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2008年7月 4日 (金)

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国内にうずまく様々な問題に関して、「政治が悪い」「国の責任だ」「国がなんとかしろ」と批判してさえいれば何か変わると思うのはもうやめる時なのかもしれません。

考えてみれば「国」を造っているのは国民一人々なのですから、その一人々がなんとかしなければなんともならないわけです。

つまり、人の「意識改革」が一番大事だということなんです。これに異を唱える人はいないと思います。民主主義なんだからそうなんです。

で、世の中は、自発的に意識を改革する人ばかりではありません。

じゃあ誰が大多数の「意識を改革しない人」を導くのでしょうか。

国の指導者が「国民のみなさん、意識を改革してください」なんて言おうものなら大変です。「自分たちの責任を棚に上げて国民に責任を押し付けるのか!」と大騒ぎされるだけです。

橋下大阪府知事が「僕が最終的にめざしているのは地方分権です」と言ったのに対し、伊藤忠商事会長で「地方分権改革推進委員会」委員長の丹羽宇一郎氏が、「地方でそんなこといくら言ってても始まらない。国の構造をまず変えていかないとだめなんですよ。橋下さんの改革の志は立派だし支持するが、そこのところが彼のわかってないところなんですよ」と批判していました。

私は両方の言うことはそれぞれに正しいと思います。
丹羽さんは経営者としての辣腕ぶりや清廉な人柄が高く評価されている立派な人で私にとっても憧れの人物の一人です。
でも、丹羽さんがたぶんわかっていらっしゃらないのは、橋下さんの「人の意識改革をやる。それを大阪という地方から始める」という意気込みなのだと思います。

ちょっと大袈裟な例ですが、ずっと前、中国の経済改革がある貧しい農村の死をも覚悟した決断から始まった、というNHKのドキュメンタリーを見たことがあります。

≪ 1978(昭和53)年暮、安徽省鳳陽県小崗村、人民公社の農民18人が集まった。
「このまま農業をやっていても生活できない。生産請負制(生産隊の農地を各世帯に分け、生産も分配も世帯に責任を負わせる方式で、農民の労働意欲を高め、増産しようというもの)を始めよう」「見つかれば、社会主義に反することだと、罰せられる。秘密を守ろう」「もし誰かが逮捕されたら、差し入れに行く。死ぬようなことになったら、子供は18才までは村の皆が責任もって育てる」との血判状を作って、農民は生産請負制を始めた。
 同じ頃、安徽省鳳陽県前倪(ぜんげい)村、馬湖人民公社前倪生産隊で同じ動きがあった。どちらも秘密を守っていたがいつまでも守れるものではなかった。
前倪村に共産党中央からの調査団が来た。人民公社書記は1週間の事情聴取を受けた。
この調査の責任者、安徽省第一書記万里は党中央に報告し、生産請負制を押し進めるよう進言した。
後に万里は農業担当副首相に就任。
これをきっかけに人民公社は解体し始め、83年末には全国の94.5%にのぼる農村で土地公有制に基づく生産請負制が実施されている。 ≫

http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/global.htmlより抜粋させていただきました)

≪ 18人の農民が、命を失う危険を冒して土地の請負契約書に押印した時、理論的な根拠は何もなかった。
農民たちがただあまりにも長期間に飢餓を強いられ、もはや前途がないと覚悟したため、投獄されることも死ぬことも恐れず、改革に踏み切ったのである。≫

http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/010910kaikaku.htmより抜粋させていただきました)

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思想や理論でメシは食えない、という農民の切実な思いが改革の端緒を拓いた、ということでしょうか。

今の日本でこれほどの覚悟を必要とするのでしょうか。
小学生の3割、中学生の6割、高校生に至っては9割以上が携帯電話を所持している。
食べきれずに日々捨てられる大量の食べ物。

