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2008年2月27日 (水)

たるんでいるのは

イージス艦の事故で、防衛省の隠蔽体質、自衛隊のたるみ、防衛大臣の責任と、マスコミは指摘し続けます。

でもたぶんそういう「部分」を非難するだけでは済まないことなのだろうなあ、と私は(この問題に関してだけでなく)よく思います。

なるべく辛い思いはしたくない、なるべく楽に人生を楽しみたい、という世の中の流れの中、自衛隊に入ろうという人が少なくなっていて、募集活動も困難を極めていると聞いています。

それはある意味、隊員の「機嫌をとる」というようなことにつながっていないでしょうか。
そしてそれは訓練や規律の緩みにつながり、さらにその状態で彼らを指導統括しなければならない上官の苦労も相当なものであるかもしれません。
もちろん聞いてみなければわからないことですが、そういうことはないのかなあと思います。

自衛隊にかぎらず、上が下に厳しくものを言えない状態というのは、世の中のいろいろな分野で(企業、学校、家庭などでも)同じことが起こっているのではないかと思います。

でもそう考えると、今回の事故は、艦長がたるんでいる、幕僚長がたるんでいる、防衛大臣がたるんでいる、海自隊員がたるんでいる、とそれぞれを責めて責任をとらせて済むようなことではなく、我々自身を含めた国全体の問題と言わなければならないかもしれません。

kakuさんの記事を読みました。→「天皇は私達に問うている」  
国民がどんなに豊かになってたるんでこようが、ずっと変わることなく、ご自身を厳しく律し、国民統合の象徴であろうと努めてこられた天皇のお姿に、私たちが気づかなければいけない時なのかなあ、と思いました。

         

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少々書き加えました。自衛隊への応募は少なくはないそうですが、私の文の間違いはコメント欄の関係もあって敢えてそのままにしておきます。3/4

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2008年2月21日 (木)

最大の権力

医者が可哀想。
教師が可哀想。
警官が可哀想。
役所職員が可哀想・・・
そんな思いにかられる報道を見聞きすることが多くなりました。
つい先日もこんな新聞記事を読みました。

医師不足や患者の横暴からくる医療の現場のただならぬ状況描写のあと;
【救急医なら知らぬ人がいない判例がある。
大阪高裁が03年10月、奈良県立五條病院に対し、救急患者の遺族に約4900万円の支払いを命じた判決。事故で運ばれた患者は腹部出血などで亡くなり、病院側は「当直の脳外科医が専門外でも最善を尽くした」と主張したが、裁判所の判断は「救急に従事する医師は、専門科目によって注意義務の内容、程度は異ならない」だった。
人材・設備が手厚い全国205カ所の救命救急センターですら、不足する専従医は2500人といわれる。救急の担い手の多くは、より小規模な病院。交代で当直する各科の医師が専門外の患者を診ざるを得ない現実がある。
白鬚橋病院長で都医師会救急委員長の石原哲(55)は訴える。「どんな優れた医者でも、何でもできるわけではない。専門外まで対応できなければ過失があると言うなら、受け入れを制限せざるを得ない」】

泣き言ばかり並べて自己弁護だけに熱心になるのはもちろんいただけないし責任放棄と言われても仕方がないでしょうが、これほど努力した結果が遺族の怒りを買い、訴訟か、となるとやる気が失せるのは人間として当然のことと思います。

いろいろな分野で「弱者」という名のわがままが横行していますが、国民も「弱者」という名の圧力団体化しているのではないかと感じる今日この頃です。
国という権力を監視しなければならないのはわざわざ言う必要もないほど当たり前のことですが、「悪代官に虐げられる民衆」という大時代な構図は、どうも多くの人の頭に刷り込まれたままなかなか思考転換できないようです。
今や、最大の権力は国ではなく、マスコミがそれを握っています。しかもこのマスコミを支えているのが国民なわけですから、ややこしい。

人間は誰も神さまではない、万能ではない、だから、「医者」だって「教師」だって「母親」だって、努力しても完璧にできるわけがないのです。

総理大臣だからといって「休息は許さん、失敗は許さん、完璧にやれ、馬車馬のように働け、死ぬまで働け」と、そんな圧力をかけていいものでしょうかねえ。

             

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2008年2月19日 (火)

三すくみ

国会のねじれ現象による政治の停滞とやらはまだ続いているのですよね?

