« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月31日 (木)

私たちの代わりに

一知半解男さんがコメント欄で、日本人の根深いケガレ信仰について説明してくださいました。→ http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_ae6d.html#comment-22491321

日本人は世界に類を見ないキレイ好きです。
整理整頓の面で、というより、汚いものを洗い流す、排除する、という点において、外国人とは異質の不浄観念を持っているようです。

しかし、自分たちの周りを清潔に保つ一方で、日本中のあちこちでゴミの不法投棄は後を絶ちません。

要するに、この「キレイ好き」は、自分たちのところから汚いものがなくなってくれさえすればいい、という考え方から来ていると思います。

以前、「うんこ」 という記事で、人類は汚物を日常の場からどれだけ遠ざけるかを文明の尺度としてきた、と書かれた小説を取り上げましたが、まあ、日本人に限らず、人間は汚いものはできるだけ排除したい本能を持っているものです。

汚いもの、危険なものから遠ざかり、安全で快適な空間で過ごしたい、というのは誰でも望むことです。

しかし、そういう自分たちの代わりに、誰かが汚い仕事、危険な仕事をやってくれていることを知った時、後ろめたい気持ちになるのは当然でしょう。

お金だけ払って安全地帯にひきこもる我が国の姿を考えると、その国で育まれる子供たちの行く末に思いが至ります。私たちはいったいどうしたらいいんでしょう。

         よろしくお願いいたします →人気ブログランキング

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月30日 (水)

「日本的」というソフトウェア

かせっちさんのブログ「今日の与太話」でこんな記事を読みました。→日本という「OS」
陳胡痒さんというかたの記事の紹介なのですが、なるほど、このような考え方もあるのですね。
中国人は「血縁」を重んじるのに対して、日本人は「家」の継承にこだわる、だから養子を取ってまで家名を残そうとする、とか言われますよね。
これからの日本の針路を示唆するものかもしれません。
いや、すでにそのような外国人はどんどん日本に増えつつあるように見えます。

外国人の選挙権に反対している人々が「日本国籍を取得すればいい」と主張しているのは、こういう考えに基づくものなのでしょうか。
日本人になっていただくなら、なんの問題もないように思います。

      

      よろしくお願いします →人気ブログランキング

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月28日 (月)

わかりました

週刊新潮1/30号に経済学者野口悠紀雄さんの緊急提言が載っていました。

経済のことはほとんどわからず、経済の文章を読む気のない私ですが、(相変わらず私には円高円安だの資金移動だののからくりは全くわからないままに)全体として日本はどう動かなくてはならないか、というおおまかなことはわかりました。

4ページにわたる記事ですが、全部写すわけにいかないので、最後の部分だけ写させていただきます。

【 未来を開くためには、日本の経済体制を根本から改革しなければならない。その際に何より重要なのは、考えの基本を変えることだ。
しかし、これは決して簡単なことではない。なぜなら、われわれは、戦時体制的な思想の呪縛から逃れられないからだ。
戦時体制思想の基本は、「市場メカニズムは悪であり、組織と賢者の統制によって経済を運営することが善である」というものだ(「武士道がよい」という人さえいる)。
銀行と大蔵省による統制的金融システムはバブル崩壊で機能喪失したものの、日本人の考え方の基本は変わらない。
例えば、「日本を再生させるためには、全員が一致団結して一つの目的のために力を合わせるべきだ」と言われる。あるいは、「政府が指導力を発揮して、将来に対するビジョンを描き、経済をリードすべきだ」と言われる。
これらは、戦時体制に特有の考えなのだが、日本人の多くはそうは意識しない。それが絶対に正しい方向であると、無意識のうちに考えてしまう。
本来必要なのは、一人ひとりの個人が創意を発揮して新しい試みに挑み、それらの人々が組織を通じてではなく市場を通じて結びつくことなのだ。が、そうした考えが理解できない。
「市場」というと、「金儲けのためのいかがわしいもの」とか、「金持ち優先主義」とされてしまう。本来は市場の取引こそ最も公正なものなのだが、そう理解できない。「市場主義はアングロサクソンのもので、日本人の本性に反する」と考えている人が多い。
しかし、戦前の日本で支配的だったのは、「アングロサクソン的な」自由主義だったのだ。とくに、民間企業の経営者は、政府の介入や統制を嫌う自由主義的思想を強く持っていた。革新官僚(岸信介がその代表)はそれを否定したため、当時の日本では、「アカの危険思想」と見なされた。にもかかわらず、戦時期の要請から「アンチ市場主義」が支配的になり、それが現在に至るまで続いているのだ。そして、いまの日本人の考えの基本になっている。
本来は、戦時体制から脱却して、市場メカニズムを中心とする経済の仕組みを作る必要があった。それによって、新しい時代の要請に適合し、新しい技術体系に適合した企業と産業を生み出すことが必要だった。
ところが、90年代以降の日本経済では、口先だけの「改革」は叫ばれたものの、金融緩和と円安政策に依存して本当の改革を怠った。
そのツケはいつかは払わなければならない。冒頭で見た株価の下落はそれを表している。ツケの支払いは、始まったばかりだ。それを払い終えるまでには、まだだいぶ時間がかかるだろう。】

