二者択一の問題でなく
同列に語るべきことではないのにいっしょくたにするから議論が紛糾するんじゃないか、と思うことがいくつもあります。
○例えば、「憲法9条」問題。
前にも書きましたが(「平和大好き」)、「平和を希求する心意気」と「護憲改憲」は別問題であります。
平和を願わない人はいません。
「平和を願う心」と「平和を勝ち取るための手段の問題」を、ごちゃまぜにしてしまいがちな人が多のではないでしょうか。
○例えば、犯罪。
「犯罪行為の罪がどちらにあるか」の問題と「危機管理」「防犯」の問題はそれぞれ別に考えるべきことです。
強姦事件などで、「女性にもスキがあった」と言う人がいると、「女性に非があると言うのか」といきり立つ人が出てきます。
あるブログで、「罪の所在」と「防犯」の問題をいっしょくたにするから議論の収拾がつかなくなるのです、とコメントしている人がいましたが、同感です。
罪は罪、防犯は防犯なのに、「罪」そのものを、こちらが○%、あちらが○%、と分けようとする思考回路から、このような混乱が起きるものと思われます。
○例えば、歴史問題と、中国とうまく付き合う、ということは別問題です。
「価値観外交」という言葉があるらしいですが、はたして「価値観外交」か「実利を取る外交か」などという「二者択一」の問題なのでしょうか。
「他国とうまく付き合うこと」と「歴史を検証し、正す」ということは明らかに別問題だと思います。
○例えば、「国家という集団への帰属意識」か「『個人』の尊重」か。
これも二者択一の問題ではないし同列に語られるような問題でもないと、最近気がつきました。
「今の時代、個人に傾きすぎている」と、今まで思っていたのは、そうではなく、ただ単に、「国家という集団に所属している」という意識をあまりにもないがしろにしてきただけなのだ、と気がつきました。
国家への帰属意識も、個人の尊重も、別の意味で同じくらい大事なものです。
ただ、この問題だけは、あっちを立てればこっちが立たずになってしまいますね。
やはり、「割合」や「傾き」の問題になってしまうのでしょうか。
珍獣さんの記事を読んで考えました。
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コメント
成る程そうですよね、その通りだと思います。
投稿: トトロ | 2008年2月22日 (金) 04時50分
★トトロさん、
ありがとうございます。
投稿: robita | 2008年2月22日 (金) 09時01分