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2008年5月14日 (水)

「見ろよ青い空白い雲」

近頃の若い人がよく「未来に希望が持てない」などと言います。とても悲観的です。

先日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」でも、スタジオに大勢の若者を招いて、「日本の未来に希望はあるか」なんて質問しましたら、半数ほどが「希望がない」と答えてましたね。

こういう結果を聞くと、「政治の責任」と人は言いがちですが、これは「社会現象」に関連するところが大きいだろうなと私は思います。
「誰かの責任」とか「誰かが悪い」という単純なことではなく、共同体の発展途上でいろいろな要素が複雑に絡み合って表面化してくる一現象だろうと思います。
(一現象というより、行き着くところに行き着いたのかもしれませんが)

人間の意識の変化がその最も大きな要因だろうとは思いますが、人間の意識は変化するものなので、まあ言わば、しようがないことで、対策としては対症療法しかないわけです。

ところで、大学生の次男とたまたま「若者の将来不安」の話になった時、彼がこう言うんです。
「(自分の周りでは)将来のことなんかなんも考えてないやつのほうが元気だよ」

爆笑してしまいました。

将来に夢や希望を持つのは大事だけど、夢や希望を持てない時は「とりあえず元気にしとくかぁーっ」みたいな。

あれこれ熟考して将来不安に陥る真面目クンより、弱小大学に通うノー天気クンたちの中に、けっこう活きの良いのがいるのかもしれません。

うん、たぶん人類は大丈夫だ。

ま、命までは取られんだろ、って気持ちで事に当たってくださいよ、若いんだから。

     
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(タイトルは故植木等の「だまって俺について来い」という元気の出る歌の歌詞です)

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コメント

 私は40代半ばの高度経済成長期の申し子なのですが、両親の世代は焼け跡の混乱の中から今の日本を作ったわけで、現在の施錠は混沌としてはいるがそれに比べれば遙かに状況はよいわけで、自分自身の意気消沈が最大の敵だと自分自身を鼓舞するようになりました。
 ただ、今あるものを守ろうとするとあまりに経済状況は厳しく、正直言って挫けてしまいそうになるときもあります。
 将来への「夢と希望」。
 次の世代へ何が残せるのか?と言う観点になってしまうかもしれませんが、忘れず進んでいきたいものです。

投稿: 山本大成 | 2008年5月14日 (水) 17時45分

そのうち何とかなるだろう♪

…まぁ、それも一つの考え方ですね(笑)

投稿: かせっち | 2008年5月14日 (水) 19時02分

あぁ!植木等の歌だぁ。一節歌ったら、元気でました。
過去を憂いても、未来を不安がっても変えることも操作することもできないし。反省なさ過ぎも困るけれど。
夢や希望でなく、目標だとどうなのかしら…?

投稿: house_wife | 2008年5月14日 (水) 23時14分

★大成さん、

私の言葉が足りなかったのですが、経済的に何の不自由もないだろうと思われる若い人たちが将来を真面目に考えるあまり希望が持てなくなるという状況は、自分自身の気持ちを変えることでしか対処できないだろうと思った次第です。
サンデープロジェクトのスタジオに集まった若者はたしか全員大学生だったと思います。
大学に行っているということはすでにある程度恵まれているということで、恵まれているにもかかわらず将来を悲観するのは、政治の貧困というより「悲観的な社会のムード」みたいなものが蔓延しているからだろうと思います。

ワーキングプアの問題、中小企業や地方の不景気は、政治がうまく機能していないせいでしょうから、政治がなんとかしなければどうにもならないのだと思います。
そんな中、自分自身を鼓舞しながら頑張っておられる大成さんのような方々の努力が報われるよう、早く政治が本来の姿を取り戻すよう願わずにはいられません。

投稿: robita | 2008年5月15日 (木) 09時28分

★かせっちさん、

植木等の歌が見つからず、亀有版ですが→

http://www.youtube.com/watch?v=RK-R7j_RX08

投稿: robita | 2008年5月15日 (木) 09時39分

★house_wifeさん、

>あぁ!植木等の歌だぁ。一節歌ったら、元気でました。<

元気出ますよねえ。
私、元気の出る歌いっぱい集めてカセットに入れて運転する時など流してます。
「生きてるって素晴らしい」(くず)とか「負けないで」(ZARD)とか「正夢」(Spitz)とか「Runner」(サンプラザ中野)とか・・・

>夢や希望でなく、目標だとどうなのかしら…?<

house_wifeさんは、主婦になって家庭を切り盛りしたいというのが目標だったんですよね。
私もそうでした。「そして幸せなお婆さんになって死ぬのが目標」と言ったら、「幻想ね」などと言われちゃったこともありましたけど。