これが日本にとって進むべき方向なのかどうか、私にはわかりません。
でも、世界は既にそういう方向で動いていて(戦前の日本も)、日本も世界の流れに乗らなければ取り返しのつかないことになる、というのなら、そうしたほうがいいと思います。

「国家の品格」にはたいへん良いことが書いてあります。賛同すべき点は数多くあります。
けれども、著者の藤原さんは「市場原理主義」を否定しています。忌むべきものだとさえ思っておられるようです。
やはりここは、経済と武士道精神は分けて考える必要がある、と言うべきでしょうか。
武士道は大変立派な道徳だと思いますが、それを経済に持ち込むと集団自殺のようなことになってしまいます。
豊かでありたい、貧乏になりたくない、と思う人が大部分だと思いますので、その大部分の人を満足させるためにはきっと「市場原理主義」は正しい考え方なのでしょう。
 
であるからこそ、挙国一致しなければならない時だと私は思うのです。
野口先生は「挙国一致はだめなんだ」と仰いますが、この「経済は市場に任せるべきだ」という考え方をみんなで共有しなければ、本当の改革が速やかに進むわけがないではありませんか。

格差がけしからん、とか、政治は何をやってるんだ、とか怒っているだけでは改革は進まない、戦時体制の考え方を変えないと日本は沈む、そういうことを、国民が理解しなければ 、いくら一部のえらい人たちが叫んでも何も動かないでしょう。

ここは、国民みんなで心を一つにして、国の栄えのためにどういう方向に舵を切るべきか、できるだけ早く決断すべきなのではないですか。

国家への帰属意識を目覚めさせなければだめだだめだ、と私がずうっと言ってきたのはそういうことなんですよ。わかったか。

       よろしくお願いします  →人気ブログランキング

          

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年1月27日 (日)

軍事を忌み嫌う

去年、防衛省の不祥事があって、随分とマスコミを賑わせましたね。
あの時テレビ朝日のワイドショーで、元朝日新聞論説委員のコメンテーターが、こんなことを言っていました。
「なぜ、商社を通してしか武器が買えないのか。なぜ防衛省の役人が自分の目で品物を確かめて購入しないのか。政府に軍事のエキスパートがいないのが大問題だ」と。

私は、これは戦後60年、国民が軍事を忌み嫌ってきたツケではないのかと思うのですが、違いますか。
朝日新聞は、軍事をタブーとする勢力の中心にいたのではないでしょうか。
戦争の話はいやだ、防衛の話はいやだ、核武装のことなど考えるだに恐ろしいと、ひたすら耳をふさいできたことの結果がこのざまではないのでしょうか。

もちろん、マスコミがそれをタブーとし、それを当然のこととした国民がいたからだとしても、政府が軍事エキスパートの育成をしっかりやっていれば問題はなかったと思いますが、それをやらない政権を選んできたのは他ならぬ国民でした。(選んだ、というより、させなかった、というほうが正確かもしれません)

