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2007年12月19日 (水)

あ、いい娘さん

いつも行く駅前のスーパーマーケットのレジにとても感じの良い娘さんがいる。
美人というわけではない、昔の感覚で言ったら「ファニーフェイス」の部類に入るだろうが、客への丁寧な応対の様子には、マニュアルに依らない本物の人柄の良さが窺える。
そんなふうに、「あ、いい娘さんだな」と思わされる女性は、日常的にそこかしこで見かけるものである。

昔は、そんな女性には「ぜひうちの息子に」とか「知人男性の嫁にどうか」とか、声がかかったものだ。
知人を介して話を進めるといった習慣も健在だった。

女性のほうも、価値観だのフィーリングだのそういう複雑なことはさておいて、周りから「身元がたしかだ」とか「誠実で働き者」とかの薦めに応じ、「この人となら堅実な家庭が築けそう」と判断して結婚を決めていた。結婚というのは概ねそういうものだった。

そして子供を何人か産み育て、夫を支え、家庭を守り、小さな幸せを育み、おじいさんおばあさんになって死んでゆく。

しかし結婚に対する考え方は変わった。もう誰も「お見合いで誠実な人を」などと言う人はいなくなった。「堅実な家庭を作る」ということが結婚の第一の目的ではなくなったからだ。

「この人良い人よ。真面目でよく働くし、ユーモアのセンスもあるし、良い旦那様になると思うんだけどねえ」なんて勧めたって、女性はそんなことでは承知しない。
「私やっぱり恋愛して結婚したいんだと思います」と、テレビドラマ「結婚できない男」で、ヒロインの女医がお見合いの相手の誠実そうな男性に言い、拒絶の意を伝えていた。

恋愛した人と結婚したい。
それは女性として当然の願いであり、痛いほどわかる。

でも、日常の生活の中で「まさしくこの人」という人と出会う確率は恐ろしく低い。
「運命の人」に出くわすのを待ち続けているだけなのであれば、思いはなかなか成就しないだろう。
価値観の変化につれて、男も女も「生涯の伴侶」を探し出すことが非常に困難になっているのは当然の成り行きなのだ。

私は日ごろから、少子化の大きな原因の一つに「結婚しない人々」「結婚できない人々」が増えてきたことがある、と言い続けている。

個人の自由は尊重されるべきであるから、「家庭を築くことが幸せとは思わない人」とか「妥協して結婚するくらいなら一生独身でもかまわないと言う人」はさておくとして、「結婚して子供を産んで幸せな家庭を築きたい」というささやかな願いを持っている人には、発想を変える余地がありそうだな、と思う。

経済評論家の勝間和代さんが先日の朝日新聞土曜版でこんな意見を述べていた。

≪「ムギ畑」(働く母親のための情報ウェブサイト)を中心に、数多くのカップルを見てきました。結論として、女性にとって恋愛相手と結婚相手は冷静に区別するべきだというのが私の感想です。
もちろん、恋愛と結婚相手がイコールなのがベストでしょうが、恋愛相手が生活のパートナーとしてベストでないことも、ままあること。せめてネガティブな要素について冷静にチェックし、該当した相手はなるべく対象から外すことを心がけたいですね。
私のおすすめチェックポイントは、例えば、自己評価が低すぎないか、ギャンブルやゲーム、たばこやお酒にはまっていないか、昔話ばかりしないか、などです。一方ポジティブなチェックポイントとして大事にしてきたのは、適応力があり一緒に成長できるか、です。特に子供が生まれれば、ライフスタイルは大きく変わります。その大きな変化に、力を合わせて対応できることが必要だからです。恋人時代、付き合っている言い訳を探したりせず、堂々とのろけられるかどうかも、よい相手か見極められる指標になります。
価値観も選択肢も多様化し、パートナーを選ぶ際、恋愛と結婚の区別どころか、結婚と出産も別というケースが増えているのも現実。「解」も一つに限らず、柔軟に考えたいですね。≫

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価値観と選択肢が多様化していることがそもそも結婚難の原因だろうと私は思うので、『「解」も一つに限らず』と言われたって、どうすりゃいいのさと返したくもなるってもんだが、「恋愛相手と結婚相手は冷静に区別するべき」という考え方は理解できる。

しかし、「冷静にチェックし、該当した相手はなるべく対象から外す」、こんなことは当たり前のことであって、そもそも「対象から外す」ほど「対象者」がいないのが問題なのではないかと私など思うのだがどうだろうか。
綺麗で、頭が良くて、仕事もでき、お料理も上手、そんな女性が、自分にふさわしい、と納得できる男性に出会うことができるのだろうか。そして、そのような魅力的な女性は増え続けているのだ。
女性が素晴らしく成長しすぎてしまったのが近頃の結婚難の原因ではないかと思ってしまうほどだ。

