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2008年1月 7日 (月)

平等に貧しい

年末に、TBSテレビ時事情報番組「サンデーモーニング」で、竹中大臣(当時)の言葉「格差はあって当然。市場原理に基づき豊かになった層が底辺を引っ張り上げるというしくみにしないと、皆が平等に貧しくなるだけだ。」を引用し、コメンテーター達がそれについて意見を述べていた。

田中優子法政大学教授が「こんなに格差が広がるくらいなら、私は『みんなで平等に貧しい』ほうを選びます」と言う。
こってりとお化粧を施したお顔に、上等そうな着物を召しておられる田中教授じゃなくて、隣に座っていた質素なジャーナリスト江川紹子さんの発言だったら違和感ないかな、と思ったけど。

経済的格差をなくすにはどうしたらいいのだろうか。
「こうしたらいい」などという明確な答えはなく、格差をなくしたいのなら、共産主義だか社会主義だか知らないけどそんなものを導入するしかないのではないか。

経済グローバリズムの流れを誰も止めることはできないだろうし、人間の欲望もストップをかけることはできない。

これは「当然の成り行き」としか言いようがないのではないか。人類はこのようにしか成れないのではないか。

今の社会の状態は甚だ悪い、と感じる人が多いのか少ないのか、それさえも判然としなくなっている。

不幸せな人は「悪い」と思うだろうし、まあまあ笑って暮らせている人は「それほど悪くない」と思っているだろう。
初売りの福袋に夥しい数の庶民が殺到し、一日で5万、6万とお金を費やしているのは、総体的に日本はまあまあだろうと思える光景だ。

「投機熱」に関して「異常ではないか」、と世間は言うが、これも自然の成り行きだろう。

日経新聞で「日本人とお金」という連載があった。

要約:

【もの作りでお金を得るのが真っ当と考える日本人は、お金がお金を生む運用は卑しいことと考え、これまで投資に真剣に向き合ってこなかった。
 しかし、そんな風土にふってわいたのが将来への不安だ。終身雇用の崩壊、年金危機、少子高齢化。「なんとかなるさ」でやってきた免疫のない日本の家計には、流行の金融商品やもうけ話が魅力的に映る。
 リスクを理解し、多様な物差しで金融商品を評価できる人が増えれば、1500兆円の個人金融資産を生かした新たな国づくりの扉を開くことができる。】

びっくりしたのは次のような記述だ。

【興味深いデータがある。
 仮に東証一部の全銘柄を1989年のバブル経済絶頂期に買い、昨年まで17年間保有したうえで、売却したとする。この間の日経平均株価の下落率は5割。
 ところが、驚くべきことに最初に株を買ったおカネは約16%増えた計算になる(日本証券経済研究所の試算)。
 配当や、無償で持ち株を増やす株式分割などが下落分を補うためだ。】

バブル絶頂期の株価がどのぐらいであったのか、私は株にまったく興味がなかったので知らないが、回復途上の昨年でも絶頂期には遠く及ばないだろうと思う。それでも、計算上はおカネが16%増えているとは驚きだ。
さらに続く。 

【長期にわたり、個別銘柄に分散して投資すればリスクは薄まる。長期の株式投資はバブル崩壊という経済環境の激変さえも耐えられることを示している。 】

【目先の投機家ばかりでは成熟した市場は成り立たない。企業業績を見向きもせず、値動きを頼りに株式の短期売買を繰り返す日本のデイトレーダー。企業価値や国家の消長を見極める力を備え、腰を据えて売買する「真の投資家」が育ったとき、市場は輝きを増す。】

デイトレーダーのようなせわしない人々が出現するのも、ネット売買の出来る今の時代、当然の成り行きではあろうが、市場が輝きを増すために、個人投資家は腰を落ち着けて、値動きに一喜一憂しないことを心がけるべきだと思う。短期の売買に血眼になって、市場の混乱を招いたり、時間を無駄に使うより、応援したい企業の株を長期保有するのが、あるべき投資家の姿だろう。

我々は今のところ、こういう経済のしくみより良いものを見つけていないのだから、これを健全にすることを個々人が心がけるしかない。より良き社会のために。

怒涛のような世の中の変化に疲れたら、ときたま、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「クリスマス・カロル」の、貧しくても幸せだった時代のことを思い出し、心を綺麗に洗濯するのが良いと思う。

人間というものは、平等に貧しく、争うことなく助け合って、「世界にひとつだけの花」を歌いながら生きていくことなど所詮できないのだから。

 

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コメント

 遅ればせながら、「明けましておめでとうございます!」

 景気の停滞を打ち破るには、一握りのトップランナーを走らせてそれを模倣させる。
 そして、トップランナーが得た利益を富の再配分システムによってあまねく分配すると言うのを一応は理解していたつもりで居ましたが、製造部門の海外移転により労働分配型の富の再配分システムが機能しなくなっていることに昨年はじめまで気がつきませんでした。
 おそらく、政官界の方達も富の再配分が上手く行われていない現況に実は驚いていらっしゃるのではないかと思います。
 かといって、儲けている会社や個人からから税金を高く取ると海外に流失してしまうし、どうにもなりませんね...。

 自分自身の努力と才覚によって、この不況の中で利益を上げていらっしゃる方の足を引っ張るのは嫌だし、そもそも日本人の全てが不況のどん底というのはもっと救いがないようにも思い、結局自分自身の努力と才覚で這い上がるしか無さそうですが、私にその能力があるのかどうか...?