また、敗戦という大きなショックで価値観がすっかり変わってしまった大人たちや戦後教育で育った人々がこの60年間の日本を形作ってきたのだとしたら、政治家にも官僚にも、軍事を真面目に考えようという人が育ってないのは当然ともいえます。彼らはこの日本の教育で育ってきたわけですから。

ブログ「ねこまんま」のめすねこさんは 「14歳からの戦争学」という記事で、軍事に関する最低限度の知識を持つことの重要性を説いておられますが、素晴らしいご意見だと思います。

14歳でなく、18歳から、それまではまず歴史をしっかり勉強する、というお考えにも同感です。

私は女性こそ、こういう問題に目をつぶらず、少し関心を持ったほうがいいと思うのですが、女性のみなさん、どうお考えですか。

        

     よろしくお願いします →人気ブログランキング  

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2008年1月26日 (土)

学生街の下宿屋

昨年11月の 「湯島本郷界隈」の続きです。

東京大学の正門を出て、本郷通りを渡って、古い住宅街に入ります。

以前、新聞記事で「本郷館」という、古びた木造三階建ての下宿屋の写真を目にし、これを見てみたいものだと思っていました。

しかし事前にネットで調べるたところ、もう随分前に取り壊しが決まり、既に取り壊されて今はない、というような記事が2.3出てきたので、すっかりないものと思っていました。

せめて建物の痕跡でもないかと所番地を頼りに歩いていますと、これも本郷の古い旅館として知られる「鳳明館 森川別館」の看板が目に入りました。近寄ってみますと、今ではあまり見られなくなった街中のこじんまりした旅館の風情が懐かしさを呼び起こします。

そして、その綺麗に掃き清められた玄関前から、視線を道の向かい側に移した時、それはいきなり眼前に現れました。なんとそこには写真で目にした「本郷館」が、そのままの姿で残っていたのでした。まだ取り壊されていなかったのです。

その威容に度肝を抜かれた娘は「なにこれ~、わあ~、おもしろい~」などと言いながら携帯で写真を撮り始めました。

こんな古くて汚いアパートは私の子供の頃には珍しくありませんでしたが、木造三階建てというのは見たことがないように思います。
地方の温泉などではまだ見られる木造三階建てのレトロな旅館(山形県銀山温泉の「能登屋旅館」 など )を彷彿とさせる、と言うには規模も美しさも違いすぎますが、この時代までよくもまあ残してくれましたと感謝したいほど、年月の重みが感じられます。明治33年に建てられ、大震災にも空襲にも耐えて生き残ったつわものです。

苦学の中にもそれぞれの青春を噛みしめたであろう学生たちの日々の残像が感じられるような、かまやつひろしの「青春挽歌」や「我が良き友よ」が聞こえてくるような、そんな街角の風景でした。

     

     よろしくお願いします →人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月23日 (水)

「この世界の片隅に」

毎日寒いなあ。
窓開けたくないし、掃除もしたくない、洗濯もしたくない。
おこたでぬくぬくしていたい。
こういう時、団地のマンションにいた頃は楽だったなあ、と思います。
お風呂場も台所もこんなに寒くありませんでしたもの。

昔から動作はのろかったけど、年とともにますます起動が鈍くなりつつあります。
家の者を送り出したあとは、新聞なんか読んじゃって、テレビなんか見ちゃって、それからようやく動き出すこともよくあります。

寝たきりの母の朝のケアは母の家に同居している妹まかせなので、そっちは特にすることもなく、ああ、なんだか怠惰に流れつつある還暦直前の専業主婦。

でもこういうお話を読むととたんに、顔をぴしゃぴしゃ、まわしをぱんぱんする単純な私です。 → こうの史代 「この世界の片隅に」 

「長い道」にも「夕凪の街 桜の国」にも描かれる、のほほんとした人々の日々の営みに、自由や情報という強力な武器を手に入れた現代の威勢の良い人々とは別種の、底知れないパワーを感じるのはなぜでしょうか。

