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2008年12月17日 (水)

エコノミストはいろんなことを言う

野村総研のリチャード・クーさんは、小泉改革の時代には表に出なかったけれど、このところ出番がまわってきたそうです。
昨日の産経新聞コラム「聖杯は何処に」で、「日本の経験伝え恐慌防げ」という文を寄せておられます。

前半の日本の財政のことについてはわからないけれど、クーさんは、「現在の日本の総理大臣、麻生太郎氏は日本経済が抱える問題の本質を当初から完全に理解していた数少ない政治家であった」と、麻生さんを大変高く評価しています。

「麻生首相は日本が世界を正しい方向へ導くためには不可欠な人物なのだ」とも書いています。

もしそうなら、麻生さんを支持しなければいけないじゃないですか。

でも、「麻生さんがこれほど総理としてダメだとは思わなかった。当初期待した不明を恥じる」という専門家もいます。

いったいどっちなんですか。

たしかに、朝令暮改的発言の多さは自信のなさを表しているようだし、「学力のなさ」は、単に「漢字の読み間違い」という瑣末な問題ではなく、いったい、どういう姿勢で人生を送ってきたのだ、という人間性の問題として私はとらえています。そんな不真面目で感性の鈍い人が総理大臣という重職にいったい真面目に取り組むことが可能かどうかという危惧です。

リチャード・クーさんが、いくら麻生さんを褒めようと、それはクーさんがアドバイザーと称して麻生さんを介して自分の考えを広めようとしているだけともとれます。

で、庶民にはクーさんの考え方が正しいのかどうかなんて判断はできません。

ですから、ほんとうに、諸外国が麻生さんの語る日本成功体験談を参考にしようとしているのなら、そこのところをこそマスコミに大きく報道してもらいたいものです。

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コメント

いつも楽しく拝見しています。
麻生さんが、日本経済の抱える問題の本質を当初から理解していたって本当なんですか。リチャード・クーさん本当なの?って感じです。
でも日本経済が問題を抱えているとしても、それは欧米が抱える問題と同じものだと思うのですが。
「貨幣経済及び資本主義が本質的に抱える問題」なら話はわかるのですが。

投稿: kei | 2008年12月17日 (水) 18時26分

 私も麻生首相の経済政策を評価しているものの一人です。(今のところはです。政治は結果責任ですので、静かに結果を見守りたいというのが本音。)
 少なくともこれまで効果がほとんど無いにも関わらずパターン化された政策を総花的に行うのではなく、新しい手法に幾つもチャレンジしているとの印象を強く持っています。
 個人への対策も確かに必要でしょうけれども、一番怖いのは企業の連鎖的な破綻で、そうなってしまうと現在の企業のリストラ以上の雇用不安が起こってしまう可能性が高く比較にならないリスクがあり、その点にスポットを置いた今回の一連の金融面での措置などは、もっと評価されてしかるべきものだと思います。
(新しいことをやれば、良い部分と同量のリスクがありそれにスポットが当たりすぎでは?。でもこれは古い方法論では解決できないことが既に明らかなので、そんなことを新しく打ち出しても出てくる不満では?)

 常に思うのですが、新しい首相にはある程度結果の予測が出来るまで、一度選んだ以上一定期間のフリーハンドを与えるべきだと考えています。

PS.
 経済の専門科ではありませんので的外れなコメントかもしれません。

投稿: 山本大成 | 2008年12月18日 (木) 10時17分

★keiさん、

私もよくわからないながらクーさんの文章を一所懸命読んでみたのですが数字的なことはやはりさっぱりわからず、でもたぶん主旨は「日本はバブル崩壊後の危機を果断な財政政策で乗り切った成功体験を世界に向けて発信するべきだ」ということらしいです。

重要なことは「麻生首相は、もともと経営者なので、バランスシートの問題を理解している。借金返済の苦しさもその恐ろしさも理解している。また、民間が債務の最小化に向かっているときは中央銀行の金融緩和が効かなくなることも分かっている。だからこそ、麻生首相は財政出動の必要性を訴えているのだ。」という部分だと思うのですが、でもそれなら、経営者はこの日本にたくさんいるはずで、なぜ麻生さんの、というかリチャード・クーさんのような考え方が主流にならないのか、というのが疑問です。
経済がよくわからない庶民が、マスコミの麻生さんバッシングに乗っかっちゃったというだけのことなんでしょうかねえ。

それならやはり、ここは与野党協力して挙国一致で首相を支えなくては。
マスコミも相変わらず「切り貼り」報道で、麻生さんの言動をきちんと伝えてないみたいです。

投稿: robita | 2008年12月18日 (木) 14時01分

★たいせいさん、

>個人への対策も確かに必要でしょうけれども、一番怖いのは企業の連鎖的な破綻で、そうなってしまうと現在の企業のリストラ以上の雇用不安が起こってしまう可能性が高く比較にならないリスクがあり、<

私たちは、例えばテレビの映像で、公園で寝る人やコンビニのおにぎり一つで食事を済ます人を見せつけられると、「この人たちの生き死にの問題だ」と胸を痛めますが、この日本では凍死も餓死も避けることができますね。
仰るように企業の連鎖的破綻を食い止めるほうが先決かもしれません。

>その点にスポットを置いた今回の一連の金融面での措置などは、もっと評価されてしかるべきものだと思います<

私はこういう措置についてわからないので(ちゃんとニュースを読め!と叱られそうですが (;^_^A、 )、麻生さんが何もやっていないように見えます。それはなぜか。
リチャード・クーさんが、ああいう一文をちょっと書いただけで、私のようなおばさんでも正しい経済対策とは何か考えるようになるのだから(しかもネット上であの記事を取り上げている人は多いようです。検索したらたくさん出てきました)、首相はもっと国民に向かって真剣に説明すればいいと思うのです。
それをしないのは、やはり麻生さん自身、アドバイザーのリチャード・クーさんの言うことを鵜呑みにしているに過ぎないからじゃないかと私には思えます。首相自身がほんとうに全て理解していて信念があれば、もっともっと力強く国民に訴えることができるはずです。漫画の話や受けねらいの軽口はもういいから、もっと重要なことを言うべき

