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2007年11月 5日 (月)

説明する努力

一知半解男さんからコメントをいただき 、また真魚さんがこういう記事を書かれたので、それぞれに返信です。

★一知半解男さん、

>具体的には、靖国参拝については、謝罪とは関係がないことをはっきり主張し内政干渉を止めさせることです。<

これは努力でなんとかなりそうです。

>「事実」は思想・信条・善悪とは関係ないということをわきまえていない人が、左翼の人達に多すぎるような気がします。<

一知半解男さんは、「回答になっていないような気がします」と謙遜なさいますが、↑このことが一番重要ではないかと思うのです。
国民が事実を知り、何を反省すべきか、何を謝罪するのか、それをはっきりさせることだと思います。
左翼の人たちの思想を変えることは無理でも、「なんとなく左翼の言うことに引っ張られている人たち」にわかってもらうことに意味があると思います。

まず国内の意思統一ですね。外交問題は挙国一致であたれ、というのは世界の常識だそうですが、外交につながる「事実の把握」については、真剣でなくてはならないはずです。
あちらが怒ってるからなんでもかんでもとにかく低姿勢で、というのは間違いということを一般国民が認識することが大事だと思います。これは何も思想統一の全体主義ではありませんよね。

一知半解男さんには、ぜひとも左翼の人たちとの議論を頑張って続けていただきたいと思います。左翼を説得する、というより、そのやりとりを見ている無党派の人たちが何を思うかが重要なわけですから。
____________

★真魚さん、

読み始めた時は、真魚さんは秀吉をアメリカになぞらえているのかと思ったので「強いアメリカにいたずらに反抗すべきではない。恭順の姿勢を示すのが小国の生きる道だ」と仰ってるのであれば、私の意見と同じだなあ、と思ったのですが、中国のことなんですね。

>robitaさんの「うちらは悪くない、おまえが悪い」という意見<

私はこういうことを言っているのではなくて、やみくもに卑屈になるのは良くない、と言っているだけなのですけどねえ。だって、国益のために戦争をしたすべての国が悪いことしたじゃないですか。なぜ自分「だけ」が悪いと言わなければならないのでしょう。

よく「自己弁護をしないのは潔く美しい態度だ」なんてことを言いますね。
私はあれは究極の甘えだと思うんですね。
そこには「自分が説明をしなくても、きっと誰かが説明してくれる。きっと誰かがわかってくれる」という他者への依存があるからです。

誰にもわかってもらわなくてもいい、未来永劫、誤解されたままで滅びても良い、というのなら、それは本当に潔いと思います。
でも、「自己弁護をしなくてもいつかわかってくれる」というのは、自分はそんなしんどいことをしなくても、誰かが自分のために弁護してくれる、という期待に寄りかかっていることに他ならないのではないですか。
誤解は自分で解く努力をすべきではないですか。

私は歴史も国際情勢もよく知りません。
だから仙台藩が、どのような産業構造で、周辺国とのどのような力関係を背景として繁栄を極めたのか知りませんが、今の日本の境遇にあてはめても同じ論理が通用するものなのでしょうか。

「世界で生き延びるための知恵」についての真魚さんのお考えはわかりました。
ついては、中国に従うか、アメリカに従うか、その選択が問題だ、ということになるのでしょうか。
たしかに、日本はアジアの一員であり、アジアとしてひとつの共栄圏を作ることは自然なことのように私にも思えます。
私も、遠く離れた白人国家と組む、というのは不自然な気がずっとしていました。
でも、中国って共産主義国ですよね。
中国がアジアの覇権を握るとここいら一帯赤く染まるんですか。(それはないでしょうけど)
ま、みんなが豊かになるんならそれでもいいんですけど、なんか、それぞれの国の伝統や文化までも壊れていくような気がしませんか。歴史までもきっと改ざんされてしまって、それこそ日本は何も言うことができなくなるんじゃないか、そんな心配は必要ないでしょうか。
結局、国の誇りをどう考えるかということではないでしょうか。

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コメント

Robitaさんから励ましの言葉を頂くとは恐縮です。過分なお言葉ありがとうございます。仰るとおり左翼の方々が納得しなくても、第三者に訴えることが出来ればそれだけでも違いますよね。ただ、まともに議論できる場があまり見当たらないのは残念ですが。

先に投稿したコメントで、「事実」は思想・信条・善悪とは関係ないと書きましたが、この事は山本七平が「ある異常体験者の偏見」という著書のなかで盛んに強調していることなのです(ご存知でしたらスミマセン)。

彼は、このことを日本が太平洋戦争に突き進んだ一つの原因に挙げています。私が説明するよりわかりやすいでしょうからちょっと引用しますと、

『ある事実は、目前につきつけられてもこれを認めず、それに対立する事実は針小棒大にし、そうすることを、「一種の正しい態度」乃至は、その人間の「思想・信条の表白」としていくと、最終的には自らの目をつぶし、自ら進んでめくらになるという結果になってしまうのである。その態度を外部から見ればただただ異常というほかはないであろう。』