 本年もよろしくお願いいたします。

投稿: 山本大成 | 2008年1月 7日 (月) 16時03分

★山本大成さん、

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

この日本の窮状はいったいどうしたらいいんでしょう。何か策はあるんでしょうか。たった一つこうすれば良い、というものがあれば、それをやるしかないんでしょうね。たとえ、ものすごい痛みがあるにしても。
しわ寄せの苦しみを蒙り、痛みが尋常でない人々と、少々の苦しさは我慢するという程度の人々とでは期待するものが全く違うでしょうから、私には経済のことは何もわかりませんが、ほんとうにこれはとてつもなく難しい舵取りであることがわかります。
舛添厚労大臣じゃないですけど、「誰がやっても難しい」ことだと思います。
「明治維新」と「敗戦」と、大きな犠牲を払って日本は乗り越えてきたけれど、「今」という危機をどうやって乗り越えたらいいのか。これはもう、政治に文句を言うだけではいけないのでしょう。
大きな転換が必要だと感じたら、政権交代を図ってみる、政界を大きく変えてみる。そしてそれは、国民自身が自分の力でできることだと思います。
挙国一致体制にならないとどうにもならないんじゃないかと思います。だって国の危機なんですから。
もう「民主党には任せられない」なんて言ってる場合じゃないんじゃないか、って思うのですがどうでしょうか。

投稿: robita | 2008年1月 8日 (火) 10時38分

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

なかなか先の見えない年ですが、私は「この際、こてんぱんに負けてみる」のも一つの手だと思います。日本人は、いざとなると覚醒する力がありますから。
そんな意味で、民主党だって役に立つかもしれませんね(笑)

どうも日本人は「お金の使い方が下手」なのかもしれませんね。学校で教えるのも「努力すること=稼ぐこと」と「節約すること=使わないこと」だけでしょう。「じゃあ、お金をもっちゃった場合はどうすんのよ?」
アメリカの大富豪なんて、よく寄付をしますよね。日本人の金持ちは、金持ちになってもカネを稼ぐことばかり考える。これがダメな原因の一つだと思います。昔の大旦那みたいに、豪遊するとか芸術家のパトロンになるとか、いっそばらまくとか(笑)そういうことをやってみろ、と思うのです。紀伊国屋文左衛門みたいに。そうしたら、江戸市民と同じく「よっ、お大尽!」とみんなで囃してあげるのです。そうすりゃ、芸術文化も発展するし、もちろん吉原も発展し(苦笑)それこそ隅々にまでお金が行き渡るってもんです。
なんでもかんでも税金で「みんなでカネを出し合う」のが良いことではないと思いますね。そりゃどう考えても、最後の手段のはずなんですから。
おまけに、使う奴は、世の中で一番カネの価値がわかっていない人種「役人」なので、余計いけません。

「金持ちは、もっと贅沢三昧、毎日芸者を上げてどんちゃん騒ぎをやれ」今年はこれでいかがでしょうか(笑)

投稿: single40 | 2008年1月 9日 (水) 18時18分

★single40さん、

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

>「この際、こてんぱんに負けてみる」のも一つの手だと思います<

民主党が政権取ることで、日本がこてんぱんに負けてみてもいいかもしれませんね。みんなで貧乏になるの(笑)。

昔の金持ちは妬まれることを厭わなかったんでしょうかねえ。
豪勢な暮らしを隠すことをしなかったようですね。
金持ちはどんどんおカネを使えばいいと私も思うんですよ。
過去の記事ですが →「富豪のつとめ」

>「金持ちは、もっと贅沢三昧、毎日芸者を上げてどんちゃん騒ぎをやれ」<

お茶屋遊びは廃れたようですが(「料亭文化」)、どうでしょう、懐古の風潮がありますから、復活するといいですね。

福田首相が高給レストラン行ったとか、料亭で食事したとかで、「庶民の苦しみがわかるのか」などと文句をつけるマスコミもあるようですが、総理大臣のような偉い人が料亭に行かないでいったい誰が行くというんでしょうねえ。
税金で給料もらってるという感覚があるのでしょうけど、あんまりチマチマとしたことを一国の首相に要求するのもどうかなあ、と思います。

投稿: robita | 2008年1月10日 (木) 13時17分

おお、すでに記事になっていましたね。読んでみましたが、あっさり納得です(笑)

昔の人は「金持ちの道楽」に対して、ずいぶん寛容だったと思うのですよ。「なにを馬鹿なことやってやがんだ」と言いながら、でも、決して否定はしない。「馬鹿をする人がいてもいい」社会のほうが、よほど寛容で懐が深い文化だと思うんですなあ。

投稿: single40 | 2008年1月10日 (木) 17時58分

★single40さん、

結局「寛容」とは「分をわきまえる」とか「面白みを求める」とか、そんな精神から生まれるのかもしれませんね。

投稿: robita | 2008年1月12日 (土) 11時07分

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