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2009年1月 6日 (火)

報われる社会

真面目に勉強し、真面目に働かなければ将来はどうなるかわからんぞ、と子どもの頃、そう言われながら育った。
怠けていると物乞いをしなければ生きていけなくなるぞ、と脅かされた。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」の処世訓を、折にふれて大人たちから聞かされた。

昔も今も、たいていの親はそう言い聞かせながら子どもを育てていることだろう。

でも、大人の言うことを聞かず、好き勝手に不真面目で怠惰な生活を続けている若者はきっと、そこかしこに存在するのだ。

そういう若者たちが大人になった時、心を入れ替えて真面目に働くようになればほとんど問題はないだろうが、怠惰さを続けていれば決して人生を良いものにはしない。

派遣村に集まった大勢の困窮者の中には色々な事情を抱えた人たちがいると思う。

そこには、真面目にコツコツ働いてきたのに失職した人もいるだろうが、そうでない人たちも大勢いると思う。

全員が、今までの人生一生懸命働いてきたのに不当に解雇された本当に気の毒な人たちなのだと主張する人がいるとしても、それを証明する手立てはない。

集まってきた人、一人ひとりの人生を検証することなどできない。

もちろん、今の不況が失業者を沢山生み出したのは事実だし、国会でなかなか物事が決まらない状態にもイライラ感が募る。
また、どんな人生を送ってきたにせよ、今、目の前で路頭に迷う人は救わなければならない。それが人の道というものだ。

しかし、弱者は弱者なんだから絶対に批判してはならない、という世の中の空気は真の優しさではないと思う。

そういう弱者たちを政治目的に利用しようとする人たちがいるのもまたよくあることで、派遣村の盛り上がりの映像を見ながら、公平で冷静な分析が必要だと思った。

最も重要なことは、「真面目にコツコツ働いてきたのに被害に遭っている人」と「怠けた結果そうなった人」をいっしょくたにして語らないことだ。

怠けていても不真面目でも困った時は国がなんとかしてくれる、というのであれば、真面目に働け、頑張れ、という励ましはいったいどんな意味を持つのか。

真の意味で、真面目に頑張った人が報われる社会であってほしいと思う。

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コメント

私が子育てしていた頃、バブルの上り坂あたりでした。
真面目がヤボに捉えられる時代だった、という印象があります。要領よく立ち回ることが賢くて、コツコツ努力や節約は流行りませんでした。
そんな頃に子供時代を送った30代前後の人たちは、自分の子供の頃の過ごしやすさと比較して、さぞ厳しさを感じていると思います。
ぬくぬくと育って来たのに、今寒風に出合い、さぞ辛いけれど、親たちは退職年齢で加勢できません。仕事と住まいの大切さを訴える声を聞くと、正当だなと思います。こんな時は3Kの仕事はいやだとか、言っていられません。人間たいして賢くはないのです。好景気だったり、不景気だったり、浮き沈みはあります。けれども、今回はボランティアも出動して、少しでも良い方へと、尽力が見られる、さすがと思います。何とか凌いで、失職した人たちを職場に吸収する手立てが立てられる策が生み出されるものと、それを信じています。


投稿: 街中の案山子 | 2009年1月 6日 (火) 16時09分

★街中の案山子さん、

>私が子育てしていた頃、バブルの上り坂あたりでした。<

私の子育ても同じ頃だと思います。
でも、景気が良いとか悪いとかの実感もなく、いつもと同じように生活していました。
案山子さんの仰る「コツコツ努力や節約は流行らなかった」というのは、後から思えば、そういえば世の中の風潮はそうだったのかなあ、と思います。
世の子供たちがお寿司屋さんでトロを注文することを覚えたのはこの頃だったのでしょうか。
でも、この間主人に「バブルの頃に私たち何も贅沢なんてしなかったわよねえ」というと、「車買い替えたよ」と言われて、ああ、そうだったか、と思い出しました。
家の中で変わらぬ毎日を過ごしていた私には実感がなかったけれど、社会ではバブルは膨らみ続けていたんですね。

バブルの頃のことはさておき、時代にかかわらず、いい加減な生活をしていると後で苦労する、というのは当たり前の人生訓で、昔も今も語られることだと思います。
もちろん、私自身、いっさい怠けずコツコツ努力してやってきました、と自信をもって言える人生ではありませんが、普通に真面目でありました。

>今回はボランティアも出動して、少しでも良い方へと、尽力が見られる、さすがと思います<

そうですね。
大々的に報道されたからでしょうか、高校生ボランティアも参加したようです。
温かいものを食べながら「人の温かさが身に沁みました」と言っている失職者の表情が本当に嬉しそうでした。
人情が励みになり、前向きの気持ちが湧き上がるといいですね。

