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2008年12月15日 (月)

人の気持ち

いまの政治や社会の状態が明治維新前夜に擬えられる昨今、「自民党の役割が終わった」と盛んに言われる。
「日本を共産主義にしないこと」「国民に欧米並みの豊かな生活をさせること」、これが戦後自民党の主なる役割だったが、その目標にはとっくに到達した、というのだ。

しかし、現実を見てみると、不景気は貧しさと格差を生み出し、国民は不満足の状態である。

だから、と、ある人々は力説する 「昔の、あの格差のない、一億総中流意識が持てたあの幸せな時代の政治を取り戻せばいいのだ」と。

私は経済理論を知らないが、それでも、「経済の動きというのは予想がつきにくい。なぜなら『人の気持ち』が大きく関わるから」ということは知っている。

全ての人が傷つき貧しかったスタートラインから出発し、「豊かになる」、この一点で同一の目的を持ってひたすら頑張ってきた時代と、今の時代の人の気持ちは大きく違う。

例えば 「愛の日だけど」 につけられた真魚さんのコメントは戦後数十年の日本人のひたむきさを適切に表現されていると思う。

「あの豊かさを目指した挙国一致」だなんて、今の日本人の気持ちがなんであの頃の人と同じだと思うのだろうか。
経済を理論でしか考えないからそういうことになってしまうのではないだろうか。

価値観が変化しているのだ。

義務の完遂に満足感や喜びを感じた人々(共同体の生き残りのためにはある程度の滅私を受け入れる人々)の時代と、個人的自由に無上の価値を置く人々の時代では経済に与える影響は全く違うのではないだろうか。

 

例えば、少子化だ。

前に「子どもが忌避される時代」という本のタイトルについて書いたことがあった。このタイトルだけで今の世相を表しているような気がする。

経済評論家たちは、「子どもを3.4人は持ちたいという人が多いのに、経済的な理由でかなわない。安心して子育てできる環境を国が整えるべきだ」と言う。

本気で「子どもを3・4人持ちたい」という夫婦がほんとうにそんなにたくさんいるのかどうか私には感じられないけれど、つまりそれは「子育てが楽ならば子どもがたくさんいるほうが楽しい」という程度のことであって、そんなことなら、特筆すべき少子化の理由などではないと私は思う。

昔は貧乏でもなんでもとにかく子どもを沢山産んで育てた、今は貧乏だと子どもを育てられない。
時代の違いなのだ。人の気持ちの問題だ。

しかも、貧乏ではないけれど子どもはいらないというカップルだってたくさんいる。「子どものいない人生を選択する」という例のあれだ。私のまわりにもたくさんいる。

「子育て」を「犠牲」ととらえる人々の時代だから仕方がない。私はそれが間違っているとは思わない。
人の価値観は変化する。変化すればそれに伴う結果だって受容すべきだろうし、その変化に対応する対策こそ重要だ。

住所がないために正規の職業につけない人々がいる、という。
これは家族の崩壊の所産ではないのだろうか。
年老いて身寄りがない人はともかく、まだ若い「ネットカフェ難民」が実家を帰るべき所として頼れない理由はなんなのだろうか。
家族崩壊は政治の責任とは思えない。

結婚観だってものすごく変わった。

地域社会も空洞化した。再構築に向けて努力している人々はいるものの、担い手は限られており、昔のようなお付き合いや助け合いもできにくい。
地域社会を大切に思う気持ちは、商店街の活性化にもつながるとすれば、これも経済に及ぼす影響はあると思う。

少子化も家族崩壊も地域の空洞化も、すべて人の気持ちの変化に導かれてやってきたものではないのか。

そう考えると、いくら経済理論を振りかざして、こうすればこうなる、などと叫んだところでどうなるものでもないと思うのだが。

人の気持ちは「変えろ」といって変えられるものではない。

もちろん、政治がやるべきことはたくさんあると思う。でもたぶん対症療法に過ぎない。対症療法で充分なのかもしれないが、疲弊はまたすぐやってくる。

こんな価値観の時代に合った政治が何なのかを探るのが重要なのであって、昔の「温かみのある自民党政治」に戻すことではないと思う。

温かさを言うなら、それを政治に求めるのでなく、個人単位の温かさ、つまり家族や友人や地域社会の温かさを自分たちで作り上げる意志を持つべきだと思う。人間の土台というのはそういう場で育まれるものだから。

 

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コメント

 「少子化は人の気持ちの問題」と言う言葉に同感です。
 命を繋いでいくことに人生の意義が感じられ、子育てに喜びが感じられれば、子供は多ければ多いほどよいことになります。
 5歳児を筆頭に3歳、0歳と現在三人の子持ちですが、経済的な問題もあり最終的にどうするかはまだわかりませんが、妻とは4人目の話題が出るようになりました。
 何の違和感もなく普通に3児の父となったわけですが、子育てを自分の喜びと感じられず、自分の個人的な楽しみの方に志向性があったら今の状況にはなっていなかったように思います。
 これも個人重視の戦後教育が関わっているのかもしれませんね。

PS.
 前にTBを送らせていただいたことのある記事かもしれませんが、一点過去記事のTBを送らせていただきます。

投稿: 山本大成 | 2008年12月16日 (火) 10時50分

★大成さん、

>妻とは4人目の話題が出るようになりました<

なんとたくましい! 

TBありがとうございます。
たいせいさんの記事へのたくさんのコメントを読むと、いかに多くの人が同じように感じているかがわかります。

少子化については、たしかに子育て支援のような政策をとっただけでは解決しないでしょうね。人の気持ちの問題ですから。「この政策でこれだけ出生率が上がった」などと実績を誇っている先進国も、数字を見てみればほんとに「微増」にすぎないですよね。
ただ、「二人目が欲しいが、経済的に無理なので断念する」と言っている人たちが本当に経済的支援があれば是非子どもがほしい、と望むのならば、それは当然支援すべきであろうと思います。定額給付金などやめて、この人たちにどどーんとお金をつぎ込めばいいのにねえ。

しかし、「子どもは自分の人生の邪魔」「子育ては自分の人生を犠牲にする」という価値観を持っている人々の気持ちを変えることはできないと思います。
そういう人が無理に子どもを産んでもかえって不幸なことになるのではないでしょうか、というのは、そちらの記事でも多くの方がコメントされてますよね。

子どもを産み育てることは個人的な幸せをもたらし、それが結果的に国のためになる、「子どもは国の宝」という感覚は、いったい取り戻せるのでしょうか。

少子化問題に限らず、豊かさや個人主義がもたらしたであろうさまざまな崩壊現象は、ブログなどで、個人がこういうことを論じ続けたところで、人の価値観が土台になっている以上、好転するものかどうか。

そしてその価値観たるや、家庭で育まれるものだとすれば、政治なんか、なんて無力なんだろうと思えてきます。

投稿: robita | 2008年12月17日 (水) 09時06分

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» 少子化問題、間違った論点!(年金制度を守るために子を産むの?) [山本大成 「かわら屋の雑記帳」]
 ここの所の少子化についての議論で忘れられているのが、「子を産み育てる世代の本音」だと思います。    別に「年金制度を守るため」に子を産むわけではないし、ましては「社会のため」にと言う高い「理念」で子を産み育てるわけではありません。  どれだけ国の保護を受けようとも、お金がかかるのが事実ですし、とてつもない時間を取られるのも防ぎようがありません。 (勿論、国や地方自治体の手厚い配慮で少しでも楽になればそれに越したことはありませんが)    本質的には、「子育ての楽しさ」、「命のつながってゆく喜び... [続きを読む]

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