« ビオトープ | トップページ | 煽られませんよう »

2008年10月18日 (土)

高みの見物

私がどうしても宗教を信じることができないのは、宗教がいくつもあるからです。

いくつもあるものそれぞれが真理を語り、それぞれの真理を信者たちは信じます。

宗教は真実である必要がなく、一人ひとりの信仰心に意味があるということなんでしょうか。

私はキリスト教の学校で教育を受け、とても素敵な宗教だと思い(だってクリスマスとかイースターとか楽しい行事がたくさんあるじゃないですか。キリスト教式の結婚式もカッコいいし)、子供を持ってからもたまたま知り合った人たちがクリスチャンだったりして教会に通ったり家庭集会に誘われて参加したりする中でなんとか信じようと努力しましたが、やっぱり神さまを信じることはできませんでした。

仏教の考え方のほうが受け入れやすいのです。

仏教のことほとんど何も知りませんが、輪廻転生とか、因果応報とか、地獄とか、そういったものがなぜかしっくりきます。

それらを真実として信じることはできないけれど、自己を律する規範として信仰することは必要だと思いますし、ほとんどの人はこういう信仰を小さい頃から身につけさせられていて無意識に自分を律してきているのではないでしょうか。

nazunaさんのブログの『占い、「オーラ」、「霊視」 バラエティならいいのか!2 輪廻への恐怖 』を拝読しました。 

「罰が当たる」ということの恐ろしさを教えることが大事なのだ、と素人の私は解釈して、それは本当にそうだと思いました。とても怖いけどとても有難い教えだと思いました。

ところで、私は、そういう「宗教」とは別に、自分にとっての真実を信じています。

それは「自分が消滅すればこの世も消滅する」ということです。  →「追悼 池田晶子様」  

「自分」という主体が存在しなければこの世界を認識することができない、ゆえに「自分」は常に存在しなければならない、ということです。おそらく哲学の偉人たちの本でも読めばそういうことが書いてあるのかもしれませんがめんどくさいので読んだことがありません。

しかし、こういう哲学と「輪廻転生の恐怖」は相容れないので、私の中では全くの別問題として決着させなければなりません。

哲学は科学と同様、「真実」なのでしょう。つきつめていくと、両者は同一地点に到達すると思います。

そういうところから考えると、「人間は古来同じことを繰り返しているのだから、これから先も同じことを繰り返していくだろう」、という予想は間違っているかもしれません。もちろん、短いスパンでは戦争や小康状態や不景気や好景気を繰り返していくでしょうが、もっともっと遠い未来と遠い宇宙に目をやると、人間はまっすぐな一本道をあるところに向かってひたすら歩んでいるのかもしれないなあと思います。

最新の素粒子論だか量子論だかに到達した人間を、「やっとここまできたか」とどこかで誰かが見ているかも知れません。もしかしたら「意外と早かったじゃんか」なんて感心してたりして。

.

         いつもありがとうございます →人気ブログランキング

.

|

« ビオトープ | トップページ | 煽られませんよう »

コメント

私はまだ、自分を信じる事ができません。
(robitaさんのいう自分にとっての真実を信じること)

ただ、なぜか100%信用している人がいます。
しんどいときに、その人に問う事にしています。
「自分は大丈夫ですか?」と。
自分の信じている人が大丈夫と言うのだから、
そこに疑いの余地は入らないのです。

宗教は、「私が信用している人=>神様、仏様」
ということになるのでしょうか?
なら、神様が本当にしゃべってくれるのなら問題ないのでしょうが、
間に他の人が介在しているということが、問題を複雑にしている?

・・・これから先、いつか自分を信じられる日がくるといいな。

投稿: さじった | 2008年10月18日 (土) 23時19分

robitaさん、

>もっともっと遠い未来と遠い宇宙に目をやると、人間はまっすぐな一本道をあるところに向かってひたすら歩んでいるのかもしれないなあと思います。<

『幼年期の終り』、ですね。

投稿: 真魚 | 2008年10月19日 (日) 12時05分

★さじったさん、

>私はまだ、自分を信じる事ができません。
(robitaさんのいう自分にとっての真実を信じること)<

「自分にとっての真実」の意味は、「自分を信じる」とか「自分に自信を持つ」(同じことか)とかいうことではなく、哲学の初歩だか究極だかどちらかわからないですが、とにかく「存在」の問題です。
自分を信じるかどうかというのはまた別の問題です。

>100%信用している人がいます。<

これは心強いことですね。
神様でなく人間である人が他者から100%信じられるってどんな気分かなあ。

>これから先、いつか自分を信じられる日がくるといいな。<

みんな自分を信じているから生きているんじゃないかな、と私は思うのですけど。

投稿: robita | 2008年10月20日 (月) 09時24分

★真魚さん、

>『幼年期の終り』、ですね<

真魚さんも読んでらしたんですか。
「幼年期の終わり」に限らず、多分にSF的と言いますか、宇宙観の極みと言いますか。

投稿: robita | 2008年10月20日 (月) 09時27分

死にたいと思ったときに、
「死んでも良い?」
ときくと
「ダメ」
という。

「なぜ?」
ときくと
「私にとって必要だから」
という。

最近連絡自体取っていませんが、
何かあったときにお互いがお互いを信じているから、
どちらも死なずにいるのだと思います。


自分を信じているのでなく、
信じた人が必要だといってくれるから
生きているのだと感じております。

投稿: さじった | 2008年10月21日 (火) 00時07分

★さじったさん、

人はある年齢に達するまでは「絶対者」と言いますか、「信頼する人」が必要だと思います。
親とか兄弟とか友だちとか先生とか、だれか一人でも「あなたが必要だ」と言ってくれる人。(たいていの人は、そんなこと言われることなく子供時代を過ごすと思いますが、要するにないがしろにされてはいない、と言う安心感ですかね)