投稿: robita | 2009年1月 7日 (水) 10時39分

 誤解を恐れずコメントさせていただきます。

 経営者の家に育つと、「コツコツ真面目に働けば食っていけるとは限らない」「怠けていても従業員の雇用を守り、利益を上げて会社を維持できるのが良い経営者」「自己判断による結果責任」との感覚が身につきます。
 ただし同時に「怠けた結果会社を破綻させた場合には、二度と世間に顔向けが出来ない」との事例を幾つも目にしてもおり、能力のない私のようなものは「結果を出すための『手法』として、真面目に働かねばならない」との意識が常にあります。

 前に書いたように私は現在会社の整理中なわけですが、外的要因はあったと言えども「経営者は結果責任」であり、「自力で道を切り開いていく以外無い」「誰も助けてはくれない」というのは当たり前の世間常識であり、運の無さと自分の能力の不足を嘆きはするものの、責任をよそにおっ被せるつもりはありません。
 今の世間に不足していたのは、「自由を得るためにはそれなりのリスクがあり、責任と結果は自分自身が負わねばならない」という事を教えておくことであり、その意識の上であれば国や自治体も公助を差し出しやすくなると思うのですが

投稿: 山本大成 | 2009年1月 7日 (水) 13時06分

★大成さん、

経営の手法にはいろいろありますよね。
それぞれがそれぞれのやり方でやっていけばいいのだと思います。
その結果、うまくいかなければ責任を取ることになるでしょうし、また反省の材料にもなるでしょう。
経済が悪くない時と違って、今のような未曾有の不況下では経営者の手腕云々の話ではないと思うのです。
なにしろ世界中の大企業が経営の危機に直面しているというのですから。

私の記事の趣旨としましては、一人の人間として基本的な道徳を守っているかどうか、ということなんですね。

例えば、学校をずる休みばかりして遊びまわってきちんとした職業にもつけず、アルバイトのような仕事をいやいやながらだらだらと続けているような人とか、怠けてお酒ばかり飲んでいて肝臓を壊して働けなくなったから生活保護を受けさせろ、と言う人なんか少なからずいるんじゃないでしょうか。

そういうことの戒めとして、「苦あれば楽あり 楽あれば苦あり」と、昔から大人たちは子供に言って聞かせたんじゃないでしょうか。

投稿: robita | 2009年1月 7日 (水) 14時02分

robitaさん、

この「報われる社会」の「報われる」ということの意味がよくわかないのですが。

まず、robitaも書かれているように、
「真面目にコツコツ働いてきたのに失職した人」

「そうでない人たち」
を客観的に区分けすることはできないのではないでしょうか。誰がどう判別するのでしょうか。

それと、これもっと重要なことなのですが、いわゆる「報われる社会でなくてはならない」つまり「今の世の中は、真面目に頑張った人が報われていない。これはよろしくない。この社会は、公平な競争であるべきである」という考え方そのものが、どうも理解できんです。

これ、つまり、「オレは10頑張ったから10の利益を得られる。アイツは5しか頑張っていない。それなのに、アイツも10の利益を得ている。これはけしからん。あいつの5以上の利益は、本来はオレの取り分なのだ」ということだと思います。ええ、これそうでしょう。当然でしょう。と思われるのは、新自由主義のイデオロギーに取り憑かれています。

そもそも、仕事というものは、その人が10頑張ったから10の利益を得られるというものではありません。

仕事は、他の人々との共同の作業です。普通、仕事はA君の作業はコレコレ、B君の作業はコレコレというように分担され、おのおのがおのおのの仕事を行い、それで全体が運行していく。そうなっています。ところが、仕事をやっていくと、大体まあ、A君の作業のコレコレ、B君の作業のコレコレ、とは違う部分に「やるべきこと」「やった方が望ましいこと」が出てくるんですなあ。この時、A君は、ワタシの作業はコレコレです、他は知りません。B君はワタシの作業のコレコレです、他は知りません。と思い、その「やるべきこと」「やった方が望ましいこと」は誰もやらない、ということなると、遅かれ早かれ、その組織は運行が滞るようになっていきます。なにしろ、「やるべきこと」「やった方が望ましいこと」をやらずにいるわけですから。最初のうちはそれでもいいですけど、やがてその影響が出てきます。

では、なぜA君もB君も、それをやらないのか。それは評価されないからです。個人の「頑張り」にカウントされないからです。オレは、10頑張るから、10の利益を得るべきだ、と思う者にとって、「頑張り」にカウントされないことをやるわけがありません。A君たるオレが、「頑張り」にカウントされないことをやり、それをやらないB君の利益にもなるというのは、公平な競争であるべき道理に反するではないか、ということになります。結局、やらない。