ま、今はとにかく麻生さんが首相として適格かどうかはさておいて、クーさん路線が正しい処方箋であるならば、それをやっていくしかないでしょうし、国民もあわてず騒がず落ち着いて成果を見守るべきですね。

投稿: robita | 2008年12月18日 (木) 14時07分

robitaさん、

リチャード・クーさんが、バブル崩壊直後の小渕内閣の時に言った、政府が大規模な財政投入を行い経済を立て直すべきである、という意見は正しいものだったと思います。これはこれで正しいです。しかしながら、小渕内閣は初期の頃は大きな財政投入を行っていましたが、少し景気が良くなると、公共投資なんかやってもムダ、これ以上、財政赤字を増やしてどうする、構造改革、規制緩和こそ必要である、という声が大きくなって、「大規模な財政投入」をやらなかったんです。小渕内閣以後、ずーと、今日に至るまで政府による「大規模な財政投入」は行っていません。基本的に新自由主義というのは、反ケインズ的といいますか、政府による公共投資はイカン、建築業者を設けさすだけ、それが官民の癒着を生むのだ、自由市場こそ正しいという信念というか思想を持っていますので、政府による「大規模な財政投入」は行っていません。でまあ、だからというわけでもないですが、小渕内閣以後、ずーと、ぱっとしない時代が続きます。日本経済は、バブル崩壊によるダメージを克服したとは、とても言えません。

というか、なにをもって「日本経済は、バブル崩壊によるダメージを克服した」と言うのか、ということなんです。あの当時、政府は銀行に公的資金を投入しましたけど、これは銀行が健全経営に戻れば日本経済は良くなる。銀行は企業にじゃんじゃん資金を貸してくれる。貸し渋りなんてしなくなる。国民のみなさんは、どんどん買い物をするようになる、景気は良くなる、というふうに判断したからこそ、銀行に公的資金を出したわけです。しかし実際、その後、どうなったのか。景気は良くなったのか。貸し渋りはなくなったのかというと、そんなことはなかったわけです。銀行を救済することで、国家的な不況にはならなかったですが、まあ、あいかわらず、なんかよくわからない、未来に明るい展望なんかまったくない今のニッポン・ケイザイになっているわけです。これでは、「日本はバブル崩壊後の危機を果断な財政政策で乗り切った」とは言えません。むしろ、バブル崩壊への対応では、中途半端な財政投入は、なんの役に立たない、ということのお手本みたいなものです。外国が日本から学ぶのは、この点です。

では、なにがどうだったのか。

バブル崩壊直後に、リチャード・クーさんが、政府は大規模な財政投入を行うべきと言った。これはこれで正しい。ただ、ここでさらに必要なことは、では、なにに対して、どのくらいの財政投入を行うべきであるのか、それを行うことで、なにがどうなるのか、という具体的な内容と、それを行っていく政府の強力なリーダーシップが必要でした。しかしながら、そうしたものは小渕内閣にはなく、その後の内閣にもみんななかった。そうしたものがなかったのは、リチャード・クーさんが悪いというわけではありません。そして、公共投資なんて、とんでもない、またムダな道路やダムを作るんですか、そんなことよりも公務員が悪いんです、公務員を削減しましょう、郵便局を民営化しましょう、そうすればオッケーです、景気は良くなります、の声に押されていった、というのがバブル崩壊以後のわが国の経済です。

投稿: 真魚 | 2008年12月19日 (金) 00時34分

★真魚さん、

なんかわかったようなわからないような・・・・(笑)

>なにをもって「日本経済は、バブル崩壊によるダメージを克服した」と言うのか<

これはクーさんの、
「それでも日本のGDPは18年間、一度もバブルのピークを下回ることはなく、失業率も5%台で好転した。これは大変な成果である。」
「財政赤字は大きくなったが、その結果、国民所得(=GDP)は維持され、民間はその所得で借金返済を続け、2005年ごろからバランスシートはきれいになった。日本はどんなに資産価格が下がっても、正しい財政政策で国民所得を維持できることを人類史上初めて証明したのである。」
という言葉で表されているんじゃないですか。


私は思うのですが、色々な考えの人がいて色々なことを言います。で、どういう方策をとれば良くなるかなんて、結果が出て初めてわかります。しかもその「結果」なるものだって、あの時ああしたからこうなった、なんてはっきり言えるもんなんでしょうか。経済の動きなんてその時の人の価値観でどうにでも変わります。もちろん短い期間では適切な処置というものは有効でしょうが、経済政策というものは、バブル経済やその後の立ち直りなどを眺めていると、何十年もの月日を見なければならず、何がどう作用しているのかなんて何十年後の分析でしかわからないじゃないですか。

例えば、過去を振り返って「あの時こういう政策を断行していればこんなことにはならなかったが、あの党の反対でそうできなかった」なんてことはよくあるように思うのですが、一般国民はそんな前のことすっかり忘れています。
あの時こうしたからこうなったとか、こうすればこうなるなんて庶民には正確に分析できません。その庶民がワイワイ騒いで内閣の方針にケチをつけて決断の邪魔をするわけですから本当に政治というものは難しい。

エコノミストはいろんなことを言います。こう言う人もいればああ言う人もいます。
バブル後に経済が悪化した時、構造改革か、まず景気回復かで世論が分かれました。「この国の腐った構造を根本的に変えたい。しばらく痛みに耐えてくれ」という小泉さんの言葉に打たれて国民は構造改革を支持しました。
そういう国民の選択を私は間違っているとは思いません。
小泉竹中改革を「新自由主義」と批判する人々がいます。
アメリカのほうで「新自由主義者」と称する一派がいるのかどうか私は知りませんが、いったい小泉さんや竹中さんは「私は新自由主義者だ。この世は弱肉強食なのだ。貧者は一生貧者でいればいいのだ。金が金を産む金融資本主義をどんどん進めて一向に構わないのだ」なんて一言でも言ったのでしょうか。
小泉竹中を嫌悪する人々が、勝手にそういう言葉を自分たちで作り出して「あいつらはこういう冷酷なやつらなんだ。新自由主義者なんだ」と世間を煽っているだけなんじゃないでしょうか。

