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2008年7月18日 (金)

笑うと腹筋にも良いそうです

先日、紀伊国屋寄席に行ってきました。
落語をよく聴きにいくわけではありませんが、只の券が手に入ったので。

客席は中高年でほぼ満席。
噺家さんのほうも、しばらく見ないうちに年を取って、若手だった人が重鎮然としてトリを務めていたり。

落語家は年を取っても「キレ」がなくなるということはなく、「円熟」に味わいが出て価値が高まるもんなんですね・・・、なんて私にわかるわけないんですが、充分楽しませてもらいました。

いま、テレビではお笑いが大はやりです。
はやりというより、私の見るところ、日本人ほどお笑いに熱心な国民もいないんじゃないかと思うほど、今の日本のお笑いは多種多様で、進化し続けています。

先日の寄席で、三遊亭圓窓さんが「落語だって時代に合わせて変わるのは当然のことで、江戸時代の落語をそのまんま今やったって何のことだかわかんないと思いますよ」と言っていましたが、テレビで見るお笑いは目に見えてその変化を感じます。

何に笑うかというのは人によってずいぶんとちがいますね。

外国と日本のお笑いは違って当然と思いますが、同じ日本人でも、笑いのセンスは共通していません。

テレビのお笑い番組なんか一切見ない、という人にはなんのことだかわからないかもしれませんが;

私は「ジョイマン」が大好きなのですが、息子は「ハイキングウォーキング」のほうが絶対笑える、と言います。

「バカリズム」の芸を初めて見た時爆笑しましたが、価値を認めん、と切って捨てる人もいるでしょう。

「鳥居みゆき」には何の面白みも感じませんが、売れているところをみると、あれを楽しんでいる人も多いに違いありません。

お笑い番組「爆笑レッドカーペット」で、大いに笑わせてくれた芸人が「中笑い」になったり、ちっとも笑えなかったのに「満点大笑い」がついたりすると釈然としませんが、笑いのツボは人によって違うものだと実感します。

うちは食事の時でもテレビをつけて、バラエティ番組など見て楽しんでいます。

「欧米では、食事中にテレビを見るなどもってのほか。家族で会話を楽しみながらきちんと食事しなくては、立派な大人になれない」などと意気込んで一応はテレビをつけない努力をしたこともありましたが、すぐに敗北しました。
まあ、お笑い芸人のやりとりから何か学び取るのもいいか、なんて。

日本のバラエティ番組は概して面白いと思うのです。
「くだらない。出演者が内輪でふざけあって楽しんでるのを見て何が面白いのだ」というムキもありましょうが、そのふざけ合いの喧騒の中にも、引き締めを感じさせてくれる場面があって、感心してしまうことも多いです。

たしかに、何の芸も持たない人がバラエティ番組要員としてテレビに出て騒いでいるだけでは番組として成り立ちませんが、それらの凡庸な「芸能人」の言動を実に巧みに拾い上げて「笑い」に仕上げてしまう才能を持った人々がいます。

ウゾームゾーのタレント達の何ということのない言動への、今田耕司、中山秀征、上田晋也などの天才的ともいえる対応には舌を巻きます。その突っ込みが、芸のない芸能人の存在を際立たせているのがよくわかります。(中山秀征については、日曜お昼の「ウチくる!?」の仕切り振りに注目)

笑うのも笑わせるのも、ともに大きな快感を得ることができ、その悦びは人間にとって是非とも必要なものです。

不景気な時世だけでなく、どんな時も、お笑いのタネを蒔いて笑わせてくれ、まさに世の憂さをはらしてくれる芸人さんたち、研鑽を積み重ねていってくださいな。対価は支払いましょう。


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single40さんの「靖国問題(2)」 に爆笑し、快感に浸るかたがたも多いことと思います。あー面白かった。

 

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コメント


<只の券が手に入ったので。>

と、

<対価は支払いましょう。>

は、論理矛盾しているように思いますが(笑い)。

小泉氏が首相に就任した当時、クラシックや観劇が趣味だと言うことで、あちこちから招待の話がきたそうです。
彼曰く「自分の好きなことには、自分のお金を出して行きます」と、コメントしておられました。
私には招待券大好きなおばさん仲間もいますが、<時には>小泉さんの真似をしたくなる案山子です(笑い)。