いや、それとも、逆に、古来、女性は男性より優れているのがわかっているので、バランスをとるためにその能力を抑え、なるべく女性を社会に出さないように人間は画策してきたのではないか、なんてことまで思ってしまう。なんせ、種の保存のためには「バランス」は必要欠くべからざるものだからねえ。

それにしても、ここまで書いてきてつくづく面白いなあと思うのである。
もし、「男性は女性より優れている」などと書こうものなら、女性陣の猛攻を受けるであろうことが予測されるのに、その逆「女性は男性より優れている」と平気で書けてしまうこの世の中の妙を。

         
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2007年12月13日 (木)

「クリスマス・カロル」

我が敬愛する森永卓郎先生が、朝日新聞に書いたコラム:(概略をと思ったがほとんどそのまま)

【(格差拡大で)若者たちの間に絶望といらだちが広がっている。___中略___私は大学で教鞭を執っているが、どうせ何もよいことがないのだから、一発当てて大金持ちになれる可能性のある弱肉強食社会の方がよいと考える学生が多い。私の学生にはいないが、戦争になって社会が混乱すればよいと考える人まで出てきているという。
しかし、そうした自暴自棄は人生によいことを何ももたらさない。いま豊かに暮らしている人たちの大部分は、まじめに努力を積み重ねてきた人たちだ。
私の人間関係が普通の人と一番違う部分は、年収が100万円台の低所得層と同時に、年収数十億円の超高所得層とも、付き合いがあることだ。それを踏まえて断言できるのは、低所得層は確かに不幸だが、大金持ちもけっして幸せではないということだ。お金は、あまり持ちすぎると中毒になってしまう。増やすこと自体が目的になってしまい、1円でもお金が減ることに恐怖感を覚えるようになる。いつも不安で、人生を楽しむ余裕を失ってしまうのだ。
幸せな人生を送るコツは、ほどほどに稼いで、そこそこに生きることだ。___中略___
ただ、そこそこに生きるためには、ある程度の所得は必要だ。だから、若い人は、少なくとも数年間は正社員を経験しておくべきだろう。30歳以上で再就職をするときに、正社員経験のない人が採用されることはほとんどないからだ。
正社員の地位を得たら、「あんな馬鹿な上司の下では働けない」などと言って、安易に会社を辞めてはいけない。馬鹿な上司はどこの会社にもいる。
また、入社して数年間は給料以上の貢献をすることなど不可能なのだから、お金をもらいながらビジネススクールに通っていると思うべきだ。そうすれば多少のことは我慢できる。
働くときには、単に命じられたことをこなすのでなく、会社のしくみがどのようになっているのかを徹底的に学ぶことだ。総務、経理。財務、税務、調達、営業など、会社はビジネスの教材の宝庫だ。若いうちは頼めば簡単に教えてもらえる。
そして実力を身につけたら、満を持して独立すればよい。一攫千金を狙うためではない。従業員をまともに処遇する会社をつくるためだ。】

後半の部分は、若者たちへの愛あふれる忠告と励ましに感動し、写さずにはいられなかった文章なのであるが、前半の「低所得層は確かに不幸だが、大金持ちもけっして幸せではないということだ」、このことに注目したい。

いま、日本の低所得者層がどんな暮らしをしているのか、私たちはいろいろなメディアでそれを見聞きし、大変だ気の毒だと胸を痛め、何とかしてあげなければと思い、政治が悪い、政治を何とかしなければ、と思う。

私は赤貧というものを経験したことがないので、それがどれぐらい酷いものか想像することもできない。
暖房がなければどのくらい辛いのだろうか。 →「幸せなあたたかさ」  
病気になっても医者にかかるお金がなければ死ぬしかないのだろうか。
子供を塾に通わせるお金がなければどのくらい惨めなのだろうか。

働いても働いても収入の増えないワーキングプアと言われる人々の悲惨な状況を「見よ」とマスコミや情け深い人々は強調する。

森永先生の「いま豊かに暮らしている人たちの大部分は、まじめに努力を積み重ねてきた人たちだ。」という言葉は、たしかにそうではあるが、今の時代、その言葉で必ずしも人は励まされない。なにしろ働いても働いても抜け出せないのだから。
リストラによって底辺に追いやられた中高年の人々の絶望的な状況は是非政治の力で救い上げられるべきだろう。

しかし、ワーキングプアでなくても、人は「お金がないお金がない」と常に不満をもらしているように見える。
せめて「人並みの生活」を、と人は望む。
その「人並みの生活」は時代によって大きく変わる。