その時その時で打つ手は考えるべきでしょう。
構造改革という基本路線を堅持しつつ、あまりに景気が悪化した時は対症療法というものが必要だと思います。

いまこそ、雇用を生み出す色々な事業を創出するチャンスじゃないですか。
国も民間も知恵を出せばいいんですよ。困ったときこそ発展のチャンス。


投稿: robita | 2008年12月19日 (金) 10時25分

robitaさん& 真魚さん、

>そして、公共投資なんて、とんでもない、またムダな道路やダムを作るんですか、そんなことよりも公務員が悪いんです、公務員を削減しましょう、郵便局を民営化しましょう、そうすればオッケーです、景気は良くなります、の声に押されていった、というのがバブル崩壊以後のわが国の経済です。<

真魚さんは米国のgraduate schoolで経済の授業をお受けになった方であるのに、いやだからかもしれないけど、これはあまりに「坊主憎けりゃ袈裟まで…」ですよ。てゆーかあまりにunfair。しゃしゃり出ずにはいられない

小泉内閣における経済政策の功績は、世界的にはすなわち「竹中プラン」でありましょう(これは本当は「"木村剛"プラン」だろうと私は思ってますが)。

その内容を一言で言えば、「不良債権処理」です。クー氏はこれを「バランスシートはきれいになった」と表現しています。

「不良債権」とはすなわち、「戻ってこないカネ」のことですが、「不良債権なんてたいしたこと無い問題だ」とうそぶく人を、私は人間として信頼しませんね。

だって、不良債権処理を真剣に、そして最優先に行わない社会/集団とは、「借りた金は返す」そんな基本すら守られていない社会/集団です。誰からもどこからも信用を得られないでしょう。それはつまり、カネ以外にも投資を受けることが無い、ということで、国家的な信頼の失墜です。これを何とかする=きれいにする そんなごく当たり前の事を「失われた10年」間も、完遂し得る政治家が登場しなかった(出来なかった)、それがわが日本であって、竹中プランがやったのは「信用回復処理」でしょう。

当世大流行中の某森永卓郎氏や真魚さんは、「大規模な財政投入」を仰りますが、本来財政投入と不良債権処理は別の問題です。小泉内閣の経済政策を評するならば、「やらねばならなぬ最低限の最低限は行った」されど、「それを成し得た稀有な内閣」とするのがfairと言うものでは?

そもそも真魚さん、竹中さんの親友はオバマ氏の顧問でもあるL.サマーズ元財務長官。クリントンの右腕でもありました。つまり、竹中さんはとっても「民主党的」な人なわけで、全然新自由主義者じゃないですよね。真魚さん的には敵視すべき対象じゃないと私は思いますけどいかがでしょうか。

投稿: kaku | 2008年12月19日 (金) 21時07分

kakuさん、

>>竹中さんの親友はオバマ氏の顧問でもあるL.サマーズ元財務長官。クリントンの右腕でもありました。つまり、竹中さんはとっても「民主党的」な人なわけで、全然新自由主義者じゃないですよね。<<

竹中をどう見るかはさておき、政治家の「友人関係」には時の政治的な関係もからんできます。民主党員と親しいから民主党的とはちと短絡。

これだとブレアが「共和党的」でマクミランが「民主党的」になってしまいます。英国内政治で両者は逆の立場です。

maverickと呼ばれるマケインが共和党員であることに異を唱える者は少ないと思います。

政治家の「友人関係」は時に党派で割り切れないものです。ましてや違う国家に属していれば、アメリカの民主党寄りか共和党寄りかを当てはめるのは少し強引では?

真魚さん、

公共投資と言われますが、何に?ダムや道路なら、それこそ環境にうるさい現代のリベラルから袋叩きです。面白い公共投資先がればよいのですが。

投稿: Shah亜歴 | 2008年12月19日 (金) 23時42分

robitaさん、

クーさんが、これらをもって「日本経済は、バブル崩壊によるダメージを克服した」と言われているのは、それはそれで良いわけで。しかしながら、私及び数多くの人々は、これらをもって「日本経済は、バブル崩壊によるダメージを克服した」とはとても言えないではないかと考えます、と申しているわけです。今の日本経済はオッケーで全然問題ありません、みなさんじゃんじゃん仕事があって、景気は上向き、所得は倍増していっています、日本の未来は明るいです、とはとても言えないですね。

過去の政策のなにがどうであったか、なぜ、こうなったのか、なぜ、こうならなかったのか。これらをきちんと理解することは大切なことです。そもそも、バブル経済になぜなったのかすら、今日、きちんと整理されていません。もちろん、「あの時こういう政策を断行していればこんなことにはならなかったが、あの党の反対でそうできなかった」ということも数多くありました。そうしたことをきちんと整理して、国民が正しくそれらを知ることが必要です。それをするのがマスコミの仕事のひとつですが、この国のマスコミはそうしたことをやりません。NHKが少しやるぐらいです。

小泉内閣の結果については、こうして眼の前に出ているわけですから、小泉内閣を支持したのは間違っていましたと、はっきりと言うべきではないでしょうか。先の参議院議院選挙でも自民党は大敗したわけですし。小泉政治によって、株価が高くなれば良い経済なのであるとなり、内需が縮小し、輸出企業関連だけが利益を得られる世の中になりました。それがアメリカの住宅バブル崩壊後の今日、株価は下がり、円高で輸出企業は大打撃を受けることになりました。

>>構造改革という基本路線を堅持しつつ、あまりに景気が悪化した時は対症療法というものが必要だと思います。<<

これが一番よくないです。いわゆる「構造改革」で、国民の暮らしが良くなりましたか。そもそも、いわゆる「構造改革」とは一体なんのでしょうか。外資が有利になることなのでしょうか。今必要なことは、いわゆる「構造改革」というわけのわからんものは、まず「やめ」にして、「景気対策をやる」ことです。「景気対策をやる」ということは、「景気対策以外はやらない」ということです。国の予算を景気対策に集中させることが必要です。予算は限られています。時間も限られています。アレをやりながら、コレをやる、ことはできません。アレをやるので、アレ以外はやりません、できません。そうでなくてはなりません。