投稿: robita | 2008年5月15日 (木) 09時54分

すごくいい加減な推測を書きますと、それはメディアが発達したから、、、じゃないかと思います。

行動経済学というのがありまして、
「1000円どぶに捨てた」→「ガッカリ」
「1000円濡れ手にもらった」→「ラッキー」
という時、経済学的には1000円の利益と損失はイーブンなわけです。
ところが、現実には、人間は「1000円捨てた」ほうをクヨクヨ後悔しますが「1000円もらった」ほうは、すぐに忘れてしまいます。リスクや損失のほうを高く評価する、それが人類が生き延びてきた本能なのかもしれません。

ですから、仮にマスメディアで「良い情報」「悪い情報」が等量流れますと、総合的にイーブンであっても「この世は悪くなっている」と判断するものです。
ましてや、マスコミは「社会の木鐸」ですから「翼賛的報道」は控えるのは「良識」となっております。結果、普通にマスコミ報道に接していますと「この世は悪くなる一方」だと思うことになります。

そう思う本人は、毎日ご飯を食べ、学校に通って教育を受け、電気と水道のある暮らしをしていたりします。
おそらく、マスメディアが発達し続ける限り、人間の「問題意識」は拡大するのでしょう。「問題意識」という言葉を「もっと、もっとという際限なき欲望」と言い換えても良いのです。奇妙なことに、マルクス主義の「弁証法的発展」と自由経済の「経済成長の肯定」は「もっともっと」という基本哲学で共通しています。「もっともっと」は気持ちの問題ですから、これが満たされることはありません。

ホントに難しい世の中だと思うのですなあ。

投稿: single40 | 2008年5月15日 (木) 10時10分

★single40さん、

いつもながらの卓見、といいますか達観といいますか、感服いたします。

>おそらく、マスメディアが発達し続ける限り、人間の「問題意識」は拡大するのでしょう。<

そうだとするとマスメディアは発達する運命にありますから、この世のことは当然の成り行きでありましょう。

>「問題意識」という言葉を「もっと、もっとという際限なき欲望」と言い換えても良いのです。奇妙なことに、マルクス主義の「弁証法的発展」と自由経済の「経済成長の肯定」は「もっともっと」という基本哲学で共通しています。「もっともっと」は気持ちの問題ですから、これが満たされることはありません。<

もう、この文章で全てが語りつくされているのではないかと思ってしまいます。
私自身も昭和30年代の生活を取り戻したいとは積極的に思いませんし。

投稿: robita | 2008年5月15日 (木) 15時52分

robitaさん、

ここは、ひとつ。60年代ではなく。
70年代ということで、この歌で元気に.......。

「立て、餓えたるもの~よ~ 今ぞ、日は近し~」

投稿: 真魚 | 2008年5月18日 (日) 11時24分

★真魚さん

革命児の真魚さんとしては、若者には革命の気分が足らん!と言いたいところでしょうか。

「 始まったぞーッ。
ついに武装決起の時がきて、突入が命令され、もう引き返せない事態のただなかに突き進んでゆく痺れるような快感は、えもいわれぬものらしい。一度やってみるがよい、と昭和の2・26事件で死刑になった一将校が獄中手記に書いている。クーデターはぞくぞくするほど魅力的なのだそうである」

これは、文芸評論家の野口武彦さんが"OH! EDO STORY"という連載エッセイの中で書いていたものですが、面白いのでコピーしておいた文章です。

革命の精神も大切だけど、今の時代(というか、日本では「2・26事件」も「学生運動」も革命(あるいはクーデター)の成就はなかったんですよね)、要するに、ノーテンキだけれども元気な若者を大人がどう用いるかが大事なんじゃないでしょうか。

「インターナショナル」
私はこの歌も大好きなんです。(「海行かば」も好きですけどね)
たしか数年前、渡哲也と岡田准一の「反乱のボヤージュ」というテレビドラマで初めてこの曲を聴いたと思うのですが、力強い合唱に、若いエネルギーを感じ、良いなあと思いました。

投稿: robita | 2008年5月19日 (月) 11時45分

ベトナムは戦争が終わってまだ30年。
国民の平均年齢が26歳であり、皆とても活き活きしてます。昔の日本もこうだったんだろうなぁ。富を得て、生きがいをなくしたような気がします。

投稿: HA-NAM | 2008年5月21日 (水) 16時52分

★HA-NAMさん、

>国民の平均年齢が26歳であり<

えっ、びっくりです。
子供が多いのですか。老人が少ないのですか。
尤も、日本国民の平均年齢、私知りませんけど。

>富を得て、生きがいをなくしたような気がします。<

そういうことなのかなあ、とも思いますが、今のような事態に陥っても、そこからまた「これではいけない」という動きもあちこちで起きてくるわけで、まだまだ大丈夫。日本人はつおい。