「普通の母親」 という記事を書いたことがあります。
女が知恵の木の実を食べることによって得たものは、悩み苦しみの部分のほうが大きいのかもしれない、という趣旨でしたが、こうのさんのこの作品に、知らないでいることの幸せを思いました。

彼女の好きな言葉は、ジッド(アンドレ・ジード)の 「私はいつも真の栄誉を隠し持つ人間を書きたいと思っている」 だそうです。

        

        よろしくお願いします →人気ブログランキング

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月21日 (月)

二者択一の問題でなく

同列に語るべきことではないのにいっしょくたにするから議論が紛糾するんじゃないか、と思うことがいくつもあります。

○例えば、「憲法9条」問題。
前にも書きましたが(「平和大好き」)、「平和を希求する心意気」と「護憲改憲」は別問題であります。
平和を願わない人はいません。
「平和を願う心」と「平和を勝ち取るための手段の問題」を、ごちゃまぜにしてしまいがちな人が多のではないでしょうか。

○例えば、犯罪。
「犯罪行為の罪がどちらにあるか」の問題と「危機管理」「防犯」の問題はそれぞれ別に考えるべきことです。
強姦事件などで、「女性にもスキがあった」と言う人がいると、「女性に非があると言うのか」といきり立つ人が出てきます。
あるブログで、「罪の所在」と「防犯」の問題をいっしょくたにするから議論の収拾がつかなくなるのです、とコメントしている人がいましたが、同感です。
罪は罪、防犯は防犯なのに、「罪」そのものを、こちらが○%、あちらが○%、と分けようとする思考回路から、このような混乱が起きるものと思われます。

○例えば、歴史問題と、中国とうまく付き合う、ということは別問題です。
「価値観外交」という言葉があるらしいですが、はたして「価値観外交」か「実利を取る外交か」などという「二者択一」の問題なのでしょうか。
「他国とうまく付き合うこと」と「歴史を検証し、正す」ということは明らかに別問題だと思います。

○例えば、「国家という集団への帰属意識」か「『個人』の尊重」か。
これも二者択一の問題ではないし同列に語られるような問題でもないと、最近気がつきました。
「今の時代、個人に傾きすぎている」と、今まで思っていたのは、そうではなく、ただ単に、「国家という集団に所属している」という意識をあまりにもないがしろにしてきただけなのだ、と気がつきました。
国家への帰属意識も、個人の尊重も、別の意味で同じくらい大事なものです。

ただ、この問題だけは、あっちを立てればこっちが立たずになってしまいますね。

やはり、「割合」や「傾き」の問題になってしまうのでしょうか。

珍獣さんの記事を読んで考えました。

 

      よろしくお願いします →人気ブログランキング

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月20日 (日)

地方応援

透き通った青緑色のタンブラーを愛用しています。
2000年の噴火で被害を受けた三宅島の産業復興と、降り積もった火山灰の有効利用を目的として開発された商品で、「火山灰の中に含まれる鉄分と硫酸カルシウムの効果により、三宅島の海のようなクリアなマリンブルーの硝子が出来上がりました。」と説明されています。

色はマリンブルーというより緑に近く、繊細な作りにしては意外に丈夫で、取り落としたり、他の食器にぶつけたりすることもあるのですが、割れることなく、6個揃ったまま、もう3・4年使っています。
インターネットで調べると、ヒット数も少なくあまり知られてないようですが、江戸切子の手法と合体させた「江戸三宅硝子」は知る人ぞ知る三宅島の特産品なのだそうです。

伊豆大島の明日葉染、つばき花びら染の大判ハンカチは、絞りが入った柔らかな色合いがとても素敵です。

いずれも生協を通じて購入したものです。

実がなりすぎたが捨てるのはもったいないと、小笠原産のレモンを使って地元の主婦がレモンカード(レモン果汁に皮やバターなどを混ぜてクリーム状にしたもの)を手作りし、それが都内の高給食料品店などで人気を呼んでいる、と2.3日前の新聞に出ていました。

