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2008年9月 9日 (火)

昔の政治家は立派だったという幻想

昔の政治家はもっと強靭だった、石にかじりついても「これをやるんだ」という強固な意志で政治をやった、と世間は口々に言う。

しかし、昔の政治は良かったのか。政治家はそんなに立派だったのか。

若い人たちが知らないのはわかる。しかし、私よりずっと年上の政治家や評論家がそんなことを言うのを見ていると「忘却し、懐古するとはこういうことか」と思う。

佐藤栄作は7年以上も首相を続けた、という。どんなマスコミの攻撃にも負けなかった、という。

しかし例えば佐藤が行った沖縄返還の際の密約は、今に続く米軍への「思いやり予算」の問題として、日本を悩ませる。

田中角栄は人間的魅力があって、ブルドーザーのごとく勇猛果敢でエネルギーに満ちあふれていた、という。

しかし派閥の親分としてカネを集めてはバラ撒いていた。

昔の政治家が良かった、というその心は、カネに汚くてもいい、裏工作をしてもいい、力技で物事を決断する政治家がほしい、ということなのか。

昔の国会の騒乱は今より暴力的で醜かったのを覚えている。
政治の裏側は国民にはわからず、汚い取引や裏工作が今より激しく行われていたのではなかったか。

しかし、そういう自民党政治のもとで、我々は高度経済成長を遂げ、豊かさを手にしてきたのだから、非難ばかりもできない。

大衆情報化時代を迎え、週刊誌やネットが騒ぐものだから政府与党は政治の裏を隠すことができなくなり、荒技も使えなくなった。

たしかに昔の総理大臣は在任期間が長かった。
今はすぐに変わってしまうし、辞めざるを得ない状態に追い込まれる。

でもたぶんそれは、昔の政治家が立派だったというより、国民の意識が変わったことに伴って政治の形態も変わったということなんじゃないだろうか。

産経ニュース「一筆多論」≪やはり憲法改正しかない≫(乾正人) を読むと、古い手法で政治をやっていた頃の、ある意味「やりやすさ」を思い起こすことができる。

たしかに海千山千の「やり手タイプ」の政治家は少なくなったし、真面目なお坊ちゃんが首相になる時代だ。

しかし、それを言うなら、国民全体がひ弱になったことも棚に上げてはいけないと思う。

ひ弱になったというより、もしかしたら首相が生真面目になった反面、国民の雰囲気は不真面目になったと言えるかもしれない。

昨日の「TVタックル」はひどかった。

福田首相を晒し者にして引き回し、嘲笑し、そこまで言うかというほど馬鹿にして、出演者全員で笑いころげ盛り上がっていた。

真っ当な批判は私は否定しないけれど、ああいうのを見せられると、「所詮バラエティだものな」とつぶやく以外にない。
しかし、あれを見て影響される人間もまた多いということを念頭において、もう少し低劣さを調整してほしかった。

産経NEWS「正論」≪政治家の「養成」という課題≫(東洋学園大学准教授 櫻田淳) を読み、「筆者は、政治の世界に限らず、罵倒や冷笑で人材が育った事例を知らない」というところに共感した。

櫻田氏の主張する、「一般国民もまた有権者たる資格や意識を自問すべきである」  は同感だ。

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