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2007年12月13日 (木)

「クリスマス・カロル」

我が敬愛する森永卓郎先生が、朝日新聞に書いたコラム:(概略をと思ったがほとんどそのまま)

【(格差拡大で)若者たちの間に絶望といらだちが広がっている。___中略___私は大学で教鞭を執っているが、どうせ何もよいことがないのだから、一発当てて大金持ちになれる可能性のある弱肉強食社会の方がよいと考える学生が多い。私の学生にはいないが、戦争になって社会が混乱すればよいと考える人まで出てきているという。

しかし、そうした自暴自棄は人生によいことを何ももたらさない。いま豊かに暮らしている人たちの大部分は、まじめに努力を積み重ねてきた人たちだ。
私の人間関係が普通の人と一番違う部分は、年収が100万円台の低所得層と同時に、年収数十億円の超高所得層とも、付き合いがあることだ。それを踏まえて断言できるのは、低所得層は確かに不幸だが、大金持ちもけっして幸せではないということだ。お金は、あまり持ちすぎると中毒になってしまう。増やすこと自体が目的になってしまい、1円でもお金が減ることに恐怖感を覚えるようになる。いつも不安で、人生を楽しむ余裕を失ってしまうのだ。
幸せな人生を送るコツは、ほどほどに稼いで、そこそこに生きることだ。___中略___
ただ、そこそこに生きるためには、ある程度の所得は必要だ。だから、若い人は、少なくとも数年間は正社員を経験しておくべきだろう。30歳以上で再就職をするときに、正社員経験のない人が採用されることはほとんどないからだ。
正社員の地位を得たら、「あんな馬鹿な上司の下では働けない」などと言って、安易に会社を辞めてはいけない。馬鹿な上司はどこの会社にもいる。
また、入社して数年間は給料以上の貢献をすることなど不可能なのだから、お金をもらいながらビジネススクールに通っていると思うべきだ。そうすれば多少のことは我慢できる。
働くときには、単に命じられたことをこなすのでなく、会社のしくみがどのようになっているのかを徹底的に学ぶことだ。総務、経理。財務、税務、調達、営業など、会社はビジネスの教材の宝庫だ。若いうちは頼めば簡単に教えてもらえる。
そして実力を身につけたら、満を持して独立すればよい。一攫千金を狙うためではない。従業員をまともに処遇する会社をつくるためだ。】

 

後半の部分は、若者たちへの愛あふれる忠告と励ましに感動し、写さずにはいられなかった文章なのであるが、前半の「低所得層は確かに不幸だが、大金持ちもけっして幸せではないということだ」、このことに注目したい。

いま、日本の低所得者層がどんな暮らしをしているのか、私たちはいろいろなメディアでそれを見聞きし、大変だ気の毒だと胸を痛め、何とかしてあげなければと思い、政治が悪い、政治を何とかしなければ、と思う。

私は赤貧というものを経験したことがないので、それがどれぐらい酷いものか想像することもできない。

暖房がなければどのくらい辛いのだろうか。 →「幸せなあたたかさ」  
病気になっても医者にかかるお金がなければ死ぬしかないのだろうか。
子供を塾に通わせるお金がなければどのくらい惨めなのだろうか。


働いても働いても収入の増えないワーキングプアと言われる人々の悲惨な状況を「見よ」とマスコミや情け深い人々は強調する。

森永さんの「いま豊かに暮らしている人たちの大部分は、まじめに努力を積み重ねてきた人たちだ。」という言葉は、たしかにそうではあるが、今の時代、その言葉で必ずしも人は励まされない。なにしろ働いても働いても抜け出せないというのだから。

リストラによって底辺に追いやられた中高年の人々の絶望的な状況は是非政治の力で救い上げられるべきだろう。

しかし、ワーキングプアでなくても、人は「お金がないお金がない」と常に不満をもらしているように見える。

せめて「人並みの生活」を、と人は望む。
その「人並みの生活」は時代によって大きく変わる。

 

ディケンズの「クリスマス・カロル」を読んだ。
そこに描かれる貧しい人々の生活ぶり、心構え、すべて現代人には到底真似のできないものではある。
もう少し給料が上がれば・・、もう少し雇い主に情けがあったら・・、そんな不満を抱きながらも、与えられた仕事を忠実に黙々とこなす。すべては愛する家族のため。
生活が苦しくても近所や家族で助け合い、子供たちは貧しい親の頑張りを見て成長し、年に一度のクリスマスのごちそうに家族中大はしゃぎ、笑いがあふれかえり、お金はなくてもたまのハレの日に家庭は幸せに満ちる。

 

このような生活は、決心さえすれば心がけ次第で今すぐにでも実現できそうな気がする、と前記事で書いた。

しかし、今となっては人はもうこのような生活を、ばかばかしい、非現実的だ、と一蹴し、もう一段もう一段と上位の生活を目指す。

そのために人は働くのだから当然の成り行きだ。
我々は当然の成り行きを嘆いているに過ぎない。

 

森永さんは常々、年収300万円でも楽しく暮らせる、と言う。

私もそう思うのである。

クリスマス・カロルのあの貧しい時代のように、周りの人々と愛を共有することができれば。

「愛」まで政府に調達してもらうわけにはいかないのだ。

 

せっかくのクリスマスの季節だから、幸せの原点を教えてくれる「クリスマス・カロル」について書いてみた。
対立する政治信条による言い争いに疲れた時、読んでみるのがいい。

 

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コメント

ははあ、なるほど。
森永卓郎という人は、基本的に左派なんですが、そのくせ実に腰抜けな体制迎合的な文章を書いちゃう人ですねえ。
で、私は、そういう「腰抜け」なところがかなり好きです(笑)