日本各地でこうやって特産品を工夫して作って売り出し、健闘しているところもあれば、なかなかうまくいかないところもあるでしょう。

頑張る地方のこういった商品にもっと目を向け、少々高くても、ものが良ければ買いたいと思います。

以前は、安いものばかり探して、それで「節約した、良いことをした」などと思い込んでいたものですが、良質の商品に投資したほうが、結局自分にとっても社会にとっても良いことなのだと思うようになりました。特に国産品を応援したいと思います。

そのことが生産者に活力を与え、職人技をも維持継承させていく原動力となりましょう。

それでもまだまだ安いものに目がいってしまうのは庶民の性でしょうけど。

100円ショップはほどほどに。

              
             よろしくお願いします →人気ブログランキング

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年1月16日 (水)

結婚という人生経験

疑問に思うほどのことでもないけれど、何故、男女は永遠に愛し合うことができないのでしょうか。

答えは簡単で、フェニールエチルアミンという物質が脳内に分泌されて人は恋に落ち(正確に言えば、「あ、素敵な人だな」と感じた時にそれが分泌され、おそらくは、気持ちと化学物質の相乗作用でその働きは増幅されるのでしょう)、その効力がなくなると恋は終わるのです。で、その物質の効力は長くて3・4年だそうです。

だから、どんなに好きだった人でも、何年かすると(特に結婚してしまうと)異性として意識しなくなったり、「なんでこの人なの」とか「この人でなくてもよかった」とか、しばしば憎しみさえ抱くようになります。
マスコミを騒がせて結婚した芸能人などが何年かすると、あるいは数ヶ月で必ずと言っていいほど離婚しますが、なにも芸能人ばかりでなく、友人知人の少ない私の周りでも、離婚は珍しくありません。
あんなに好きだったのに何故こんなに嫌いになるのか。
結局、男女は永遠に同じ人と恋愛することなどできないのです。

( 因みに「異性を好きになること」について、過去記事でこんなのがあります。真魚さんのコメントが面白いです。→「愛の流刑地」  )

結婚する時は「この人とだったらどんな困難でも必ず乗り越えられる」と信じ込むのだけれど、恋愛感情が薄れるにつれ、その努力にもふんばりがきかなくなります。
特に「恋愛感情」だけに重きを置いて結婚した場合は、それがなくなると、一緒にいる意味がなくなるのは当然です。

だから、この記事で紹介したような「結婚と恋愛は別に考えたほうがいい」という熟年者の意見が、いつの世もしっかりと生きているのだろうと思います。

だからといって、「条件に合致した人」と事務的に結婚するなど、とてもできることではありません。

でも、「好みのタイプじゃないけど、ま、いいか」程度の結婚でも、努力次第で人は幸福になれる、と私は思うのです。

ずいぶん前の、「結婚しよ!」の記事につけられた「街中の案山子」さんのコメントに答えた私のみもふたもないような考え方は長い年月を経て一つの家族を育んできた者の実感であり、これに同調する熟年者は少なくないと思います。

でも、そんなことは人生を歩まないとわからないのです。
これから結婚をする人たちが「未来に人の気持ちがどう変わるかは問題ではない、今の恋愛感情が何より大事なのだ」と思うのは当然です。

しかし、であれば、わかりきったことではありますが、恋愛とはなんと刹那的であることでしょう。

そして、そればかりをよりどころに家庭を作ろうとすることが将来の幸せにつながるのかどうか、ここは「幸せ」の定義がそれぞれ違いますからなんとも言えないことではあるのですが。

こんなサイトが「結婚したい」の検索でひっかかりました。 →  http://allabout.co.jp/relationship/love/closeup/CU20030317A/ 

これで見ると、女性が結婚したい相手に求めることとして、意外に「真面目で誠実」というのがありません。

社会的にどうこう、というようなひとりの人物としての評価というより、「自分との関係」に重きを置いています。

たしかに「社会的な義務として結婚する」時代ではなく、カップルのありようはお互いの関係、どれほど相手を大事に思うか、これに尽きます。

ただ、この年になって思うことですが、夫婦愛を育むことができるかどうかは、恋愛だからとかお見合いだからとかいうのは殆ど関係ないと、この年になって思います。

真面目で誠実な男女がお互い「良い人だな」と思う程度で結婚し、家族を形成していく中で、お互いを大事に思うか思わないか、できるだけ良い家庭を築こうと努力するかしないか、そんなことは恋愛であろうが、お見合いであろうが、違いはないように思えます。

