前記事にkakuさんからコメントをいただき、長くなってしまったので、記事にします。
>「少子高齢化社会」と言うとあまりに漠としているのですが、言い換えれば社会の保守化、あるいは、この社会が、
「戦後復興を担った人々のための社会」にあまりにがんじがらめにされている、と言うことです。<
私は前に後期高齢者問題に関して、「高齢者の権利意識を少し引っ込めたらどうだ」というようなキツイ意見を書いたことがありますし、kakuさんのこのご意見には共感する部分もあります。
高齢者の医療や介護はどうでも良いというわけではありませんが、それとは別に「未来は若い人のものだ」と思っています。
高齢者の介護や医療に膨大なお金が使われて、その分、若者の利益が軽視されるようなことになれば、社会に活気がなくなります。
「老人は死ねというのか」と気勢をあげる高齢者のかたがたは、このことをいったいどうお考えなのでしょうか。
それはもちろん、これ以上負担が増えると本当に死んでしまう困窮を極めているかたがたもいらっしゃることでしょうが、そういうかたがたへの制度整備はしっかりしつつ、もっと何か知恵を出すことはできないのでしょうか。
聞くところによると、日本人の個人金融資産は1200兆円もあってその大半は高齢者によって占められているというじゃありませんか。
一部の金持ちだ、というけど、本当にそうなのでしょうか。
なんだか、貯めこんだ高齢者が、自分たちをもっと支えろと、青息吐息の若い世代を叱咤しているように見えてきます。
舛添厚労大臣がよく「天からお金が降ってくるわけじゃないんです」と言っていますが、お金がないのなら、無駄遣いをなくすのは言うまでもなく、あるところから出してもらうとか、消費税を上げるとかなんとか対策を考えなきゃいけないわけです。
「我々の負担が増えるのは嫌だ」とただ言ってるだけでは何の解決にもならないわけで、このところを、高齢者自身によく考えていただきたいなあと思います。
________________
>少子高齢化社会とは、当然ながら社会体制だけのことではありません。人々の心理に強い影響を及ぼします。例えば教育。<
>その「非経験者」と「卒業者=その記憶があまりに遠くなった人々」が主流たる社会では、「動物的」な存在は遠きにありては微笑ましいが、
すぐ傍にあるならば忌々しい存在と変わります。当然です。己さえ律せば自己完結出来る生活に慣れてしまえば、out of handな存在はその生活の脅威です。
そんな「脅威」を公共の場にのさばらせる者の責と律を求めたくもなるでしょう。<
周りの目を気にするあまり子育てが萎縮してしまうということはいつの世にもあることで、若い母親はみんな多かれ少なかれ経験していると思います。
「子どもはみんなで育てるもの」に書いた通りです。
ただ、仰るように、『「非経験者」と「卒業者=その記憶があまりに遠くなった人々」が主流たる社会』という未曾有の事態を迎えている今、その圧力たるや、きっと私の想像を絶するものなのかもしれません。
子どもらしい嬌声や走り回る光景を好ましいと思う人と、それをうるさいと感じる人がいる。
私は前者なのですが、度を越している場合には、眉をひそめる人もいて不思議はないだろうなとは思います。
静かにするべき場所(例えば劇場とか図書館とか)で騒がれると迷惑でしょうが、電車内で騒いだからといって怒らなくてもいいじゃないかと私は思いますけど。 人の感じ方はそれぞれですが、もう少し寛容になってほしいものです。ただ、このことはあまり年齢に関係ないかなと思います。若くてもキッと睨む人もいますし、年寄りでも気にしない人もいます。
「子どもが忌避される時代」(本田和子)という本をご存知でしょうか。
私はこの本を読んでいませんが、題名を見ただけで、どのようなことが書かれてあるのか、だいたい想像できます。いえ、私の想像とは違っていても、今、たしかに「子どもが忌避される時代」「子どもは自分の生活にとって邪魔な時代」、そういうことなのだと思います。
それは、母子を取り巻く環境がそうだ、というばかりでなく、母親自身がそのような負い目を持ちつつ、日々懊悩する時代なのかもしれないと思います。
_________________________
私は、「彼の事情2」のコメント欄 で、≪「彼の気持ちはわかる」ということは、自分もそれをしたかもしれない、ということで、そういう人が少なからずいるというのであれば、これはもう派遣工だとか不景気だとか小泉改革の間違いとかの問題なんかではなくて何か別の深刻な問題が起こっていると考えるのが妥当だと思います。≫ と書きました。
そしてkakuさんが仰るようにそれが何であるかをみんなで考えることは必要だと思います。
思いますが、それが何であるか、実はみんなもうわかっていることではないのかなとは思います。つまり「歪んだ豊かさ」でしょう。
少子高齢化とか、女性の目覚めとか、父権の失墜、父性の欠如とか、機械文明の発達だとか、経済グローバリズムだとか、自由の謳歌だとか、先進国が到達し獲得したものが今度は自分自身の首を絞めているということでしょうね。
だけど、もう昔に戻ることはできないし、第一、昔だって、もっと不幸なことはたくさんあったわけで、今の世の中のほうがずうっとましだ、とも言えます。
ですから私は、例えば秋葉原の事件や宮崎勤の事件など、特殊な例を持ってきて、ほら、だから今の世の中は間違ってる、などと決め付けるのはどうかなと思うわけです。
たいていの親は悩みながら迷いながら子育てし、それでも困難を乗り越えてきているのです。昔も今も。
出産/育児/教育は本来「動物的」である、とkakuさんは喝破なさいました。
同感です。
どんなに社会が荒んでも、生きにくくても、「基本の」動物としての母性を守るかぎり、子どもは大丈夫だと私は思います。
女優の工藤夕貴さんの言葉に感激したので紹介します。→ http://www.zakzak.co.jp/people/archive/20080624.html
「いまは、『お母さん』であるよりもまず『女性』として素敵じゃなかったらダメという風潮。お母さんという生き方を推奨していないんですよ」
私のような年配者が言うと、「あーまたか」と思われますが、彼女のような若く元気な女性が言うと、とても新鮮な感じもしますし、衝撃的でありさえします。
「いいお母さんがいないといい子が育たず、いい国にならない」、こういう言葉まで出てくるとはなんとも頼もしいじゃありませんか。
「母」が全ての土台です・・・・・、なんていうとまた、「ううっ、すごいプレッシャーがぁ・・・」と、負担に感じるかもしれませんが、「いいお母さん」というのは何も完全無欠な子育てをするお母さんということではないですよ。
たまにヒス起こして感情的になっても、翌日には機嫌直してご飯作ってくれるお母さん、お料理下手でも、子どもと一緒にマクドナルド楽しく食べてくれるお母さん、進路について一緒に悩んでくれるお母さん、お父さんの悪口言わないお母さん、そういうのって、そんなに難しいことじゃないと思うんですけどねえ。
政治よりなにより、実はこのことが最も重要だと私は思ってるんです。
_____________________
>さあ、私達はどうすれば良いのでしょうか。…うむ、出産適齢期の皆さん、あともう人!頑張って主流派目指そうではありませんか!ぐらいしか…<
若いみなさん、「動物的に」数で勝負するのも一計かもしれませんよ。
ずっと前、こんなこと書いたの思い出しました。
「私は子どもの数が多いだけでその社会は健全なんじゃないかなあ、となんとなく思います。」 →「子どもの数」
よろしくお願いします →人気ブログランキング
最近のコメント