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2009年1月30日 (金)

大人の社会科見学

先週の日曜日、夫と娘と3人で、旅行会社のツアー「大人の社会科見学」に参加した。

親子3人なんてヘンな組み合わせだが、新聞広告で見つけ、面白そうだなと娘を誘ってみたら「国会議事堂の中を見てみたい」と大乗り気になったので、二人で申し込んだ。
その後、ためしに夫を誘ってみたら行きたいというので追加申し込みをしたというわけだ。

新宿に集合し、国会議事堂衆議院議場、大磯の旧吉田茂邸、町田市鶴川の武相荘(旧白洲次郎・正子邸)、東京タワーをバスで廻った。
昼食は大磯プリンスホテルで西洋料理のコース。豪勢ではないけれど見学ツアーには充分な質と量だった。
参加希望者が殺到したので、急遽バスを2台にしたとのことだ。

これだけの場所を一日で効率的に廻ることができるし、個人や少人数では入れないところもあるので、バスツアーはとても便利だ。
大人の社会科見学ツアーが流行る理由だろう。

グループで参加する人たちもいたが、単独で参加している中高年男性も多かった。
知識が豊富で、知らない人同士、歴史や社会情勢の話で盛り上がっていた。

日本人は平均的に知識欲が旺盛だと思う。
学校や受験などで強いられる勉強は辛くて嫌いでも、興味のあることに関する知識の取り入れには本当に熱心だ。興味の対象も幅広い。日本人は世界でも稀に見る知的好奇心の強い民族じゃないだろうか。他の国知らないけどどうだろう。

参加していた人たちが現役か退職者かはわからないが、仕事からすっかり退いたら、勉強にますます拍車がかかり、大学や大学院に通い始める人も増えるだろう。

まさに「知の国・ニッポン」だ。

知識があれば幅広い会話が楽しめる。それだけで心が豊かになる。

知識を得るに、机上の学習だけでなく、旅行や大学再入学や人との会話を楽しむ会食やサークル活動などにも励めば、景気浮揚の一端も担えるではないか。

厳しい現実に直面している人も、でき得るかぎり友人と集まったり、旅行に出かけたりすることに励めばいいと思う。会話や飲み食いは人を元気にさせる。

今回のツアーがなかなか面白かったので、娘とは「また別の見学ツアーに行ってみよう」ということになった。各種工場や地下巨大調整池や自衛隊施設など、見たいものがこの日本にいっぱいある。

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2009年1月28日 (水)

あかちゃん

産経新聞の【朝の詩】にこんな詩が載った。

     たきび
          大阪市 ○倉○子さん

 あかちゃんの
 まわりに

 ひとが
 あつまってくる

 まるで

 たきびに
 あたるみたいに

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赤ちゃんは人を惹きつける。
呼び寄せて笑いを起こさせ、会話を弾ませる。

特に女性は赤ちゃんが好きだ。
特におばさんは「あらまあ、なんて可愛いんでしょ。ちょっと抱かせて」なんて言いながら場に入っていく。
明るさが広がり、幸せな空気があたりに満ちる。

赤ちゃんは無条件に可愛い。

そんな赤ちゃんも実の親に虐待されたり殺されたりする。

日本は堕胎天国だという。

もったいない話だ。

子供という宝ものを守らなければいけない。

そのためには、「伝統」や「道徳」や「慣習」は二の次になっても仕方がない時代かもしれない。

伝統や道徳は、「こうあるべき」という考え方で人を縛り、そこからはみ出た人々の苛立ちを子供に向けさせてしまう。

苛立ちを子供に向ける方が当然間違っているのだが、とにもかくにも子供は守られなければいけない。

お父さんお母さんが揃っている家庭が健全で標準的なのだ、とか、中学生や高校生は子供を産んではいけない、とか、家族を養える収入がなければ結婚は難しい、といった固定観念からそろそろ解放されるべき時代なのかもしれない。

そして、子供を社会全体で育てていく、ということを本気で決意しなければならない時代なのかもしれない。

社会がうまく機能するということと、伝統を守るということは、自由平等社会では両立しない、たぶん。

だましだまし両立させてきたものが、ここへきてついに無理がきた、というわけだ。

だから道徳心の緩みを教育で正そうと主張する人々がいるわけで、私もその一人だったが、もうそれはかなわないだろう。あきらめた。これが自由と民主主義というものの末路だ。

