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2008年11月10日 (月)

波音

5年ほど前の朝日新聞に載った、作家小池真理子のエッセイ「波音は今もひそかに息づく」の抜粋である。

≪ 晩夏の頃、日本海に面した小さな村に仲間と共に滞在し、毎日毎日、海を眺めていたことがある。
私はまだ19歳の学生だった。生意気で、訳知り顔ばかりして、そのくせ、病的なロマンティシズムから逃れられず、自分自身を扱いかねるあまり、呆然と立ち止まってしまうような小娘だった。___中略___

残暑の太陽は強烈に肌を焦がした。海をわたって吹いてくる風は乾いていた。遠い水面を水鳥が飛び交うのが見えたが、鳴き声は聞こえなかった。風の音も、木立で鳴き続ける蝉の声も、世界中のあらゆる音が、水の騒めきの中に溶けていた。
夜になると仲間たちと一緒に酒を飲んだ。中空に浮かぶ月を見ながら、吉田拓郎の「旅の宿」を歌った。____中略____

生活のすべてが「想い」の中にあった時代。生きるということが、想うこと、考えること、感じることだけで充たされていて、生活者としての煩瑣(はんさ)な義務など、親に任せておけばよかった。
あの、若者特有の貴族的傲慢さが消えてから、長い時間がたつ。私も当時の親の年代に至った。現実の壁は途方もなく厚く、「想い」だけがすべてを充たしてくれる、とはもう思っていない。

それでも時々、夏になると、入り江の堤防に打ち寄せていた波の音が甦る。今も自分の奥底深く、ひそかに息づいている何かに気づかされる。____後略____ ≫

 

左翼の言説に触れる時、私はよくこのエッセイを思い出す。

人の社会には「若者の想い」も「大人の対処」も必要だ。「純粋な願い」も「合理的な判断」も「理想」も「現実」もすべてひっくるめて、世の中はバランスをとっている。

それがわかっているからだろうか、筑紫哲也氏の死去を受けて更に加速するであろう左翼言説の弱体化を、彼に批判的だった人々までもが危惧しているように見える。

以前こういう記事を書いたことがある。

「もしかしたら崇高な新聞」 
「朝日新聞と共産党」 

 

世の中のバランスをとるために、左翼は必要であり、国家が存在するかぎり未来永劫お互いに批判し続けることに意味がある、ということであり、発展や成長は段階を踏む必要がある、ということである。

「ニュース23」をあまり見ていなかったので、筑紫氏がどれほど左に傾いていたのかはよく知らない。

一度、「なぜ人を殺してはいけないのか」という若者の面妖な質問に過剰に反応して、それを題材に作家の柳美里氏と共に「ニュース23」の番組ほとんど一つ費やしているのを見たことがあったのだが、そういう姿勢に良い印象を持たなかった。

しかし、長らく日本を覆っていた「ひとつの空気」を蔓延させた勢力、今となっては少数派の代表者の一人であったことはたしかだと思う。

「その空気」から逃れた人々は、粘り続けるその少数派を嫌悪し、冷笑し、早く目覚めなさい、早く青臭さから脱却しなさいとメッセージを送り続けてきたのだが、筑紫氏の存在がなくなったことで、「はりあい」がなくなるだろうか、あるいは、世の中が一方向に流れてしまうだろうか。

そういうことを心配する人もいるようだが、私は決してそんなことはないと思う。

なにしろ左翼の声は大きい。目立つ。筑紫氏がいなくても全然心配することはない。

ただひとつ、文句を言いたいのは、日本の左翼は「反日」傾向が強いということである。これはぜひ直していただかないと。 →「左翼とは何ぞや」

 

青い海がいかに凪いで美しく見えようと、外海に漕ぎ出だせばその荒々しさをどうにかして乗り切らなければならない。生き残るために。
         

   
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