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2008年2月14日 (木)

愛の日だけど

よくわからないので、教えていただきたいのですが。

ちかごろ、「市場原理主義」はいけないといって、昔の自民党全盛時代の社会経済システムに戻すべきだ、という人々がいます。

昔の自民党政治というのは、「談合」が適正に行われていたからうまくいっていた、のでしょうか。

「談合」は良いことなのですか。悪いことなのですか。
「良い談合」と「悪い談合」があるのでしょうか。
官僚が優秀で政治や業者を上手に采配していたから政官業のトライアングルがうまく機能していたのでしょうか。トライアングルが悪いものなのかそうでないのかさえ私にはわかりません。

それとも、談合があったから幸せが配分されていたのでなく、愛に満ちた福祉政策が充実していたから幸せだったのでしょうか。

昔は良かった、と人は言います。
でも、昔の自民党政治もマスコミや国民からさんざん責められていたように記憶しています。
そして、責めていた人と、今「昔の自民党政治に戻すべきだ」と言っている人は同一人物のような気がするのですが、そうではないのでしょうか。

もうひとつわからないこと。

中国餃子事件に関して、「学校での食育の必要性を感じる」とかの意見を見聞きしますが、こういうのは各個人の国家観に関係なく発せられる意見なのでしょうか。
たしか、「国家は国民のやることに口を出すな」とか「国民を教育してやる、などという国家の押し付けはまっぴらだ」というのが、普通の国民の正直な気持ちではなかったかと思うのですが、やはり、家庭で手作りが難しいとなると、そういうことは国にお願いするしかないのでしょうか。

この事件があって、この国の母親たちがこれほど出来合いの食べ物に頼っているのかと私は驚いたのですが(もちろん自分の手で作ったものを子供たちに食べさせる努力をしている人のほうが多いとは思いますが)、それほど、今の母親は忙しいということなのでしょう。
道徳教育も食育も、本来家庭でなされるべきものが、国の導きに頼らざるを得なくなっている現状。これもやはり政治の貧困のせいということになってしまうのでしょうかねえ。

私は思うのです。
日本はどうすべきか、そんなことは政治をわかっているえらい人をもう少し信頼して、一般庶民は、ひたすら自分の仕事を地道にこなし、こつこつ稼ぎ(今の労働事情ではそんなことできないと言われるかもしれませんが、それでもこつこつやるんです)、子供をきちんと育てることに専念すればいい。
きたるべき時に、人材がないなどとあわてることのないよう、子供たちを育てることを考えるのがいい。
それは何も、お金を使って良い学校に入れることではなく、生きるための底力を育てることではないですか。
どんなに国情が変わっても、生き抜くだけのしたたかさ、これは基本ではないのか。
要するに人間としての自立の心を育てることだと思うのです。

国として、エリートを育てることももちろん大事ですが、同じように大事なのは絶望や不満ばかりの国民を育ててしまってはいけないということだと思います。政治のせいにする前に親として家庭としてすべきことをする、そんな当たり前のことは言う必要もないでしょうが。

改憲だ護憲だ分配だ市場原理だと議論するのももちろん無意味とは言わないけれど、まずは地道に「人」を育てることに、若い親御さんたちは専心したらどうか。
それが未来の日本の力となるんじゃないですか。

で、私はといえば、子供たちを立派に育て上げたとはとても言い難いので、反省して、これからは孫育てに粉骨砕身獅子奮迅堅忍不抜七転八起風林火山の決意を以って努力してまいる所存でございます。
夜中までかかって何人分か知りませんが会社で配るチョコレートを手作りしていた娘、朝ごはんも食べず家を飛び出したあとには散らかし放題の台所。23にもなってこれだ。

      
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コメント

robitaさん、

>子供をきちんと育てることに専念すればいい。

>それは何も、お金を使って良い学校に入れることではなく、生きるための底力を育てることではないですか。
どんなに国情が変わっても、生き抜くだけのしたたかさ、これは基本ではないのか。
要するに人間としての自立の心を育てることだと思うのです。<

ははぁっ。敬礼(^^)>

私の知る限り、日本は世界でも有数の「子供に手をかけよ」と言う社会的なプレッシャーの強い国です。にもかかわらずこの体たらくは?