与野党で対立している政策について、政治家がよく「これについてはきちっと議論をして」と言います。
この言葉はしょっちゅう発せられます。いやになるほど長い間。
いつになったら「きちっと議論」してくれるんですか。

きちっと議論できないのはなぜなんでしょう。
話し合って妥協点をみつけていくのが正しい民主主義のありかただと思うのですが、きちっと議論できないのは、なぜなんでしょう。

たぶん、きちっと議論できないのではなくて、論点は出尽くしているのに、お互い譲らないから平行線になっているだけなんでしょうね。

平行線になるのは、政局にしてるからですね。つまり、政権をとりたい、政権をとられたくない、との与野党の攻防です。

こういう場合私たち国民はどうしたらいいんでしょう。

「政治家は何やってんだ」みたいな愚痴を言ってるだけでは物事は進みません。

「政治家は何やってんだ」という愚痴は、まずマスコミが発します。そしてそれに乗っかるのが国民です。

政治家は信念をもって「この政策が良い」と思ったら、断固たる決意でそれを通すべきですよね。採決して多数が賛成すればそれは通るはずですよね。

国会がねじれていても、通す手段があるならば強引にでもそれをやるべきですよね。

こういう強引さは「独裁」なんでしょうか、それとも「断固たる決意で迅速に物事を運ぶ行為」なんでしょうか。

「独裁は許されない」だの「もっときちっと議論して」とマスコミが騒ぎ立てるのは意味がないとは言いませんが、マスコミが政治家の決断を邪魔するのを国民はどう思っているのでしょう。

政治の停滞の原因は国民にあるんじゃありませんか。

政治家が世論を気にして断固たる決断ができなかったり、右往左往したりするのを、「それは国民のせいじゃない、政治家がだらしがないからだ」と人は言うけれど、そのくせ一方では「国民の空気を読め」などと、政治家の決断を鈍らせるようなことも平気で大合唱するわけです。

もう、どっちかにしてくれませんか、という気持ちになります。

私が一番ヘンだと思うのは、「忙しくてこれできないあれできない」「もういっぱいいっぱいで全然余裕がない」とか自分のことは弁護しながら、なんのつもりかいじめて叩いて「総理大臣は死ぬまでやれ」と言わんばかりの世の中の空気です。
私なんか全く頑張りの足りない人間なので、同じ人間に対して「死ぬまでやれ」とはとても言えないなあ、たとえ相手が一国のリーダーでも。
国に責任のある人だからこそ死んでくれては困るわけです。
私は何も自分が「優しい人間だから」「甘い人間だから」こういうことを言っているのではないのです。日本を負け組にしないための政治をしようとしている人間を叩いて追い詰めることが無意味だから言っているのです。無意味どころか国の損失でしょう。

民主主義とは「文句を言う権利」のことなのですか。
民主主義を叫ぶのなら、政治の停滞がなぜ解消できないのか、ちょっと考えてみてもいいでしょう。
「叱咤激励」すべきところを、悪口や罵倒に終始してしまっている。自民党と社会党の談合で政治がまあまあうまくいっていた時代ならばそれでも一向にかまわなかったでしょう。大衆は勝手なことを言ってれば良かったんです。
でも、今ってそういう時なんですか?日本が沈むかどうかの瀬戸際だとしたらそんなことやってる場合じゃないと思うのですが。

マスコミなんかにいいようにされてないで、政治家を激励すればいい。大連立だってすれば良かったんじゃないかと私は思うのです。
この際、与野党一緒になって日本のために頑張ってくれ、と我々が言えばいいだけのことなんじゃないですか。

小泉改革は良くなかったとか言われるけれど、独裁的な手法はだらだらしていなかった。政治は停滞しなかった。海外からも評価されて投資も増えた。そしてそれを応援したのは国民です。

小泉さんが熱狂的に支持されて、安倍さんがNOをつきつけられた、その違いが何かといえば、非常に瑣末なことだったと私は思っています。

今、「国民の声」など物ともしない指導者が現れたら、国民はそれを支持しますか。それとも、「こういう時に現れる独裁者は極めて危険だ」として、政治の停滞を「しようがない」と認めるんでしょうか。

日常をきちんと生き、子どもをきちんと育てる、国民はその当然のことをやり、政治家を批判する時と場合をわきまえ、むやみやたらと攻撃しないこと、そんな風に我々が気をしっかり持つことができるなら、今の状態を打開できるんじゃないかと思うのですが、無理な話ですね。
国民にはもうそんな従順さはないのだから。

