« 共同幻想維持に不可欠なもの | トップページ | テレポリティクス »

2008年9月12日 (金)

首相に物申す前に

櫻井よしこさんが怒っている。→産経ニュース【櫻井よしこ 福田首相に申す】国家観なき「雇われ社長」  

「国家としての誇りも自覚もない国は侮られるのだ。この上なく浅薄な友好の言葉しか発しなかった福田首相」と厳しく批判する。

気持ちはわかるが、福田さんにかぎらず、戦後の日本の首相は、誰も国家としての誇りを我々に提示してくれたようには見えなかった。

外交で、毅然たる態度、信念ある対応をとれなかったのは何も福田さんだけではない。

日本の弱みにつけこんで嵩にかかる中国や韓国に多少なりとも気概を見せたのは、小泉さんと安倍さんくらいなものだ。

その他のどの首相が、外国に対して毅然たる態度をとり、言うべきことを言ってきただろうか。

政権を担当する立場にない人々は、毅然たる態度を取らないからといって首相を厳しく責める。

でも、我々国民がすべきことは、ただ責めるだけじゃなく、いったいどうして日本は外国に対して言うべきことを言わないのか。言えないのか。 どうしてそんなことになっているのか。それを本気になって考えることじゃないだろうか。

.

       いつもありがとうございます →人気ブログランキング

.

|

« 共同幻想維持に不可欠なもの | トップページ | テレポリティクス »

コメント

本当は、もっと選挙に出馬しやすくするべきではと感じています。

いろんなところで、福田さん批判されていたり、
与党批判されている方がおられますが、
「国民がすべきは選挙で代表者を選ぶもの」
と勘違いされている方が多い気がします。
そこまでプランがあって、実力があるのであれば、
出馬すればよいのです。
と、私は思うのです。
で、そこで問題になるのが先立つお金だったりします。
もうちょっと何とかなりませんかねぇ・・・。


で、自分が出馬したらどのようにしたいかを考えること。
出馬がどうしてもできない場合には、自分の考えに近い人を選ぶこと。
そういったことを当たり前にできる環境になってこそ、
「真剣に考えること」
ができる環境になるのではないでしょうか?
自分の身が(自分の国が)どうなったらよいか、考えられるのでは?

最近の政治に関しての国民の態度が、
「他人任せ」
と感じるのは、私だけではないと思うのですが。

投稿: さじった | 2008年9月12日 (金) 12時35分

★さじったさん、

>出馬がどうしてもできない場合には、自分の考えに近い人を選ぶこと。
そういったことを当たり前にできる環境になってこそ、
「真剣に考えること」
ができる環境になるのではないでしょうか?<

普通、「この人に政治をやってもらいたい」と思う人を応援したり資金提供するのは、「自分の利益になるから」ですよね。
それが、「国全体のためになるから」と応援する人が増えれば、もう少し順調に2大政党に移行していくんじゃないでしょうか。

>そこまでプランがあって、実力があるのであれば、
出馬すればよいのです。<

私がこの記事で書いたのは「外交」のことについてなんですが、日本が外交力がないのは、首相に勇気がないとか、官僚に能力がないからじゃないと思うんです。

もちろん、そういうことは要因としてあるでしょうが、根本原因ではない。

「言葉を尽くせ」というけれど、使える材料がなければいくら言葉がうまくたってどうにもならないのではありませんか。
軍事力か、カネか、相手の弱みにつけ込むか、そのどれかを使うしかないと、素人の私でも思いますよ。

そのどれも利用しないで外交をちゃんとやれだなんてそんな無理難題言ってもねえ。

やはり、「お膳立て」が必要なのです。それもなしに、「プランがあって、実力のある人」が「私ならうまくやれる」と首相の座についたって、結局同じことです。

よく、テレビなどで政権批判して「私ならうまくやる」と言わんばかりだった人が政治家になっても結局口ほどでもない、という例がよくありますよね。

今、偉そうなことを言っている評論家たちだって、自分が総理大臣になったら挫折するに決まっているのです。

日本は、総理大臣が思い切ったことをできない体制になっているのではないですか。私はこれをまず改めないと、誰がなっても同じことの繰り返しだと思います。

日米同盟に振り回されるのが嫌なら、それをどう変えれば日本は大国に寄りかからなくて済むのか。
カネを使って世界中に味方を沢山つくっておくのか。
相手の弱いところを利用してこちらの有利に導くのか。
そういうことを現実的に戦略として立てないと、何の材料もなくただ「話せばわかる」ではお話になりません。そうじゃないでしょうか。

