こうなったら数で勝負するかぁ
前記事にkakuさんからコメントをいただき、長くなってしまったので、記事にします。
>「少子高齢化社会」と言うとあまりに漠としているのですが、言い換えれば社会の保守化、あるいは、この社会が、
「戦後復興を担った人々のための社会」にあまりにがんじがらめにされている、と言うことです。<
私は前に後期高齢者問題に関して、「高齢者の権利意識を少し引っ込めたらどうだ」というようなキツイ意見を書いたことがありますし、kakuさんのこのご意見には共感する部分もあります。
高齢者の医療や介護はどうでも良いというわけではありませんが、それとは別に「未来は若い人のものだ」と思っています。
高齢者の介護や医療に膨大なお金が使われて、その分、若者の利益が軽視されるようなことになれば、社会に活気がなくなります。
「老人は死ねというのか」と気勢をあげる高齢者のかたがたは、このことをいったいどうお考えなのでしょうか。
それはもちろん、これ以上負担が増えると本当に死んでしまう困窮を極めているかたがたもいらっしゃることでしょうが、そういうかたがたへの制度整備はしっかりしつつ、もっと何か知恵を出すことはできないのでしょうか。
聞くところによると、日本人の個人金融資産は1200兆円もあってその大半は高齢者によって占められているというじゃありませんか。
一部の金持ちだ、というけど、本当にそうなのでしょうか。
なんだか、貯めこんだ高齢者が、自分たちをもっと支えろと、青息吐息の若い世代を叱咤しているように見えてきます。
舛添厚労大臣がよく「天からお金が降ってくるわけじゃないんです」と言っていますが、お金がないのなら、無駄遣いをなくすのは言うまでもなく、あるところから出してもらうとか、消費税を上げるとかなんとか対策を考えなきゃいけないわけです。
「我々の負担が増えるのは嫌だ」とただ言ってるだけでは何の解決にもならないわけで、このところを、高齢者自身によく考えていただきたいなあと思います。
________________
>少子高齢化社会とは、当然ながら社会体制だけのことではありません。人々の心理に強い影響を及ぼします。例えば教育。<
>その「非経験者」と「卒業者=その記憶があまりに遠くなった人々」が主流たる社会では、「動物的」な存在は遠きにありては微笑ましいが、
すぐ傍にあるならば忌々しい存在と変わります。当然です。己さえ律せば自己完結出来る生活に慣れてしまえば、out of handな存在はその生活の脅威です。
そんな「脅威」を公共の場にのさばらせる者の責と律を求めたくもなるでしょう。<
周りの目を気にするあまり子育てが萎縮してしまうということはいつの世にもあることで、若い母親はみんな多かれ少なかれ経験していると思います。
「子どもはみんなで育てるもの」に書いた通りです。
ただ、仰るように、『「非経験者」と「卒業者=その記憶があまりに遠くなった人々」が主流たる社会』という未曾有の事態を迎えている今、その圧力たるや、きっと私の想像を絶するものなのかもしれません。
子どもらしい嬌声や走り回る光景を好ましいと思う人と、それをうるさいと感じる人がいる。
私は前者なのですが、度を越している場合には、眉をひそめる人もいて不思議はないだろうなとは思います。
静かにするべき場所(例えば劇場とか図書館とか)で騒がれると迷惑でしょうが、電車内で騒いだからといって怒らなくてもいいじゃないかと私は思いますけど。 人の感じ方はそれぞれですが、もう少し寛容になってほしいものです。ただ、このことはあまり年齢に関係ないかなと思います。若くてもキッと睨む人もいますし、年寄りでも気にしない人もいます。
「子どもが忌避される時代」(本田和子)という本をご存知でしょうか。
私はこの本を読んでいませんが、題名を見ただけで、どのようなことが書かれてあるのか、だいたい想像できます。いえ、私の想像とは違っていても、今、たしかに「子どもが忌避される時代」「子どもは自分の生活にとって邪魔な時代」、そういうことなのだと思います。
それは、母子を取り巻く環境がそうだ、というばかりでなく、母親自身がそのような負い目を持ちつつ、日々懊悩する時代なのかもしれないと思います。
