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2009年1月23日 (金)

ちょいと江戸まで

堀井憲一郎著「落語の国からのぞいてみれば」(講談社現代新書)が面白い。

落語を通して読み解く江戸時代の(あるいは戦前までの)日本人の価値観がよくわかる。

目次には例えばこんなのがある;

・数え年のほうがわかりやすい
・死んだやつのことは忘れる
・名前は個人のものではない
・みんな走るように歩いてる
・生け贄が共同体を守る
・早く結婚しないといけない
・恋愛は趣味でしかない

「数え年のほうがわかりやすい」
私は前々から、いい年をした大人が自分のお誕生日がどうのこうのと話すことに違和感を感じていたのだが、これはきっと昔の数え年の考え方が親を通じて身についていたからかもしれないと、読んでいて気づいた。

「みんな走るように歩いてる」
小中学生の体力が低下した、と先ごろ報道があったが、交通機関がなく歩くしかなかった江戸時代の人々の脚力を想像するとちょっと羨ましいような気がする。

「早く結婚しないといけない」
近年結婚に踏み切ることが非常に困難になっているのは当然の成り行きとは思いつつ、有無を言わさず結婚させられていた当時の様子に微笑ましさを感じてしまう。とにかく「独りはいけない」と周りが寄ってたかっておせっかいをしていたのだ。
「恋愛なんぞ趣味でしかなかった時代」ゆえに、とにかく独りはいけない、と結婚させられていたのである。
私の世代ぐらいまでは、まだそんな考え方が残っていた。
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余談:
小渕優子少子化担当大臣が、「産む」以前の「結婚」「恋愛」について分析する作業チームを立ち上げたらしいが、そんなもの今頃調査してどうするのという感じだ。
少子化対策としてするべきことはもうわかっている。家計が苦しく子供が作れない、と言っている人への援助や、保育園の充実、不妊治療の費用軽減(保険適用)など、今すぐ、速やかにやればいいことだ。
給料が低くて結婚できない状態は景気が回復すれば改善されると思うが、「恋愛」については、対策というものがあるのかどうか。

先日のNHKスペシャル「女と男」によれば、人類は男女が役割分担し協力して子育てをするために恋愛のメカニズムを発達させたということだが、その恋愛自体、昨今は困難になってきていることを考えると、人類は何か別の手立てを求めて進化していくのだろうかと考えさせられる。
男を決定するY染色体がどんどん小さくなりつつあるとか、精子が劣化してきているとかの事実が歴然としてあり、未来に向かって生殖はテクノロジーでカバーせざるを得なくなるのか、それとも人類は自然に滅亡の道をたどるのか、興味深い問題だ。
若い世代を襲っている結婚難や不妊、また恋愛困難症を考えると、そう遠い未来のことでもないような気がする。

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話を「落語の国から・・・」に戻す。

読んでいると、無知無学や身分差別や生活の不便さや共同体のわずらわしさを抱えていた江戸時代の庶民の暮らしより、今の時代のほうが本当に幸せなのかと思えてくる。

それはまあ自由で平等で便利な今の時代のほうが良いに決まっているだろうが、著者は最後にこう書く;

「ま、息苦しいなあとおもったときには、ちょっと江戸の気分になってみると、少し楽になるかも、ということです。落語は近代をすっと越えてくれる。」

落語、聴きにいってみませんか。

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