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2008年1月28日 (月)

わかりました

週刊新潮1/30号に経済学者野口悠紀雄さんの緊急提言が載っていました。

経済のことはほとんどわからず、経済の文章を読む気のない私ですが、(相変わらず私には円高円安だの資金移動だののからくりは全くわからないままに)全体として日本はどう動かなくてはならないか、というおおまかなことはわかりました。

4ページにわたる記事ですが、全部写すわけにいかないので、最後の部分だけ写させていただきます。

【 未来を開くためには、日本の経済体制を根本から改革しなければならない。その際に何より重要なのは、考えの基本を変えることだ。
しかし、これは決して簡単なことではない。なぜなら、われわれは、戦時体制的な思想の呪縛から逃れられないからだ。
戦時体制思想の基本は、「市場メカニズムは悪であり、組織と賢者の統制によって経済を運営することが善である」というものだ(「武士道がよい」という人さえいる)。
銀行と大蔵省による統制的金融システムはバブル崩壊で機能喪失したものの、日本人の考え方の基本は変わらない。
例えば、「日本を再生させるためには、全員が一致団結して一つの目的のために力を合わせるべきだ」と言われる。あるいは、「政府が指導力を発揮して、将来に対するビジョンを描き、経済をリードすべきだ」と言われる。
これらは、戦時体制に特有の考えなのだが、日本人の多くはそうは意識しない。それが絶対に正しい方向であると、無意識のうちに考えてしまう。
本来必要なのは、一人ひとりの個人が創意を発揮して新しい試みに挑み、それらの人々が組織を通じてではなく市場を通じて結びつくことなのだ。が、そうした考えが理解できない。
「市場」というと、「金儲けのためのいかがわしいもの」とか、「金持ち優先主義」とされてしまう。本来は市場の取引こそ最も公正なものなのだが、そう理解できない。「市場主義はアングロサクソンのもので、日本人の本性に反する」と考えている人が多い。
しかし、戦前の日本で支配的だったのは、「アングロサクソン的な」自由主義だったのだ。とくに、民間企業の経営者は、政府の介入や統制を嫌う自由主義的思想を強く持っていた。革新官僚(岸信介がその代表)はそれを否定したため、当時の日本では、「アカの危険思想」と見なされた。にもかかわらず、戦時期の要請から「アンチ市場主義」が支配的になり、それが現在に至るまで続いているのだ。そして、いまの日本人の考えの基本になっている。
本来は、戦時体制から脱却して、市場メカニズムを中心とする経済の仕組みを作る必要があった。それによって、新しい時代の要請に適合し、新しい技術体系に適合した企業と産業を生み出すことが必要だった。
ところが、90年代以降の日本経済では、口先だけの「改革」は叫ばれたものの、金融緩和と円安政策に依存して本当の改革を怠った。
そのツケはいつかは払わなければならない。冒頭で見た株価の下落はそれを表している。ツケの支払いは、始まったばかりだ。それを払い終えるまでには、まだだいぶ時間がかかるだろう。】

これが日本にとって進むべき方向なのかどうか、私にはわかりません。
でも、世界は既にそういう方向で動いていて(戦前の日本も)、日本も世界の流れに乗らなければ取り返しのつかないことになる、というのなら、そうしたほうがいいと思います。

「国家の品格」にはたいへん良いことが書いてあります。賛同すべき点は数多くあります。
けれども、著者の藤原さんは「市場原理主義」を否定しています。忌むべきものだとさえ思っておられるようです。
やはりここは、経済と武士道精神は分けて考える必要がある、と言うべきでしょうか。
武士道は大変立派な道徳だと思いますが、それを経済に持ち込むと集団自殺のようなことになってしまいます。
豊かでありたい、貧乏になりたくない、と思う人が大部分だと思いますので、その大部分の人を満足させるためにはきっと「市場原理主義」は正しい考え方なのでしょう。
 
であるからこそ、挙国一致しなければならない時だと私は思うのです。
野口先生は「挙国一致はだめなんだ」と仰いますが、この「経済は市場に任せるべきだ」という考え方をみんなで共有しなければ、本当の改革が速やかに進むわけがないではありませんか。

格差がけしからん、とか、政治は何をやってるんだ、とか怒っているだけでは改革は進まない、戦時体制の考え方を変えないと日本は沈む、そういうことを、国民が理解しなければ 、いくら一部のえらい人たちが叫んでも何も動かないでしょう。

ここは、国民みんなで心を一つにして、国の栄えのためにどういう方向に舵を切るべきか、できるだけ早く決断すべきなのではないですか。

国家への帰属意識を目覚めさせなければだめだだめだ、と私がずうっと言ってきたのはそういうことなんですよ。わかったか。

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コメント

お初に書き込み致します。「ねこまんま」から流れて参りました。

二宮尊徳は以下のような言葉を残したそうです。

「道徳のない経済は罪悪である
 経済のない道徳は寝言である」

倫理観の欠如した経済は海の向うでのエンロン事件のような罪悪を生む。しかし同時に、道徳を振りかざして感情論で叩いても、経済のように理に適ったものでないと、それはただの寝言。