_________________________
私は、「彼の事情2」のコメント欄 で、≪「彼の気持ちはわかる」ということは、自分もそれをしたかもしれない、ということで、そういう人が少なからずいるというのであれば、これはもう派遣工だとか不景気だとか小泉改革の間違いとかの問題なんかではなくて何か別の深刻な問題が起こっていると考えるのが妥当だと思います。≫ と書きました。
そしてkakuさんが仰るようにそれが何であるかをみんなで考えることは必要だと思います。
思いますが、それが何であるか、実はみんなもうわかっていることではないのかなとは思います。つまり「歪んだ豊かさ」でしょう。
少子高齢化とか、女性の目覚めとか、父権の失墜、父性の欠如とか、機械文明の発達だとか、経済グローバリズムだとか、自由の謳歌だとか、先進国が到達し獲得したものが今度は自分自身の首を絞めているということでしょうね。
だけど、もう昔に戻ることはできないし、第一、昔だって、もっと不幸なことはたくさんあったわけで、今の世の中のほうがずうっとましだ、とも言えます。
ですから私は、例えば秋葉原の事件や宮崎勤の事件など、特殊な例を持ってきて、ほら、だから今の世の中は間違ってる、などと決め付けるのはどうかなと思うわけです。
たいていの親は悩みながら迷いながら子育てし、それでも困難を乗り越えてきているのです。昔も今も。
出産/育児/教育は本来「動物的」である、とkakuさんは喝破なさいました。
同感です。
どんなに社会が荒んでも、生きにくくても、「基本の」動物としての母性を守るかぎり、子どもは大丈夫だと私は思います。
女優の工藤夕貴さんの言葉に感激したので紹介します。→ http://www.zakzak.co.jp/people/archive/20080624.html
「いまは、『お母さん』であるよりもまず『女性』として素敵じゃなかったらダメという風潮。お母さんという生き方を推奨していないんですよ」
私のような年配者が言うと、「あーまたか」と思われますが、彼女のような若く元気な女性が言うと、とても新鮮な感じもしますし、衝撃的でありさえします。
「いいお母さんがいないといい子が育たず、いい国にならない」、こういう言葉まで出てくるとはなんとも頼もしいじゃありませんか。
「母」が全ての土台です・・・・・、なんていうとまた、「ううっ、すごいプレッシャーがぁ・・・」と、負担に感じるかもしれませんが、「いいお母さん」というのは何も完全無欠な子育てをするお母さんということではないですよ。
たまにヒス起こして感情的になっても、翌日には機嫌直してご飯作ってくれるお母さん、お料理下手でも、子どもと一緒にマクドナルド楽しく食べてくれるお母さん、進路について一緒に悩んでくれるお母さん、お父さんの悪口言わないお母さん、そういうのって、そんなに難しいことじゃないと思うんですけどねえ。
政治よりなにより、実はこのことが最も重要だと私は思ってるんです。
_____________________
>さあ、私達はどうすれば良いのでしょうか。…うむ、出産適齢期の皆さん、あともう人!頑張って主流派目指そうではありませんか!ぐらいしか…<
若いみなさん、「動物的に」数で勝負するのも一計かもしれませんよ。
ずっと前、こんなこと書いたの思い出しました。
「私は子どもの数が多いだけでその社会は健全なんじゃないかなあ、となんとなく思います。」 →「子どもの数」
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コメント
robitaさん、
以前TB頂いた記事をこちらにTBさせて頂きます。
私はそのコメントで:
【確かに、日本の個人金融資産約1400兆円の半数を60歳以上が持ち、うち、高齢者層全世帯の4割が2000万円以上の金融資産を持っている、と言う数字にはインパクトがあります。
残りの6割は、それほど「カネ」を持ってないということではないか、と問われれば、ええ、でも「住宅」という「金融資産に比べてはるかに高額の実物資産」は持っているケースがありますと答えるしかありません。】
と書いた通りで、robitaさんの仰る:
>なんだか、貯めこんだ高齢者が、自分たちをもっと支えろと、青息吐息の若い世代を叱咤しているように見えてきます。<
の裏づけとなります。
…ちょっと話が広がりそうなので、以下、少子高齢化社会という事に焦点を当てて書きます。
>「老人は死ねというのか」<
について、あくまで自戒を込めつつ言いますが、老人が死なず誰が死ぬというのでしょうか?