投稿: 街中の案山子 | 2008年8月 8日 (金) 07時28分

★街中の案山子さん、

≫<只の券が手に入ったので。>

と、

<対価は支払いましょう。>

は、論理矛盾しているように思いますが(笑い)。≪


たしかに(笑)
しかし、論理的に書けば次のようになります。

「私は楽しませてくれたものにはそれ相応のお金を支払いたいという考えだ。しかし、先日、夫が知人から『楽しみにしていた寄席に行けなくなった』と貰い受けたチケットをくれたので、夜外出するのは気が進まなかったが、せっかくのチケットを無駄にするのももったいないし、『行っておいで』と背中を押されたので思い切って出かけた。たまにはこういうこともある」

これでどうでしょう(笑)

私は漫画が好きなのですが、主婦として使えるお小遣いのほとんどをそれに費やしています。
「ブッ○オフ」などの古本店や漫画喫茶などは一切利用しません。
良いものには投資して、もっと良い作品を生み出してほしい、と思っています。

ずいぶん前ですが、 「料亭文化」 という記事のコメント欄でそういう論議をしています。

節約は他の面でやります。案山子さんも同じ考え方だとお見受けしました。

投稿: robita | 2008年8月 8日 (金) 10時12分

つまらぬ横やりに、ご返事いただき相すみません。

<私は漫画が好きなのですが、主婦として使えるお小遣いのほとんどをそれに費やしています。>

・・・そうなのですか。
私はダメなのです。
但し、我が家は漫画の宝庫です。
でした、かな?

本棚はもちろん、タンスやベット下の引き出しも、ええっ!と思う収納場所まで漫画本であふれている家でした。

父親も漫画のどこが悪い?というタイプで、父子でよく読んでいました。
私だけがカヤの外。
キミは頭が固くて受け入れられないのだ、と、言われてしまいます。
但し、娘曰く、少女漫画の類はないのだそうです。

実は、もう10年ほど前のことですが、漫画家の端くれになりかけた子もいます。ペンネームで検索すると、今だに中古本ないですかと、探している人がいたりして…。
あっ、その子が言っていました。ブックオフで売れても、作家には一円も入らないんだよって。
今思えば、奇特な体験でした。

投稿: 街中の案山子 | 2008年8月 8日 (金) 12時34分

★街中の案山子さん、

>私はダメなのです<

わかりますよ。私もそうでしたから。
子ども時代は漫画大好きでしたけど、大人になっても漫画を読む人の気持ちがわかりませんでした。

結婚した時、夫が学生時代から読んでいたという漫画雑誌を私も読むようになり、食わず嫌いだったことに気づきました。
今では、私のほうが「優れた読み手」です(笑)

案山子さんは、食わず嫌いなのか、それとも、良い漫画に出合えていないのか、それとも世間で高く評価されている漫画をいくつか読んでも好きになれないのか、どれなんでしょう。

それぐらいの感動なら小説でも得ることができるし、絵という形態より、文字だけを通してそれを味わいたい、ということなら無理にお勧めしませんが(笑)

私は、小説もいいけど、漫画もいい、と思ってます。

>実は、もう10年ほど前のことですが、漫画家の端くれになりかけた子もいます<

えっ、それは案山子さんのお子さんが、ということですか。
本を出されて、今でもファンがいる、ということは、たいしたものではないですか。驚きです。

投稿: robita | 2008年8月 9日 (土) 16時48分

私が一気に読んだのは、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」です。火の鳥やブッタはじめ、殆ど全部そろっています。
横山光輝の三国志も60冊あります。そのほか全冊そろいがいっぱい。巣立っていくとき、子供がまとめ売りをしたりしていましたが、上記のものなどはまだまだありますよ。スラムダンクとかドラえもんも。これらの類は何があるのかも、そもそも知りません。ドラゴンボールは新発売のときに、小学3年生の娘が本屋さんに予約していたらしく、本屋さんから届いたと電話があったほどです。
でも、私、融通が利かない頭の持ち主らしいのです。
黄昏流星群とか人間交差点、は読んだ時期がありますけれど、もう10年も前でしょうか。

投稿: 街中の案山子 | 2008年8月 9日 (土) 17時05分

★街中の案山子さん、

「アドルフに告ぐ」は面白いですねー。
私が読むのは「ビッグコミック」「ビッグコミックオリジナル」に掲載されたのがほとんどなので、少年コミックはほとんど知りません。

投稿: robita | 2008年8月 9日 (土) 17時33分

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