年を重ねるにつれ、絶対者がいなくなった時、他者ではなく自分を信じる力をつけていなければ易々と「死にたい」などと思ってしまうのでしょうね。
それに替わるものが宗教だとは思いますが。

投稿: robita | 2008年10月21日 (火) 14時54分

robitaさん、

アーサー・C・クラークは『楽園の泉』ぐらいまでは、ほとんど読んでいます。

それはさておき、「自分が消滅すればこの世も消滅する」という自分なのですが、その自分は、この世がなくては存在できないというのも不可思議ですね。

投稿: 真魚 | 2008年10月22日 (水) 01時05分

★真魚さん、

真魚さんはSFファンだったんですね。

>「自分が消滅すればこの世も消滅する」という自分なのですが、その自分は、この世がなくては存在できないというのも不可思議ですね。<

古代インド人は存在の摩訶不思議さに気づいていたらしいです。

投稿: robita | 2008年10月22日 (水) 13時17分

robitaさん、

そりゃあもう、高校の時、実はコマケンに入ろうかと思っていたぐらいです。
まあ、robitaさんがおられた時期のだいぶ後になりますから、入ってもお会いすることはなかったでしょうけど。

古代インド人とか古代中国人とかが考えていたことってすごいですよ。

投稿: 真魚 | 2008年10月23日 (木) 01時22分

★真魚さん、

>コマ研

そうだったんですか。
私も2・3回行って、ほんの一部の人と話しただけですけどね。
今で言うオタク青少年の集いだったのかな。

古代インド人は「何か」を見ちゃったんじゃないでしょか。

投稿: robita | 2008年10月24日 (金) 10時12分

なんちゃって・信仰とは、

 信仰する宗教によって、その真理の意味が異なります
 なぜなら、故・フリーメーソンのような悪魔崇拝により、富と名声を得ようとした人々もいたからです
 古来から人類の歴史で、科学は、宗教にとって変わった時代があり、真理は、真実とかけ離れていた事もありました。
 しかし、人々の生活に根付き、同じ信念に基づき、お互いに助け合う気持ち【慈愛】を持ち、正しい意味で幸せを願い、真理が追求されるべき姿、それが宗教のすばらしさだと感じています。【人類の営みの中で大勢の人々に信頼される思想=宗教のあるべき姿】
 例えば、仏教とキリスト教では、【人々の生き・死】の考え方が異なります。
 仏教【宗派によって異なります】輪廻を前提として死後の世界も、人生のサイクルに取り込んで考えています。
 キリスト教【宗派によって異なります】は、輪廻、死後の世界、霊魂は、皆無とされていますが、聖書は、多くの人たちにより伝承の記述がありますが、【多くの霊能者による輪廻、死後の世界、霊魂の記述もあったが、キリスト教では、霊の存在は、強く否定された経緯があり、後で削除された】と私は、感じております。
 しかしキリスト教には、キリスト教流の埋葬儀式または、アニバサーリのお花ムケ(映画のシーンのように)、(生きている人たちと同じように)敬意をはらい、肉親であれば愛情を示す気持ちは、宗教に関係なく同じなのです。
 さて、輪廻、死後の世界、霊魂の問題は、人類にとって永遠の疑問のように思われてきましたが、あらゆる角度から探求する事により、輪廻、死後の世界、霊魂がワールドワイドで一般的に認識される来る日も近いと感じます
 (映画・ダライラマで有名ですが、前世がダライラマだった少年を探してダライラマとして迎え入れる、すなわち後退催眠などで前世の記憶を呼び起こす事が出来るのです)

[輪廻転生]
 人間にとって生まれる事は、トライ(修行のようなもの)ですから、魂が成仏して.霊界に帰って来ると、’よくがんばったね’と、みんな(知人や友人)が暖かい気持ちで迎えてくれます。
 だからと言って、自殺を選択してしまうとこの世への深い未練が残り、これが弊害になり魂は、成仏ができませんし、そして生まれ変わることも出来ませんから(偉いお坊さんが魂を成仏させてくれるまで、何千年でもこの世をさ迷い、やがては、気がおかしくなり悪霊になり、人に憑いたりします)

[因果応報]
・罪をおかすと必ず報いがある
 (前世で大罪を犯すと現世、または、来世で冤罪などで罪を償うことになる)
・例えば、災害時に人々を助けると、その恩賞が巡ってくる
 (今、幸福な人生を【楽しんでいる人】は、必ず、その人の前世で他人の為になる良い事を行っています)

[守護霊]
・人は、生きていれば、必ず守護して頂いております
 その人の普段の生活や人生の大事な分岐点で、メッセンジャーを通して守護霊は、アドバイスをくれます
 そしてメッセンジャーは、肉親、または、友達かもしれません

投稿: ユミット | 2009年5月29日 (金) 13時19分

★ユミットさん、

宗教によって死生観や宇宙観がちがうけど、「愛」は共通ですね。
ありがたいお話、ありがとうございました。

投稿: robita | 2009年5月30日 (土) 11時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高みの見物:

« ビオトープ | トップページ | 煽られませんよう »