だから多分、親も「人間としての基本」が分かっていないのです。何が「自立」で「自律」なのか、「きちんと育つ」とはどんな状態を言うのか。どうすれば育まれるのかはもちろんのこと。

自立し過ぎた男女は「結婚から遠くなる」→「子供を産まなくなる」…これまた最近よく耳にします。どーすりゃいいんだ、と。

私にはもう分かりません。多分、死の直前に「ああそうだったのね」と分かれば儲けモンだ、と。

だから私は、今までの人生でそうしてきた様に、とにかく目の前の事を着実に誠実にこなさんとするだけです。4月までに幼稚園入園の為に必要な様々な「手作りグッズ」…うううっ。地獄です、多分人生で4番目位の試練です、家庭科は3が最高記録な私だってのに…ヒトには向き不向きってもんがあって…(ブツブツ)

投稿: kaku | 2008年2月14日 (木) 21時55分

★kakuさん、

いやあ、私やっぱりもっと丁寧に書けばよかったですね。
ポイントは仰る通りここだと思います。→ >何が「自立」で「自律」なのか<
私自身もごっちゃにしてたんだと思います。「自律」と言うべきでした。

kakuさんは、お嬢さんを「きちんと」育ててらっしゃるじゃないですか。
例えば、小学校に上がったら「授業中は騒がない」とか、夜中に繁華街出歩いて危険を自ら呼び込むような行動をしないとか、電車の中で化粧しないとか、結婚して子供にファストフードばかり食べさせるような母親にならないとか、そんな当たり前の躾も「きちんと育てよ」とのプレッシャーになるのだったら、いったいどうしたらよかろう、って話になりますよね。
要するに基本的な躾ができないというかしようとしない自堕落な親が増えていることを私は指してるんです。

「国情が変わっても生き抜くしたたかさ」というのは何も、自立して一人でも家を持つくらいの才覚を持て、なんていうことではなく、たやすく絶望するな、ということです。
人間ですから、悲惨な状況が長く続くと絶望もするでしょう。でも、今の世の中、あまりにもたやすく絶望しちゃう人が多いように思います。
ぎりぎりのところでふんばる底力というものはやはり親からの基本的な「教え」がものを言うと思うんです。

誰にも「若気の至り」というものがあって、程度の差はあれ、悪事や失敗を経験しているものだと思います。
そんなことは気に病むことはないのであって、そういったことをきちんと反省して次世代を育てる心構えを持つことが大事なんじゃないかと思います。
「次世代を育てる心構え」なんて、大げさに聞こえるかもしれませんが、私くらいの年になるとたぶん誰もが無意識にそういうことを心に抱くようになるんじゃないかと思うんです。
だから年よりは口うるさくなるんですね。
私の世代でも、例えば曽野綾子さんみたいな人に叱られてるような文章読むと「うわーん、そんなにしっかりできないよお」とプレッシャー感じます。

でもって、笑っちゃったんですけど、幼稚園の「手作りグッズ」。あれはほんとにプレッシャーですよねえ。
私は手芸が好きでしたけど、下に赤ん坊抱えてということになると、忙しくてそんなことしてらんないよ、ってんで、一部姉に作ってもらったり、手作り風市販品(サイズなんかある程度無視)ですました顔してました。図々しいというかしたたかというか。
お母さんが一生懸命作っている姿が教育的なんだ、というのはもちろんなんですが、別のところでそれをやればいいくらいに思ってましたから。
疲れた時は冷凍食品でもいい、でも、それがメインになっちゃいけないということですよね。
「ちゃっかり術」を習得して、プレッシャーを感じない鈍感さも必要なんですよ。
(でも、今の幼稚園のそういったプレッシャーはもっときついのかもしれません。私の頃はそんなに強制力ありませんでした)

記事で書いたことは、「あいつが悪い」と他者を指差すことで満足しちゃいけないんじゃないか、という意味をこめました。
みんな政治家がだらしがないと批判するけれど、みなさん一生懸命やってるじゃありませんか。ちょっとは信用してまかせたらどうなんですか、と言いたいんです。
不正は真摯なジャーナリストがほじくりかえしてくれるし、野党だって追及してくれます。
みんな何も私利私欲でやってるわけじゃないんだから、日本のためにしっかりやってくれ、と応援すればいいじゃないですか。
マスコミによる「これが国民の声だ」みたいな報道で「自分は悪くない。悪いのはあいつだ」といった風潮ができあがってるような気がします。
政治家が右往左往するような状況は結局マスコミが作り出してるんじゃないですか。
悪いのはマスコミだ! ・・・なんてね。

