« 河は流れる | トップページ | 「もやしもん」 »

2008年6月 6日 (金)

平和への道

昔も今も、政府の責務は国民を「食べさせていく」ことです。
先の大戦当時の政府もそれを第一義としていたことでしょう。

やむにやまれぬ戦いであったなら、60年70年後の私たちが、その時代に生きてもいなかったくせに、その先祖の選択を非難する権利が果たしてあるのだろうかと私はいつも疑っています。

政府の方針は戦いに打って出ることであり、そしてそれを後押ししたのは世論と呼応したジャーナリズムでした。民意が反映されているとも言えます。世界情勢の情報が普通の国民にはなかったということかもしれませんが、そういうことも含めて政府の方針を疑うことをしなかった国民の選択だったとも言えます。

私には教養も知識もありません。国家の危機に際して、どの知識人がどんな説を主張していたのかもほとんど知りません。

「一貫して戦争に反対していた」という知識人は、政府にどうしろ、という提案はしていたのでしょうか。
していたのならそれは日本国としてどのような行く末を想定するものだったのでしょうか。

「戦争は反対」ということなら誰にでも言えます。私だって言えます。しかし、

あの当時、世界で生き抜こうとして戦った先祖たちがいた。その死ぬか生きるかの気迫を、安全地帯から貶めるようなことは私には言えません。

沢山の人が死んだ、戦争は悲惨だ、戦争は良くない、そんな言葉の羅列で国家の歴史と祖先を責め続けることに意味があるのでしょうか。

私たちがするべきことは、歴史となった過去の戦争を、未来永劫「誤りだった」と言い続け、その歴史の上に豊かな生活を享受していながら「祖先の愚行」と批判することでなく、未来に向けて、戦争を食い止める努力を続けていくことではないですか。

戦争の原因が、資源争奪や貧困、飢餓、つまり経済的理由にあって、その解決方法として世界的統制経済が必要だというなら、そうすればいいじゃありませんか。

でも当然のことながらほとんどの人はそれを望まないでしょうから、民主主義に従えばそれは実現しそうにありません。

何度か紹介していますが、「大人の言うことを聞きなさい!」(佐藤貴彦)の中の実にわかりやすい文章を再び貼り付けます。

≪ 貧しい国の子どもたちは「最善の利益」を受けるどころか、慢性的な飢餓に苦しみ、「生きる権利」すらあやしいのである。ところが一方、先進国では穀物が余りに余って、それを牛や豚にやって、その肉をムシャムシャ食っている。しかもそのうえ、日本に供給された食料のうちの20%以上は残飯として捨てている。さらにそのうえ、ブクブク太りすぎてダイエットまでやっているのである!
いやいや、私はこういうことにいちいち憤慨しているのではない。ヨーロッパや日本などの先進国が贅沢しているということ、そのこと自体を非難するつもりなんてさらさらない。なぜなら、これは理念やイデオロギーの問題ではなくて、経済の問題であるからである。世界経済の上では、食糧というものは、自動車やパソコンと同じく、ひとつの商品であるにすぎない。それがいかに生命の維持のために必要不可欠なものであろうとも、購買力のないところには供給されないし、逆にカネのあるところにはいくらでも過剰に供給される。したがって、いかに穀物が豊富であろうとも、それは貧しい国の子どもたちの口には入らず、先進国の牛や豚のエサになる、ということが起こりうるのである。

したがって、この問題を根本的に解決するためには、少なくとも食糧の供給に関しては、経済構造を根本的に改めるしかない。すなわち、食糧にかぎっては商品流通とすることを止め、完全な配給制として国連の監視下に置き、世界中に平等に分配する。こうでもしないかぎり、第三世界の子どもの飢餓は絶対になくならない。
しかしながら、国連でそうした提案がなされることはない。なぜか。その理由は明白である。「第三世界の飢えた子どもたちのために、自分たちの食生活の贅沢をあきらめるつもりはない」というのが、先進国の人々のホンネだからである。__中略__ 自分は毎日肉をムシャムシャ食いながら、第三世界の悲惨な状態を嘆いているつもりになっているのだ。 ≫

極端な表現だとは思いますが、人間の本質をついていると思います。

社会主義思想の持ち主ですら世界的統制経済の提案を口にしないところに、人間の腰抜けぶりが表れているではありませんか。

こんな人間、いったいどうしたらいいんでしょうか。

私は、科学技術の発達は人類の平等な幸せへの道を拓くと思っていますので、技術開発にお金を惜しまないことと、子供たちの科学教育に力を注ぐことが、人類の幸せへの現実的な手段であると思います。

しかし、戦争の原因が、民族の誇りだとか宗教である場合はもうお手上げです。(私は実のところ、これらの問題もやはりおおもとの原因をたどれば経済的なことに行き着くのではないかと想像しておりますが)