私たちはものすごい時代の変換期にいると思う。

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・・・・・んなわきゃないでしょ。日本人がフランス人になれると思います?
私はやっぱり、日本の美徳とされるものを取り戻したいと思いますね。
希望は教育にあるんです。
赤ちゃんにあるんです。
今日の記事は逆説ととらえていただきたい。

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2009年1月26日 (月)

バージン・ロード

昔、評論家の大宅映子が、結婚前の性体験について、「・・・、だって私、セックスしたら顔が変わると思ってたもの。損しちゃった」なんて言っていたことがある。

大宅さんが男性体験が夫しかないことを本当に「損しちゃった」と思っているかどうかはさておいて、「昔の嫁入り前の娘はそれほどオボコかった」と言いたかったのだろうと思う。

さて、現代である。

もう言うまでもなく、婚前処女率は低下しつつある。中学生だって軽はずみに経験してしまう。

そんなこと許すなよ、と思うが、誰も止めることができず、防御壁は年々歳々低くなり、崩れ現象が起きている。もう仕方がないか。少子化の折から、子供を作る術は子供のうちから鍛えておくのがいいのかもねと皮肉っぽいことも言いたくなる。

性経験の低年齢化は由々しきことなのか、それとも特に問題視することではないのか、妊娠や感染症にさえ気をつければ中学生がセックスしたってかまわないのか、判断は人それぞれの価値観によるものかもしれないが、個人的には「君たち、猿じゃないんだから」と思う。

こんなにもハードルが低くなったのは、日本人に道徳心がなくなったからだとか行過ぎた個人主義のせいだとか女性の意識の変化だとか、まあいろいろあるだろうが、やっぱり山口百恵の「ひと夏の経験」は大きかったんじゃないか、なんて思う。あれは衝撃的だった。あの真面目で清純な中学2年生の女の子があの歌を歌ったことの影響は相当大きかったんじゃないか。「そうよ!ちっとも悪いことじゃないわ。愛は尊いのよ!」と。

近頃の若い男性は、結婚相手が未体験かどうかなんてあまり気にしないそうである。そんなことを気にしている男性が罵倒されているのをネット掲示板で見たことがある。

それも当然で、恋をすれば、お互い求め合うのは自然なことであろうし、その恋が残念ながら結婚までに至らない場合もあろう。そして次の恋が始まった時にはすでに経験者である。

「結婚前は絶対に許しません!」などと処女の鉄壁を守り通されては、男のほうもたまったもんではないのではないか。
「健全な遊郭」がなくなったことの弊害でもあると思うので、これに関しては「昔は良かった」と思う。

まあ、こんなことをわざわざ文章にすること自体、私が古い世代の人間だということの表れかもしれないが、それでも、少なくとも、小中学生はセックスなんかしなさんな、と思うし、「二十歳過ぎたのに未経験なので恥ずかしい」なんて思う必要は全然ないことをはっきりと言いたい。

30過ぎてたって恥ずかしいことではない。女のからだ、大事になさいな。

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2009年1月23日 (金)

ちょいと江戸まで

堀井憲一郎著「落語の国からのぞいてみれば」(講談社現代新書)が面白い。

落語を通して読み解く江戸時代の(あるいは戦前までの)日本人の価値観がよくわかる。

目次には例えばこんなのがある;

・数え年のほうがわかりやすい
・死んだやつのことは忘れる
・名前は個人のものではない
・みんな走るように歩いてる
・生け贄が共同体を守る
・早く結婚しないといけない
・恋愛は趣味でしかない

「数え年のほうがわかりやすい」
私は前々から、いい年をした大人が自分のお誕生日がどうのこうのと話すことに違和感を感じていたのだが、これはきっと昔の数え年の考え方が親を通じて身についていたからかもしれないと、読んでいて気づいた。

「みんな走るように歩いてる」
小中学生の体力が低下した、と先ごろ報道があったが、交通機関がなく歩くしかなかった江戸時代の人々の脚力を想像するとちょっと羨ましいような気がする。

「早く結婚しないといけない」
近年結婚に踏み切ることが非常に困難になっているのは当然の成り行きとは思いつつ、有無を言わさず結婚させられていた当時の様子に微笑ましさを感じてしまう。とにかく「独りはいけない」と周りが寄ってたかっておせっかいをしていたのだ。
「恋愛なんぞ趣味でしかなかった時代」ゆえに、とにかく独りはいけない、と結婚させられていたのである。
私の世代ぐらいまでは、まだそんな考え方が残っていた。
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余談:
小渕優子少子化担当大臣が、「産む」以前の「結婚」「恋愛」について分析する作業チームを立ち上げたらしいが、そんなもの今頃調査してどうするのという感じだ。
少子化対策としてするべきことはもうわかっている。家計が苦しく子供が作れない、と言っている人への援助や、保育園の充実、不妊治療の費用軽減(保険適用)など、今すぐ、速やかにやればいいことだ。
給料が低くて結婚できない状態は景気が回復すれば改善されると思うが、「恋愛」については、対策というものがあるのかどうか。