投稿: robita | 2008年5月22日 (木) 10時42分

robitaさん、

戦後史について色々知っていくと、まあ、なんといいますか、政府というか、自民党というか、体制側というか、まあ、ようするに、この国の国家権力というのは、どう考えても「悪いことやなあ」ということを、この60年間、数多くやってきていることを知ります。間違っても、この国の政府は(どこの国の政府もそうですけど)「悪いことは、ひとつもやっていません」ということは言えません。

しかしながら、戦後日本というのは、ようするに、次の二つの制限というか、命題というか、足かせのようなものがありました。

その第一は、豊かになりたい、ということです。かつて日本は、とにかく貧しかったんです。モノがなかったんです。当時の日本の貧しさたるや、平成の今では想像すらできないぐらいの、とにかく貧しかったわけです。この貧しさから脱して豊かな国になる、ということが戦後日本の至上命題でした。

もうひとつは、敗戦ですね。アメリカに敗北し、アメリカに従属せざる得なかったということです。戦後日本は、アメリカの占領統治の後、今後は冷戦の中のアメリカ側陣営の一国として組み込まれます。それは60年たった今でも、アメリカの世界覇権に振り回されることになっています。こんなことは、いやですよね。日本は、GHQの占領が終わって独立国になったんですから。当時の自民党のみなさんだって、アメリカのいいなりになるなんて嫌でした。しかし、そうせざる得なかった、ということも言えます。そうせざる得ない、ということで、日本はアメリカの占領が終わった後も、戦後60年間、アメリカへの従属構造のままでした。

貧しさから脱し、豊かな国になるため。冷戦のもとで、アメリカ側陣営としてやっていくため。そのために、まあ、60年間ずいぶんアコギなことを、この国の政府はやってきました。だからこそ、というわけでもないですが、まあ、だからこそ、この国は豊かになったわけです。これは否定できません。「豊かになって、ナニが悪いんですか」ということでしょう。これ以外に、豊かな国になる方法はなかったのかというと、うーむ、と考えちゃいます。まあ、そうかもなあ、とも思います。

しかしながら、ですね。ココ、重要です。しかしながら、その「豊かになる」ために、いろいろなものをこの国は失いました。失ったものは大きかったわけです。

豊かになったら、今度は、豊かであるが故の数々の問題に悩まされています。

それならば、いっそのこと、この豊かさを捨てちゃえ。もういっぺん戦争するとか革命を起こして、今のこの状況をリセットして、なにもなかった時代からもう一度やり直そう。ということが、できればいいんですが。そういうわけにもいかないわけです。

投稿: 真魚 | 2008年5月25日 (日) 01時53分

★真魚さん、

>戦後史について色々知っていくと<

私は戦後史について勉強したことなどないのですが、まあだいたいの流れでみると、日本は幸せだったと思います。

真魚さんの文を読むと、「アメリカ側陣営につかざるを得なかった」と、それを、あまり歓迎しておられないようですが、それはとても良かったんじゃありませんか。ソ連についたほうが良かったんでしょうか。

>しかしながら、その「豊かになる」ために、いろいろなものをこの国は失いました。失ったものは大きかったわけです<

いろいろなものを失ったのは戦後だけじゃないと思います。
おそらく人間は、100年前も500年前も1000年前も、同じようなことを言いながら発展し、豊かになってきたんじゃないかなと思うのです。

私はまだ60年しか生きていませんが、でもその60年の間にも、「世の中はおかしい。間違っている。」という声が聞かれない時代はありませんでした。

「なんて良い世の中だろう。もうこれで安心だ」なんて言い出した時、きっとそれは人類の終末なのかもしれませんよ。

なにはともあれ、毎日食べ、仕事をし、寝床で寝る、そういうことができているだけで何の不満があろうか、と私は思うのですが、これも年配者の決まり文句かもしれません。

投稿: robita | 2008年5月26日 (月) 09時29分

robitaさん、

日本国は日本人の国です。どの国の属国にも、ならなくてはならないものではありません。

まあ、細かく言いますと、「日本人の国」と言うけど、「日本人って何ですか」と言うと複雑な話になりまして、そもそも、太古の昔、近畿地方の奈良盆地を支配していた、とあるいち王朝勢力が、飛鳥、奈良そしてその後に京都に都を作って、それが13世紀頃になって日本全土を制服した(北海道と沖縄が征服されたのは、もう少し後)わけであって、日本とか、天皇とか、君が代とか言っても、アイヌやクマソやエミシや琉球のみなさんからすれば、征服した側の話なのですが。それはまあ、ここでは別のこととして。とりあえず、日本国は日本人の国です。アメリカのいいなりやソビエトのいいなりになるものでは(本来は)ありません。

