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2009年2月 7日 (土)

ホームレスの品格

年末にテレビで見たのだが、神奈川県の湘南地区の砂防林にホームレスの人たちのテント村があるそうだ。

以前はそれぞれ独立して、互いにあまり干渉せず、個々のテントで暮らしていたのが、最近では必要に応じて寄り集まり、助け合いながら生活を続けているとのこと。

カメラが映し出す「家」の中は生活必需品が一応整っており、料理もできるようになっている。

粗大ゴミ置き場などから調達してきた品々なのだろう。自転車も持っていて、集めた空き缶を業者に売りに行く時などに使っている。

「畑」も耕し、少しばかりの野菜も栽培している。
「去年植えつけたんだけど」と言って山芋を掘り出し、年越しそばのとろろに使っていた。

空き缶を要領よくまとめて自転車に積む様子、おかずが足りないといって池の鯉を釣って調理する手際の良さ、働き者だなあと思う。家でぬくぬくとコタツに入ってみかんを食べながらテレビを見ている自分が恥ずかしくなるほどだ。

とろろそばをおいしそうに啜りながら「誰にも頼れないからね」と言うグループのリーダー格の男性は年金も受け取っていてみんなの生活費の足しにしているということだった。

 

国有地に勝手に住みつくのは違法ではあるけれど、その生活様式は人間の基本であり、何にも頼らず、誰のせいにもせず、自給自足を実践している人々、のように見える。生活保護を受けていないので、税金を空費しているわけでもない。砂防林の中だから外界から隠れているようで、都会のダンボールハウスと違って見苦しいということもなさそうだ。

「誰にも頼れない」という言葉からは、歩んできた人生の結果責任は自分で負うという矜持さえ垣間見える。

もちろん、こういう人々が増加すればそれは秩序が乱れたり経済発展の妨げにはなるだろうが、このグループだけを見る限り、ホームレスでもなくもっと恵まれているのに無気力な人っているよねー、と思うと、こちらのほうが前向きだ。

あのように住まいも手作りし、厳寒の中、手際よく仕事ができる人たちならば、たぶん人間関係をうまく築けないとか、家族崩壊のあおりを食ったとかの理由だけであそこに行き着いたのかもしれない。

湘南テント村の人たちはこれからどうなっていくのだろうか。

この生活から抜け出してどこかに勤め、普通の生活をしたいと考えているのかどうか、そういうことについては語られなかった。

自分たちなりの納得の仕方で、このまま一生この生活をまっとうすることができるのだろうか。

先のことまで考えた末、覚悟を決めているのだろうか。

いったいこの人たちを普通の社会に引き戻そうという努力はされているのか、それともあれは彼らの望んでいることで、その自由人としての意思が尊重されるべきなのか。

ずっと昔、まだ私が20代半ばの頃、山田洋次原作の「放蕩一代息子」というテレビドラマを見た。
江戸時代の話で、渥美清演じる大店の跡継ぎ息子が放蕩三昧の挙句、河原の橋の下のホームレスに身を落とし、それでもなお、めげることなく河原乞食なりの生活を仲間とともに大いに楽しむ、という筋だった。結末となるシーンを見た時、目からウロコが落ちる思いがしたのを覚えている。

資本主義の暴走がもたらした今の世界情勢の中、誰もが「幸せはお金では買えない」「小さな幸せこそが人間性を豊かにする」「幸せはそれぞれの心が決めるものだ」と口々に強調し始めた。

飽くなき欲望こそが人間社会が衰退しないための原動力であるのを忘れたかのような数々の言葉ではあるが、小さな幸せが大好きな私としてはそういう幸福観を好ましく思う。

 

たとえホームレス生活であろうと、本人たちがある程度満足し、納得しているなら、いったいどういう理由でそれを批判できるのだろうか。

幸せとは何か、という哲学的な問題である。

 

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