投稿: robita | 2008年2月15日 (金) 10時16分

robitaさん、

>今の世の中、あまりにもたやすく絶望しちゃう人が多いように思います。<

そうですね。上から下までまー物の見事に。でもそれは多分、「現代日本人が弱くなってしまった」のではなくて、物を知りすぎちゃった、と言うか、情報収集力ばかりで、その咀嚼力と選別力は身についていない事に加えて、小さな頃から頭ばかりを使って来たことにもあるのではないか、と。

>ぎりぎりのところでふんばる底力というものはやはり親からの基本的な「教え」がものを言うと思うんです。<

この「基本的教え」とは?前出の「基本的な/当たり前の躾」のことでしょうか?基本的な躾は人間の「底力」が生まれるのですか?それとも…愛、のことでしょうか?

私ならですね…若いモンは体を動かせ、スポーツをしなさいスポーツを!と言っちゃう(すっかりOYAJI)。

>「ちゃっかり術」を習得して、プレッシャーを感じない鈍感さも必要なんですよ。<

そうですね。それも情報の「咀嚼力」「選別力」に当たりますね。でも、それが少子化の悪い点だと思うのですが、「もう次は無いかも」「何度もあることじゃないから」と思うと「やらなくちゃ」と思ってしまうのですきっと。

以前、お弁当を作る時間が無くてコンビニで買ったものをお弁当箱に入れ替えて持たせる呆れた母親達、みたいな報道がありましたが、実際そういう時に自分がそうするかは別として、その心情は何となく分かります。

最近の少なからぬ幼稚園では「お弁当チェック」(食育的観点から)をしているらしく、どうもそれがそういう行動に走らせているのでは、と。

私は保育園出身だし、米国の幼児のランチがポテトチップスとスープ、とか普通に見かけていたので、そういう「慣行」には引きますが、入園予定の園長によれば「それだけヒドイ」のだ、ということらしく、その結果全日給食制を導入することろも増えている、とのこと。私はそれはそれで理に適っていて特に他人が批判すべき現象ではない、と思っています。

大切なのは、一方で子供にお弁当を持たせてあげたい、その親としての行為を高い優先順位にしている人はそう出来る園を選べる様な幼児教育の環境があることだろうと思います。

確実に言えるのは「自律」は「管理」からは生まれない、されど「自由」と言う名の「野放図」からも生まれない、ということでしょうか。

こう考えると、国の政策となんら変わりませんね。


投稿: kaku | 2008年2月15日 (金) 21時33分

robitaさん、

戦後の日本で「談合」は良いことだったのか、悪いことだったのか。結論を言うと、どっちでもあったということだと思います(これでは結論にならんな)。個々の現場で言えば、「談合」にせざる得ない場合は「談合」にせざる得なかったわけです。ですから「談合」は絶対にイカンというわけにはいかなかったわけですが、そうなると、「談合」にせざる得ないことはまったくない場合でも「談合」でやっていますということになって、そうしたことはケシカランことだったわけです。ケシカランことだったわけですけど、何度も繰り返しますが、「談合」をやらざる得ないことが、あの時代にはありました。

カンタンに言えば、官民共に協力してひとつの目的のためにやっていくということです。それはなにかというと、言うまでもなく敗戦国日本の復興だったわけで、とにかく空襲で焦土になった大地の上に、ビル建てたり、橋を掛けたり、道を通し、車を走らせることをしなくてはならないわけだったわけですから、官民の癒着だ、なんだと言っている場合ではありません。なにしろ、食べるものだってロクにないんですから。1日でも早く、国を復興させなくてはならない。そうした意識を、政治家も官僚も民間業者も、みんなが持っていた、そうした時代でした。

あれから60年たった今日、あの時代が輝いて見えるわけです。貧乏で、モノがなくて、食べるものもなかったわけですけど、やがて暮らしは豊かになる、世の中はもっと良くなるという希望があれば人は明るく生きていけるものです。そういう時代だったわけです。ですから、多少の問題があっても、あの頃の自民党全盛は良かった、ということなのでしょう。