大ざっぱに言いまして、この100年間、もう少し絞ると、昭和30年代から今日に至るまで、この社会に起きた変化は、それまでのどの時代に起きた変化よりも大きく、早く、そして根本的に異なるものです。おじいちゃんの代まで、コレコレはコレコレだった、ということが、「便利になるから」「ラクになるから」「お金がもうかるから」などの理由であっさりと変えられていく、そうした変化が数多く起きました。縄文時代のご先祖様や、室町時代のご先祖様や、江戸時代のご先祖様が、まったく経験もしなかったようなことを、私たちは経験しています。

その最たるものが「豊かさ」ですね。日本史上、これほどモノや食べ物が溢れている時代は、かつてありませんでした。そして、今ほど、お金儲けが至上目的のような世の中になったこともありませんでした。つまりは、資本主義が拡大発展をし続けてきたというわけです。

投稿: 真魚 | 2008年5月28日 (水) 01時20分

★真魚さん、

>どの国の属国にも、ならなくてはならないものではありません。<

仰る通りだと思います。国民が「武士は食わねど高楊枝」で合意できるなら。

>昭和30年代から今日に至るまで、この社会に起きた変化は、それまでのどの時代に起きた変化よりも大きく、早く、そして根本的に異なるものです。<

わかります。資本主義の限界(昔から予想されていたことではあるのでしょうが)を、私たちは今ひしひしと感じている最中なんだろうなと思います。

いま、「お金では真の幸せは得られない。心の豊かさを」ということが盛んに言われますよね。これもいつの時代も言われていることだと思います。
先日も産経新聞の「昭和正論座」に福田恒存の35年前の「正論」が載っていました。
「心の落ち着きと豊かささえあれば、多少、台所が苦しくなったからといって、何もこの世の終りが到来したかのごとく深刻になる必要はあるまい。」と。
さらに、その時点から12年前の「説教」をもう一度繰り返す、として「できることはただ心掛けを変えることだ。人はパンのみにて生きるものではないと悟ればいいのである。そうしないとパンさえ手に入らなくなる。___後略」という文を載せています。

真魚さんの、「それまでのどの時代に起きた変化よりも大きく、早く、そして根本的に異なるものです」という意味は理解できるのですが、これは「資本主義が日本人の心を破壊した」ということでしょうか。
それとも、戦後の国家体制やら教育やらがそれを破壊したのでしょうか。

あるいは、人心の荒廃は日本だけでなく、世界中で起こっていることなのでしょうか。
それは全部アメリカのせいなんでしょうか。

ヨーロッパ的価値観が素敵だということなんでしょうか。あれだけアジアやアフリカを勝手にかきまわしておきながら(見てないから知りませんがそうらしいです)、今さら何だよ、と言いたくもなりますけど。

結局人間は口ではみんな仲良く共存をなんて言いながら、自分が生き残ることに必死なんじゃないですか。

つまり、私が言いたいのは、経済の形態というものは時代で変わるしそれはミクロの変化と言いますか、おおざっぱに言えば、「細かいこと」なんじゃないかと。

私はSF(私の世界観人間観を育ててくれたもの)を盛んに読んでいた頃、同時に、アーノルド・トインビーだと思うのですが、こういう言葉にも出会いました。
「数千年後の人類が歴史を振り返る時、資本主義と共産主義の対立などにはほとんど興味を示さないだろう。仏教とキリスト教が出会ってどんな対話が生まれたかに興味は集中するだろう」

若い頃はいたく感動しましたが、果たしてこの予言は正しいのだろうかなんて疑う年齢になってしまいました。

人間は食べなきゃいけないので、精神の崇高さばかりを追求することはできないでしょうが、でも、いずれ人類が物質での満足より心の満足に到達する日が来るのだと・・・・、私は思いません(笑) 人間は人間だし。

まあ、人間の崇高さの追及はともかく、問題は「日本人の失ったもの」ですね。
やっぱり、それぞれの国の政府は国民を食わせていかなくちゃならないので、「あくどい」とか「アコギ」だとか、恩恵を受けているはずの当の国民から批判されながらも、頑張っているんだろうなあ、と私は理解してるんです。
我々は、精神の崇高さが得られないのは「政府の経済政策のせいだ!」なんて、言ってていいんでしょうか。

投稿: robita | 2008年5月28日 (水) 10時41分

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