>>国も民間も知恵を出せばいいんですよ。困ったときこそ発展のチャンス。<<

これを読んで思ったのは、オイルショックの時、日本は確かに国も民間も知恵を出して、この危機を乗り越えました。オイルショックの時は、それができました。そこで、robtaさんはNHKドラマ「監査法人」を見ていたでしょうか。この最終回で、橋爪功(この人、好きな役者さんですぅ)の演じるジャパン監査法人の元理事長の篠原さんがこう語ります。

「我々はバブル崩壊後よりひどい状態のオイルショックの時期を乗り越えた。そのオイルショックの時期、経営者は数字だけ見て、目先だけを考えるのではなく、逆に社員の給料をあげた。社員のモチベーションは上がり、製品の質は向上。そして、世界に通用する先進国日本になった。」

と。

今、平成のこの時代では、企業は業績が落ちたということで、賃金カットやリストラや派遣労働の削減を行っています。そして、我々はそれを「当然のことである」「しかたがないじゃないか」「弱いものは淘汰されていくのだ」かのように思っています。しかしながら、昭和48年の頃はそうではなかった。それがなぜ、そう思うようになったのでしょうか。もう少しつっこんで言うと、昭和48年の頃は、労働組合が、まだ十分に機能していたんです。その後、平成の今、社会主義、共産主義を嫌う風潮が、労働者の社会的勢力を喪失させてしまいました。社会主義、共産主義を嫌う風潮は、果たして正しかったのでしょうか。

投稿: 真魚 | 2008年12月23日 (火) 00時24分

kakuさん、

銀行の不良債権処理が、国が公的資金を投入することだけであると言うのならば、これは大きな間違いです。公的資金の導入と共に積極財政や金融緩和を行わなくては、本当の意味での金融再生などできません。「不良債権」を処理すること。これは当然大切なことです。しかしながら、これをいつのどのように行うのかということを考えなくてはなりません。あの当時、企業が不良債権の処理を早めようとして、保有土地の売却を進めたことが、地価の下落に拍車をかけました。さらに、今ここでやる必要のない時価会計の導入によって、資産の売り急ぎが起こり、土地や株などの資産価格はさらに下落することになりました。こうしてバブル崩壊の被害は、さらに拡大していきました。

「不良債権」を処理しなくていいとは申していません。処理するにも、やり方があると申しているのです。それとも、NHKドラマ「監査法人」のジャパン監査法人の若杉健司君みたく、架空売り上げがあるということで、北陸建設工業を倒産させる(第1回の話)のでしょうか。

「金融再生プログラム」(竹中プラン)は成功したとは言えません。銀行の貸し渋りは続き、景気は良くならなかったではないですか。「借りた金は返す」これは当然のことです。しかしながら、貸した側のリスクもあります。返せないようなところに貸した場合のリスクは払ってもらう。これも当然のことです。そもそも、投資というのはそういうものです。日本の銀行にないのはそうした投資のために、企業経営の内容を判断し、コンサルティングできる能力です。投資銀行になるために必要なのは、こうした能力であり、そうした能力なしに、企業に投資することなどできません。そうした能力がないから、日本の銀行は土地を担保に取ることしかできないのです。

何度も申しますが、不良債権比率さえ下がれば、日本の銀行は貸出を拡張し始めるという判断そのものが間違っていたんです。間違っているものは、間違っていると言わなくてはなりません。それがわからないKakuさんではないと思いますが。

そもそも、竹中平蔵氏は我が恩師の母校の人であり、kakuさんにとっても母校の人でありますが、あの人は学者でもなんでもなくテレビタレントだと思っていましたし、あの当時、小泉首相がこの人を起用したということからして、すでに間違っていると思っていました。真魚さん的には敵視すべき対象というよりも、範疇にない人です。

投稿: 真魚 | 2008年12月23日 (火) 00時47分

舎さん、

特撮映画(というかメディア産業)に公共投資をするのが良いでのは。
悪の帝国ショッカー・リパブリカン・コンサバティブ・エンパイヤの帝王ブッシュと副官チェイニー。それと戦う正義の騎士デモクラッツの物語の映画を作るというのはいいのではないかと思います。これなら特撮オタクの若者たちが映画製作の仕事をするのではないでしょうか。私はデモクラッツ・マスターでライトセーバーの達人の役でやりたいですね。

投稿: 真魚 | 2008年12月23日 (火) 00時54分

真魚さん、

この案には爆笑!!!

その映画には是非とも真魚さんが敬愛してやまない「田舎のスーパーマン」を招きましょう。ただ、彼には劇中ぐらいは自力で空を飛んで欲しいですね。ダイエットには成功したようですし、ガソリンを燃やしまくるのはどうにかしてくれないと・・・・。

真魚さんはダースベイダーですか?彼も本来はスカルマンである仮面ライダーと同様に骸骨の怪人です。

(大体、バッタは昆虫界でも戦闘力が劣ります。強靭な脚力は逃げるためにしか使えません。ただし肉食のキリギリスなら獲物を捕まえる「腕力」も強く、昆虫界有数の戦士カマキリとも張り合えるそうです。)

私が登場するならsabreよりもっと長大で破壊力のあるlight claymoreを使います。

ただ、政府の介入が過ぎると監督や脚本家の想像力が損なわれることが心配です。

投稿: Shah亜歴 | 2008年12月23日 (火) 20時52分

真魚さん、

>あの人は学者でもなんでもなくテレビタレントだと思っていましたし、あの当時、小泉首相がこの人を起用したということからして、すでに間違っていると思っていました。真魚さん的には敵視すべき対象というよりも、範疇にない人です。<

こういうのを「赤で身沈む」と言うのでは?学者じゃ無くともタレントでも官僚出身でも全然構わないのです。こんな日本の社会において、拳を“リング上で”握り“続けた”、それが大切。立派だ!男だ!と、私は結果から見て彼を評価します。