その場合はやはり宇宙人来襲に期待するしかありません。

因みに言わせてもらえば、護憲改憲の問題は「平和実現への手段」ではなく、日本が国際社会でどういう立場をとったら最も国益にかなうか、そういう問題だと思いますので、これをいくら議論しても平和に近づくわけではない、そう考えております。

     
           よろしくお願いします →人気ブログランキング

この記事は一知半解男さんのこちらの記事にTBさせていただいております。 →  http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-74.html

.

|

« 河は流れる | トップページ | 「もやしもん」 »

コメント

食料の配給制については賛成ですが、
きっと旧社会主義国の崩壊を見た人がそろって、
「それでは人は働かない」
というのでしょうね。
事実、最低限の衣食住があった場合には、
意欲を失い働かなくなったという事実があるのですから。

“経済活動と社会保障の兼ね合いをどこに線引きするか”

難しいところですね。
そういった意味では、宇宙人襲来はありかもしれませんね。


個人的には護憲よりなのですが、「国益にかなうか」と
考えている人が居るのは、残念ながら事実ですが、
世界中から銃・兵器が無い国際社会になってほしいと考えると、
全世界が戦争放棄・兵器放棄となってほしいものです。

投稿: さじった | 2008年6月 6日 (金) 20時26分

戦争の時代を、日本のかつてを見てきた人たちの、本を私なりに読んできました。
組織として下した結論に沿って、派兵なり、軍需物資の輸送なりが行なわれていた現実に、教えられることが多くあります。
戦争が、蓄財に結びついた人たち(そういう人たちに限って、軍部に取り入るのが上手く、親族の派兵先も配慮してもらうとか…)、軍人といっても、戦地の銃撃戦の場でないと、公務員のごとく、物資や人員の管理が仕事といった風だったり。
そういう話(書物をとおしてでも)を知ることで、勿論ほんの一部でしょうが、その時代を想像することができます。
その本を書いた人と実際には出会うことはありませんが、彼らが、次の、そのまた次の世代に残したくて、書いてくれていっているのだと、そういう思いが、ひしひしと伝わってくるのです。
教養のあるとかないとか、という表現で区分けなさるタイプなのかもしれませんが、どこからが、ありで、どこからが不足している、といったものではありません。
その時代を真摯な目で捉え、書き残そうとされている書物が多くあること、そういう先人を先輩達を持っていることを幸いと思っています。
そういうかつての現実を見聞きしていると、戦争という方法はいけない、と意思を打ち出すときも、少し基盤が太くしっかりするのでは、と思ったりします。

投稿: 街中の案山子 | 2008年6月 7日 (土) 10時23分

★さじったさん、

>「国益にかなうか」と
考えている人が居るのは、残念ながら事実ですが<

国益を考えること自体が残念だと仰ってるのではないとは思いますが、改憲または護憲が日本にどのようなメリットをもたらすのか、それを考えるのは当然のことと思います。

私は実は護憲でも改憲でもどっちでもいいかなあ、なんて思ってるのですが( →こちら )、やはり日本国民としてあいまいな態度は良くないと思いますので、改憲に一票入れようかなと思っております。
やっぱり、貧乏はほとんどの人が望まないと思いますので。

>全世界が戦争放棄・兵器放棄となってほしいものです<

そうですね。でも、全世界に憲法9条を広めたり兵器を放棄しても、争いはなくならないと思いますよ。
世界を支配したいという集団が現れて密かに兵器を製造したらどうなるでしょう。

さじったさんは「お玉おばさん」のブログをご存知でしょうか。護憲派と改憲派の討論が活発に行われています。
私はそのブログができた時にしばらく読んでいました。あまりにコメントが多く長いので読むのをやめていましたが、最近また読むようになりました。
でも、その当時(たぶん3年くらい前)と同じことを相変わらず議論しています。つまり、平行線のまま延々続いているわけです。
もちろん、その時々の出来事について新しい論議は行われますが、基本の護憲、改憲の立場は全然変わりません。
これからもこれを続けて何か進展があるのだろうかとか、これだけ双方が相容れなければついには戦争に突入してしまうのではないかなどと心配します。

さじったさんも論議に加わってみてはいかがでしょうか。
管理人のお玉おばさんは、非常に心の広いかたで、ご自分にとって都合が悪いであろう改憲派の意見も堂々と表に出されます。
コメントを受け付けなかったり自分に都合の悪いコメントを隠してしまうブロガーが多いそうですが、その中でこういう態度はあっぱれだと思うのです。ま、人それぞれ事情があるのでしょうから、単純に他の人の批判をしてはいけないでしょうが。

お玉おばさんのところの討論は平行線ではありますが、見ている人には非常に参考になります。
あの討論を見ている人がどう思うか、そのことに大きな意味があると思います。お勧めです。


投稿: robita | 2008年6月 7日 (土) 13時43分

★街中の案山子さん、

>戦争が、蓄財に結びついた人たち(そういう人たちに限って、軍部に取り入るのが上手く、親族の派兵先も配慮してもらうとか…)、
軍人といっても、戦地の銃撃戦の場でないと、公務員のごとく、物資や人員の管理が仕事といった風だったり<