今、4度目『史記』に続いて3度目の『三国志』(吉川英治版)を読んでいます。2000年前から人間の集団が呈す模様は根本的に変わっていないことをつくづくと思います。
つまり、若き者は自分の未来を描くことで現在を切り開き、そして老いた時にはその道を若き者に否定され去る、と言う新陳代謝を繰り返してきた、と言うことです。
しかし、現代が以前と大きく異る点が一つあります。それは、「若い者が老いても決して退かんとする者を力でもってその生命を排除することの絶対的な否定」です。
「動物的」であると言うことは、追い詰められれば生物的な意味での「弱(=老)肉・強(=若)食」が作用する、ということで、第二次大戦後の世界的に見てもそういう現象は時折起きています。中国の文革などもその一例としても間違いでは無いと思います。
実は、私はそれが遠くない未来に日本で起こることを心底危惧しています。本来は、そういう「動物的な作用」を避けるためにも、現在のような「血を流さず交替していく」社会を成り立たせたはずであるのに、むしろ自己認識の有無は別として、それを「逆手に取る」勢力があるのですから、若き者が「現在を切り開く」どころか「未来を描くこと」すら出来ない残酷にこそ思いを馳せるべきではないでしょうか。
今回の秋葉事件の加害者は、自分の敵であるはずの「強者=勝組?」を絶対的な対象とはせず「無差別」に殺害し、かつ、確実に彼の「敵」たる人間が集まる“アウェー”ではなく、自らの“ホームタウン”とも言うべき秋葉原で犯行に及びました。
多分これは、彼のような人間がまだ「組織化・集団化」していないゆえの「知恵」(と言ったらおおいに語弊がありますが)の欠如と私は思っていて、それゆえに、「個人の資質」とか「特殊な例を持ってきて、ほら、だから今の世の中は間違ってる、などと決め付けるのはどうか」と言う論に収めてはいけない、と言う危機感があります。
こと少子高齢化社会においては、「高齢者自身が考える」のではなく、その全構成員が、「老いるとは何か」「死とは何か」を常に考えつつ意識しつつ生きねば機能しない、と言うのが私の常の主張です。嫌だろうと非道だろうと何だろうと、もはや絶対に必要なことで、「死生学」と言う教育科目の確保こそ急務、と。
あっ
蛇足ですが「少子化」と言う現象は、実は人類が初めて経験する現象ではありません。最古はローマ帝国の末期であった、と記憶しています(文献は失念)。
投稿: kaku | 2008年6月25日 (水) 21時20分
★kakuさん、
kakuさんの仰ることはわかりますし、正しい指摘であると思います。
ただ、私が、「社会が彼をこんなにした」とするべきでない、と言い続けているのは、
わかりやすくするために「人」を「家」にたとえますと;
土台のしっかりした家ならば、台風や地震にも耐え、しっかりと立っていることができる、というような話です。
人間社会ではいろいろなことが起きます。不況や戦争や少子高齢化やなんやら。そういうことを天災にたとえるのはどうかと思われるかもしれませんが、人類が人類の幸せのために良かれと思ってしたことが不幸をもたらすことが往々にしてあることを思えば、何がどういう結果をもたらすのか、実はよくわからないのではないですか。
人為的なものだから防ぐことはできる、とも言えますが、それでは、すべての悩み苦しみを、それを経験する前に排除してしまい、幸せだけを人類が経験するようにすればいいのでしょうか。
それこそ破滅に向かう道だと私は考えます。
人生うまくいかない、自分はだめな人間だ、ムシャクシャする、いっそ人を殺してやれ。
こういった狂気を持つ人間は「社会のせい」で出来上がるのでしょうか。
社会の息苦しさは「きっかけ」にはなっても、「原因」にはなり得ないと私は思います。原因はあくまでも本人の人間性でしょう。
加藤容疑者の場合、週刊誌によると、真面目に働いて正社員になろうという努力もしていないように見えます。正社員になったのに突然会社をやめたりしています。もてないのを自分の顔のせいにしたりしています。
だから、彼の狂気が「少子高齢化の息苦しさ」から生まれたのかどうかは、たぶん違うのじゃないかと思います。
でも、あの狂気の行動を「希望のない社会への不満の噴出」と受け止めて共感する若者が少なからずいる、というのならば、この社会に何か深刻な事態が進行しているのだろうと考えられます。
現実問題として、病んだ社会は治さなければいけませんし、kakuさんが指摘されるように、「少子高齢化」は若者の意欲を低下させると思いますから、この事態をなんとかしなければいけないとは思います。
でも、姑息だなあと思うのは、「社会のせい」と言いたがる人たちが、「格差社会が彼を狂気に走らせた。格差を生み出したのは小泉改革だ」と、にっくき小泉攻撃の絶好の材料にしているところなのです。そういう次元の問題じゃないでしょうよ、ねえ。
kakuさんのように少子高齢化という社会の構造そのもの(さらには死生観)をこの事件と関連づけた文章を見たことがありませんが、私はその指摘に同意します。
「事件は構造を明らかにする」というフランスの社会学者の言葉があるそうです。