良かったのか、悪かったのか、ということで言えば、悪いことは数多くありました。しかし、考えてみてください。敗戦後の日本は、辺り一面が焼け野原で、東京なんかでも、地平線までずーと見えるような、そんな状態だったんです。山手線の電車の窓から見える夜景は辺り一面全部まっくらで、そして遠くに光がいくつか見えて、近づいていくと、それが新宿駅だったそうです。国民は(都市部の話ですが)飢えて餓死、栄養失調で死んでいく人が数多くいました。やがて進駐軍が日本に来て、占領時代になって、アメリカは日本各地でやりたい放題、米兵が女性に暴行をふるう事件もそれこそ数多くありました。それをどうにかこうにか講和会議で占領を終わらせ、焦土と化した国土を復興させ、東京オリンピック、そして大阪万博と、豊かな日本、経済大国日本へと進んでいったのです。

まあ、たとえて言うと、昭和20年代の頃にですね、貧しい若者が結婚してですね、つつましい家庭を築き、子供もできて、お父さんは家族のために、家族が豊かになるために必死に働くわけです。アメリカという上司からの無理難題をなんとかこなし、談合とか、環境汚染とか、違法行為になることもいくつかやりました。しかたがなかったのです。そして、とにかく一生懸命に働いて、60年の年月がたって、もう年老いた今、豊かでモノが溢れる家庭になったわけですが、奥さんからは「あなたは仕事ばかりで、家庭のことをなにもしてくれませんでした」と非難され、娘からは「お父さんはつまらないわ」と言われ、息子からは「あんたの人生はカネ儲けだけの人生じゃあないか」と言われているわけです。ちなみに、この息子は何でもかんでも父親に反対をします。

お父さんは「食うモノもロクになかったこの家を、豊かにしたのは誰のおかげだと思っているんだ」「この子供たちは、誰のおかげて大きくなって、今贅沢ができると思っているんだ」「オレも若い頃はやりたいことがあったんだ。それを犠牲にして家族のために働いてきたのに」と内心思いますが、そこは男は黙って、の人ですから、そんなことを口に出すこともしません。口に出すのは、ああ、とか、うう、とか、そういうことだけです。お父さんにできることは、一人でお酒を飲みながら、あの頃はよかった、貧乏だったけど、若かった妻も小さかった子供たちもみんな輝いていたと昔を思い出すことだけです。

このお父さんにこそ「よくやりました。あなたの人生には意義があったのです。ご苦労様でした。」と言うべきである。robitaさんの言われたいことは、こういうことなんじゃあないかと思います。まずそうすることによって、このお父さんの人生、つまりは戦後日本というものが終わり、次の時代に進むことができるんだろうと思います。この、贅沢三昧で自己中心の娘も、やがて母親になり、この、なんでもかんでも反対する息子も、やがて父親になることになるわけですから。そういうことをrobitaさんは書かれているわけですね。

投稿: 真魚 | 2008年2月16日 (土) 14時10分

★kakuさん、

>この「基本的教え」とは?前出の「基本的な/当たり前の躾」のことでしょうか?基本的な躾は人間の「底力」が生まれるのですか?
それとも…愛、のことでしょうか? <

いろいろなこと、散漫に書いちゃってますね、私。
「愛」という言葉を乱発するのは気恥ずかしいのですが、「将来幸せになるための充電」という行為は「子どもを大切に思う気持ち」からくるもので、やっぱりそれは愛ということになりますか。愛も大事。躾も大事ということですね。

>米国の幼児のランチがポテトチップスとスープ、とか普通に見かけていたので<

私もアメリカ人の幼稚園児のお弁当見たことありますが(たった一回ですけど)、縦割りにしたピーマンにピーナッツバターを添えたものでした。ランチに対する考え方が違うんでしょう。
でも、私、子どもたちにお弁当を作っていた時によく思ったのですが、ご飯におかず4・5品詰めますよね(もっと入れる人もいるかもしれないけど)、お弁当箱にこれらをそれぞれそんなに沢山詰められるわけじゃないです。こんな少量で栄養的に満たされているのだろうか、と。野菜類など特にそう。それでも、一応体裁を整えるために、ほうれん草の炒めとか、ひじきとか少量でも押し込むわけです。
もしそんな量でも栄養的にOKならばそれでいいのですが、もしかして、おにぎりとカ○メ野菜ジュースなんかでも昼食としては問題ないのであればそれでもかまわないのじゃないかと。
それでも、「日本の母」としては、「心をこめたお弁当」そのものが子どもの健全な発達を促進するとして社会から期待されるわけですね。