>何度も申しますが、不良債権比率さえ下がれば、日本の銀行は貸出を拡張し始めるという判断そのものが間違っていたんです。<

2002年10月に金融庁から発された一連の「竹中プラン(金融再生プログラム)」、私は米国に居ながら感動をもって拝読しましたが、仰せのような「判断」では全く無かったと思います。

2002年までの10年間、わが国では既に大規模な公的資金の導入と共に積極財政や金融緩和を行っていました。私の記憶が正しければ、当時既に過剰供給でした。にも関わらず、日本経済にその効果は全く見られず、銀行貸出は年率マイナスという状況でした。

つまりこれは、本来「日銀→銀行→企業」という正常なお金の流れが、「日銀⇔銀行」で止まる「異常な銀行行動」があることの現れなわけで、この金融関連機関の異常行動の背後/根幹にあるものが、「大規模な不良債権」であることは、少なからぬ国民の共通理解であったと思います。

だから、「金融再生プログラム」=「不良債権処理」を、「あの時」やらなければならなかった、もうこれ以上避けられない、と、それを具体的に実行することを提示したのが「竹中プラン」でした。

不良債権処理は、国際経済の一員として生きる“しかない”わが国の「邦銀および金融庁の信頼回復」の第一歩で、わが国の場合、まずは正確な「不良債権額」の算出から始めなければならないほどの状況でした。そのために、まずは国際的な常識に基づいたルール作りとその実行の監督機関の整備、そう言ったことがあのプランでは策定されていました。「今ここでやる必要のない」時価会計の導入等もそのうちの一つ。

「(小泉)構造改革」は、来るべきわが国の人口構造変化=少子高齢化社会 に向けた、「過去の社会体制の清算」であったと私は思っています。それが理想どおり、当初の目標どおりであったかと言えばそうではなかった点も多々あると思います。

しかし、昨今跋扈するエセエコノミスト達が言う構造改革「被害」は殆どが濡れ衣です。

昨今のわが国で起きている経済的な停滞の最大の要因は、先に述べたとおり社会の「少子高齢化」突入によるものであり、それはこれから更に強く現れてくるものであろうと思います。

その意味で、今後、「景気浮揚」目的ではない「積極的財政出動」は避けられぬものであると思います。ただ、過去のように道路や建物に向けられるのであればまさしく亡国です。基本は医療と教育、そしてとりあえずは雇用と老後保障。なけなしのお金はここに充てるしか道は無い、と私は思っています。

投稿: kaku | 2008年12月23日 (火) 22時49分

Shahさん、

竹中氏の在任中の業務日誌などを眺めていると、要所要所でサマーズ氏から多くの「アドバイス」やら「支持」をもらっていました。また、竹中氏は、ボストン留学時代彼から師事を受けています…これを短絡的に限定的な「友人」関係とするのはちと強引では?

そもそも、日本人に真の「新自由主義者」いません、『保守思想』のマイクさん以外は(私の知る限り)

投稿: kaku | 2008年12月23日 (火) 22時57分

★真魚さん、

私は経済学はさっぱりわかりませんので(これを言うと、そんなら経済について話すな、と怒り出す人がいますが、経済をアカデミズムをもってしか語ってはいけないのだったら国民の大半は黙っていなければいけないことになります)、経済論というより、人間の気持ちというか生き方というか、まあ、社会学的に「論じて」みたいと思います。

論じます。

真魚さんの仰ることは、一言で言って「昔は良かった」、これに尽きると思います。
バブル期以前の何もかも輝いていた希望の時代、今なぜあの時代のようでないのか、失礼ながらそういう過去への懐古にしか聞こえません。

>小泉内閣の結果については、こうして眼の前に出ているわけですから、小泉内閣を支持したのは間違っていましたと、はっきりと言うべきではないでしょうか<

>これが一番よくないです。いわゆる「構造改革」で、国民の暮らしが良くなりましたか。そもそも、いわゆる「構造改革」とは一体なんのでしょうか。<

構造改革って、政官業の癒着をなくしたり官僚主導の政治を是正したり財政の建て直しをしたりして、一国平和主義でなく世界の動向に合わせて生き残り戦略を立てられる国家体制をしっかり整えることだと私は思ってるのですが。

そうだとすれば「構造改革」は悪いことでは決してありませんよね。構造改革自体は間違っていないし、ぜひやらなければならないことです。そうじゃないですか。
今の景気の落ち込みが激しいから、だから「構造改革」が間違っていたのだ、なんておかしな論理だと思います。

間違っていた、というなら、そもそもの始まりから間違っていたのは、私は今でも小泉さんが総裁選に勝ったことだと思っています。
勝ったことであの人は自民党の総理大臣になってしまった。
つまり、今では懐かしい言葉ですが、「抵抗勢力」を抱えたまま「改革」をしなければならなかった。

普通に考えればそんなことは不可能です。
「抵抗している人たちも必ずわかってくれる」なんて本心かどうか小泉さんは言っていましたがそんなわけないのは政治家たちが一番よく知っていることだと思います。

守旧派を温存したままの「改革」は困難を極め、結局、膨大な月日を費やして、しかも改革は中途半端なものにしかならなかった。だらだらと長い長い年月、国民はその中途半端な痛みに耐えなければならなかったのではありませんか。

小泉さんが総裁選に負けて自民党を出て新党を作り、民主党の同類と連携して戦略を立てていれば、つまり、彼のあの勢いで自民党の外で改革を叫べば、新党での首相になっていたでしょうし、改革も速やかに進んだでしょう。もちろん速やかであればあるほど国民の受ける痛みは激しいものだったでしょうが、国民はあの時覚悟ができていました。痛みは我慢する、と。

小泉改革を批判するならば、その「中途半端さ」にあると私は思うのですがどうでしょう。

まあ、あれが悪かった、と昔のことを言っても今が変わるわけではありませんが、構造改革自体が悪いということではないでしょう。

「昔は良かった」「あの頃のようにならないか」というのは、確かに誰しも思うことですが、時代は色々な要素で変わります。
大河の流れを戸板一枚で堰き止めることは不可能であるように、時代の大きな流れは一国のどの党のどの首相が悪いからこうなった、なんていうことも実は言えないんじゃないかと思います。もちろん、どんな政策を打ち出しても時代の流れに対しては無意味だなどという意味ではありませんが。