「人間の土台」を作る家庭の役割が最も重要だ、というのが私の考えなのですが、そもそも少子高齢化という構造そのものが、その家庭の役割を阻害しているとなると、これはもう鶏と卵ですね。
>「死生学」と言う教育科目の確保こそ急務、<
たぶん、これが結論。
初めて訪れてくださったかたのためにもう一度貼り付けます → 「日本人の死に時」
ちょっとわからないのは、では今元気な高齢者はどうしたらいいの?ということです。
労働人口がどんどん減るから、70ぐらいまで働ける人は働いたほうがいい、という一方で、「老いても決して退かない」と言われてしまう。
まったく別の、若者が嫌がるような職業に再就職してくれ、ということなのですか。
投稿: robita | 2008年6月26日 (木) 10時31分
robitaさん、こんにちは。
>人生うまくいかない、自分はだめな人間だ、ムシャクシャする、いっそ人を殺してやれ。
こういった狂気を持つ人間は「社会のせい」で出来上がるのでしょうか。
社会の息苦しさは「きっかけ」にはなっても、「原因」にはなり得ないと私は思います。原因はあくまでも本人の人間性でしょう<
ちょっと誤解を受けているかもしれません。コメントで書いたとおり、犯罪は結果で裁かれるべきです。
その上で、人間の持つ「狂気」…私は人間誰しもこれを内包している、と言う考えです。
その「狂気」は、時代や人によって形は違えど自分以外の外部つまり社会から受けた出来事から形成されるのだと思います。
私が問題にするのは、その「狂気」が、他者に危害を加えると言う具体的な行動として発露されることで、その具体的行動という一線を容易く越えさせている「社会的な因子」に気づいたのならば、その「社会的因子」を、多くの「分別ある市民の為に」取り除かねばならない、と言うことです。ま、簡単に言えば私の自己保身なんですが。
私が最も危惧しているのは、「あの狂気の行動を『希望のない社会への不満の噴出』と受け止めて共感する若者」ではなくて、この人たちを集団化・組織化させて「何か」を得ようとする、稀代の「(悪)知恵」をもつ人間の登場です。
そういう人間の登場も含めて大混乱となり、その上で新たな社会が生まれる。それもまた人間社会の真理ではあります。明治維新しかり。
でもでも、私はやはり、流れなくて良い血は流れて欲しくありません。「一命を惜しむこと」に最後まで足掻きますっ
「真面目に働いて正社員になろうという努力もしていないように見える」
「正社員になったのに突然会社をやめる」
「もてないのを自分の顔のせいにしたりする」
すでに中年の域にある私
が振り返って考えるに、これらの心情自体は、「何の成功体験も無い」と言う自己認識の若者であれば、それほど特異ではないと思うのです。
若き頃は、見えていないからこそ「希望を感じて突っ走れる」し、逆に、「絶望に囚われてがんじがらめ」になります。その振れ幅の大きさこそが若さと言うエネルギーです。
資源不足の昨今、この若きエネルギーをどうして「希望」に振り向けさせるか…この仕組みをほくそえみながらこっそり考え仕掛けることこそ、老いた者らの至上命題と義務ではないでしょうか。最低限、現状が「絶望」に振り向けさせていることは直視しなければ。
>ちょっとわからないのは、では今元気な高齢者はどうしたらいいの?ということです。
労働人口がどんどん減るから、70ぐらいまで働ける人は働いたほうがいい、という一方で、「老いても決して退かない」と言われてしまう。
まったく別の、若者が嫌がるような職業に再就職してくれ、ということなのですか。<
私は、老人とは「権力ではなく権威」たるべし、と常々主張しています。若い者達がその説を庵へ乞いに伺うべき人であって頂きたいです。
例えば魏の曹操や福澤翁にして、自らが極めた分野においてすら「老い」からは逃れられなかった…これって、皆が心にしまうべき大切な真理だと私は思います。
投稿: kaku | 2008年6月26日 (木) 12時51分
★kakuさん、
>ちょっと誤解を受けているかもしれません。コメントで書いたとおり、犯罪は結果で裁かれるべきです。<
いえいえ誤解してません。私もそのように思っていますし。
>「真面目に働いて正社員になろうという努力もしていないように見える」
「正社員になったのに突然会社をやめる」
「もてないのを自分の顔のせいにしたりする」
すでに中年の域にある私が振り返って考えるに、これらの心情自体は、「何の成功体験も無い」と言う自己認識の若者であれば、それほど特異ではないと思うのです。<
そうですそうです。全然特異じゃないです。
珍しくもない感情を持つ若者の中で、なぜ加藤容疑者だけがこれほどのことをしたのかが問われてもいいと思いますよ。
>人間の持つ「狂気」…私は人間誰しもこれを内包している、と言う考えです。<
おそらくそうでしょう。
そして、人間というものはそれを抑える力を持っているのです。
その力は、その強さは、どのようにして育まれるのでしょうか。
自分が狂気を表に出した時に、被害者はもとより、自分の家族が地獄に陥るということに思いを致すことができるのは、ひたすら自分が受けた愛によるものではないですか。