>お弁当を作る時間が無くてコンビニで買ったものをお弁当箱に入れ替えて持たせる呆れた母親達、みたいな報道がありましたが、
実際そういう時に自分がそうするかは別として、その心情は何となく分かります。<

これは、緊急措置として「あり」とする寛容さを持ったらいいんじゃないかと思います。
そこに「ごめんね、ママ今日どうしても時間とれなくてこうなっちゃったけど、次は必ず頑張って作るから」という気持ちさえあれば。
マスコミがそこだけ切り取って、今の母親はみんなこうだ、と決め付けているのでなければ。

だけど、今の世の中「ていねいなお弁当作り」が母親の重荷になるならば、私は学校や幼稚園で、給食というか、カフェテリアみたいなものを用意したっていいんじゃないかと思います。
「日本の母は子どものお弁当さえ作らなくなったのか」などと、上の世代のお年寄りから叱られるかもしれませんが、前世代の愛情は「お弁当」だったかもしれないけど、いつまでもいつまでも同じ価値観は通じないのではないかと。
どんな愛情表現するかは個人個人の自由だと思います。料理が苦手なら他の部分で子どもに手をかければいい。
今の世の中、有能な女性がバリバリ活躍してますよねえ。こういう人たちに社会に出るなと言うほうが無理だと思います。
だから私は、これからはお婆さん(お爺さんでもいいですが)の活躍する時代だと思うのです。
やはり栄養バランスのとれた食事を子どもに用意するのはとても大事なことで、保護者として第一の義務と言っていいのではないかと思います。
・・・というほど私が立派にやってきたというわけでもないですけど。冷凍食品も利用しましたし、ファストフードも食べさせました。

>私ならですね…若いモンは体を動かせ、スポーツをしなさいスポーツを!と言っちゃう<

そうそう、スポーツ、これ大事。

>確実に言えるのは「自律」は「管理」からは生まれない、されど「自由」と言う名の「野放図」からも生まれない、ということでしょうか<

そうですねえ。これを考えると、最後にはやっぱり「教育」というところに行き着いてしまうのですね。

ずいぶん長くなってしまいましたが、kakuさんのコメントを読んでいると、あれもこれもと浮かんできます。(^^)

記事で書いた「政治は偉い人にまかせて一般庶民は地道に自分の本分をこなしていればいい」ということの意味については、次の記事に書きます。

投稿: robita | 2008年2月17日 (日) 16時15分

★真魚さん、

真魚さんはほんとうに例え話が面白いですよね。

>贅沢三昧で自己中心の娘も、やがて母親になり、この、なんでもかんでも反対する息子も、やがて父親になることになるわけですから<

本当に彼らは母親になり、父親になるんでしょうか。
そしてまた同じような世代の衝突の繰り返しになるんでしょうか。
それとも、自堕落さがますますひどくなって、日本は壊滅状態になってしまうんでしょうか。

そうであれば、その状態を「焼け野原」(経済的に道徳的に)ととらえることで再生に向けてのエネルギーが湧いてくるはずだ、とも言えますね。

さて、昔なつかしい談合は自民党と社会党の談合でもあったわけですよね。
その談合のおかげで福祉もなんとか血の通ったものが維持できたと私は理解しているのですが。

であるならば、政党が話し合いをしやすくなるこの間の「大連立」もありだったんじゃないかと私は思うのです。

こう考えると、国際競争に勝つためにはどうしたらよいかを大政党が一緒になって話し合う談合式は悪いことではないように思えます。
今のような国の危急存亡の時には、開発独裁体制をとるべきじゃないか、なんて。

投稿: robita | 2008年2月17日 (日) 16時18分

robitaさん、ご無沙汰しております。

先日、子供達の通う園長先生と話していたのが、
「この先、この子達が生きる時代は、今までの常識では太刀打ちできないような大変な時代になるかもしれないなあ。
エネルギーにしろ、食料にしろ、大きく事情が変わっている可能性があるし、今の子供達はそういう時代を生き抜く力を持っていたほうがいいかもしれないね。」ということでした。