試しに、真魚さんのコメント「人生経験として結婚というものも体験してみるのもいいんじゃないのでは」を実践してみたら、案外「ほのぼの幸せ」が手に入るかもしれません。「ほのぼの」や「結婚」に興味のない人には関係のないことですが。

でも、こういう意見に、ほとんどの未婚者、特に女性は、納得できないだろうことはわかっていますし、こういうことは自分で体験した上で腑に落ちることなので、私は実は助言をしているわけでもなんでもない。

「この道がいいから行きなさい」とレールを敷く気もさらさらない。

若者の時代を過ぎて、後ろを振り返った時、若かりし頃の自分が一生懸命歩いているのを遠くに見つける、そして、あれを選んでいたら、とか、これを避けていたら、とか、思い巡らせてしみじみとする、それが誰もが味わう人生というものだと思っていますから。

        

       よろしくお願いします →人気ブログランキング  

  

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年1月10日 (木)

かにかま

貧乏くさい話ですが、

かにかまというのがあります。かに風味のかまぼこです。
とてもポピュラーな商品なので誰でも一度は口にしたことがあると思います。これをね、ポン酢で食べますと、「ズワイガニ」の味がして私はとっても幸せな気分になります。
お口の肥えたかたがたには理解しがたい幸せです。

3ヶ月に一度ほど、近所の安い美容院に行きます。
家で洗髪していけば、カットだけで980円。
高い美容院でやってもらっても別に仕上がりに変わりはないので、もっぱらここで済ましています。

リサイクルにそれほど熱心ではないけれど、スーパーのレジ袋を断ると2ポイントつけてくれるので、袋持参で買い物をします。

貧乏くさい話を延々と続けても面白くありませんが、こうやって生活防衛だとかなんとか言いながら、10円20円を節約するのですが、その一方で1000円2000円の無駄遣いをしてしまうこともあります。

現代の貧乏はとてもヘンです。

茶髪に染めるほどのおカネや外食をするほどのおカネや車を持つほどのおカネのあるビンボーさんがたくさんいます。

これを言うと息子は
「ヘアカラーなんて数百円で買えるもんなんでしょ。いくら貧乏でもそれくらいのお洒落したっていいじゃない」と言うのです。

いや、だめだ、と私は思います。
ちりも積もれば山となる。
低賃金でカネを少しでも貯めたいと思ったら、徹底的に節約しないとだめだ。死に物狂いで節約しなきゃだめだ。そうじゃないのでしょうか。

・・・でも、昔の人と今の人の貧乏に対する考え方は全然ちがいます。昔のような節約を勧めるのは酷かもしれません。

作家の曽野綾子さんの正論「どこまで恵まれれば気が済む」をみつけました。 

豊かなニッポン人の甘えを厳しく指摘しています。

途上国の貧困を思えば先進国の甘さを当然感じるけれど、いったん豊かさを知ってしまった日本人には貧乏は耐えがたい。

ただ、曽野さんの指摘の根幹は、精神を強くしろ、ということだと思います。

これを言うと「生まれつき心の弱い人がいるのだ。思いやってあげなければいけない」という心優しい人が出てきます。

私は、そういう優しい思いやりがきっと戦後のふにゃふにゃ日本人を育ててきたのだろうな、と思うのです。

               
        よろしくお願いします →人気ブログランキング  

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

平等に貧しい

年末に、TBSテレビ時事情報番組「サンデーモーニング」で、竹中大臣(当時)の言葉「格差はあって当然。市場原理に基づき豊かになった層が底辺を引っ張り上げるというしくみにしないと、皆が平等に貧しくなるだけだ。」を引用し、コメンテーター達がそれについて意見を述べていた。

