もやしのヒゲ
この頃、「ひげ根」のついたもやしを見かけなくなりました。
家族5人分二袋使うとして、少し前までこのひげ根の除去作業にずいぶんと時間を費やしたものでした。
でも、椅子に座ってラジオなど聴きながら、また誰かとお喋りなどしながらやれば、時間がかかっても全然苦ではありません。
ひげ根は栄養があるとのことですので取らないほうがいいのでしょうけど、見た目や食感のことを考えるとやはり取りたくなります。
今、もやしにひげがあまりついてないのは、どうやって取っているのでしょう。まさか人の手によるものではないと思いますが、化学薬品か機械なのでしょうか。それとも品種改良でしょうか。
いずれにしても、あまり歓迎できません。
でも、ひげ根取りに長時間かけてられない、という人がほとんどでしょうから、商品もそういう処置を施さざるを得なくなっているのでしょう。
私は、耳を働かせながらの手仕事は好きなので、そういう時間を結構楽しむのですが、まさに世は効率の時代。
女性も外でバリバリ働かなくてはならないし、もやしなんぞに関わっている暇はないのです。
ちんたら手仕事をやっている時代ではないのです。
ところで、同時にエコロジーの時代でもあるので、なるべくCO2を出さないようにしなければいけない、と世界中で大合唱中です。
人が体を動かすのは大変だし時間もかかるので、機械依存度は年々歳々高くなってきています。
で、機械を使うと必然的にCO2の排出も増えるので、それではいけない、エコロジーの理念に反するというわけで、省エネ機械の開発に力が入ります。
経済は発展しなくては国民は豊かになれないので、機械を大いに使い、モノを生産しなくてはなりません。
忙しいことです。
一方で、ゴミを燃やすとこれまたCO2を排出するので、リサイクルに励まなくてはならず、私たちはせっせとゴミを燃やすもの燃やさないものに分ける作業に励みます。そのスペースの確保も、狭い台所ではなかなか大変です。
ずっと前、ドイツのリサイクル事情を書いた本を読んだことがあるのですが、その頃すでにドイツはリサイクル大国で、家庭でも学校でもリサイクル教育が徹底しており、ドイツ国民は毎日毎日ゴミの分別のことばかり考えているのではないか、という印象を受けました。
そして、こんなに毎日ゴミのことばかり考えていては、人間はいったい何のために生きているのかと疑問に思うようにならないだろうか、結局は哲学の問題に行き着くのではないかと思いました。
いっそのこと、人間がいなくなれば地球はきれいに保たれるじゃないかと。
危惧されている少子化も、その論でいくと、実に喜ばしい現象じゃないですか。
人間が減ればそれだけ二酸化炭素排出量が減るわけですから。
そうやって努力して出さないようにした二酸化炭素がいったいどれほどの量なのか。
そのように「地球に優しい生活」を続けて、いったい人間は幸せなんだろうか。
それなら、そんなちまちました節約生活に引きこもるより大いに楽しんだらいいじゃないかと私は思うのです。
誰も自動車をやめて歩くつもりなどないし、エアコンで涼しくなりたいし、シャワーだってたっぷり使いたいんですよね。
便利な生活、楽しい生活を少しでもあきらめることができるのなら、そうすればいいと思いますが、もっと豊かにもっと楽しく、というなら、そんな矛盾した節約生活は誰もしたくないのではありませんか。
そんなにゴミのことばかり毎日考えていて楽しいか?と私は思うわけです。
もちろん、「習慣になってしまえば何も大変なことではない」というのはわかります。
でも、人間は、特に若い人は弾むように元気に生きてほしい。
リサイクル生活ばかりに励んでいては、停滞した景気に勢いがつかないのではありませんか?
「二酸化炭素を少しぐらい減らしたからといって、たかが知れてる」、という説もあるなら、エコ生活はほどほどにして、そういうことにとられる時間やエネルギーをもっと景気の良くなることに使ったほうがいいのではないでしょうか?