そして、一番大事なのが、国民の後ろ盾です。

日本人は愛国に目覚め始めて、「中国はおかしい」と思う人が増え、首相の靖国参拝に一例をとっても、それに異を唱える人が少数派になったと思うのです。(マスコミは相変わらず騒ぎ立てますが)
それは首相が中国に対してへつらわずにすむ土壌ともなっていると思います。

小泉さんや安倍さんはそういうところは国民に支持されたと思います。
でも福田さんは、参拝のチャンスだった今年、それをしなかったし、おそらく興味もなかったでしょう。
福田さんとはそういう人なんです。福田さんには、国家という幻想へのロマンというものがない。
でも、福田さんだけを責められないと思います。そういう人、政治家の中にもたくさんいるし、国民だってそうです。

福田さんは、ひたすら目の前に置かれた沢山の難問を片付けて国民一人々の幸福に寄与しようと一所懸命だったと思います。実務型の真面目な総理だったと思います。そういうタイプの総理大臣、今までもたくさんいたと思います。外国とは事を荒立てないほうが国益だ、と考える人もいるでしょう。

ただ、時代は変わりました。激動期にふさわしい指導者が今いるかどうかわかりません。私には思いつきません。そういう政治家を育てることも必要だと思います。
そして私は、二世三世政治家に国家を大局観をもって考える人がいないとも思いません。

「民意」は当然いろいろあります。みなそれぞれ、こうしてほしいああしてほしい、というのはあるでしょうし、多数決によって物事は決まるでしょうが、対外的に事にあたる場合、毅然とした姿勢を貫こうとする指導者を、国民は支えるべきだと思います。

賛同いただけたら、どうか一票お願いいたします(笑) →人気ブログランキングへ


投稿: robita | 2008年9月13日 (土) 11時32分

最近の政治に関しての国民の態度が、
「他人任せ」
と感じるのは、私だけではないと思うのですが。

という部分に対してどのように思われているか分かりませんが、
「みなそれぞれ、こうしてほしいああしてほしい、というのはあるでしょうし」
と書かれている部分が、多分今の国民の民意なのです。
「こうしたい、ああしたい」
でなければ、変わっていかないと思っています。


外交に関して書かれていますが、
「毅然と対応してほしい」
ではなく、
「国として毅然として対応していく」
と考え方を変えられませんか?
その中で、自分ではできない場合に、「この人なら」と
選択できるようになって欲しいと思っています。

賛同いただけたら、どうか一票お願いいたします(?)

投稿: さじった | 2008年9月13日 (土) 17時44分

★さじったさん、

話がかみ合っていませんね。
私の文章が長すぎたために伝わらないみたいです。すみません。

思い切り単純な形でわかりやすく言いますと;

「この国は、毅然としたくても毅然とできない体制になっている」ということです。

ですから、さじったさんの仰る「この人なら」の「この人」とは、この国の体制を変える強い意志のある人、ということになります。

もっとも、「毅然とできなくてもいい、今のままでいい」という考え方もあって、私はその気持ちもよーく理解できますけどね。

投稿: robita | 2008年9月14日 (日) 09時38分

robitaさん、

この国はその昔、英米に向かって「毅然とした」ことがあったんですが、その結果が無条件降伏でした。その当時の多くの人々は「負けて良かった」と思ったそうです。でまあ、GHQが、この国を二度と「毅然としない」ように徹底的に改造したんです。その占領政策の路線の中に、戦後の日本はあります。今も、その中にあります。

投稿: 真魚 | 2008年9月14日 (日) 10時58分

robitaさん、

こういうことを書くと、また真魚さんはそういうことばっかり言ってと言われそうですが・・・・。

もう、誰が総理になっても同じなんですよ。まあ、麻生さんがやっても、民主党がやってもダメでしょう。つまり、「誰がやってもダメになる」ということが、今のこの国の、それこそ国家的な本質的問題なんです。

その意味では、robitaさんの言われる、福田さんが悪かったわけではない、というのはその通りであって、個人がどうこうのレベルをもう超えているんです。システムそのものが機能不全になっていると言うか。この国は、国家としては終わっているんですよ。このへん、「終わっている」というより、アメリカの占領国として始まった戦後日本には、最初からそういうものは「なかった」のかもしれませんけど。

「誰がやってもダメ」というのは、国家として、実はものすごく危機的な状況になっているんです。でもまあ、そういう危機感というか、緊張感はないですけど。

そして、さらに問題なのは、そうした国家としてへんな状況になっているのに、それが「これは国家としておかしい状況である」という自覚を持つことがない、というのが問題なんです。あるいは、その自覚があるのだけど、「これは国家としておかしい状況である」だから、「国家としてあるべき方向へ変えていこう」という流れにならずに、「フクダがワルイ!!」「フクダはムセキニン!!」みたいな個人批判に走るしか手段がないといういびつな世論になってしまっているという悪循環にあるんです。

投稿: 真魚 | 2008年9月14日 (日) 11時57分

(ちょっと、あとで付け足しました)

でまあ、そうした「国家としてあるべき方向へ変えていこう」という流れにならずに、「フクダがワルイ!!」「フクダはムセキニン!!」みたいな個人批判に走るしかしないのは、国民が国家意識を持たないからである、だからみなさん国家意識を持ちましょう、学校で国家意識を教育しましょうというのがrobitaさんのご意見であって、ここにはワタシは同意しかねるのですが。そういうことを読むと、ついつい、福島みずほのマネをしたくなっちゃいます。(笑)

投稿: 真魚 | 2008年9月14日 (日) 12時02分

「毅然とした態度の人を選ぶ」
という選択肢しか想像できない段階で、話が噛み合いませんね。
「毅然とした態度で臨むべき」
と思うのであるならば、立候補すればよいと考えます。

と言うのが、基本的な趣旨です。
で、立候補しにくい環境、どうにかならないかなぁ、
と思って書いたのが最初のコメントになります。
(私の場合、「自分にやらせろ」と思うことがあっても、
「そうできない」のが歯がゆく思っているからかもしれません。)
本当は、私みたいな年代が、「こうあるべき」と考え、
「立候補して」こそ、考え方が変わるのであって、
「誰かに託す」が基本姿勢では国を変えるのは無理では?

「誰がやっても同じ」
と考えるのであるならば、
「自分がやる」
という考えにならないことに、他人任せと感じるのだと思います。
ここ危機感が感じられないのは確かです。
「国民意識を持ちましょう」
とかは言いませんが、
「自分や自分の子供たちが住みやすい環境とはこうあるべき」
と考えられ、行動できる環境が欲しいと思うのです。
(行動するには先立ち物が必要、というのが今の状況)
…過激ですが、残るはクーデターですか???

投稿: さじった | 2008年9月14日 (日) 16時48分

★真魚さん、

>この国はその昔、英米に向かって「毅然とした」ことがあったんですが、<

私が言ってるのはもちろん戦後のことです。


>その結果が無条件降伏でした。<

「毅然とすると他国と対立する」「対立すると戦争になる」「だから毅然とするのは良くない」という論法みたいに読めますが。

「毅然とした態度をとる」ということと「戦争する」ということは別のことですよね。

>ここにはワタシは同意しかねるのですが<

それでは良い考えを提示してください。

真魚さんは、
【GHQが、この国を二度と「毅然としない」ように徹底的に改造したんです。その占領政策の路線の中に、戦後の日本はあります。
今も、その中にあります】

このように仰っていますね。
今の日本のこの体たらくはアメリカの占領政策のおかげだ、と。
いまいましいアメリカのいまいましい占領政策のせいで日本はこんなになってしまった、と。

で、真魚さんは、
【システムそのものが機能不全になっていると言うか。この国は、国家としては終わっているんですよ。
このへん、「終わっている」というより、アメリカの占領国として始まった戦後日本には、最初からそういうものは「なかった」のかもしれませんけど。】
と仰る。

でも、国民の意識の改革は必要じゃない、とも仰る。(国民の意識の改革なくして体制改革などあり得ませんよね。民主主義国家なんですから)

これは矛盾ではないのでしょうか。

国家というのは、国民の意思そのものですよね。
つまり、自分で自分を律しようとする行為に何故反対なのですか、ということです。

投稿: robita | 2008年9月15日 (月) 11時44分

★さじったさん、

そうですよねえ。
武力をチラつかせるとか、相手の弱みに付け込むとか、そんな卑怯なことしなくても、毅然とした態度で外国と堂々と渡り合ってほしいですよね。
次の首相がそれができるかどうか、しっかりと見てまいりましょう。

>残るはクーデターですか???<

政権内でクーデターまがいのことはしょっちゅう起こっているとは思うのですが・・・。

投稿: robita | 2008年9月15日 (月) 11時45分

私には、茶番にしか見えませんが。。。

軍事クーデターまでいかなくても、ニュースでしか見たことありませんが、
学生運動くらいのパワー(インパクト)がないといけないのかなと思ってます。


追記>
robitaさんと真魚さんの内容も噛み合ってない気がしますが、
「卵と鶏」ではありませんが、
「国民意思があって国家」なのか
「国家があって国民(国民の意思)」なのか
で、すれ違っているだけのような気がします。
お二方とも言っていることはあっている、と私は思います。
ただ、今の
「意見を自由に言え、意見を交わすことができる環境」
は、世界的に見ても大事なものなんだろうなと感じています。

投稿: さじった | 2008年9月15日 (月) 20時31分

robitaさん、

「対立すると戦争になる」のかどうかは一概に言えませんが、「毅然とすると他国と対立する」のはまあ避けられません。半世紀前は、その結果が戦争であり、そして無条件降伏になりました。終戦後の国民には「負けてよかった」という想いがあった、ということを私は伝えたいのです。この国が毅然とすると、まずろくなことがありません。失敗して、そのしわよせが国民に覆い被さってくるだけです。まあ、この国というのは、欧米を主体とする国際社会に向かって「毅然とする」ことに慣れていないというか、そもそも実力不足なんです。実力がないのならば、あるようになればいいと言われるかもしれませんが、およそ不可能です。日本は、アメリカや中国のような大国ではありません。小国です。小国は小国の分を守って、そこそこであればそれでいいじゃあないですか。「なにを言っているです、そんなことでは国際競争に勝てません」と言われるかもしれませんが、そうした国際競争に勝つ、負けるみたいなことは、どうでもいいじゃあないですか。ざっくばらんに言えば「国のえらさ」というのは、そういうことではないはずです。

>国家というのは、国民の意思そのものですよね。
>つまり、自分で自分を律しよう

robitaさん、ここが私にはわかりません。なぜ国民が自分で自分を律しなくてはならないのでしょうか。いかなる権限が、国民に自分で自分を律せよ命じるのでしょうか。つまり、戦争中に政府が国民に与えたスローガンの「欲しがるません、勝つまでは」ということでしょうか。

国家とか外交とか、そうしたことはおサムライさんたちのやることであって、のんきに楽しくその日、その日を暮らしていた江戸時代の庶民みたいであっては「いけない」のでしょうか。

日本は間接民主制の国です。代議制民主主義とも言います。これは国民が選挙によって、代表者を選出し、政治の仕事をその人物に信託するという制度です。有権者は政治家に「政治をしっかりやってください」と託しているのです。政治家はその信託を受けた責任があります。ところが、ここにきて、政治がしっかりしていない。それは有権者が国家や外交をことをしっかり考えないからですと言われても、そりゃあ、契約違反じゃあないかと思うのですよ。むしろ、国民が国家や外交をしっかり考えることを「しない」ために(みなさん、各人の仕事や生活がありますから、そんなことやっていられませんので、ちょっとだけ考えて)投票で(国が給料を支払って生活を保障する)政治職専門従事者を選ぶ、というのが、この社会の仕組みだったのではないでしょうか。

投稿: 真魚 | 2008年9月16日 (火) 00時37分

クーデターと言えば・・・・。

やはりここは、その前日は東京に雪が降った、その翌日の2月26日に陸上自衛隊普通科中隊が決・・・。(笑)

投稿: 真魚 | 2008年9月16日 (火) 00時48分

★さじったさん、

>学生運動くらいのパワー(インパクト)がないといけないのかなと思ってます。<

学生が?
革命ごっこやるんですか?
青春のモヤモヤを発散するくらいの意味はあるとは思いますが。
でも物が壊れたり、人が死んだり傷ついたりするのでやらないほうがいいと思います。
怪我することを恐れていては何もできないし、それくらいの元気を出してほしい、というのもわかりますが、近頃の若い人はそんなめんどくさいことしたがりませんね。
仰るように、自由に意見を交わすことができる時代だし、昔のデモやってた学生たちより今の若者のほうがずっと弁が立つと思いますので、大いに議論したらいいと思います。

投稿: robita | 2008年9月16日 (火) 11時11分

★真魚さん、

>小国は小国の分を守って、そこそこであればそれでいいじゃあないですか。<
>のんきに楽しくその日、その日を暮らしていた江戸時代の庶民みたいであっては「いけない」のでしょうか。<

まったくその通りで、私もそれでどうしていけないのだ、と思っております。
そういうことを書いた記事もいくつかあります。お望みであれば探して貼り付けますが。
真魚さんは、前に「お父さんがいてお母さんがいて(お母さんは専業主婦です)子供がいてそこそこの給料で楽しく暮らす、たったこれだけのことを実現する政治がなぜできないのか」というようなことを書かれましたね。
私もそう思いますよ。私もそれだけのことで充分幸せを感じることができる人間ですから。
しかし、現代社会はとてつもなく複雑になりました。
幸せのかたちも、そこへ到達するための手段も覚悟も何もかも変わりました。
つまり、民意が変化したということが一つあると思います。

「金持ちでなくてもお父さんと専業主婦のお母さんと子供たちの幸せな家族」という素朴な形を求める人は今ももちろん少なくないでしょうが、こういう人たちの望みをもかなえるのが政治ですよね。

それでは、政治はなぜそういう人たちの素朴な望みに答えることができないのでしょうか。
政治家が悪いのでしょうか。
政治家が悪いのなら、なぜ国民である我々自身がそれを変えることができないのでしょうか。

「政治家よ、しっかりせよ」と口先で言っていれば政治は良くなるのでしょうか。

江戸時代と違って、今は政治家を国民が選ぶ時代です。
でも、選びたい人がいない、などといって有権者でも選挙にいかない人もたくさんいます。
何も考えないでムードだけで投票する人もたくさんいます。

要するに無関心をなんとかしないといけないのではないでしょうか。

また、もう一つ、真魚さんは、「そうした国際競争に勝つ、負けるみたいなことは、どうでもいいじゃあないですか」と仰っていますが、わかりやすくするために、「私もそう思います」と言っておきます。「負けたっていいじゃないか」と私も思います。
資源がない日本が国際競争に負けるとどうなるのでしょうか。
自給自足せざるを得なくなり、国民みんなで晴耕雨読のようなのんびりした生活をする。石油が手に入らないので、木をいっぱい育てて、薪を作って燃料にする。みんなで手仕事に励む。
なんて健康的な生活でしょうか。憧れます。きっと子供たちも健やかにたくましく育つと思います。
でも、真魚さんや私が国際競争に負けたっていいじゃないか、と思っても、日本人のほとんどは豊かさ維持を望んでいるのではありませんか。
私が書いていることは、日本人の民意がこうなのだから、という前提で書いているだけのことであって、私自身の実際の願望ではありません。

だから、真魚さんが説得すべきは私じゃなくて、「国際競争に負ければ貧しくなる。中小企業や地方やニートやフリーターを救済することもできなくなる。それは絶対困る」と言っている人たちに向けてそれをするべきなのではありませんか。

投稿: robita | 2008年9月16日 (火) 11時18分

めんどくさくても、怪我をしても、やらなければならないことはやって欲しい。
とも思う。
ま、クーデター・学生運動は言いすぎでした、すみません。

勝ち負けって何を基準に決めるんでしょうねぇ。
「晴耕雨読のようなのんびりした生活をする」
は、負けた国のすることなのでしょうか?
とも思う。

うーむ、むずかし。。。

投稿: さじった | 2008年9月16日 (火) 20時12分

★さじったさん、

>学生運動は言いすぎでした<

いえいえ、この学生運動というものも、若者の内にこもるエネルギーの発散という観点から考えると、そう非難ばかりもできない面もあるんですね。
若者が暴れるとたしかにまわりに迷惑がかかるものですから、「祭り」の無礼講や「暴力による喧嘩」が抑制された現代、迷惑をかけずに暴れる、というのはやはりスポーツしかないでしょうね。

>「晴耕雨読のようなのんびりした生活をする」<

「晴耕雨読」を生活インフラの整った環境で行えれば、それはものすごく贅沢なことであり、本当の自給自足はとても辛いことでしょう。

投稿: robita | 2008年9月17日 (水) 11時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 首相に物申す前に:

« 共同幻想維持に不可欠なもの | トップページ | テレポリティクス »