家族が一生辛い思いをする、これは充分な歯止めになります。・・・というのが私が成育環境が大事と主張する理由です。
秋葉原事件に関する私の一連の記事にコメントをくださったMさんや護国児さんのご意見、『「親は悲しむだろうな」と思わなかったこと』や『この世界に自分の存在の収め所が無い』、そういうことが狂気を爆発させるか否かの境目であると思うのです。
つまり「資質・土台」があって「環境」が作用する、という当たり前のことを言っているだけです。
さて、その「環境」ですが;
>私が最も危惧しているのは、「あの狂気の行動を『希望のない社会への不満の噴出』と受け止めて共感する若者」ではなくて、
この人たちを集団化・組織化させて「何か」を得ようとする、稀代の「(悪)知恵」をもつ人間の登場です。
そういう人間の登場も含めて大混乱となり、その上で新たな社会が生まれる。それもまた人間社会の真理ではあります。明治維新しかり。<
狂気も混乱も歴史として振り返ると偉業になるんですね。
サッチャー元首相は英国病を治すにあたり「世界で一番完璧な改革が成功した例は日本の明治維新で、自分はそれをお手本にして改革をした」のですよね。
今の時代、幕末のような血生臭い斬り合いは、たとえ悪知恵を持った稀代の悪党が扇動、暗躍しても起こり得ないでしょう。だってそういった類の集団による武器の調達、製造がこの日本でできるとは思えませんから。
事実サッチャーさんは血を流さずに凄まじい改革をやり遂げたし、希望のない社会を破壊したあと日本再生しようと考えていたらしいオウム事件も犠牲者は出たけれど、あの狂気は日本を転覆するほどの力を持ちませんでした。
>私は、老人とは「権力ではなく権威」たるべし、と常々主張しています。若い者達がその説を庵へ乞いに伺うべき人であって頂きたいです。<
なるほど。
しかしですね、こういう人たちは今現在でも存在しますよね。
今に比べ、昔はそういう老人が多かったということなのでしょうか。
うん、たしかに、そうだったのでしょう。
今の時代、世間を見渡してみれば、年を取っても若く美しく身体頑健であることだけに価値を置いて年齢に抗う高齢者が増えています。
75歳のお爺さんが世界一高い山に登った、快挙だ、素晴らしい、高齢者に希望をくれた・・・・、ああもう年寄りの希望はどうでもいいんだよ、希望は次世代にありっ、なんて思わず言いたくなりますがタブーなんでしょう、言っちゃったけど。
秋葉原事件と「少子高齢化社会の閉塞感」は関連しているかどうかはわかりませんが、「少子高齢化社会は不健全である」、ということだけは事実のようです。
・・・・そうかあ、「庵を結ぶべき」ですね。
投稿: robita | 2008年6月27日 (金) 11時08分
robitaさん、
>ああもう年寄りの希望はどうでもいいんだよ、希望は次世代にありっ、なんて思わず言いたくなります<
あはっ
そうですそうです、いつも言いますが、私は団塊の世代が「高齢者」(≦65歳)に突入する頃には、タブーじゃなくなる、と信じています。
その理由は、団塊の世代が、現在の後期高齢者にあたる方々は経験できなかった「豊かさ」を、既にある程度経験しているからです。「生命維持」自体にそれほど価値を置かないに違いない、と…。後はその本人の意思をどう、誰をも悲しませることなく終末医療に反映出来る制度の構築が課題だろうと。…どうでしょうか?
と言うことで、私もこれからは拙い脳の8割方を↓に使いたいと思います:
>資源不足の昨今、この若きエネルギーをどうして「希望」に振り向けさせるか<
真魚さんのところでも書いたのですが、私はそれは農業分野にあり、と思っています。それも、「食糧自給率アゲ
」ではなくて「世界流通」で見る夢
です。
投稿: kaku | 2008年6月27日 (金) 21時08分
kakuさん、
>>コメントで書いたとおり、犯罪は結果で裁かれるべきです。
異論あり!
私は人を裁くならプロセスを重視すべきと思っています。今回の秋葉原の加藤智大には一片の同情の余地はないと思います。しかし、これとは違う場合を考えてみたのです。
(1)今回の事件で有志の「仮面ライダー」が登場し、加藤を退治して多くの犠牲者を救ったら?
今回の事件では、秋葉原のホコ天の人達は一斉に逃げました。もちろん、トラックで突っ込みナイフを振り回す男が恐ろしいのは当然です。
しかし、あれだけの人がいたのです。誰か有志が以下の方法で加藤に立ち向かえば犠牲者は少なく出来ました。すなわち・・・。
a: 車、バイク、スクーターで加藤をはね飛ばす
歩行者天国とはいえ、近くまでは自分の乗り物で来ていた者もいたはずです。しかもパニックでもはや歩行者天国にはなっていませんでした。交通法違反などと言っている場合ではありません!
b:5~6人の男で長い金属パイプで加藤を殴打する
ナイフよりリーチが長いので、これで多勢でかかれば加藤もやられるでしょう。彼はそんなに強そうには見えませんでしたし。
このabいずれかの方法で加藤が死んでも、正当防衛が認められて当然だと私は考えます。ただし、警察、検察、裁判官はこうした有志の「仮面ライダー」を現実世界には認めたくないようですが・・・・・。
(2)DVなど、恐怖と暴力に怯えた場合の考慮は?