国民がみな「中流意識」を持てた時代、あれは日本として一つの「到達点」だったと思います。で、その幸せな時代というものが永遠に続くものかどうか、そんなことは考えればわかります。

いろいろな要因が複雑に絡み合って時代は浮き沈みを繰り返します。
あの頃と同じような政治をやっていればその幸せは永遠に続くものなのでしょうか。
あらゆる社会事情は変わります。世界情勢も変われば資源事情も変わります。何より人の意識も代わります。なにしろ豊かさのせいで人の心が変わるっていうんですからこれはやっかいですよ。

その時その時の「処方箋」としての政策こそが大事なのであって、「昔は良かった」と懐古することは今の政治をやる上での参考にはならないと思います。

たしかに、今の麻生内閣、景気対策はやっているのか、なんで早くいろいろ手を打たないんだとイライラします。
昨日も近所の人との会話で「定額給付金」なんかやめて「雇用対策」に使って欲しいという話が出ました。職がなくて路頭に迷うという人がいるというのに介護職員は足りない。ものすごい需要はあるのに、ここにお金を投入しない。いったいどうしてなんだ、という話も出ました。
そういう疑問に政治家は誠実に答えてほしいものだと思います。


とにかく、「強い者、賢く立ち回る者が生き残る、これは社会のあり方として当然である」という考え方と「弱者が死ななければならないような社会は健全ではない」という二つの考え方が対立しているかのように今の世の中を描いてみせて政治批判をするのが最も愚かしいと私は思うのです。


>社会主義、共産主義を嫌う風潮は、果たして正しかったのでしょうか。<

ここに「自由競争を嫌う風潮」をあてはめることもできますね。

投稿: robita | 2008年12月24日 (水) 10時31分

kakuさん、

ほほう、これをもって「不良債権」処理が完了しましたと言うのですか。真山仁の「ハゲタカ」をお読みですから、よくご存じでしょうけど。あの時代、銀行から厖大なカネがアングラマネーへと流れていったんですが、これはどうなったんでしょうかねえ。

で、竹中プラン以後、「日銀→銀行→企業」になったのでしょうか。
貸し渋りはなぜ、その後も続いたんでしょうねえ。
なぜ、日本の預金金利は、外国と比較して異常に低い、いつまでたっても低いままなのでしょうかねえ。

さらに言えば、新銀行東京の破綻状況などに見られるように、今なお、ベンチャーキャピタルとして銀行がこの国にはできない、育たないのはなぜでしょうねえ。

それらは竹中平蔵氏のタスクではありませんでした、と言われるのならばそれまですが。

投稿: 真魚 | 2008年12月27日 (土) 13時01分

robitaさん

また昔の話をして恐縮ですが、戦後日本というか戦前もそうでしたが、結局、この国は社会民主主義の国だったのだと思います。今ですと、社会民主主義というと福島瑞穂を党首とする社民党の掲げる理念ということになっていますが、基本的にこの国は、自由民主党の政権において、社会民主主義であったと思います。

「自由民主党の政権において、社会民主主義であったと思います」というと、旧社会党の人や民主党の人や社民党の人は、「そうではありません」と言うかもしれませんが、まあ、大ざっぱに見て、日本は社会民主主義の国です。社会民主主義というのは、議会制民主主義であり、福祉国家であり、経済政策は市場経済と政府の介入の両方がある混合経済です。民間の活力を基盤をし、政府は大局的な観点から進むべき方向、支援すべきことを示すということです。この社会民主主義的な姿が1990年代になって、経済のグローバル化と欧米の新自由主義の波を受けて、大きく捻れてしまい今日に至っています。今、この国は、その間違いにようやく気づいて、この国の本来の姿であった社会民主主義に戻れるかどうかという状態だと思います(つまり、政権交代とかではないということです。)

昭和30年代の(昭和の話ばかりで、すみませんねえ)高度成長は、昭和35年に内閣総理大臣池田勇人が提唱した「所得倍増計画」によるものですが、この計画を立案したのは下村治というエコノミストです。その後、日本は高度成長まっしぐらに、東京オリンピック、大阪万博へと進んでいきました。下村治の所得倍増計画は、正しかったということになります。そして、下村の説を採用した池田総理も正しかったということになります。エコノミストはいろいろなことを言うものです。昭和35年もそうだったでしょう。しかしながら、池田は下村を選択しました。つまり、池田総理も、今なにをすべきかがわかっていたのです。高度成長時代のこの国には、活力と希望がありました。時の内閣総理大臣が、「みなさんの所得を倍にします」と公言するのですよ。国民に希望がわかないはずはないではないですか。

ひるがえって、あの頃から40年後の今日、なぜかくもこの国は活力も希望もないのでしょうか(ああっ真魚さんの、またこれが始まった、という声が聞こえてきますが)(笑)。なぜ、今の総理大臣は、「みなさんの所得を倍にします」と言えないのでしょうか。「(微々たる額の)定額給付金を渡します」なんて言って欲しくないです。構造改革とか景気対策とか、コムズカシイことは抜き抜き。国民にとって、そんなことは、どうでもいいのです。

成功したのは、バブル崩壊からの回復ではありません。バブル崩壊から回復などしていません。成功したのは、そのもっと前の高度成長時代であり、アメリカのオバマ次期政権が、もし日本から学ぼうとするのならば、これです。しかしながら、今の日本には、池田勇人も下村治ももういません。小泉純一郎と竹中平蔵のように「強い者、賢く立ち回る者が生き残る、以上、終わり、それ以外なし」という考え方の人たちばかりです。政治も経済も、すいぶん変わってしまったものですね。