若い世代はおおいに羽ばたいてくださいよ。ダイナミックに生きてくださいよ。
(アメリカ人にはちょっと考え直してほしいと、私は今でも思っていますけど。 →「太ったアメリカ人」 )
「経済成長と個人消費を奨励しながら、一方でエコや省エネにも努めることが美徳だ、とまったく矛盾する二つの思想を国を挙げて喧伝している」という武田邦彦教授の言い分はもっともだと思うのです。
「だから省エネの商品やCO2を排出しないクリーンエネルギーの開発が急がれる」というのが回答だと思いますが、技術開発そのものにも大変なエネルギーと時間を消費するのではないでしょうか。
人類は発展し続けるのが宿命だと思います。発展の原動力は欲望です。集団としての人間の欲望は果てしないので、人間がこの地球上で営みを続けるかぎり、小細工を弄して省エネしようがどうしようが、結局同じことの繰り返しになるような気がします。
地球のためにエコロジーに励むべきか否か。どちらが正しいのか。
いや、これはどちらが正しいというような問題でなく、どちらも一理あるのだと思います。
人間の営みが地球環境に影響を与えているのはたしかなことでしょう。
しかし、影響を与えていることを知りつつ、我ら人類の生活を快適にするために、何を選択するのか、我々はどうしたいのか、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がありそうです。
その上で、もやしのひげを手で取るのかどうするのか、決めたらいいと思います。
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コメント
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投稿: くま子 | 2008年3月29日 (土) 20時06分
★くま子さん、
ランキングぽちありがとうございます。
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投稿: robita | 2008年3月31日 (月) 10時59分
うんうんと頷きパナッシでした。まったくその通りだと思いますよ。一見素晴らしいように見えるチマチマ政策は実はたいした役にたってないと思います。そのいい例が風車発電かな?要は新たな技術発展により一挙に解決するのを待つほうがまだましかな?それまで無駄な努力はやめよう(笑)。精神気風が萎縮する弊害が大きくなるだけさだけさ。
投稿: トトロ | 2008年3月31日 (月) 21時25分
★トトロさん、
20年ほど前に入っていた生協で、牛乳パックの回収をしていたのですが、最初の頃は素直にやっていたものの(パックの内側をきれいに洗ってから出すことになっていたのですが)、「牛乳は栄養価が高いので、これを大量に洗うことによって河川が汚染される。水ももったいない」という意見も出始め、その頃から、リサイクルというのは釈然としないものだなあと常に思ってきました。
ただ、アメリカのように一般家庭で湯水のごとくエネルギーを使い放題というのはちょっと改めたらどうかと思いますけど。
日本は温暖化ガスの排出量については絶対水準で昔から優等生なんだそうですね。
先日、新聞で経済ジャーナリストの町田徹さんがコラムで;
【 ①日本は温室効果ガスの排出削減が遅れている
②排出権取引の導入は世界的な流れで万能だ
これらの誤解を招く報道は、国益を損ないかねない。
日本は世界に先駆けて温暖化ガス削減に取り組んできたことや、排出権取引が万能でないことも伝えるべきだろう。】
と、マスメディアを批判していました。
日本の省エネ技術は素晴らしいものなのでしょうし、その技術をさらに磨いていくことは日本に多大な利益をもたらすだろうと思います。
けれど、家庭でのリサイクル活動が果たして地球全体にどれほの効果があるのか、それがまだよくわからないのでは、「景気」の側面と考え合わせて、得なほうを選択するのが人間の幸せというものではないだろうかと思います。
投稿: robita | 2008年4月 1日 (火) 11時10分
CO2が経済回す 排出権取引、膨らむ市場〈環境元年 エコ・ウォーズ:2〉
http://www.asahi.com/special/070110/TKY200802060288.html
>日本の省エネ技術は最高レベルで、これ以上の大幅削減は難しい。<
あの朝日ですら、日本は世界に先駆けて温暖化ガス削減に取り組んできたことを報道してる。
>排出権取引が万能<なんて主張するマスメディアってどこだよ?
投稿: 奈々氏 | 2008年4月 1日 (火) 15時32分
robitaさん、TBありがとうございます。
いわゆる「アンチ環境運動派」の人たちの言わんとしていることは、まさに「経済成長と個人消費を奨励しながら、一方でエコや省エネにも努めることが美徳だ、とまったく矛盾する二つの思想を国を挙げて喧伝している」ことなんでしょう。
「ある程度豊かになってしまったら、もう経済成長を無理に追うのはやめて、分相応で楽しく暮らしましょう」なら納得できる、という主張だろうと思うんです。
で、それは本当に可能なのか?とか、じゃあまだまだ貧しい国はたくさんあるけどどうする?とか、早い話がみんな平等にビンボーになろうという実験なら失敗したじゃんか、とか、いろいろ思うところはあるわけですよ。
で、迷妄なる凡夫としては「すべて節約生活なんてイヤだ」といいつつ、エコ電球を買ってきたり温水便座の温度を下げたりする。そんなところですかなあ。やれやれ。
投稿: single40 | 2009年10月 2日 (金) 15時48分
★single40さん、
私は環境派でもアンチでもなく「主張」というものがないのですが(まあ、「どっちでもいい派」といいましょうか)、ゴミ分別はきちんとやってますし、お米の研ぎ汁は庭の野菜にやってます。節約もエコ生活も「適当」にやっているわけでして。
>早い話がみんな平等にビンボーになろうという実験なら失敗したじゃんか<
結局はここに行き着くことに気がつくかつかないかという話ですかね。
投稿: robita | 2009年10月 3日 (土) 10時18分