国民は政治家を信用せず、政治家はマスコミを恐れて決断ができず、マスコミは国民受けのする記事を書いて扇動し、そして国民はマスコミの論調に乗っかる。
「三すくみ」みたいなもんでしょうか。

       
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2008年2月14日 (木)

愛の日だけど

よくわからないので、教えていただきたいのですが。

ちかごろ、「市場原理主義」はいけないといって、昔の自民党全盛時代の社会経済システムに戻すべきだ、という人々がいます。

昔の自民党政治というのは、「談合」が適正に行われていたからうまくいっていた、のでしょうか。

「談合」は良いことなのですか。悪いことなのですか。
「良い談合」と「悪い談合」があるのでしょうか。
官僚が優秀で政治や業者を上手に采配していたから政官業のトライアングルがうまく機能していたのでしょうか。トライアングルが悪いものなのかそうでないのかさえ私にはわかりません。

それとも、談合があったから幸せが配分されていたのでなく、愛に満ちた福祉政策が充実していたから幸せだったのでしょうか。

昔は良かった、と人は言います。
でも、昔の自民党政治もマスコミや国民からさんざん責められていたように記憶しています。
そして、責めていた人と、今「昔の自民党政治に戻すべきだ」と言っている人は同一人物のような気がするのですが、そうではないのでしょうか。

もうひとつわからないこと。

中国餃子事件に関して、「学校での食育の必要性を感じる」とかの意見を見聞きしますが、こういうのは各個人の国家観に関係なく発せられる意見なのでしょうか。
たしか、「国家は国民のやることに口を出すな」とか「国民を教育してやる、などという国家の押し付けはまっぴらだ」というのが、普通の国民の正直な気持ちではなかったかと思うのですが、やはり、家庭で手作りが難しいとなると、そういうことは国にお願いするしかないのでしょうか。

この事件があって、この国の母親たちがこれほど出来合いの食べ物に頼っているのかと私は驚いたのですが(もちろん自分の手で作ったものを子供たちに食べさせる努力をしている人のほうが多いとは思いますが)、それほど、今の母親は忙しいということなのでしょう。
道徳教育も食育も、本来家庭でなされるべきものが、国の導きに頼らざるを得なくなっている現状。これもやはり政治の貧困のせいということになってしまうのでしょうかねえ。

私は思うのです。
日本はどうすべきか、そんなことは政治をわかっているえらい人をもう少し信頼して、一般庶民は、ひたすら自分の仕事を地道にこなし、こつこつ稼ぎ(今の労働事情ではそんなことできないと言われるかもしれませんが、それでもこつこつやるんです)、子供をきちんと育てることに専念すればいい。
きたるべき時に、人材がないなどとあわてることのないよう、子供たちを育てることを考えるのがいい。
それは何も、お金を使って良い学校に入れることではなく、生きるための底力を育てることではないですか。
どんなに国情が変わっても、生き抜くだけのしたたかさ、これは基本ではないのか。
要するに人間としての自立の心を育てることだと思うのです。

国として、エリートを育てることももちろん大事ですが、同じように大事なのは絶望や不満ばかりの国民を育ててしまってはいけないということだと思います。政治のせいにする前に親として家庭としてすべきことをする、そんな当たり前のことは言う必要もないでしょうが。

改憲だ護憲だ分配だ市場原理だと議論するのももちろん無意味とは言わないけれど、まずは地道に「人」を育てることに、若い親御さんたちは専心したらどうか。
それが未来の日本の力となるんじゃないですか。

で、私はといえば、子供たちを立派に育て上げたとはとても言い難いので、反省して、これからは孫育てに粉骨砕身獅子奮迅堅忍不抜七転八起風林火山の決意を以って努力してまいる所存でございます。
夜中までかかって何人分か知りませんが会社で配るチョコレートを手作りしていた娘、朝ごはんも食べず家を飛び出したあとには散らかし放題の台所。23にもなってこれだ。

      
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2008年2月 5日 (火)

「女になりたがる男たち」

「女になりたがる男たち」 エリック・ゼムール著(新潮新書)を読みました。

帯にこうあります:
【 男が自らの内なる「女性性」を解放するよう、社会全体が声をそろえて要求した。男たちは「普通の女になる」という壮大な計画の実現のため、全力をつくすようになった。(中略)男たちは古びた本能を捨て去らねばならない。女は単なる性別ではなく、ひとつの理想となったのだから。】