えー、そういう、A君にもB君にも関係ない部分で、「やるべきこと」「やった方が望ましいこと」が発生したのならば、管理者がA君やB君に割り当てた分担内容を増やせばいいじゃん。増やした分、給与も増やしてさ、とか。新しくC君を雇えばいいじゃん、つまりは管理者の手腕だね。そういうことをやるのが管理者の仕事だろ、という意見もあるかもしれませんが、新たなる「やるべきこと」「やった方が望ましいこと」は、往々にして管理者が管理しえない部分に発生するものなんです。「管理し得ない部分」なので管理者には管理し得ません。現場というものは、そういうもんなんです。

しかしながら、そうやって、自分の「頑張り」にカウントされないものは、ワタシはやりません、という人ばかりであるのならば、この世の中の至るところで、組織の運行が滞るということが起こるはずですけど(実際、そうした事件、事故はそれなりに起きていますが)、とりあえず、この世の中は動いているのは、なぜか。それは、自分の役割分担ではないんだけど、これやっても評価はされず、自分の給料が上がるわけじゃあないんだけど、それでもやる、という人々がいるから、この世の中は成り立っているのです。A君は15頑張っている、B君は9頑張っている、C君なんかは2しか頑張っていない。それで、その全体の仕事は26で、おのおの8の利益。これで、この世の中は成り立っています。A君は、オレは本当は15頑張っているのに8かよ、Cのヤツなんか2しか頑張っていないじゃあないか。なんでアイツが8もらえるんだよ、と内心思っているかもしれません。しかし、そこはそこ。オレが頑張らなきゃ、うちの会社は潰れる。うん、頑張ろう、と思っているかもしません。

上記は一例です。他にもいろいろな例があります。いずれにせよ、いつも頑張るA君、そこそこのB君、全然頑張らないC君、みんながいて、この社会はなりたっています。この「みんながいる」ということが、重要なんです。新自由主義者の方々には個人の競争しかありません。いろいろな「みんながいる」ということがありません。

個人の業績による査定評価が、日本の経営では定着しなかったのは、そうした目に見えない所での頑張りがあるから、この世の中は成り立っているということを、みんな知っていたから、個人主義の査定評価は意味がないとみんな思っていたのです。しかしまあ、管理側は査定をしなければなりませんので、とりあえず査定して個人の給料とかボーナスとか決まるわけですけど、そんなものは評価のひとつでしかない、ということをみんな知っていたのです。

真面目に頑張った人が報われる社会であるべきである。自分の報酬は自分が頑張った分得るのは当然である。すべて個人の責任である。そう思う人が多い社会は早晩滅びるでしょう。

投稿: 真魚 | 2009年1月12日 (月) 13時43分

★真魚さん、

人事考課の難しさについては私も主人から聞いていますし、経験のない私のような素人がちょっと考えてもその理不尽さは容易に想像ができます。
私の言うのはそんなややこしいことではなく、ぐーたら人生でも最後は国に泣きつけばいいや、というような思想がはびこるのは良くない、という単純なことです。

>「オレは10頑張ったから10の利益を得られる。アイツは5しか頑張っていない。それなのに、アイツも10の利益を得ている。これはけしからん。あいつの5以上の利益は、本来はオレの取り分なのだ」<

自己研鑽にこのような憎々しげな感情は必要ないでしょう。そんな風に思う人は勝手に思わせておけばいいと思います。世の中には色々な人がいます。

それでも、この世というのは頑張ったのに報われないことってよくありますよね。だから人間って落ち込んだり妬んだりするんじゃないですか。

運が悪いということもあります。でも人間はそれを乗り越えたり、あるいは乗り越えられなかったりします。

理不尽さや運の悪さまで一切起こらないように予防線を張らないといけないのでしょうか。それはもう人間の存在の意義の問題であり、哲学の問題になってしまうと思います。

>オレが頑張らなきゃ、うちの会社は潰れる。うん、頑張ろう、と思っているかもしません。<

「嘗ては日本人はこうであった。だから会社はうまくいっていた。しかし新自由主義のおかげでそういう精神がだいなしになった」と、こういうわけですね。

何もかも新自由主義のせいにしたい気持ちはわかりますが、果たしてそうでしょうか。
日本社会に個人主義がはびこり始めたことについては、そんな単純なことではない、と私は思っていますよ。
現に日本社会は堀江貴文や村上世彰に拒否反応を示しました。

投稿: robita | 2009年1月13日 (火) 10時50分

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