今や、どうせ右も左もよくわからん世界なんだから、いっそ「腰抜け思想連盟」でも作ればねえ。そしたら私は「大同団結」するのにやぶさかじゃないなあ。

あ、、、「腰抜け同士」寄り集まっても、なんだかダメそう。。。(苦笑)

投稿: single40 | 2007年12月14日 (金) 15時13分

★single40さん、

>今や、どうせ右も左もよくわからん世界なんだから<

そうなんですよ。当節、右も左も保守も革新も自由も不自由も何だか複雑に入り組んで、人々は右往左往しておるようです。
そして「腰抜け」になってしまうのでしょう。今や磐石の思想に固執する者など少数派で、ほとんどが腰抜け、いや、「柔軟」とか「是々非々」とか言えばいいんじゃないでしょうか。
森永さんは愛すべき左翼です。議論の最後には「ガハハハ」って笑ってごまかす、あれがいいんです。田島陽子女史などにも似たものを感じます。

ところで、「クリスマス・カロル」はsingle40さんが書かれた記事で読む気になったのですが、遡って探してもみつかりませんでした。どれぐらい前でしたかね。できましたらTBお願いします。

投稿: robita | 2007年12月15日 (土) 10時14分

TBさせていただきました。ありがとうございます。

追伸)
しかし、自分の記事とはいえ、「ひどい出来」だと感じますなぁ。どっちかというと、クリスマスにひがみ丸出し。このへんが、結婚できない男の怨念ですなあ。。。

まあ、私は「自分の書いた記事に責任を持たない」という、すごいポリシー(笑)なのでいいんですが。つまり恥をかきっぱなし(泣)

投稿: single40 | 2007年12月15日 (土) 15時00分

>>ほどほどに稼いで、そこそこに生きることだ。___中略___
ただ、そこそこに生きるためには、ある程度の所得は必要だ。だから、若い人は、少なくとも数年間は正社員を経験しておくべきだろう。30歳以上で再就職をするときに、正社員経験のない人が採用されることはほとんどないからだ。
正社員の地位を得たら、「あんな馬鹿な上司の下では働けない」などと言って、安易に会社を辞めてはいけない。馬鹿な上司はどこの会社にもいる。
また、入社して数年間は給料以上の貢献をすることなど不可能なのだから、お金をもらいながらビジネススクールに通っていると思うべきだ。そうすれば多少のことは我慢できる。
働くときには、単に命じられたことをこなすのでなく、会社のしくみがどのようになっているのかを徹底的に学ぶことだ。総務、経理。財務、税務、調達、営業など、会社はビジネスの教材の宝庫だ。若いうちは頼めば簡単に教えてもらえる。
そして実力を身につけたら、満を持して独立すればよい。一攫千金を狙うためではない。従業員をまともに処遇する会社をつくるためだ。】<<

あまりに標準的な模範答案のような人生です。しかし、世のニートやフリーターにはこうした平々凡々に飽き足らない者が多いのでは?

それに対して実際に供給される職とポストは面白くおかしくもない仕事が多いのは事実です。この問題は単純な経済政策より、まず個々の人々と話し合って分かり合えねば、適切な政策は無理だと思います。

「中卒は金の卵」の時代なら、一生懸命に会社で働いてマイホームと電化製品が持てれば国民は満足していました。

今は自分の個性を出したい、能力を活かして伸ばしたいとか、様々な欲求を持つ人が多いです。もっとも、本人が甘いか、社会が不充分なのか、・・・・・・これも個々の人々の話をじっくり聞かないとわからないことです。

いずれにせよ、人間は商品と違って自分の意志や希望があります。経済本位の議論では、標準的な模範答案しか導き出せないでしょう。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年12月15日 (土) 23時08分

★single40さん、

TBありがとうございます。
あの記事は去年のクリスマスだったのですねえ。ついこの間読んだような気がしてたのですが、もう一年もたってしまったとは。
子供時代に読むべき名作を私はほとんど読んでおりません。
まあ、原点に戻る還暦を目前に控えておりますから、今が読み時とも言えるかな。

投稿: robita | 2007年12月16日 (日) 11時12分

★舎亜歴さん、

標準的な模範解答は「基本中の基本」「元来あるべきかたち」として必要不可欠なものだと私は思いますよ。
その基本の上に色々なヴァリエーションが花開くのでは?
人類はそうやって万物のトップに登りつめましたね。
でもヴァリエーションがメインになってしまうと、弱体化や堕落が始まると思うんです。
基本を忘れないために、常にこういう発言を尊重する態度を持ちたいものだと私は思っています。

>今は自分の個性を出したい、能力を活かして伸ばしたいとか、様々な欲求を持つ人が多いです<

ええ、ですから、「我々は当然の成り行きを嘆いているに過ぎない」んです。

投稿: robita | 2007年12月16日 (日) 11時20分

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「クリスマス・カロル」ディケンズ。 この季節ですから(笑)。子供の頃に読んで以来。たまには、ね。 正直思ったのだけど、この作品が「名作」として人の心を打った時代があったのだな、としみじみ感じた。 今、すっかり「すれっからしの大人」になってしまった自分を感じる。 ちょっと悲しい。 こういう気持ちは、子供の頃じゃないと持ちにくいものだと思う。 評価はしない。こんな名作に、なにを今さら(笑)。 しかし、最近のクリスマスって、本当に「物資消費文明」そのものだ、と思うな。..... [続きを読む]

受信: 2007年12月15日 (土) 14時53分

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