こうした場合には刑を大幅カットすべきと考えます。最近ではセレブ妻と元Vシネ女優がこうした事件を起こしました。セレブ妻は死体を切り刻むという残虐性があったので、大幅カットにも限度があります。しかし元Vシネ女優の方は大胆に刑をカットしても差し支えないと思います。
**ただし、問題は
そう、何と言っても頭の固い法律家です。彼らはウゲラモゲラの屁理屈を並べ立てて、相手によって刑を厳しくするか緩くするかの裁量ができないようにします。
そう言えば、市民裁判官が実施される日も近づいています。司法官僚のエリート意識は、私が述べたような市民の良識を押し通すうえで障害になりかねないです。
今回の加藤は?これはもう出来るだけ早く死刑です!墓には藁人形でも打ちつけましょう!マニュアルよりずっと厳しく罰しましょう!!
投稿: Shah亜歴 | 2008年6月27日 (金) 22時57分
robitaさん、
>家族が一生辛い思いをする、これは充分な歯止めになります。
果たしてそうなのか、という思いがあります。
親がどうこう、家族がどうこうじゃあないんだ、ということもあるのではないか。
家族は一生辛い思いをするであろう、しかし、それでも、やる、ということはあるのではないか。
>『この世界に自分の存在の収め所が無い』
この「世界」は、家族とか家庭じゃあないと思います。家族や家庭とは別の場所なんです。若い時期には、家族や家庭とは、別の(別の、ということが重要です)場所に身を置き、そこで自分を作っていくということが必要なんです。
投稿: 真魚 | 2008年6月28日 (土) 11時43分
kakuさん、
>この人たちを集団化・組織化させて「何か」を得ようとする、稀代の「(悪)知恵」をもつ人間の登場です。<
太平道の教祖 張角ですな。で、黄巾の乱が起こる、と。
水鏡先生の門下で、伏龍と呼ばれた亮という若者が草廬で晴耕雨読の生活をしているはずですが。今の時代は、どこにいるのやら。
投稿: 真魚 | 2008年6月28日 (土) 11時46分
あ、あのー正直申し上げて、か、か、からみ所が、ようわからんですよ
…そもそも私、生理的に節足動物系は想像だに
でして…
加藤容疑者の判決が「死刑&墓には藁人形&マニュアルよりずっと厳しく処罰」であるべし、と言うのは、「プロセスを重視したうえで」なのですよね?であるならば、彼の「プロセス」に対するShahさんのご判断がどの様なものなのか、お伺いしたいです。
アルカイーダなんぞも太平道の黄巾の乱と言えなくも無いのでは?と。
諸葛亮も農業に夢と希望を抱いた人でありますね。
投稿: kaku | 2008年6月28日 (土) 15時14分
kakuさんへ 横から失礼します。
>>私はそれは農業分野にあり、と思っています。
>>それも、「食糧自給率アゲ」ではなくて「世界流通」で
>>見る夢です。
食料自給率を上げろという意見は、あちらこちらで見られます。
でも、自ら第一次産業に従事しようと云う人は、ほとんど
見られません。
言葉は悪いですが、農業と云うのはスティタスの高い仕事では
無いと思います。
一部の人を除いて、まず誰もがやりたがらない仕事だと思うのです。
人手が足りないからと若者にその穴埋めをさせるのは
無理がないでしょうか?
洗練された職業によるスマートな成功モデルを
マスメディアによってイメージ付けられている若者が、
土に触れるというような素朴で地味な仕事をしたがるでしょうか?
自然を相手にするという内省的な仕事を、若きエネルギーに
満ちた若者に従事させるのは、苦のような気がするのです。
kakuさんは自ら農業に従事したいと思いますか?
御子さんに従事させたいと思いますか?
