのが最も良い方法と思ったこともありますが、やはり考えても考えても民主主義以外ないのですねえ。

>他国に比べて、概ね考え方の似通った「同一人種・同一言語・同一文化・同一階級・ほぼ同一の宗教観・ほぼ同一の価値」の日本人のみで構成されており、<

仰るようにそれを考えるとたぶん、日本とはすごく特殊な国と考えていいのかもしれませんね。(英国では「ためらいのない人種区別や階級の差」があると思います)
「色んな人がいていいんだ」という議論とは別に、日本のこのユニークな「単一性」こそ「日本発の世界平和宣言」に大いに利用したらいいではないかと私も思います。

投稿: robita | 2007年11月 1日 (木) 09時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/8607178

この記事へのトラックバック一覧です: 独立宣言:

» 「憲法改正」について思う事 [山本大成 「かわら屋の雑記帳」]
 このBLOGにしては、すこし(かなり)重めのテーマですが、ご容赦ください。  多少思うところがあり、このテーマを選びましたが、右にも左にも寄っていない、普通の社会人の常識として書いたつもりです。  願わくば、最後までお付き合いくださいませ!   私は予てより、「改憲=右」「護憲=左」という見方に大きな疑問を持っています。  そんな簡単な枠組みではなく、「自衛隊も持ってはいけない旨を憲法で明記する」「国民の私有財産を認めず共産主義を国是とする」という改憲論者や、「現憲法の枠組みでも解釈で集団的安全保... [続きを読む]

受信: 2007年10月27日 (土) 15時38分

» 改正の手続きを定めてないのは憲法違反(違憲状態)ではないのか!? [山本大成 「かわら屋の雑記帳」]
 前に憲法改正について記事を書いたこともあり、余り騒がしくない国会の休会中に記事を書いておこうと思っていました。(時事問題として受け取られるのが嫌だったので...。)次の国会の会期が近づいてきたのと、この件については年頭の安倍首相の発言以来騒がしくなってきましたので、今の内に記事にしておきます。 このBLOGにはそぐわないかもしれませんが、お許しください。  前に書いたのは、「憲法に書いてあるから△△は出来ない」「憲法に書いてあるから□□は出来る」という論法は本来おかしく、「国民の意思が○○だから... [続きを読む]

受信: 2007年10月27日 (土) 15時40分

» 戦争に先手なし [深夜のNews]
 robitaさんが、非常にインパクトのある文章を書かれた。それでコメントを書こ [続きを読む]

受信: 2007年10月29日 (月) 00時19分

« 男は黙って・・・ | トップページ | 秋風が吹いて »