それはrobitaさんの言われるところの「底力」なんだと思うのですが、それはどうやったら身につくのか、と言う話になったときに、それはやはり、自分自身を信じる力を育てる事なのだはないかなあとおっしゃいました。

そして、その自分自身を信じる力は、日々の何気ない周りの大人たち(主に親になりますが)のまなざしで育まれるのだと。その子自信の特性を、きちんと認めてやること、存在自体にOKサインを出し続けてやる事。
それは親の愛ですよね。

そして、私が思うには、躾が絡むと、この存在自体を認めてあげることよりも、正しい行いをする方が知らず知らずの間に優先されてしまいがちなのではないかと思います。
そして、結果的にその行為が、その子自身の輝きや、力を損ねてしまっているのではないかと。

それと、kakuさんはスポーツとおっしゃいましたが、やはり
幼いあいだにしっかり喧嘩する事じゃないでしょうか。
同年代の子供達同志、傷ついたり、傷つけられたりしながら、トラブルの回避方法や、人との距離感を学び、痛みを知るという経験が、今の子供達にはあまりに少ない。
人としての足腰の弱さってこの辺にあるのではないかと思うのですよね。

って言いながら反省しきりの子育て真っ最中、子供達に愛を届けられるよう、日々精進します。

kakuさん、手作り品のサイト、結構充実してますよ、なんて。私、手芸は大好きなので、仕事のない昼下がりなんて近所のお母さん達とちくちく縫い物しながら話に花を咲かせたりしています。ご近所ならお誘いするのになあ。

投稿: haru | 2008年2月22日 (金) 22時57分

★haruさん、

本当に久しぶりですね。
haruさんのコメント読んでいたら、書きたいことがいっぱい浮かんできました。
近いうちに書きます。
コメントありがとうございました。

投稿: robita | 2008年2月23日 (土) 08時57分

robitaさん、

>ずいぶん長くなってしまいましたが、kakuさんのコメントを読んでいると、あれもこれもと浮かんできます。(^^)

あれもこれも楽しみにしております~


haruさん、

お久しぶり!上のお子さんはもしかして今春小学校?色々と大変そう…どうぞママのお体第一で

>手芸は大好きなので、仕事のない昼下がりなんて近所のお母さん達とちくちく縫い物しながら話に花を咲かせたりしています。ご近所ならお誘いするのになあ。<

うわぁすごい 「縫い物」+「母同士で話に花を咲かせる」?! 難易度高すぎ…あたいは片方だけでも落第ですさ

投稿: kaku | 2008年2月23日 (土) 12時00分

robitaさん、

母親になり、父親になるということについては、個別に言えば、その人それぞれあるわけですが、全体として見ると、子はやがて親になる、というか、ならざる得ない、ということだと思います。適齢期の男女が恋愛をして、子供ができる、というのは、これはもう時代がドウコウとか、社会がドウコウというものではありません。

問題なのは、では親としてどうあるべきなのかなどといったことが、これまでの時代では、自分の親とか世間から学んできたわけですが、ここが今の時代はプッツリと切れているというか、ないんですね。親にはなっちゃったけど、さて、じゃあ、どうすればいいのか、というわけです。このへん、昔は、男はこう、女はこう、父親はこう、母親はこう、といった世間の常識のようなものがあって、それに従っていさえすれば、まあ、とりあえずOKという世の中だったわけですけど、これが今の時代はないですから、各人が手探りでやっていくしかないという世の中になってしまったわけです。各人の自由というか、各人でどうとでもできるというか。ですから、なにもしませんという親は、なにもしないということになります。

それじゃあ、経済的、道徳的には、焼け野原になるわけんなんだから、それに直面した日本人は、これではイカンと奮起するか、というと、ならないと思います。

やっぱり、リアルな荒涼たる焼け野原がバーンと目の前になくっちゃあ、よしやろう、とは思わないですよ。なんでか、というと、「経済的、道徳的な焼け野原」というのは、ある人はそう見えるかもしれませんが、他の人にはそうは見えないかもしれないわけですし。そうした心情的な風景じゃダメなんです。みんながみんな、根本的に貧しいというか、食うモノがない、モノがない、という状態だからこそ、ガンバロウという意欲が沸いてくるものです。ちょっとややこしいですけど、「ガンバロウという意欲」は、ある個人がそう思うことでできるというものではなくて、Aさんも、Bさんも、Cさんも、ガンバロウと思う、国民みんながガンバロウと思う、そうした状態の中でこそ、個人個人が奮起してガンバることができる。そういうものです。戦後日本というは、そうした時代だったんです。みんな貧しからこそ、みんなカンバっていたんです。