なぜ昔のようにならないのか。robitaさんは、国民の気持ちが様々になったからだと言われます。しかし、そういうバラバラな国民の気持ちをひとつにまとめるのが、国の政治の役割ではないのでしょうか。昭和35年は下村治の考えで行いました。平成の今は、今の時代のやり方があります。もう一度、内閣総理大臣が「みなさんの所得を倍にします」と言って欲しいものです。「韓国や中国に負けない、活力のある国にみんなでなりましょう」ぐらいのことを言って欲しいのです。そうなってくれれば、また活力と希望が戻ってくるのではないのでしょうか。

投稿: 真魚 | 2008年12月27日 (土) 13時02分

★真魚さん、

>結局、この国は社会民主主義の国だったのだと思います<

そうですね。

>今、この国は、その間違いにようやく気づいて<

間違いとかなんとかいう問題なんでしょうか。

逆に言えば、世界の流れに乗らず、日本だけが社会民主主義を頑固に守ることはできたんでしょうか。
そういうのを一国平和主義というんじゃないんですか。
国際化の時代、鎖国するわけにもいかず、その時代その時代の潮流に乗るのは避けられないように思うのですが。
海外が日本へ投資しなくなれば必然的に日本は沈みますよね。

間違っている、というなら「世界が間違っている」というべきですよね。でもその流れを止める力は日本にはありません。世界をリードしてやろうという気概もないし。

>なぜ、今の総理大臣は、「みなさんの所得を倍にします」と言えないのでしょうか。<

こういう力強いことを言ってくれる頼もしい総理大臣が欲しいわけですね。
たとえ嘘でもいいから言ってくれというわけですね。
その一言で国民は元気になるんだ、というわけですね。

でも最早それは希望を生み出す効果を持たない時代になってしまったんですよ。
「皆が平等に貧しい」、これは成長のためにはものすごい効果的なスタートラインです。

日本は総中流意識を持つという一応の到達点に達しました。
そうなったらどうなるかというと、今度は価値観の多様化が始まるんです。

>しかし、そういうバラバラな国民の気持ちをひとつにまとめるのが、国の政治の役割ではないのでしょうか。<

まさにその通り。
私が真魚さんと「愛国心」をめぐってさんざん論争してきたことですね。

国民の気持ちを一つにするためには、総理大臣が「国民を必ず幸せにしてみせる」と力強い言葉で語りかければそれでいいのでしょうか。国民に希望が湧いてくるのでしょうか。その一言で、「六本木でオシャレな仕事をしたいしー」と言っていた若者が「肉体労働でもなんでもやるぞぉ」と奮起するようになるのでしょうか。

もちろん力強いリーダーの言葉も大事だろうと思います。私もそういう言葉で国民に語りかけてくれる魅力的な総理大臣が現れてくれればいいなあと思います。

しかし、そういう政治家が生まれてこないのはなぜでしょうか。この日本の国家体制がそういう人物を育ててこなかったからじゃないですか?

それをしてこないで、どこかから自然に立派な政治家が湧いて出てくるのをただ待ち望むというのはあまりにも幼稚だと思います。

立派な志を持った人が政治家になれない選挙システムになっているからだ、とよく言われます。

だったら、そのシステムを変えてやろうという大きな動きが国民のあいだから起こったっていいじゃないですか。

でも、「この国の選挙システムを変えたい。真の政治家を国会に送り込もう」と力強く演説する志の高い立候補者がいるのかどうか私は知りませんが、無名の新人が当選するのは困難ですね。左翼的であれば敬遠されるでしょうし。

長い目で見れば、立派な指導者を育てるというエリート教育も必要でしょうし、国民が国家意識を持つことも大事でしょう。だから、子どもたちに国を大事に思う心、つまり愛国心が持てるような教育をすることは是非必要だと思います。

当面の状況に対処するのは別の問題ですが、「国民の気持ちを一つにまとめるのが政治の役割ではないか」という真魚さんの疑問には、教育に力を入れるということだとお答えし、そしてそれは今すぐにでもしなければいけないことだと付け加えたいと思います。

投稿: robita | 2008年12月29日 (月) 10時51分

robitaさん

教育は、国のためにあるのではありません。子供たちを、将来の「良き国民」や「優れた能力のある労働者」にするためにあるのではありません。かりに教育が国や会社のためになったとしても、それは結果のひとつであって、それが目的であるわけではありません。教育というのは、基本的に「なになにのため」というものではありません。国が教育に介入すべきでありません。

「賃金を倍にします」というのは、嘘でそういうわけではありません。例えば、公立教育の学費は無料する、子育てにかかる費用の半額以上を国が負担する。国民の医療費も無料にする、などといったことを行えば、給料が倍になるのと同じです。収入を増やすのではなく、支出を減らすわけです。その意味では、所得倍増ではなく、支出削減ですね。年収300万円や200万円の家庭でも、十分に生活していくことができる。それはつまり、電気、ガス、水道といった公共料金の低額化や、低額な家賃の住居が必要です。重要なことは、低賃金労働者は「努力しないからそうなったのだ」「自己責任である」「政府に頼るな」「負け組が苦労するのは当然である」といった見方をやめることです。何でもかんでも個人の自己責任にするのはやめましょう。国の政策でできることは「国がする」「国が援助する」、これが必要です。

今の格差社会や不況は、日本の経済が国際化したから起きた「しかたがない」ことではなく、国の政策の間違いによって起きたことです。そうした格差社会や不況の問題は、今日、アメリカそして日本で大きな問題になっていますが、一方で、(カナダもそうですが)ヨーロッパでは、程度の差はありますが、それほど大きな問題になっていません。ヨーロッパの経済は、国際化していないのでしょうか。そうではありませんね、十分に国際化しています。そうでありながら、ヨーロッパでは、社会主義や組合の力は今でも強いですし、福祉政策も下がっていないではないですか。同じグローバリゼーションの波を受けながら、アメリカと日本は格差が拡大し不況になりましたが、ヨーロッパはそうなっていません。日本は、なぜヨーロッパのようにできないのでしょうか。小泉・竹中路線とは、つまるところ「アメリカのやり方に従う」「アメリカみたいにやる」ということでした。それが今日、(アメリカに従ってきたから当然ですが)アメリカのような格差と不況を、日本も抱えることになってしまったのです。アメリカは、この間違いに気がつき、国民はオバマを大統領に選びました。アメリカでは、新自由主義の時代が終わりました。世界の流れが「新自由主義は間違いだった」という流れになりました。アメリカ従属の日本としても、この間違いに気がつく時期になったようです。