左翼の方々と議論するにつけ、彼らはこのような状態に陥っているのでないかと常々感じてしまいます。戦前の軍国主義者と左翼の方々って、どうも思考様式が似ている気がしてなりません(左翼だけでなくもちろん一部のネット右翼にも当てはまりますが、やっぱり左翼が目立ちますね)。

そうならないためにも、冷静かつ徹底した議論を通じて、徹底した思考を行うことが重要だと思うので、Robitaさん、お互い頑張って議論して行きましょう。宜しくお願いします。

投稿: 一知半解男 | 2007年11月 5日 (月) 23時21分

ううう、あうあう、robitaさん、

アメリカにも中国にも、どこにも従いませんよぉ。中立なんですから。いや、「従う」つーと「従う」わけんですけど。実際のところは従っていないつーか。「従っております」ということになっているんですけど、実際は従っていないというか。ちと、ややこしいですけど。

武装中立するってことはですね、実はアメリカ従属の今よりも、もっと、あちらこちらにアタマを下げる、ということなんです。今まで以上にアメリカにペコペコし、中国にペコペコし、ロシアにペコペコするってゆーことなんです。中立って、実はそういうことなんです。で、ペコペコしながら、その実、ちゃっかりと自国の利益は確保する、うちの国はうちの国なんですという独立自尊でゴーイング・マイ・ウェイを行く。それが中立なんです。そうした手腕がないのならば、中立なんてできません。そういう高度な外交手腕が必要なんですよ、ということを秀吉と政宗の例で述べたつもりなんですが・・・・・。我が筆力の至らなさに恥じ入る次第であります。

例えばですね。中国にはこう言うのはどうでしょうか。「過去の一時期、たいへんご迷惑をおかけしました。全部、日本だけ(この「だけ」を強調して言う)(笑)が悪いのでございます。まことに申し訳ございません。対不起。請原諒。」とひたすた平身低頭にアタマを下げます。

そして、ですね。「で、ここの領海は日本の領海なので、この資源は我が国のものでございます。もし勝手に持ち出したのならば、我が国への戦争行為と見なします。我が国の憲法は防衛のための戦争はやっていいとなっていますので、我が国は全力を持って、我が国の資源略奪を阻止いたします。なめんなよ。」という外交手腕を持ちましょうと言っているのですが。

とにかくダメ、アタマ下げちゃダメ、なんであろうと日本だけが悪かったなんて言っちゃダメ、アタマ下げるのは卑屈になるからダメ、なんでしょうか。

投稿: 真魚 | 2007年11月 6日 (火) 00時05分

 横レスになってしまい失礼します。
 悪いことをしたら謝るのが当たり前なのですが、謝るのはもういい加減良いだろうと思っています。
 韓国などに対しては、大統領が替わる度に謝罪を要求されそのたびに謝ってきました。
 その中には、国と国との関係での謝罪としては当時の常識を越える非常に大きな謝罪をし、韓国側からも「もう二度と日韓関係に於いて、過去の謝罪が問題に上がることはない」と言う趣旨の言葉がこちらから要求していないにもかかわらず、先方から公式に出てきてもいます。
 しかしそれでも、大統領が替わるとやはり謝らされてしまいます。
(これって国際問題じゃなくて、本質は韓国の内政問題なのではないですか?)

 中国についてはもっと政略的で、中共と日本はかつて一度も戦ったことがなかったにも関わらず、日本からお金を引き出す為のカードとして使っているとしか思われない場合が多々あります。
 また韓国と同様に、内政問題のはけ口として政治的に謝罪を求めるなんてニオイがするケースも多々あります。
(小泉首相で靖国がカードに使えないと知ると、この問題を口に出すのを止めるしたたかな国です。)

 いずれにしてもよく考えねばならないことは、謝罪問題は戦時中を実際に経験した人たちが第一線で働いていた頃にはほとんど発生していなかったことが、当時を知らない人たちが第一線に立つようになってから先鋭化したように感じられることです。
(戦後20~30年ぐらいの頃までは、文献などを読むと日本の統治を評価する声すら公式に上がってきていたように思いますがいかがでしょうか?)

 「先方が癒されるまで謝罪を続ける義務がある」との理屈や、「日本はこんな良いこともしたというのも、先方が認めない限り無意味な議論だ」との理屈は一応理解できるのですが、内政問題や利権と絡んで謝罪問題が出てきているような「うさんくささ」をここの所感じ、私個人としては謝罪問題はもう勘弁して欲しいと思っています。

 

投稿: 山本大成 | 2007年11月 6日 (火) 10時21分

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