田中優子法政大学教授が「こんなに格差が広がるくらいなら、私は『みんなで平等に貧しい』ほうを選びます」と言う。
こってりとお化粧を施したお顔に、上等そうな着物を召しておられる田中教授じゃなくて、隣に座っていた質素なジャーナリスト江川紹子さんの発言だったら違和感ないかな、と思ったけど。

経済的格差をなくすにはどうしたらいいのだろうか。
「こうしたらいい」などという明確な答えはなく、格差をなくしたいのなら、共産主義だか社会主義だか知らないけどそんなものを導入するしかないのではないか。

経済グローバリズムの流れを誰も止めることはできないだろうし、人間の欲望もストップをかけることはできない。

これは「当然の成り行き」としか言いようがないのではないか。人類はこのようにしか成れないのではないか。

今の社会の状態は甚だ悪い、と感じる人が多いのか少ないのか、それさえも判然としなくなっている。

不幸せな人は「悪い」と思うだろうし、まあまあ笑って暮らせている人は「それほど悪くない」と思っているだろう。
初売りの福袋に夥しい数の庶民が殺到し、一日で5万、6万とお金を費やしているのは、総体的に日本はまあまあだろうと思える光景だ。

「投機熱」に関して「異常ではないか」、と世間は言うが、これも自然の成り行きだろう。

日経新聞で「日本人とお金」という連載があった。

要約:

【もの作りでお金を得るのが真っ当と考える日本人は、お金がお金を生む運用は卑しいことと考え、これまで投資に真剣に向き合ってこなかった。
 しかし、そんな風土にふってわいたのが将来への不安だ。終身雇用の崩壊、年金危機、少子高齢化。「なんとかなるさ」でやってきた免疫のない日本の家計には、流行の金融商品やもうけ話が魅力的に映る。
 リスクを理解し、多様な物差しで金融商品を評価できる人が増えれば、1500兆円の個人金融資産を生かした新たな国づくりの扉を開くことができる。】

びっくりしたのは次のような記述だ。

【興味深いデータがある。
 仮に東証一部の全銘柄を1989年のバブル経済絶頂期に買い、昨年まで17年間保有したうえで、売却したとする。この間の日経平均株価の下落率は5割。
 ところが、驚くべきことに最初に株を買ったおカネは約16%増えた計算になる(日本証券経済研究所の試算)。
 配当や、無償で持ち株を増やす株式分割などが下落分を補うためだ。】

バブル絶頂期の株価がどのぐらいであったのか、私は株にまったく興味がなかったので知らないが、回復途上の昨年でも絶頂期には遠く及ばないだろうと思う。それでも、計算上はおカネが16%増えているとは驚きだ。
さらに続く。 

【長期にわたり、個別銘柄に分散して投資すればリスクは薄まる。長期の株式投資はバブル崩壊という経済環境の激変さえも耐えられることを示している。 】

【目先の投機家ばかりでは成熟した市場は成り立たない。企業業績を見向きもせず、値動きを頼りに株式の短期売買を繰り返す日本のデイトレーダー。企業価値や国家の消長を見極める力を備え、腰を据えて売買する「真の投資家」が育ったとき、市場は輝きを増す。】

デイトレーダーのようなせわしない人々が出現するのも、ネット売買の出来る今の時代、当然の成り行きではあろうが、市場が輝きを増すために、個人投資家は腰を落ち着けて、値動きに一喜一憂しないことを心がけるべきだと思う。短期の売買に血眼になって、市場の混乱を招いたり、時間を無駄に使うより、応援したい企業の株を長期保有するのが、あるべき投資家の姿だろう。

我々は今のところ、こういう経済のしくみより良いものを見つけていないのだから、これを健全にすることを個々人が心がけるしかない。より良き社会のために。

怒涛のような世の中の変化に疲れたら、ときたま、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「クリスマス・カロル」の、貧しくても幸せだった時代のことを思い出し、心を綺麗に洗濯するのが良いと思う。

人間というものは、平等に貧しく、争うことなく助け合って、「世界にひとつだけの花」を歌いながら生きていくことなど所詮できないのだから。

 

     よろしく御願いします →人気ブログランキング

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »