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2008年10月25日 (土)

左翼とは何ぞや

私はいつも不思議に思っているのですが、「左翼」の人々こそ「愛国心」を叫ばなければならないはずなのに、なぜそれをしないどころか強硬に拒否するのでしょう。

彼らはいつも政権与党に反対で、「こんなやつらに国を任せられない」などと考えているはずです。
しかし、「こんなやつら」を国会議員に当選させている張本人は他ならぬ国民です。

ならば、彼ら左翼としては、「国民がバカだから、こんな選び方しかできないのだ。国民がもっと国のことを真剣に考えて選挙に行かなければいけない」と考えているはずです。

「国のことを真剣に考える」、つまりこれは愛国心です。

しかし彼らは愛国心を忌み嫌います。

これはどういうことか、う~~~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・考えてみたところ、「野にあって国家批判をすること」こそが彼らの楽しみであり、生きがいなのではないでしょうか。

要するに、「反政府」でなく「反国家」ということなのかなあ・・・・・。

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コメント

元極左活動家の坂 眞氏による日本左翼の反日の解説。

なぜ、日本の左派は「反日」なのか?(依存症の独り言)
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2008/10/post-66b3.html

全共闘世代の少し下の坂氏は若かりし頃は極左活動に身を置いていましたが、友人を内ゲバで亡くされるという経験などもあって左翼に幻滅し、転向されたそうです。

投稿: かせっち | 2008年10月25日 (土) 20時47分

お邪魔します。

この問題を、少し別の角度から考えています。例えば、ツジ説法で有名だった右翼・赤尾敏(あかおびん)さんは如何にもコワモテの右翼活動家でしたが、その昔は「左」だったという断片的な話をうかがっていて、こうした左から右への変節した人物というのが結構、多いように感じていました。何かしらの反動なのであろうとは思っていたんですが、つい最近、清水幾太郎なる人物が安保反対と運動していた人間が「日本よ、国家たれ」という論文で核武装の選択を世に問うたという話をチェックしていました。(1980年、日本に起きた核武装論だったそうです。)

たまたま、その清水を掘り下げている中で、私が突き当たったのが【国家観】でした。多くの人は、清水の左から右への変節と捉えていたのですが、核武装の選択をするにあたり清水が説いたのは『国家とは、或る特定の地域の内部で正当な物理的暴力性の独占を要求する人間共同体である』というマックス・ウェーバーを引用した、「国家とは何か?」そのものズバリであったという解釈に遭遇しました。

【国家】という概念を持てば、愛国心や防衛力は必然。実は清水のような人物は左翼活動をする傍ら、元々「国家」という概念を念頭に於いており、実は右に変節すべくして変節したのだろうという解釈ものでした。

実は、この問題と共通した何かがあるのではないでしょうか。
http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51252716.html
(相変わらずの長文で、恐縮です。)

投稿: メロンぱんち | 2008年10月25日 (土) 23時02分

うーむ、私は左翼が必ずしも「反国家」だとは思いません。「反政府」だとは思いますが。

左翼思想による経済政策は、社会主義にせよ共産主義にせよ、自由主義経済から対比すると「統制経済」であります。そういう意味では「強い国家主義」ではないでしょうか?

一方、自由主義経済をつきつた新自由主義ですが、これは「小さい政府」を進めるので、究極の小さい政府=無政府、に近づきます。
「官から民へ」すべて「民」にできれば「官」は不要となります。

これらは、すべて過去の体験からきている「ねじれ」だと感じます。
戦後民主主義が「米帝」からもたらされた(笑)というねじれ、あるいは、政府の失敗という経済敗戦のねじれではないでしょうか。

最近は、左派の間からも「貧困を放っておけないというナショナリズムは支持すべき」だという意見もありますし、国粋主義者も「親米右派は貧しい日本人を米国に売り渡す売国奴」という批判もあります。これら両者を「血迷っている」と冷笑する自由主義もあるわけで。
もっとも、樺美智子を、反英米の英雄だから靖国に祀れ、という段階まではいってませんが(笑)そこまで思想を徹底できれば、左右両派は新しい段階に入るでしょう。はた迷惑ですが(苦笑)

めんどうくさい世の中になったので、それぞれ別にまとめて、勝手に国をつくれば解決するだろう、と私は思うのですけれども(苦笑)
シナの上をいく「1国複数制度」はどんなもんかなあ、などと。

投稿: single40 | 2008年10月25日 (土) 23時08分

robitaさん、

>「野にあって国家批判をすること」

共産主義思想は「前衛」なのです。そうでなくてはなりません。さあ、「朝日ジャーナル」と吉本隆明の本を手に持って歌いましょう!!