先日のNHKスペシャル「女と男」によれば、人類は男女が役割分担し協力して子育てをするために恋愛のメカニズムを発達させたということだが、その恋愛自体、昨今は困難になってきていることを考えると、人類は何か別の手立てを求めて進化していくのだろうかと考えさせられる。
男を決定するY染色体がどんどん小さくなりつつあるとか、精子が劣化してきているとかの事実が歴然としてあり、未来に向かって生殖はテクノロジーでカバーせざるを得なくなるのか、それとも人類は自然に滅亡の道をたどるのか、興味深い問題だ。
若い世代を襲っている結婚難や不妊、また恋愛困難症を考えると、そう遠い未来のことでもないような気がする。

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話を「落語の国から・・・」に戻す。

読んでいると、無知無学や身分差別や生活の不便さや共同体のわずらわしさを抱えていた江戸時代の庶民の暮らしより、今の時代のほうが本当に幸せなのかと思えてくる。

それはまあ自由で平等で便利な今の時代のほうが良いに決まっているだろうが、著者は最後にこう書く;

「ま、息苦しいなあとおもったときには、ちょっと江戸の気分になってみると、少し楽になるかも、ということです。落語は近代をすっと越えてくれる。」

落語、聴きにいってみませんか。

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2009年1月21日 (水)

鼓舞

先日、ラジオで宮台真司教授が「オバマさんは、閣僚にそれぞれの分野での最高の人材を揃えている。これほどの選りすぐりの専門家で固めれば、失敗してもオバマさん自身が悪いということにはならない。素晴らしい采配ですね」と褒め称えていた。
なんだか変だなあ。
ひとりで責任を負わないためにそういう閣僚人事を行ったという風に聞こえるのだけど。

オバマさんは「アメリカの抱える諸問題を乗り越えるのは容易なことではない。短期間ではできない。アメリカ国民が心を一つにして立ち向かわなければならない」というようなことも言う。そしてその言葉にアメリカ人は熱狂する。

ケネディ大統領もそうだった。「あなたがた国民が国のために何ができるかを考えてほしい」と国民の協力を求め、国民は興奮して支持した。

日本では「国民も努力してほしい」なんて首相が言おうものなら、「責任を国民に転嫁するのか」なんて反発がくるんじゃないだろうか。

おおそうだ。小泉さんがいた。「みんなで頑張ろう。痛みに耐えよう」と言ってくれたものだ。国民は大いに支持した。

結局、「だまって俺についてこい」がいいとか「みんなで頑張ろう」がいいとかの問題でなく、リーダーの言葉からどれほどの熱意が感じられるかという問題なのかな。

経済政策なんて、どういうことをしても、好転するか悪化するか、それは人の気持ちに左右されるものだから、絶対的なものではなく、やはり、「頑張ろう」と、たとえ言葉でだけでも鼓舞することは良いことなのかもしれない。

行政経験のないオバマに大統領が務まるのか、とか、オバマは演出に長けた詐欺師だ、などという意見も少なからず聞こえてくるが、熱意が感じられるだけでもいいんじゃないか、と思えてきた。

人間は、理想を語るべき時には語らなくてはいけない。熱っぽく語られる未来の展望にしばし酔いしれるのもありだろう。醒める時には醒めるものだ。

何はともあれ、日本も景気回復しなければ雇用問題も改善されないので、世界中に影響力のあるアメリカにできるだけ早く立ち直ってほしいものだ。

みんなでオバマ大統領を応援しようではありませんか。

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2009年1月20日 (火)

根深汁

    控えめに 生くる幸せ 根深汁

中曽根内閣で官房長官を務め、リクルート事件でひとり罪を被り、昨年亡くなった藤波孝生氏の句である。

このような幸せがありさえすればそれで充分だ、と思っている人は決して少なくないだろう。
というか、バブル経済の空しさを経験し、金儲けに狂乱する人々の有様を見聞きしてきた我々が、それを自分自身で体験しようがしまいが、「もう金はいい。心が、愛が、何よりも大切だ」という思いにかられるのは当然のことだ。