投稿: 真魚 | 2008年12月30日 (火) 18時33分

★真魚さん、

思い違いをしていらっしゃると思うのですが、私は教育のやり方を国が何でもかんでも決めるべきだなんて一言も言っていません。
むしろ私は地方分権を進め、教育の面でもそれぞれの地方が独自にこれぞと思う教育を行えば、成果が出た地域のやり方を学ぶことができるだろうし、そういう努力をする地方に人は集まるだろうという考えです。
しかし、「国を大事に思う心」は最低限必要だろうと言っているだけです。

「国のために人材を育てる」という考え方は、豊かな先進国ではそれほど重みを持ちませんよね。でも発展するためには「人材を育てること」が最重要課題になります。明治維新を迎えて、欧米に追いつき追い越せということが目的だった時がそうだったと思います。
で、今の時代、それを怠ってきたツケが政界人材不足という面でも表れていると思うんです。反省して人材育成の重要性を再認識するようになったこと。それのどこが悪いのかと単純に思いますね。国の危機なんだから。

>ヨーロッパでは、程度の差はありますが、それほど大きな問題になっていません。<

サブプライムローンから発した金融危機は世界中に広がったんじゃないんですか。
ヨーロッパ諸国だって景気悪化は深刻だというのは虚偽の報道なんですか。
世界の中でアメリカと日本だけが困っているんですか。本当ですか。

ヨーロッパ諸国の指導者は巨額の資金を銀行に投入するなど、手を打つのが非常に早かったと聞きました。
日本に足りないのは迅速な対応なんじゃないかと思うのですが。

>日本は、なぜヨーロッパのようにできないのでしょうか<

ヨーロッパの「高福祉高負担」を日本人が選ばないからじゃないですか。
高福祉のためには、非常に高い税金を支払わねばなりませんよね。
それに、ヨーロッパの国々のそれぞれのやり方は、そんなに褒めちぎるほど立派なものでもないのではないですか。
制度がうまく機能して国民のほとんどが満足しているものなのでしょうか。
それぞれに深刻な問題を抱えているんじゃないですか。私はヨーロッパ事情を論じるほど詳しくありませんが。

結局日本人に足りないのは、「なぜそれを選んだのか」という当初の記憶だと思うんです。

この国は戦後ずうっと、アメリカと組んでいたおかげで防衛に気をまわす必要もなく、ひたすら経済発展に専念することができ、「社会民主主義」で平等な幸せを謳歌していました。
それは裏を返せば、国による規制と補助金による保護と与野党の談合によって成り立っていたわけです。ずるいこと汚いことを「まあまあ」とうまく表沙汰ににしないようにしながらなんとかバランスをとってやっていたわけです。
景気が右肩上がりの時代はそれでも良かった。でも、そういったやり方が国庫の無駄遣いとしてあらわになってくると、放置しておくわけに行かなくなります。
それで「国の構造を変えろ」「国は規制するな」「民間にやらせろ」という声になったんじゃなかったんですか。

なんでそれを忘れちゃうんですか。

新自由主義の間違いに気づいた、なんていう表現がまかり通っていますが、新自由主義って何ですか。
日本はその新自由主義とやらを取り入れてたんですか。

アメリカの実体経済は14%ぐらいで、その他はほとんどが不動産や株などの売買でお金を生み出す実体のない経済だそうですね。しろうとが考えてもそういうのって危ないなあ、と思います。

で、日本はアメリカの真似をして、ものづくりをせず、実体のない経済に狂奔していると?
それで今になってその間違いに気づいてあわてていると?
そういうことなのですか。
私にはそうは思えないです。
日本は健全だったじゃないですか。
日本はむしろ警戒していて世界のその流れに乗るのが遅かったから、世界の国々がもろにサブプライムの影響を受けた時も、「日本はそれほど痛手は受けないだろう」と言われたのではなかったのですか。
景気が悪いのは、国会のゴタゴタで政治が停滞していて、対策を打つのが恐ろしく遅いからじゃないんですか。


今、アメリカではオバマが選ばれて「世界が変わる」という熱狂的とも言える期待感に満ちているように見えます。
しかし、私はそれを一つの「変化」とは感じながらも、ちょっと引いて見ています。

反米に凝り固まった人たちは「アメリカさえ心を入れ替えれば世界は良くなる」と思い込んでいるように私には見えるのですが、でも果たしてそうなんでしょうか。
世界にはロシアがいます。中国もいます。価値観の全く相容れない強靭なイスラム勢力もあります。

大国同士のぶつかり合いというものは「話し合いで仲良く」なんていうことでうまくおさまるとはとても思えません。
うまくおさまっていたのは、冷戦時代の米ソのにらみ合いの構造だったじゃないか、と今となってみれば思えてきますよね。
(それでも、オバマが世界を協調させるための牽引役になると言って実際にそれを実行するなら、「世界政府」の誕生の始まりととらえたいし、私は大いに歓迎しますが、それはまた別の話)

人間はいつだって「間違っていた」と反省するんですよ。
国が大きな力で国民の面倒をみる「社会民主主義」だって、長く続けていれば疲弊するし、「考えない」国民を量産することになりかねません。実際、日本人はぬるま湯に浸かっていた、という反省がありましたよね。

「行き過ぎ」は良くない、というのは私たちはよく知っています。
その意味では、金融資本主義に懐疑的だった日本人は健全だったんじゃありませんか。
いったい何をもって「アメリカの真似をして新自由主義に走った」などと言うのでしょうか。いったい誰が「バブル経済」を奨励していたというのでしょうか。

元日にNHKスペシャルで竹中平蔵と金子勝が論争したようです。出かけていて見られなかったので、録画したものをいつか見ようと思います。
経済のこと少しはわかるかもしれません。

投稿: robita | 2009年1月 2日 (金) 14時32分

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