どれだけ貧乏になれば、あの中国の貧しい農民ほどの壮絶な覚悟ができるのでしょうか。

ところで、私は地域のシニアクラブに所属しています。昔で言う老人会ですわね。
住民同士の親睦の意味もありますが、地域貢献できることはないかと模索中です。
発足したばかりですし、私も長く家を空けられないのでまだこれといって何もできませんが、3.4人で地域を一巡りするパトロールだけは定期的にやっています。
後期高齢者のかたがたとお喋りをしながら一時間ほども歩くと地域の歴史や現在の問題点などの情報が得られますし、良い運動にもなります。
パトロールをやったからといって防犯の役に立っているとは思いませんが、地域の人を知ることは地域力をつけるための第一歩だと思います。

地域で政治活動をするという意味ではもちろんありませんが、住民同士、もっと知り合い、情報を交換し、そこから地域の成すべきことが見えてくるのではないかと期待しています。

国はこういう施策を行うべき、とか、こういう方針を打ち出すべき、とか、それは色々あるでしょうし、やるべきことを国は国でやってほしいと思います。
同時に我々国民も自分の足元を見直し、国民の側からできることはないかと考えたらどうでしょうか。

地域を自分たちの手で変えていく、という意識は国を変えていくことの原点になります。

国から「ああせいこうせい」と言われるのがイヤなら、自分たちで考え、動くしかないです。
人の意識を変えるのは、自分たち自身であって、国ではないと、このブログでも沢山のご意見をいただきました。
不満を秋葉原のようなことで爆発させたり、それをまた「気持ちはわかる」などという恐ろしい言葉に託して政府批判をしたりする前に、貧しい中国農民の決死の覚悟の表し方を学んだらいいと思うのです。

地域活動への参加というのは、単身者、特に若い世代にはなかなか難しいことですが、子供や老親やご近所を通して、教育、介護、環境などを現実問題として目の当たりにしている人たちがこれらについての考えを地域社会で交換し合うことが大事と思います。

それを担うのは主婦や高齢者だと思いますし、そう考えればこれらの人々の仕事はたくさんあるんじゃないでしょうか。

地域社会の再構築によって個人々の意識が変わり始めるかもしれない、そういう方向でものを考えてもいいじゃないかと思います。

中国安徽省の農民の決意の話と関連させるには小さすぎる話ではありますが。

        
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コメント

 有名なリンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」と言う言葉は、国は人民の為に政治をしなくてはならないという意味ではなく、人民は国に何をして貰らうかではなく、国に積極的に関与して応分の責任を分かつことを人民に対して言った言葉だと聞いています。
 仰るように、自分に出来ることを実際に自分でするというのが大切で、あれこれ批判をしても始まらないと私も思います。

投稿: 山本大成 | 2008年7月 4日 (金) 13時36分

Robitaさん、こんばんは。

今回の記事、共感できる点が多かったです。こういう視点をみんなが持つことができればなぁ。

Robitaさんのように自分の言葉で書けず、また何の解決策も示しておらず、それでいて、他人の引用にすぎませんが、私も似たような記事をUPしましたのでTBさせてください。

宜しくお願いします。

投稿: 一知半解男 | 2008年7月 5日 (土) 01時17分

こんにちは。地域活動ご苦労様です。こういう活動にかかわっているシニアの方々は本当に忙しいと思います。^^;それが元気の素でもあるのでしょうが。Robitaさまは こうしてネットもされていますが そうでないシニアの方も多いと存じます。ぜひネットでしか知りえない情報もある、テレビや新聞はそれを故意に隠蔽していることも何かの機会に伝えていただければ と思います。