大事な仕事だとは思いますが、私は気が勧まないのです。

投稿: 護国児 | 2008年6月29日 (日) 02時18分
以下の文章、同感なので、引用です。
が長文になるので、カットしながら。
― 日本人の個人金融資産は1200兆円もあってその大半は高齢者によって占められているというじゃありませんか。
一部の金持ちだ、というけど、本当にそうなのでしょうか。
◆例えば、地方公務員であっても、特にアクシデントがなく、質素に暮らして高齢になると、貯蓄ウン千万、年金は生活に充分足りる、という生活らしいです。
― なんだか、貯めこんだ高齢者が、自分たちをもっと支えろと、青息吐息の若い世代を叱咤しているように見えてきます。
◆マスコミが取材先を、好都合に取捨選択していると思いませんか。実際の高齢者の声ではないというか、高齢者にももっと様々なご意見があると思うのですが。
-舛添厚労大臣がよく「天からお金が降ってくるわけじゃないんです」と言っていますが、お金がないのなら、無駄遣いをなくすのは言うまでもなく、あるところから出してもらうとか、消費税を上げるとかなんとか対策を考えなきゃいけないわけです。
◆必要な費用は何とかしなくてはならない。それをどこから捻出するか。ただ、最低限の生活費にも事欠き「国に面倒を見てほしい」って言う人がいてもいいのですが、全員がそうなるわけには行かない。多くの人の薄い負担で、本当に困っている人を支える、その仕組みも受け入れていかなくてはならないと思っています。
皆さんの長い文章、全部読んでいないので、お門違いのコメントになっていたら、ごめんなさい。
投稿: 街中の案山子 | 2008年6月29日 (日) 09時53分
★kakuさん、
>その理由は、団塊の世代が、現在の後期高齢者にあたる方々は経験できなかった「豊かさ」を、既にある程度経験しているからです。<
現在の後期高齢者にあたる方々も「豊かさ」を、既にある程度経験していらっしゃるのではないですか。
例えば現在75歳のかたは、終戦当時12歳。
また、全体として、青春時代に平和と豊かさに向かう希望社会の輝かしさを満喫されたのではないでしょうか。
>後はその本人の意思をどう、誰をも悲しませることなく終末医療に反映出来る制度の構築が課題だろうと。<
はい、終末期医療の生前の意思表示制度を構築することは是非とも必要だと思います。それが必要な時代であるからには、これに関しての理解が必要だと思います。
>私はそれは農業分野にあり、と思っています<
賛成。真魚さんのところで皆さんが論議されていることは長いし難しいしよくわかりませんが。
護国児さんが「誰も農業をやりたがらない」と指摘されています。私もそう思いますが、kakuさんが ≪今の日本で「夢」を見れる産業は絶対に「農業」だと思います。その夢を感じさせるには、「食糧自給率」ではなくて「世界流通」ですね。≫ とお書きになっているように、やっぱりまずは人をその気にさせること。意識改革だと思います。
例えば、私が息子たちに農業をやってほしいか、と問われれば、以前どこかに書きましたが、息子が「俺、農業やるよ」なんて言ってくれたら、それは親にとってすごく嬉しいことです。問題は「嫁が来てくれるかどうか」ですが。
投稿: robita | 2008年6月30日 (月) 10時02分
★真魚さん、
>親がどうこう、家族がどうこうじゃあないんだ、ということもあるのではないか。<
仰る通りですね。
生まれた時から家族がいない人だって珍しくないですから。
「家族が一生辛い思いをする、これは充分な歯止めになります」、これは、歯止めの一例です。
『この世界に自分の存在の収め所が無い』、というところが重要で、以前、社会学者の宮台さんが言っていたのですが、「辛いことがあっても、今の姿は仮の姿、これが終われば本来の自分に帰れる、帰りつく場所がある、そう思うことで精神のバランスを保てる。そういう場所を不幸にして持たない人が救われないのです」
宮台さん自身が、かつて殺人的なスケジュールで平均睡眠時間2時間で働いていた時期があって、頭がおかしくなりそうだったけれど、大好きな沖縄に思いを馳せ、これが終われば沖縄に行って安息が得られる、と思うことで辛うじて精神のバランスを保っていた、ということです。
それと、この頃よく思うのですが、「家族の愛」とは別に、昔は「家族制度」そのものが「個」を浮遊させない何かを持っていたのではないかと。
例えば向田邦子の作品などに見られるけれど、家庭というものはどろどろした部分もあって決して柔らかく温かいものであるとは限らないのに、それを土台としてそこで成長する個々の人間はちゃんと根っこを張っていた、そんな気がするのです。今の家族と何が違うのかそこは私には分析できませんけど。
投稿: robita | 2008年6月30日 (月) 10時06分
★街中の案山子さん、
>皆さんの長い文章、全部読んでいないので、お門違いのコメントになっていたら、ごめんなさい。<
そんなこと全然ないですよ。
私もコメントの多さにびっくりしつつ、一所懸命返事を書いております。嬉しいかぎりです。
>マスコミが取材先を、好都合に取捨選択していると思いませんか。実際の高齢者の声ではないというか、高齢者にももっと様々なご意見があると思うのですが。<
私もそう思います。
見識も覚悟もある高齢者はきっといると思います。