要はこのバランスが必要なのですが、どうも世の中には「罪悪」か「寝言」かの両極端な意見しか吐かない人が多いように思います。

投稿: かせっち | 2008年1月28日 (月) 19時20分

★かせっちさん、

はじめまして。

>「道徳のない経済は罪悪である 経済のない道徳は寝言である」<

こんな至言が昔からあったのですねえ。当たり前といえば当たり前かもしれませんが、これをしっかり認識してバランスのとれた人間でいたいと思います。
戦後60年の呪縛とはまた別の問題なのかどうか、私にはちょっとわかりませんが。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: robita | 2008年1月29日 (火) 10時52分

私の知る限り、野口悠紀雄さんのような経済学者の多くは「改革推進」による日本再生のストーリーだと思います。別に竹中平蔵の専売特許じゃありません(笑)
現在の世界は、間違いなくボーダーレス化しているので、そうしないと相手にされなくなってしまうからです。「ジャパン・バッシング」が懐かしい「ジャパン・ナッシング」ですもんねぇ。

なんでも政府の責任、という考え方は、間違いなく戦後民主主義特有のものじゃないか、と思います。明治は言うに及ばす、そもそも江戸時代中期以降だって、幕府は「民事不介入」でした。年貢さえ払ってくれれば、あとは勝手次第、だったんですから。
今の日本史は、そういう意味では改革に伴う幕府の弾圧については教えますが(それにしたって、江戸所払い程度で、追い出された作家が江戸の隣の市川に住むといういい加減さ。市川の名物男、の語源ですね)そもそも弾圧が話題になる=ふだんの民生はかなり自由、という点については教えません。「忘れられた日本人」(宮本常一)などを読めば分かるのですけど。

今の福田首相みたいに「存在感ゼロ」のところで「なんとかしろ」というよりも「こんな連中を相手にしてもダメ」だと思う方が、世の中は良くなるということなんです。「こらアカン、政府なんて頼りにならん」と皆があきらめてしまえば、この国は再生に向かうと思います。
その上で、それでも自分は「品格」を大事にするよ、というのであれば、それは一番素晴らしい。それこそ、他人任せにしない、自分で決めた「品格」なんですから。

投稿: single40 | 2008年1月29日 (火) 14時29分

少々言葉が足りなかったようです。

エントリで取り上げられた「市場原理主義」という言葉の響きには「道徳」が感じられないのです。つまり「道徳なき経済」です。だから私は「それは罪悪である」と説いた二宮尊徳の言葉を引用したのです。

また、経済と武士道を持ち込むと大変なことになると仰いましたが、明治期の大実業家・渋沢栄一のモットーは「士魂商才」です。渋沢は農家の出ですが、尊王攘夷運動に身を投じた経験を持ち、その後武士道精神を範として商業活動を行った人物です。

武士道については諸説あり、新渡戸稲造が書いた『武士道』も「新渡戸版の武士道」でしかない、という人もいます。その新渡戸の『武士道』ですら理解できているか、私は不安ではありますが(汗)、「力の有る者には取るべき態度がある」ということが武士道の本質だと私は考えています。

このように考えれば、経済を罪悪なものに陥らせないための道徳として、武士道も十分選択肢の一つに揚げられます。

戦後経済が戦時体制の官僚統制を引きずっているという野口氏の指摘には同意しますが、だからといって安易に市場原理主義に走るのは、二宮尊徳の言うように罪悪しかもたらさないでしょう。

投稿: かせっち | 2008年1月29日 (火) 22時22分

★かせっちさん、

>だからといって安易に市場原理主義に走るのは、二宮尊徳の言うように罪悪しかもたらさないでしょう<

同意します。
世界で「生き残る」という観点からは、市場原理に基づく経済活動が望ましいのですが、その中にも道徳を見失ってはいけないということですよね。
要は、「バランス」ということですよね。
野口さんの論旨は、「道徳より市場原理主義」ということではなく、「世界の時流に乗らず、戦時型、高度成長期型の経済体制を固辞することは、日本の沈没を意味する。それは決して日本国民に幸せをもたらさない」ということだと思います。
私も経済活動に道徳はいらないとは思っていませんよ。

投稿: robita | 2008年1月30日 (水) 09時29分

★single40さん、

>別に竹中平蔵の専売特許じゃありません<

宅の主人でも言うくらいですから(笑)

>明治は言うに及ばす、そもそも江戸時代中期以降だって、幕府は「民事不介入」でした。<
>そもそも弾圧が話題になる=ふだんの民生はかなり自由<

偶然、昨日買ってきた本の最終章をめくったら、こんなことが書いてありました。
「名著『逝きし世の面影』では___中略___江戸時代にはわれわれの理解する『近代市民』としての自由(たとえば国政において投票する権利と自由)がなかったにもかかわらず、『村や共同体の一員であることによって、あるいは身分ないし職業による社会的共同体に所属することによって得られる自由』があったと説明されている。つまり幕藩権力は___中略___国政レベルの領域では強健を振るったが、民衆の日常生活の領域にはできるだけ立ち入りを避けていた」

「逝きし世の面影」はぜひ読んでみたい本ですが、いつになるか。

でも、政府をあてにしないで、と言われても何をどうしたらいいのか。
60年間の依存体質の転換の仕方がわかりません、と日本人は途方にくれているんじゃないでしょうか。
また、国民は首相のリーダーシップのなさを批判しますが、そんな首相の態度は国民の映し鏡じゃないかと思うんですね。
何か強硬策をとってもいいんでしょうか、政府は。
国民はまたそれに対して激しく批判するんじゃないんでしょうか。
それに耐えられる人だけが国のリーダーになれるのだとは思いますが。

投稿: robita | 2008年1月30日 (水) 09時48分

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