ディケンズの「クリスマス・カロル」を読んだ。
そこに描かれる貧しい人々の生活ぶり、心構え、すべて現代人には到底真似のできないものではある。
もう少し給料が上がれば・・、もう少し雇い主に情けがあったら・・、そんな不満を抱きながらも、与えられた仕事を忠実に黙々とこなす。すべては愛する家族のため。
生活が苦しくても近所や家族で助け合い、子供たちは貧しい親の頑張りを見て成長し、年に一度のクリスマスのごちそうに家族中大はしゃぎ、笑いがあふれかえり、お金はなくてもたまのハレの日に家庭は幸せに満ちる。

このような生活は、決心さえすれば心がけ次第で今すぐにでも実現できそうな気がする、と前記事で書いた。

しかし、今となっては人はもうこのような生活を、ばかばかしい、非現実的だ、と一蹴し、もう一段もう一段と上位の生活を目指す。
そのために人は働くのだから当然の成り行きだ。
我々は当然の成り行きを嘆いているに過ぎない。

森永先生は常々、年収300万円でも楽しく暮らせる、と言う。

私もそう思うのである。

クリスマス・カロルのあの貧しい時代のように、周りの人々と愛を共有することができれば。

「愛」まで政府に調達してもらうわけにはいかない。

せっかくのクリスマスの季節だから、幸せの原点を教えてくれる「クリスマス・カロル」について書いてみた。
対立する政治信条による言い争いに疲れた時、お読みになられるとよろしかろう。

        
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2007年12月11日 (火)

経済のグローバル化

私は経済のことは皆目わからない。
経済グローバリズムとかいうのも理解できない。

先日、朝日新聞で藤巻健史さん(元モルガン銀行東京支店長)の、こういう言葉を読んだ。

【金融インフラさえ整備すれば、1550兆円という日本の個人金融資産を求めて外資系金融機関がますます日本に進出してくる。経済波及効果も大きい。
外国企業に対する日本社会の抵抗感は根強いが、「日本人に職と高給をもたらす外国企業」と「海外で外国人に職を与え外国政府に税金を払い、外国人株主に配当金を払う日本企業」と、どちらが日本人に資するか、結論は明白であろう。
ちなみに、「外国企業」は大量に株を買ってしまえば「日本企業」になることもお忘れなく。】

これがグローバル経済の利点というものなのだろうか。
グローバル経済は世界的な格差をますます広げるから良くない、ということも聞くけれど、世界のルールに乗らないでいるとどういうことになるのだろうか。日本が沈んでいくと言うが、沈むとどういうことになるのだろうか。

いったい、人はお金がほしいのか、それとも、お金がなくても幸せな生活を送りたいのか、後者ならば、個人でも決心さえすれば心がけ次第で今すぐにでも実現できそうな気がする。

             
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2007年12月10日 (月)

たとえ福島瑞穂でも

官僚支配構造を変えるには、政権交代することが最も手っ取り早い。そのためには、政権交代可能な二大政党制にするのが良い、とされる。
私もそのように思うので、このブログでも何回もそれを言ってきた。例えば→「どうしても政界再編したい私」とか「民意」とか、他にもいっぱい書いたと思う。
二大政党制にするためには、政党の特色をより鮮明に出すことも必要になってくる。
現在のように、自民も民主もそれぞれに属する国会議員が妙な形で混じり合っている状況では政党色はとてもわかりにくいし、党としての方針もあいまいにならざるを得ない。
つまり、なるべくわかりやすい形に分かれてほしいので、「政界再編」が叫ばれるわけだ。

小泉さんがあの時総裁選で勝ったのを、私は今でも間違いだったと思っている。あの時負ければ小泉さんは党を飛び出し新党を立ち上げ、勝利して自民党でない首相が誕生したかもしれない。ダイナミックな政界再編が起こったかもしれない。
でもそうはならなかった。
それで、小泉さんの後の自民党総裁は、私は安倍さんでなく、福田さんに継いでほしいと思った。
痛みを伴う急激な改革が、旧自民党体質を懐かしむ傾向を強めていたから、改革派と守旧派の対立がよりいっそう激しくなり、ある局面で分裂、再編が起こるだろうと考えたからだ。

しかし、国民的人気の高い安倍さんを自民党は担ぎ、改革を続行しようとした首相はマスコミにも国民にも見放されて孤立無援となり、ガラガラポンも起こらないままだ。

「政界再編」を待ち望んでもう何年が過ぎただろう。その間にも世界は変わっていく。

官僚支配の弊害をなくすには国会議員や業者とのしがらみを断ち切る政権交代しかない、と言われる。
しかし、改革は政権交代しさえすれば何もしなくても自動的に実現するものではないと思う。