おそらく、世の中の人の大半は「根深汁をしみじみとすする幸せさえあればいい」、と思っているにちがいない。

一人ひとりはそうなのだ。

でも、人間社会全体となると、そのようにはならない。

なぜなら、人間とは、「安定」のまま留まる、ということをしない生き物だからである。

競争が大好きで、必ず、必ず、より上を求め、発展し続けるように作られているからである。泳ぐのを止めると死んでしまうマグロみたいなもんだ。

だから、景気の浮き沈みもあり、批判や反省や再生がある。

ためしに、しみじみとした幸せで充分、と思っている人たちだけで「新しい村」を作ってみたとしても、仮に、外界との接触が皆無の状態にしたとしても、たぶんその村は長らく同じ生き方を貫くことはできないだろう。

というと、なんだかみもふたもない言い方だが、社会主義者の人はこれは理解しておいたほうが良いと思う。

人間社会の発展なんて、そんなに論理的に運ばないものだ。経済理論どおりにはいかない。

だって思いもよらない「人間の気持ちの変化」が大きく影響するのだから。

そう考えると、政策なんて、単なる絆創膏や塗り薬と同じ応急処置でしかないのだと思えてくる。

もし、世界の人に公平に恵みが分配されるようにしたいのなら、順番を待つしかないかもしれない。

こんな風に。 →「次はあなたの番ですよ」 

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1月19日産経新聞で、曽野綾子氏が≪透明な歳月の光≫に、「贈り物にも監視は必要」と題して、ガザの難民キャンプで出会った女教師について書いている。

【____前略____ その時、ガザの難民キャンプで会った抗戦的な態度の女教師は、口をきわめてアメリカを罵るので、私は、「あなたたちはそのアメリカに経済的に助けられているんです」と言った。当時もパレスチナに対する支援額は、一位がアメリカ、二位が日本だったのである。すると、この女教師は、急にアラビア語になって喚き出した。
実はこういう事態を予想して、私はアラブ女性を秘書の名目で自費で同行していた。彼女は日本人の妻で国籍も日本人だが、生粋のアラブ人だから周囲の人が何を言っているのかを私に囁く役目を果たしてくれていた。この女教師は私がわからないのを幸い、次のように言ったらしい。
「アメリカが金を出すのは、パレスチナに悪いことをしたという自覚があるからだ。もっと取ってやればいい。そしてこういうことをいう女(私)は誘拐してやればいい」
その日以後、私は宿泊先のホテルから国連の車以外、タクシーにも乗らなかった。____後略____】

そして、曽野さんは「日本が出す援助金の使い道については、パレスチナでは人道的に使ってくれるだろうと日本人は思うが、着服もあるだろうし、その金で武器を買う人もいるだろう。贈り物にも監視が必要なのは世界の常識だ。」という要旨の文章で結んでいるのだが、私が問題にしたいのは、この女教師の激しい気性である。

いやいや、彼女のことに限らず、乾燥し痩せた土地で生き延びなければならなかった人々の民族性については、よく論じられる。「あの厳しい風土で培ってきた価値観は、到底西欧や日本の人間に理解できるものではない。イスラム教徒は民主化を望まない」というやつだ。

そうなのだ。この女教師の過激な物言い、戦闘的な態度は彼女のせいではない。すべて気候のせいなのだ。

彼女の気持ちなんて、肥沃な土地に住み着いて、穏やかに農耕生活を営んできた日本人にわかるわけがない。あちらにもこちらの気持ちなど理解できないだろう。

だから、地球温暖化を無理に食い止めず、砂漠地帯が移動して我々の土地が乾燥し、彼らの住んでいるところが湿潤で肥沃な土地に変わるのを、「次はあなたの番ですよ」と寛容な気持ちで受け入れることが正しくなくてなんであろう。

どうです。これこそ本物の平和主義の考え方でしょうが。(私は乾燥地帯に住むのは嫌ですけどね)

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2009年1月12日 (月)

今やるべきこと

産経新聞に時々載る「昭和正論座」を読むと、歴史は繰り返すものだとつくづく思う。

「昭和正論座」は、同紙上で今も連載の続く「正論」欄の35周年を記念し、「当時掲載された珠玉の論稿を再録」したものである。

1月4日の≪会田雄次「窮境を生かす日本人の力」≫(昭和50年1月4日)など、今の時代に置き換えても何の違和感もない。(いずれネット上に収録されると思います)