こういうことは、いつでもどこでも起こり得ることだと思います。
似たようなことは今の日本でも起こっているでしょう。汚い人ずるい人はいつでもどこでもいるものです。
そういうことに目をつぶりましょうと言っているのではなく、物事を色々な角度からとらえ、まさに案山子さんの仰る「その時代を真摯な目で捉え」ることをしなければいけないと言っているだけなのですが。

>教養のあるとかないとか、という表現で区分けなさるタイプなのかもしれませんが<

「私には教養も知識もありません」というのは、先の大戦について自分の意見を言うのに、ほとんど本も読んでいない勉強もしていないことをちょっと自虐的に言ったものです。充分な知識がなくてもこれくらいのことは私にもわかるので言わせてくださいというささやかな自己主張のつもりでした。もっと勉強しなさいとかこのサイトを読んでみなさいとかお叱りを受けることがあるものですから。何かお気に障ったのでしたら、たぶんそれ誤解だと思います。

>戦争という方法はいけない<

戦争という方法はいけないと私も思いますよ。


投稿: robita | 2008年6月 7日 (土) 13時47分

Robitaさん、こんにちは。
拙記事紹介ありがとうございました。

平和を唱えることは簡単ですが、実際に維持するのは別問題なんですよね。
経済問題が発端の戦争なら、原因がはっきりしているだけに対処しやすいのでしょうけど、Robitaさんの仰るとおり宗教とか民族とかが絡むと、解決が難しくなりますね。

TBできないとのお話ですが、設定変更してないので以前TB頂いたように出来るはずなんですけどね。一応、私の方でもコメント欄にRobitaさんのリンク貼っておきました。気が向いたら、もう一度試してください。宜しくお願いします。

それはさておき、ひょっとして引用文を手で入力されているのですか?それは大変。
私は、マルチプリンターのスキャナーで原稿を読み取って、文字認識ソフトでテキストに変換しています。これ楽ですよ。
ちなみに、私が使っているのはキャノンのMP600ですが、今なら1万5千円もしないと思います(文字認識ソフトはもちろん同梱されてました)。認識率もまあ許せるレベルです(修正作業も手で入力するよりは全然楽です)。
もし、お持ちで無いようでしたら、検討してみてはいかがでしょうか?

投稿: 一知半解男 | 2008年6月 8日 (日) 14時42分

★一知半解男さん、

>平和を唱えることは簡単ですが、実際に維持するのは別問題なんですよね<

仰る通り、まさに「別問題」。ここが一番のポイントであるのにもかかわらず、ここに共通の理解がなされていないんですね。以前こんなの書きました。→ 「平和大好き」 

>ひょっとして引用文を手で入力されているのですか?それは大変。<

ひょっとしてみなさんは何か簡単な方法でやっておられるのかなあ、とは思っておりましたが。
素晴らしい製品があるのですね。
これからも長文を書き写すことがあるかどうかわかりませんが、考えてみます。
ありがとうございました。

投稿: robita | 2008年6月 9日 (月) 11時38分

すみません、国益にかなうかについては、
ほとんどすべてだったりするので。。。
ま、私益・国益があることで、
「がんばろう」
って思うのでしょうから、なくすわけにいかないんだろうなと。
私自身は、今は嫁にあれこれ言われて動いている感じです。
きっと、一人身だと何も感じないのかも知れません。

改憲・護憲って、本当は二者択一でなくて、
「良いところは残して、悪いところは直す」
のが必要かなぁと思うので、そういった意味では
改憲側かな。
でも、9条とか基本的人権とかは残したい、
そういったところは護憲派かな。
どっちつかずだったり、結論がでないのは当然ではないでしょうか?
と、思ってしまいます。

投稿: さじった | 2008年6月 9日 (月) 18時49分

★さじったさん、

>私自身は、今は嫁にあれこれ言われて動いている感じです。
きっと、一人身だと何も感じないのかも知れません。<

?家族のために利益で動いている、という意味ですか?


>「良いところは残して、悪いところは直す」
のが必要かなぁと思うので、<

9条について私はそう思っていますよ。
長年、違憲状態にあるものを現実に合わせる、ということで、2項を変えることには何の問題もないように思います。
あいまいなままにしておくと法律は権威を失う、という考え方に共感します。
平和国家を目指すという9条の基本的精神は大事にするべきでしょう。
私は昔から「今の時代、いったいどこの国が日本に攻めてくるというのだ」と思っていましたが、今もその思いは変わりません。
周辺国家の脅威がどうのこうのと言われても「どこかの国が攻め入ってくる」という実感が湧かないのです。平和ボケなのかもしれませんが。
でも、領土問題などにおける国家の意思の示威や国際的な平和維持活動への協力に軍事が必要であるなら、その現実は受け入れるべきと思っています。

投稿: robita | 2008年6月10日 (火) 13時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 平和への道:

« 河は流れる | トップページ | 「もやしもん」 »