その時々、政権を担った党と首相の努力によってなされるものだろうと思う。

マスコミや国民は、たとえ民主党が政権をとっても、あれやこれや文句をつけて結果的に改革の妨害になることをするにちがいない。

「日本のため」になることを応援しなくていいのだろうか。

だから私はいつも極端なことを言う。
「(ありえないけれど)たとえ福島瑞穂が首相になっても、彼女に日本を良くしようという意思があるのなら応援しようと思う」と。

「顔が気に食わない」とか「喋り方や言語表現がうざい」とか「お育ちがどうのこうの」とか、そんな個人的好き嫌いでリーダーの人格をあげつらい、活動を邪魔するようなことをしたくないからである。

しかし同時に、なんだか事がうまく運ばないのは、結局この世が好き嫌いで左右されているからかもなあ、とみもふたもないことを私は時々考える。→「好きな人嫌いな人」 

     

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2007年12月 3日 (月)

事の本質

物事の本質を理解することが重要である。
問題の根本原因がどこにあるのかを見抜けなければ、解決の方法も的をはずれたものになって、事態はますます泥沼化する。

single40さんの記事「ワイドショー国会の行く末」では、事の本質がわからないバカなマスコミのおかげで格差はますます拡大する、と書かれ、また、kakuさんの久しぶりの記事「育児課程三学年修了レポート:少子化施策は聖域か」では、「国の的外れの施策(官僚の陰謀)は何の役にも立たず、親はそれを認識しなければならない」という。

私には難しいことはわからないのだが、わからないなりになんとなくわかる、ような気がする。なにより、日ごろからそのご意見には感服し信頼を寄せるお二人であるからして、必然的に傾聴してしまう。

ところで、先日読んだ週刊新潮の記事にこういうのがあった。

要約:
【近頃の東大生は就職先に官庁を選ばない。民間企業が人気である。しかも、「外資系企業」であり、金融関係である。最高峰に君臨するのがゴールドマン・サックス証券。外資の魅力の第一は給与水準が日本企業とは桁違いであること。外資の試験に落ちた東大生が滑り止めのように霞ヶ関を狙うという構図がここ数年、定着し、天下の財務省が就職先としては“もはや二流扱い”されているわけだ。】

で、これは憂慮すべき事態ではないか、と夫に話を振ると、
「それでいいんだよ。官僚にはカネのことはわからないんだから、わかる人間にまかせればいいんだ。優秀な人間が外資に行くのはかまわない。外資系企業を渡り歩いてキャリアアップしてそれが結果的に日本のためになる。
日本はまだまだ金融の規制緩和が進んでいない。竹中はそれをやろうとしたんだ。政治家もマスコミもそれが理解できない。マスコミが『竹中はアメリカの言いなりになっている』なんてバカなことを言うが、アメリカじゃないんだよ。それが世界全体の流れなんだよ。」と、要約するとたぶんこんなことを言っていたと思う。夫の話は長くなるとこっちも理解しにくくなるので定かではないが。

夫の言い分はsingle40さんの『国とか官が、経済に役立つことは、基本的に「ない」のである。そんな時代は終わった。』というご意見と共通していると思う。

悩んでしまうのは、週刊新潮の記事の中のこういう記述である。

【記者が続ける。「(東大生就職)説明会の感触では、来年はさらに状況が悪化する模様です。その原因は、渡辺喜美行革担当大臣でしょうね。彼が今年の春、新人材バンク設置という天下り規制を提案したため、近い将来の天下り全廃が学生に印象付けられてしまった。これまで、学生に、“うちは天下り分の退職金を含めれば、生涯賃金は8億円”と豪語していたが、その決め台詞がさすがに使えなくなったのです」】

なんとまあ、「天下りが諸悪の根源だから、それを禁止しようとすると、優秀な頭脳は逃げて行ってしまう」というのである。

しかし、その一方で、就職説明会で総務省の担当者が「最近、霞ヶ関に来る東大生の志望動機が変わってきている。昔は権力志向でギラギラしている人間が多かったが、最近は純粋に社会のために働きたいという学生が増えた」と言うのだそうだ。

ギラギラした学生が外資に行ってしまったから、残りのそこそこ頭が良くて真面目な学生が官庁に残ったのだろうか。それとも、公の精神が取り戻されつつあるのか。いずれにしても喜ばしいことではある。

結局、純粋に国のために働こうという志を持つ官僚が、天下りをしなくてもすむような待遇を図ることが最も重要だ、という以前からよく聞く結論に達する。

もうひとつ重要なことは、国民がマスコミに踊らされない知性を持つ、ということだと思う。
先週の「荒川強啓デイキャッチ」での宮台真司教授の話は「マスコミに振り回されないための教育」(つまりメディアリテラシー)の話であった。

一つの国内にも、いろいろな思想があるから、「情報を読み解く教育」というのも非常に難しいとは思う。
しかし、根本に「国を良くしたい」という気持ちがあればこそ、メディア・リテラシーの重要性も国民に周知されるのであろうと思う。

       

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