結局、食うこと、モノが豊かになること、なんだと思います。食うモノがない、モノがない、だから人は悲壮感や緊張感をもって猛然とガンバルわけです。食うモノがあって、モノが豊かであるのならばナンニモシナイ、人間というのはそういうものなんです。食うモノがあって、モノが豊かであっても、精神的には荒涼とした風景になっているわけですけど、それがわかって、なんとかしようとするのは宗教者や芸術家や文化人だけであって、一般のみなさんは、食うモノがあって、モノが豊か、だからナンニモシナイ、それのどこが悪いの、ということだと思います。わかる人だけがわかる、これが今の時代の精神の貧しさです。これは昭和の時代の、みんな貧しかった、ということとは根本的に違います。

政治の第一の目的とは、国民に食うモノがあって、モノが豊な社会になることです。今の日本の政治がなんの役割もなしていなくて、政治家と官僚の私利私欲の道具になっているだけのも、政治の目的が達成されちゃったからですよ。

投稿: 真魚 | 2008年2月24日 (日) 12時54分

★真魚さん、

精神の荒廃は生産性の低下につながり、やがては物質的豊かさをも失うことになるだろう、との考えからなんですが、やはり、あからさまな焼け野原というのが求められるのかもしれませんね。
これは有名な話だということですが(前にも書いたかな)、阪神大震災の時に、それまで無気力でひきこもりだった若者たちが(当時は「ひきこもり」や「ニート」という命名はありませんでしたが)、救助や復興のボランティアに大活躍をしたそうですね。
人間は焼け野原を見ると元気になるんですかね。

投稿: robita | 2008年2月25日 (月) 10時26分

★haruさん、

ずっと前にharuさんとのやりとりの中で、社宅時代のことを紹介させていただいたのですが覚えていらっしゃいますか。こちら→「子どもはみんなで育てるもの」
Sちゃんはお母さんが困るほど元気な子だったのですが、それは問題ないどころか、エネルギーの強さを示すものでもある、ということを大人たちが理解してあげることが必要ですね。
それで、「躾」のことなんですが、これはやはり人間として必要なことではあるので、常識的なことは根気よくやっていくしかないと思います。
仰るように、子ども時代の喧嘩はとても大事なことだと思います。お母さんたちがそういうことにわだかまりを持たないことが大切ですね。
気にする人がいて、私も経験ありますが電話でやんわり抗議されたこともあります。これはこれで、そういう風に思う人もいるんだということを知る良い経験でした。

「底力」のことですが、これは、繰り返しになりますが「たやすく絶望しない」ということだと思います。
人間の力の現れ方というのはいろいろな形があるんじゃないでしょうか。
「一度決めたら決してあきらめないでまっすぐ進む意志」も底力だとは思いますが、「こりゃだめだと思ったら、あっさりあきらめて次の道を探す柔軟性」や「人の力を利用させていただいて生き残るちゃっかり性」というのも底力だと思います。極意は「柔の道」とでも言いましょうか。
人それぞれの力強さがあると思いますので、杓子定規に決め付けて「死ぬつもりでやれ」だの「決してあきらめるな」だの、周りが騒げばいいというものではないと思います。
自律心というのは、「大事に思われている」「ないがしろにされていない」、そういう自信を子どもが持つことで育成されるんじゃないかなあ、と。
そしてそういう精神的土台の上に立てばこそ他者とのトラブルが有効な刺激になるんだと思うのですが如何でしょう。
そういう精神的土台を不幸にして持てない子どもたちを各コミュニティで見守る目が必要ですね。

投稿: robita | 2008年2月25日 (月) 10時48分

>よくわからないので、教えていただきたいのですが。

本当に分からないのですか?

木村剛や竹中平蔵に共感してるのに分からないのですか?
あなたは木村剛と竹中平蔵を信じているのでしょう?
あなたは木村剛と竹中平蔵の代弁者でしょう?