そして、カバー折り返しの解説には:
【 戦争よりも平和、力よりも優しさ、命令よりも理解。先進国ではいまや、女性的な価値観こそがスタンダードとなった。テレビではゲイのタレントが大活躍し、ガリガリのモデルが「理想の女性」となり、男女の差異はどんどん縮小している。しかし、その先に待ち受けているのは「文明世界の滅亡」かもしれない・・・。
 「男性性の喪失」が引き起こす問題点を敢えて指摘し、フランスで大論争になった問題の書の邦訳。】

面白いです。
卓見です。
達観です。
名言のオンパレードです。

読み始めは、女にあらゆることを乗っ取られた男のぼやきと見えなくもありませんが、歴史や社会現象を検証しながらの論理展開は、人類やこの世の真理をつきつめているようで、同じようなことを考えていた私にはまさに我が意を得たりの感があります。
何も私だけじゃなく、この本に書かれていることにうすうす気づいている人は多いのではないかと思います。ただおおっぴらに言えないだけで。

私はずいぶんおおっぴらに書きましたけど、遠慮がちに。

フェミニズム先進国(であろうと思っていた)のフランス人にもこのようなことを考えている人がいて、しかも、この本に対する反論ばかりではなく「よくぞ言ってくれた」とする読者(男性ばかりではない)が多かった、ということ、また、男が男らしい覇気をなくしているのは日本だけかと思ったらそうではなかった、といったことがちょっとした驚きです。
しかし、フェミニズムの進んだ国であるからこそ、噴出する数々の軋轢や矛盾をもって未来を見通すことができるようになったのかもしれません。

フランスはもう手遅れだ、と著者は言います。なぜなら、フェミニズムによってもたらされた快適さを男たちが今さら捨てるわけがないから、と。
女性の社会進出を「資本主義が仕掛けた罠」とし、その罠に引っかかった女性たちが今さらながらにあわて始め、男たちは知らぬ顔を決め込んでいる。
そして日本やドイツはフェミニズム後進国であるがゆえに、男らしさへのノスタルジーがまだ残っているとも指摘します。

しかし、この女性化現象(そうと仮定するならば)を、憂慮すべき事態とするのか、それとも、これはこれで人類の進むべき道であるのか、そんなことは今の時点ではわかりません。
おそらく、2・3世代後の(いや、もしかしたら次の世代の)女性たちが、「どうしてくれんのよ、こんなことになっちゃって」と前世代の人間たちを恨むようになるのかどうか、それはその時のお楽しみ。

しかし、要約や抜粋だけでは到底理解し得ないこの本の言わんとすることは、女性は女性らしくあってほしいとか、男性は男性らしくあってほしいとか、そんな単なる嗜好の問題ではもちろんありません。

一国の興亡のあれやこれやも、根っこのところで、「男性性」「女性性」という明確な区別がなければ成り立たないエロスとつながっていることを理解すれば、人類のユニセックス化を嘆く理由がわかる、とかねがね思っていた私は、やっと説得力ある文章でそれを表現する人が現れた、と喜んでいるのです。

因みにざっと記事一覧に目を通しただけでこれらの記事がみつかりました。経済や歴史のわからない私が直感だけで書いた拙い文ですが。

「男も女も元気なほうがいい」  
「普通の母親」 
「家庭をプロデュースする」 
「男は黙って」 

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2008年2月 3日 (日)

人間は歯止めがきかないほどの悪でもない

今朝のテレビ朝日「サンデープロジェクト」に元金融担当大臣竹中平蔵さんと金融コンサルタント木村剛さんが出演し、日本の金融政策の遅れを指摘していました。

木村さんの「演説」とも言える言葉が胸に響きました。

要旨:「ライブドアの堀江氏をマスコミは徹底的に叩きましたが、彼は生まれた家も裕福でないし、東大に入学したとはいえ中退していますから「高卒」です。その高卒の彼が一人で財を築き上げ、大企業とタイマンで勝負した。その心意気だけでも我々は評価しなくていいのか。これはジャパニーズドリームなんです。」

金儲けはあまり良いことではないという、人間に染み付いた(日本人に特有のものではないと思います)道徳観が、若者の覇気まで奪い取ってしまうなら、そういう固定観念にあまり縛られすぎるのはどうかなと思います。

「市場原理主義は人間を堕落させる」という思い込みは、「改憲すると日本は必ず悪いことをする」という思い込みと似ているのではないでしょうか。

   

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