日曜日の朝日新聞に「老人は抵抗勢力なのか」と題する編集委員のコラムがありました。
≪改革行きの「最終列車」が発車する___。 国際通貨基金が4年前、主要国で50歳以上が有権者の過半数を占める時期を示した。中高齢者の政治的発言力、抵抗が強まり、年金や医療の制度改革が難しくなるという警鐘だった。スイスやフィンランドは2010年、米独仏は15年、英国は40年。日本はすでに03年に到達済みで、現在は53%近い。後期高齢者制度が大幅な修正を迫られたのも、終列車がとっくに出たからなのだろうか。≫
この論説の結論は、もちろん、「老人が抵抗勢力なのではなく、制度を根本から見直すことをせず、老人だけを切り捨てたのが悪い」というものです。
たしかにぎりぎりの生活をしている人が更なる負担増に抵抗の声を挙げるのは当然としても、余裕のある中高齢者の意見も聞きたいですね。53%もいるのであれば。
投稿: robita | 2008年6月30日 (月) 10時10分
護国児さん、はじめまして。ご質問を頂き嬉しいです!じつはここ、絶対に誰かにツッコミ入れて欲しかった
まず、「農業」は、必ずしも「生産に従事」することだけを指しません。
わが国の場合、人的資源も含む資源や土地の問題もあるので、当然米国や豪州の様な「大規模農業」を中核にした視点とは異なります。
かくかくじかじか語りたいところですがオタク的に長くなるので
、これは自分のblogに近いうち記事にするとして、結論を言えば、目指すところはバイオテクノロジーとバイオビジネスの発展です。
バイオテクノロジーは、アシモフのSF小説『われはロボット』に出てくるような、極言すれば食糧が「栄養素」に取って代わるものの開発でもあるし、ゴミやリサイクルなど環境保全に関する技術の開発でもあります。
バイオビジネスは、「世界流通」です。つまり、農産物を国外でも商売すると言うことです。その為には、本人が「農産物の商売のセンス」を持つこと、複数外国語が堪能であることはもちろん、WTOとかFTAとか世界基準についての深い知識も必要です。
護国児さん、日本のコメが台湾・中国人富裕層の間で高価格で流通していることはあまりに有名ですが、青森産のりんごがスイスの高級デパートで地元産のそれに比して5-10倍もの価格で飛ぶように売れていることをご存知ですか。私は現日本の品質技術でいけば、野菜でも行ける!と思ってます。
要するに、どでかい夢が見られる分野です。にもかかわらず、現在のオトナ達と、少なからぬ農業分野の人々自身の認識が「ステイタスの高い仕事ではない」ものにとどまっている。私は、ここに国家的な「やりがい」と「チャンス」をびしびし感じます。
「人手が足りないからと若者にその穴埋めをさせる」のではありません。「どでかい夢を見られる」から、若者がそのことに気がつくように仕向けるのです。
>kakuさんは自ら農業に従事したいと思いますか?
御子さんに従事させたいと思いますか?
私自身に関して言えば、もう少し子どもの手が離れたら、大学の農学部などで「バイオビジネス」を学ぶ機会を持つ予定です。
わが子に関しては、現在契約している産直の現場(体験企画など結構あるんですよ)に出来るだけ連れて行きます。その上で、本人が進路を選ぶ際、取り立てて切望する分野が思いつかず親に相談してきた時には、「バイオ分野」か「金融分野」を進めると思います。
個人的には「バイオ」の方を選んでくれたら心中ガッツポーズ
すると思います。
投稿: kaku | 2008年6月30日 (月) 11時06分
★kakuさん、
護国児さんへのレスへ横から失礼します。
「もやしもん」という漫画のことを以前ブログ記事にしましたが、あの漫画がすごい人気で、農業大学や大学の農学部に進む若者が増えているそうです。これは非常に喜ばしいことです。
しかし、kakuさんが、≪「農業」は、必ずしも「生産に従事」することだけを指しません。≫と仰るのはわかるのですが、実際に誰かが現場で土をいじり、肉体労働に従事しなければ成り立たちませんよね?
それとも、土をいじらなくて済むとか、土も太陽光も不要とか、肉体労働は必要ないほど機械化すれば良い、ということなのでしょうか。
儲けることができれば肉体労働は厭わない若者もいるとは思いますが。
いずれにしても、近いうちに記事になさるとのことなので楽しみにしています。
投稿: robita | 2008年6月30日 (月) 11時27分
robitaさん、
>実際に誰かが現場で土をいじり、肉体労働に従事しなければ成り立たちませんよね
むふっ、するどいっ!
私の物事の視点が「少子高齢化社会(国家)」であること、これがヒントであります。
これから記事を書きまーす…何日かかることやら。
投稿: kaku | 2008年6月30日 (月) 12時35分
kakuさま 返信ありがとうございます。
日本の果物(林檎)が高級品として売られている事は、
台湾での話なら聞いたことがあります。
日本の蜜柑は、欧米でテーブルオレンジ(TVオレンジ?)
として人気があるとか。
御子さんを産直の現場(体験企画など)に連れて行かれる
とは、なんとも素敵な教育をなさる、素敵なお母様なの
でしょう。
>>これから記事を書きまーす…何日かかることやら。
期待しております。(・∀・)ワクテカ
投稿: 護国児 | 2008年6月30日 (月) 16時09分