あなたのスタンスは最初からそれなのだから。

投稿: みる | 2008年2月25日 (月) 18時32分

>孫育てに粉骨砕身獅子奮迅堅忍不抜七転八起風林火山の決意を以って努力してまいる所存でございます。

うわ とても迷惑

投稿: queen | 2008年3月11日 (火) 16時20分

★queenさん、

>うわ とても迷惑<

あっはっは。
わかりますよ~。
でもね、共働きで育児が困難なれば、まわりの爺婆を利用してもいいんじゃないかってね。
家事や育児が外注だけでうまくいくんならそれでも一向にかまいませんけど。

投稿: robita | 2008年3月11日 (火) 20時14分

robitaさん

随分間があいてしまってごめんなさい。

子供の育ちに関して言い出すとどんどん脱線しそうなので、これはまた場所をかえて、と思っていますが、概ね異論ありません。

ただ、幼児期の喧嘩は人として必修課題だと思ってます。
人間関係の基礎を学ばずして社会の荒波乗り越えられません。

でも、精神的土台を持てない子供達への視点が私にはなかったなあ。大事な事ですよね。
そしてとても難しい問題だと思います。
ネグレクトや、隠れた虐待の問題に直結するだろうし、他者の関わりが一番しにくい部分。そして、一番問題をはらんでいるだろう部分に自覚がなかったり、躾と言う言葉を隠れ蓑に己を正当化していたり。外側から見ただけではわからないことがたくさんありますし、人との関わりが希薄になってきている現代、これをどうフォローしていくのか、というのは重要な課題だと思います。

最近テレビで、「現代は人に迷惑をかけない、とか常識というプレッシャーが強すぎて、人材が育たない時代だ」と話しているどこかの(忘れてしまいました)校長先生がいました。
それはまさしく子育て中の母親の心境でもあって、外野の雑音を押さえ込もうとするあまり、本当に大事な子供の心に寄り添う事をいつの間にか忘れてしまう事はないかなあって思います。


あと、底力、ですが、「たやすく絶望しない」=「自分を信じている」ことなのではないかなあと思います。自分には価値があると思えるかどうか。
「どうせ私なんて」と思ってしまっていては、力も何も出せないですよね。そして、この国には、「どうせ私なんて」と思わせる子供の育て方が蔓延している気がします。
知らず知らずのうちに、子供の力をそぎ落としていること、本当にたくさんあると思います。

親はただ受け入れて受け止めて、子供の育つ力をただ信じて、ほんの少しアドバイスしてあげればいいだけなんじゃないのかなあって、このごろ思います。


短く、と思っていたのにやはり長くなってしまいました。
たくさんの人が子供の育ちに関心を持ってくれることは本当にありがたいこと。今後もお話聞かせていただけるのを楽しみにしてます。


投稿: haru | 2008年3月15日 (土) 14時40分

★haruさん、

子育てに関して、人の意見に耳を傾けなくてはいけないし、一方で、人の意見を気にしすぎるあまり萎縮してしまったり、いったいどうすればいいの、とお母さんたちの悩みは尽きませんね。
性格もありますが、私などマイペースそのもので、人がどう考えるかなんてあまり気にしなかったように思います。ちょっと気を使ったりしてもそれが見当ちがいだったとわかると「なーんだ、もうやーめた」なんてすぐに方向転換したり。
子どもを押さえつけるのでなく、まず親同士、仲良くなることかな、と思います。親同士信頼関係があれば多少のことは大目に見てもらえますし。

しかしながら、子育てはマニュアルではなく、やはり勘と愛情なんですね。
こうすればいいああすればいい、と経験者は言いますが、ひとりひとり違うのだから、経験するしかないんですね。
子育てには失敗はない、と思っていればいいんじゃないでしょうか。子どもの身の回りの世話をちゃんとしてさえいれば。
もたらされた結果に対して、親子ともども向き合うことが大事なんじゃないかと思います。
いや、そんなの子育ての結果かどうかもわかりません。
人生どう転ぶかわからないのですから。
なんかみもふたもないような意見ですみません。
私のような年齢になると、こんな風に余裕をもって子どもを見ることができるんですね。
だから、祖父母の孫育てには意味があるんだと思います。 → 「祖父母の孫育て」   
祖父母に頼めない事情はいろいろあると思いますが、周りの年配者を頼るという手もあります。
これからは「地域の力」を高める必要があると思うので私も将来的に何かできることはないか考えています。 

投稿: robita | 2008年3月17日 (月) 10時38分

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