「日本人は窮地に陥った時こそ、底力を発揮して乗り越えてきた。目先のことにあわてず騒がず、知恵を振り絞ることが求められる」という論旨だ。

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不況でみんな大変な思いをしているが、それでも、「不満ばかり並べるのでなく、今なにをするかが大事」「こういう時こそ仕込みの時」という声も多く聞かれる。

派遣労働で気ままな生活を送ってきた人たちにとっても、きっとこの事態は考える良いきっかけになっただろうと思う。

「気ままな生活」という表現に怒りを覚える人もいるかもしれないが、工場労働者でも、結構良い給料を取りながら賄い付きの寮に住んでいるので、貯蓄はできたはずだという指摘もある。解雇のその日から食べるのにも困るというのは、いかにも危機管理がなっていない、という他はない。

「何かあった時のために蓄えておく」、この大切さが身に沁みてわかったことだろう。その意味では、この危機は良い経験になったのではないか。

日比谷公園の派遣村に集まった「日雇い派遣」の人たちには貯蓄は無理であったろうから、この範疇ではないが。

人間は危機や不幸を経験して反省したり強くなったりするのだから、今のこの時期も、我慢しつつ、どんな手を打てばいいのか考えることが最も大事だと思われる。

それにしても、定額給付金はそんなに強硬に推し進めるほど効果的な経済対策なのだろうか。
国民の7~8割が反対しているものを政府がごり押ししようとしているのにはもちろんわけがあるのだろうが、これは「国民のほとんどが反対していても正しいことを信念をもって推し進める」という類の政策ではない。
自民党自身もやりたくないし、やってもさほど効果はないだろうことがわかっているのにやめるわけにいかない、そういうばかばかしいいきさつがある。
(まあ、「日本国のため、絶対に民主党に政権を渡すわけにいかない」、という強い信念のもと、連立維持のために歯を食いしばって頑張っているのかもしれないが)

国民自身は、個人としては給付金はほしい。私もお金はほしい。
しかし、「国のため」になるかというと、そんなことはないだろうから「個人的には欲しくてもこの給付はやめてほしい」と国民が言っているのである。7~8割の国民が。

なぜ支持率が落ちるようなことをわざわざするのだろうか。
「連立」のためにはこうするしかない、のだろうか。
民主党に政権が移ることを危惧しているのなら、もっと別のことを考えたほうがいいと思う。

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2009年1月 6日 (火)

報われる社会

真面目に勉強し、真面目に働かなければ将来はどうなるかわからんぞ、と子どもの頃、そう言われながら育った。
怠けていると物乞いをしなければ生きていけなくなるぞ、と脅かされた。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」の処世訓を、折にふれて大人たちから聞かされた。

昔も今も、たいていの親はそう言い聞かせながら子どもを育てていることだろう。

でも、大人の言うことを聞かず、好き勝手に不真面目で怠惰な生活を続けている若者はきっと、そこかしこに存在するのだ。

そういう若者たちが大人になった時、心を入れ替えて真面目に働くようになればほとんど問題はないだろうが、怠惰さを続けていれば決して人生を良いものにはしない。

派遣村に集まった大勢の困窮者の中には色々な事情を抱えた人たちがいると思う。

そこには、真面目にコツコツ働いてきたのに失職した人もいるだろうが、そうでない人たちも大勢いると思う。

全員が、今までの人生一生懸命働いてきたのに不当に解雇された本当に気の毒な人たちなのだと主張する人がいるとしても、それを証明する手立てはない。

集まってきた人、一人ひとりの人生を検証することなどできない。

もちろん、今の不況が失業者を沢山生み出したのは事実だし、国会でなかなか物事が決まらない状態にもイライラ感が募る。
また、どんな人生を送ってきたにせよ、今、目の前で路頭に迷う人は救わなければならない。それが人の道というものだ。

しかし、弱者は弱者なんだから絶対に批判してはならない、という世の中の空気は真の優しさではないと思う。

そういう弱者たちを政治目的に利用しようとする人たちがいるのもまたよくあることで、派遣村の盛り上がりの映像を見ながら、公平で冷静な分析が必要だと思った。

最も重要なことは、「真面目にコツコツ働いてきたのに被害に遭っている人」と「怠けた結果そうなった人」をいっしょくたにして語らないことだ。

怠けていても不真面目でも困った時は国がなんとかしてくれる、というのであれば、真面目に働け、頑張れ、という励ましはいったいどんな意味を持つのか。

真の意味で、真面目に頑張った人が報われる社会であってほしいと思う。

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