時には昔の話をしようか 通いなれた 馴染みのあの店・・・

あーじゃなくて、

起て飢えたる者よ〜 今ぞ日は近しぃ〜 醒めよ我が同胞 暁は来ぬ〜

投稿: 真魚 | 2008年10月26日 (日) 12時10分

★かせっちさん、

「依存症の独り言」読んできました。
ブログを始めた頃、読んでいたことがあります。拙い文をトラックバックしたこともあるんですよ。
一知半解男さんの記事が取り上げられていますね。
日本の左派が「反政府」でなく「反日」なのは、米占領軍の洗脳であると考えれば疑問が解けます。

健全な左派が存在しないので、本来保守であるべき自民党の中に左派が生まれた、というのはなるほどと納得しました。
民主党の中の反日勢力というのもなかなかやっかいな存在らしいですが、それならなおのこと分裂しやすいですね。あのまま政権取ったってうまくいくわけがありませんから。

投稿: robita | 2008年10月27日 (月) 09時23分

★メロンぱんちさん、

たしかに、日本の「左翼」は何か勘違いをしているのでしょうね。
経済評論家の森永卓郎さんは平和主義者で「誰かが攻めてきたら皆で一緒に死ねばいいじゃないですか」と言うのですが、それは非武装を主張している人として立派に筋が通っていると思います。ほとんどの左翼の人はそこまで筋が通ったことを言いません。ただ、その「宗教」を人に押し付けちゃあいけませんね。
メロンぱんちさんの「核武装という将来」の中にこういう文章があります。
≪単なるパズルではないんですね。揚げ足取りでもない。その証拠に、今日でも多くの日本人は「なぜ、日本政府は米政府の言いなりにならなければいかないのか?」と考えているし、「日本という国は、主体性を否定されている」と考えている。≫
日本の左派も「アメリカの言いなりになるな」と言いながら、なぜそうせざるを得ないのか真面目に考えようとしない。思考停止、つまり「洗脳」から解放されていないのですね。
私は、核を持たない限り、改憲しようがしまいが、安全保障にはあまり大きな違いはないと思っていますが、宗教団体ではなく「国家」の体裁を整えることは重要だと思います。
それにしても、左翼であった清水幾太郎という人が27年も前に「核武装」を論じていたのですね。

投稿: robita | 2008年10月27日 (月) 09時25分

★single40さん、

日本の左翼が「反国家」だと私が思うのは、「この国を良くしようじゃないか」という熱意が根本にないということがわかるからです。
日本は民主主義国家なので、選挙でしか政治家を選べません。
その選挙で、今の政権を倒そうという熱意がほんとうにあるならば、「この国を良くしよう」「自分のことばかり考えずにどうしたら国が良くなるのか考えよう」という呼びかけが国民に対してあって当然だと思うのです。
これは愛国心を喚起することに他なりません。
しかし彼らは決してそれをしない。おかしいんです。

仰る通り、今の世の中、あらゆることがねじれていると感じます。
議論の中で、突っ込んだり突っ込まれたりしながら突き詰めていくと、正反対の着地になってしまったり、あるいは同じ主張になってしまったり。
ほんとにめんどくさいですねえ(笑)

投稿: robita | 2008年10月27日 (月) 09時27分

★真魚さん、

後方で革命を夢想するより、国民への「愛国の呼びかけ」のほうがずっと実用的だと私は思うのですけどねえ。

投稿: robita | 2008年10月27日 (月) 09時29分

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