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2008年7月22日 (火)

おバカ賛歌

 ♪ チャ~ラ~ ヘッチャラ~ アタマからっぽのほうが~ 夢つめこめる~ ♪

これは、子供たちが小さい時、よく見ていた「ドラゴンボール」のテレビアニメの主題歌の一節です。

この漫画自体は大変おもしろく、私も好きだったのですが、この主題歌のこのフレーズに引っかかるものがありました。
頭悪いほうが、でっかい夢が見られるんだ、勉強なんかしなくたってへっちゃらなんだ、・・そんな表現に、「それは違うんじゃないの」と感じていました。
単なるアニメソングだから特にこの歌詞自体にどうこうと文句をつける気はないのですが、あの頃(実はもっと昔からだったかもしれないし、もしかしたらいつの世もだったかもしれない)、頭の良い人々や勉強熱心な人々や人生の成功者たちを指して、彼らがなにか心が狭いとか、狡猾であるかのような言い方をする風潮がありました。

普通に考えれば、努力をしない者より努力する者のほうが偉いし、勉強しない者より勉強する者のほうが偉いのにもかかわらず、勉強すれば「ガリ勉」とか「勉強ばかりして世間知らずだ」と蔑まれ、成功して金持ちになれば何かと陰口をたたかれる一方で、世を拗ねて勉強もせず周りに迷惑をかけ、落ちぶれれば同情してもらえ、救済してもらえるみたいなことに、この世はなっていないでしょうか。

私にも覚えがあります。
今と同じで、東大に通っているような秀才が事件を起こすことは昔から結構あって、そういう時、勉強の大嫌いな私は、「勉強ばかりしてるから頭がおかしくなったんだ。あんまり勉強するとこういうことになる」なんてことを言って父親に叱られたものです。
「お前アホか。そういう特殊な例をもってきて勉強を否定してどないすんねん。努力することのどこが悪い」と。

 

以前、評論家の山田五郎がラジオで、テレビドラマ「ごくせん」を例に挙げ、不良に比べて真面目な秀才の扱われ方の不当性を論じていました。

≪どう考えても、真面目に勉強してる高校生より、不良のほうが悪いでしょう。
それなのに、あのドラマでは、不良は純粋であるがゆえに世間に誤解されていて、勉強ばかりする秀才はみんな性悪、みたいな描き方をしてますよね。
スポーツなんかで頑張ってる人は賞賛されるのに、なぜ、『勉強を頑張ってる人』というのは、世間では悪く言われるんですか。
官僚が悪いのは、自分たちをさんざんあざ笑ってきた世間のやつらに対する復讐なんじゃないかって思っちゃいますよ ≫

 

「鈴木先生」(武富健治)という素晴らしい漫画があるのですが、中学教師のこんな台詞があります。

 

≪世間でも現場でも___
 今は 落ちこぼれや問題児が いかに傷ついているか____
 そこに意識を割くことに傾いている・・・
 まだ足りない まだ足りないと____
 それはそれで事実だが・・・
 
 だけど 
 いまの学校教育は
 我々が普段思っている以上に____
 手のかからない子供の
 心の磨耗の上に
 支えられているんだ・・・≫

 

これはタレントの伊集院光氏が、ヤンキー先生こと義家弘介氏に対して発した疑問に重なります。

問題児は問題児で「そうなった事情」というものがあるのでしょうし、そういう事情を酌んで丁寧な指導というものが求められるのもわかりますが、一方で「二の次、三の次にされる『普通の子』『真面目な子』『頑張ってる子』」にかかってくる負担や疲弊が忘れられがちなのでしょう。

もっと小さい頃から「勉強」「努力」の大切さを教え込む、そういう単純な「刷り込み」こそ必要なんじゃないかなあ、と思います。
「バカのほうがカッコ良いんだ」じゃなく。

 

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コメント

「スポーツなんかで頑張ってる人は賞賛されるのに、なぜ、『勉強を頑張ってる人』というのは、世間では悪く言われるんですか。」
のフレーズで、息子のこんな問いかけを思い出しました。

-スポーツでいい成績をとると表彰されるのに、勉強でいい成績とっても表彰されないのは、何で?ー

夏休み明けに表彰されるスポーツ得意の同級生を見て思ったのでしょう。勉強だったら表彰状のひとつももらえるのに、羨ましかったのかもしれません。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月23日 (水) 08時08分

★街中の案山子さん、

>勉強だったら表彰状のひとつももらえるのに、<

でも、試験で100点取った人を発表したり、成績順位張り出したりはありませんでしたか? こういうのは今はないのかな。
ウチの息子の学校では試験の科目ごとに成績優秀者に表彰状出してましたね。やる気が出てなかなか効果的なんじゃないかと思ってました。