投稿: でこサングン | 2008年7月 5日 (土) 10時25分

-考えてみれば「国」を造っているのは国民一人々なのですから、その一人々がなんとかしなければなんともならないわけです。

そうですね。
朝日の日曜版の特集記事に小泉内閣のとき大臣をされていた川口順子さんが登板なさったことがあります。その中に「私は、『(どの国においても)国民は国民の程度に応じた政府を持っているものだ』という思い(考え方)を持っています」という文章がありました。民主主義のレベルも、国民のそれについてのレベルを反映しているものだとという見識に同感しました。
先日の女性たちの集まりで、また私学助成金を増して欲しいという陳情書への署名用紙が廻ってきました。
例年、毎度のことです。みんな慣れた手つきでサインします。あなたはもう済んだ?と聞きあっています。
署名することの是非への判断は見受けられず、知り合いに頼まれて、名前を書くだけだから…、という意識です。
私学助成って言っても、公立を敢えて避けてエリート私学やお嬢さん学校私学に、通わせている人たちから、助成金陳情の用紙を頼まれたことが、最初だったこともあり、その陳情に??の思いを持ちました。
おばさんたちは(サラリーマンのおじさんたちも似たものかもしれませんが、私は知らないので)、友人に頼まれれば、自分の損になることでなければ、角を立てません。
そんな場合の私に出来ること、
「私はサインはしないのです」と意思表示すること。
助成金が増えても本当に有意義な使われ方をしていると思えませんから。
橋下さんの、財政の大幅縮小にも、助成金カットありましたね。例年通り、でダメなときは、改革も必要なのに…。
ま、陳情書ぐらいで、行政は変わらないと思うのですが。
川口さんの言葉、ときどき思い出す案山子です。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月 6日 (日) 07時37分

★大成さん、

>自分に出来ることを実際に自分でするというのが大切で、あれこれ批判をしても始まらないと私も思います。<

自分の生活をなんとか維持するのにせいいっぱいで「国のため」などという余裕の心は生まれにくいと思いますが、「国のため」(まずは「地域のため」)は、結局「自分のため」になることに気づくことが意識改革なのだと思います。

投稿: robita | 2008年7月 7日 (月) 10時25分

★一知半解男さん、

ありがとうございます。
一知半解男さんの記事、良いですね。
これから書く記事で紹介させていただこうと思います。
そちらからのTBは届いていないようですが。

投稿: robita | 2008年7月 7日 (月) 10時26分

★でこサングンさん、

当然のことながら、こういう地域活動では「政治」と「宗教」の話はタブーですが、何かの機会に雑談として話題になることはあると思います。

投稿: robita | 2008年7月 7日 (月) 10時28分

★街中の案山子さん、

>国民は国民の程度に応じた政府を持っているものだ<

もっと強烈なのが、評論家の呉智英さんの「民主主義とは『バカは正しい』という思想である」という言葉ですね(笑)

>友人に頼まれれば、自分の損になることでなければ、角を立てません<

これですねえ、角が立つことは避けたいですよね。
でもそれも、表情や軽い言葉でなんとか切り抜けられるかな、と思っているのです。
というか、友人ならば、私はそれを機会に「是非への判断」を話題にするかもしれません。
ただ、大勢の中でそれができるかというと・・・・、難しいですね。

投稿: robita | 2008年7月 7日 (月) 10時30分

私は言葉オタクなのかも知れませんが・・・。

①>国民は国民の程度に応じた政府を持っているものだ<

②評論家の呉智英さんの「民主主義とは『バカは正しい』という思想である」

①と②の表現は同じ系列の強弱かというと、「??」と思うのですが、どうでしょう。
私はデモクラシーに対する信奉というか、命を賭けてデモクラシーを啓蒙した歴史上の人たちへの敬意を持っているものですから。②にように言われると、ちょっとね・・・。
ブッシュさんのデモクラシーとか、呉智英さんのデモクラシーとは違った、古来、強きものが勝ち残るという流れに異議を申立てた「デモクラシーの発想」は人類の宝だと(大仰ですね。笑)、かねがね思っています。

投稿: 街中の案山子 | 2008年7月 7日 (月) 11時33分

>①と②の表現は同じ系列の強弱かというと、「??」と思うのですが、どうでしょう。<

案山子さんのご指摘は文句なく正しいです。
案山子さんらしいご意見だと思います。

私は呉さんのような皮肉や屁理屈が好きで、好きな言葉を書いてしまいました。
現代の民主主義は歴史的に獲得した民主主義から見ると明らかに変質しています、と私は思います。

投稿: robita | 2008年7月 7日 (月) 14時18分

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