ただ、やっぱり世間的に見ると、勉強組は「ガリ勉」と蔑まれるのに、スポーツ組はそういうことはないですね。
考えてみると、スポーツは、頑張ってる姿とか結果が自然に周知されるのに対して、勉強のほうはそれが周りにあまりよく見えないところから、自分で宣伝せざるを得なくなり、「自慢げ」とか「鼻にかけてる」という印象をもたれやすく、反感を買ってしまうのかもしれませんね。

投稿: robita | 2008年7月23日 (水) 17時57分

イヤー、団塊世代の私の頃は、学年順位を廊下に張り出していましたが、子供らの頃の公立学校で、そんなことはありませんでした。
「芸は身を助ける」といいますが、おとなしいタイプだったのにいじめに遭わなかったのは、成績がよかったことで救われたのかな、とは思います。
ああ、子供らの名誉のために付け加えて起きますが、塾にも行かず、よって学校の課題以外の勉強はせず、その時々のブームの遊びに熱中していたように思います。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月23日 (水) 23時23分

★街中の案山子さん、

>団塊世代の私の頃は、学年順位を廊下に張り出していましたが<

やっぱりあったんですね。話には聞いていましたが。私はそういうの経験していないんですよ。

>塾にも行かず、よって学校の課題以外の勉強はせず、その時々のブームの遊びに熱中していたように思います<

勉強しなくても成績の良い子っていますよね。
ほんとうはそういう子のほうが妬まれるんじゃないかという気もしますが、実際は「頑張る子」が敬遠されるのは、何か別の要因が働いているんでしょうね。

投稿: robita | 2008年7月24日 (木) 09時18分

中学1年の初めての7クラスか8クラスの一斉試験の成績が、廊下に100番くらいまでズラッと掲示されました。
一桁、女子でトップでした。どこか自信のなかった私でしたが、へぇー私なんかでも、こんな形で良い思いもできるのだと、そう思った記憶があります。中学時代はそんな調子。だから、そのとき学んだ教育の基礎部分って、割と覚えていますよ。試験前1週間だけ勉強する。それを心がけていたような気がするので、自分の子供にもそれだけで充分、そんな考え方でした。きっと、私立中学などでは違うのでしょうね。
アハハハ、今は昔の話でした。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月25日 (金) 07時28分

★街中の案山子さん、

>一桁、女子でトップでした。<

わあ、すごいですね。

>試験前1週間だけ勉強する<

「それほど勉強しなくても出来るタイプ」ですね。

私は出来ないタイプでしたけど、それでも「学校の授業さえちゃんと聞いていれば落第はしない」とは思っていたので、いつもいつも一夜漬けでした。
案山子さんは試験前一週間も勉強なさったのだから私から見るとすごく真面目です (^^)

今の私立学校はどこも「進学実績」を上げることに血眼なんでしょうけど、私の学校時代は私立でものんびりしたものでした。
勉強ガンガンやらせるというより、今から思うと楽しい行事などがすごくたくさんあって、日々の授業は「受験に向けて」のものではありませんでした。だいたいの学校がそうだったんじゃないかなあと思います。だからこそ、それぞれの学校で「スクールカラー」というものが如実に表れていたように思います。
あの頃は大学進学実績も都立や県立の方がよかったんですよね。

今の子供にも、勉強は大事だけれど、学校生活の楽しさというものも味わわせてやってほしい。
それは、案山子さんがやってこられたように、小学校中学校で基礎をきっちり学べば、つまり土台さえ固めれば、きっと可能だろうと思います。

投稿: robita | 2008年7月25日 (金) 13時46分

学校で一番は、学校の数だけいるし、クラス一番は、全国のクラスの数だけいるのです。それって、どおってことないのです。
「勉強」ってどういうことが理解しないで、やみくもに「子供は勉強すべし」と押し付けている、「お母さん」を思うと、??になりますが、それぞれ事情があるのでしょうね。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月28日 (月) 12時55分

★街中の案山子さん、

>それって、どおってことないのです<

・・・・なんとお返事してよいやら・・・・(^ ^;) 

子供はいろいろですから、ほっておいても好奇心満々で授業聞いたり本読んだりする子もいれば、「勉強すべし」と強制しなければ楽なほうにしか行かない子もいますしねえ。
子供に勉強させるのはなかなか難しいことです。
だから、「自ら学ぶ意欲を持たせる教育」とか「学ぶことが楽しくなるような教育」とかが必要だと言われるんでしょうけど、そういうことは教育のプロの人達がたくさんいるんですからちゃんと考えてくれているんですよね。

投稿: robita | 2008年7月30日 (水) 10時12分

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