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2009年3月25日 (水)

昔ばなし

産経新聞コラム【断層】呉智英 ≪それ、いつの時代の話?  ≫   を読み、手元にあった週刊新潮を開いてみると、たしかに、「トイレ」の記述があった。
呉先生の仰る通りだ。

こういう指摘を、私は、細かいことだとは思わない。
小説を読んだり、ドラマを見たりすることは、それがあたかも事実であるかのような感覚を抱きながらその中に入り込んで喜んだり悲しんだりすることに意味があると思うのだが、その時代にありえない表現が出てきたりすると一気に興ざめしてしまう。

私はこういう興ざめをよく経験するのだが、不思議なことに呉先生のような指摘をあまり聞かない。誰もが「細かいこと」と、気にせずにいるのだろうか。

その時代のことを直接知らない若い世代が気にしないのはわかる。しかし、読者や視聴者は若い世代だけではない。むしろ、中高年の人の数は若い世代よりずっと多いのである。その時代のことをはっきりと覚えている人々はまだたくさん生きている。

たとえば、戦中戦後のドラマなどで、子供が嬉しがって「ヤッターッ」と叫ぶ場面があるが、あんな喜びかた、私の子供の頃は誰もしなかった。

同じくその時代、「しれない」を省略した「・・・かも。」という言い方はなかった。
私ははっきりと覚えているのだが、この「・・・かも。」で止める言い方は、越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代の4人の女優が共演したテレビドラマから大流行した「かもね」という言い方から転じたものだと思う。
このドラマは昭和40年くらいのものである。 当然、昭和20年代ににはなかったにもかかわらず、今日の脚本家はそれを俳優に言わせる。

まあ、この程度なら「ちょっと変」で済ましてもかまわないが、俳優の髪型や化粧や、一番気になるのは、男優の眉毛だ。

先日のフジテレビ開局50周年記念番組「黒部の太陽」は、良くできた作品だと私は思ったが、土方の中に、眉毛を綺麗に整えてるのがいた。

あのころ、眉毛を整える男なんて、シスターボーイと呼ばれた丸山明宏(美輪明宏)ぐらいじゃなかっただろうか。美輪先生、なんとか言ってくださいよ。

時代小説などになると、その時代をリアルタイムで知っている人は完全にいないのだから、少々事実と違っても気にしなくてすむ。
昭和2.30年代というのは、もう「歴史」の域に入ってしまったのだろうか。
でも、当時のことを知る人間がまだたくさん生きているうちは、なるべくそういう人たちの意見を聞いてドラマ制作にあたったほうが作品に真実味が増すと思う。

インターネットの時代は、普通の人が「昔はこうだった、ああだった」といくらでも世間に向かって発信できる。
若い世代の知らないことを語り伝えるために、高齢者こそインターネットを利用するといいと思う。高齢者があれこれ意見を出し合い、記憶違いを指摘し合い、収斂された情報を次世代に残していけばいい。

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コメント

そうそう。だから、「おくりびと」で、納棺士っていう職業を日本の風習として、映画紹介などで書かれていると、変だよ、って思ったわけです。今、加賀乙彦(彼は現在70代後半かな?)の「夕映えの人」という小説を読んでいますが、親の亡くなる場面が出てくるのですが、家族で、清拭をして納棺しているし、死者をおくる風習は、逆さ屏風、とか、守り刀などと出てくるので、東京でも、私の田舎と結構似ているな、と思いながら読んでいます。
監督さんにとやかくの問題ではなく、テレビ業界の人たちって、その時の話題を盛り上げることに関心があるのであって、結構浅いなって、そんな時感じます。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月25日 (水) 15時04分

★街中の案山子さん、

映画の中で「納棺士は伝統的な日本の職業だ」という表現はありませんでしたよね。
映画は「納棺夫日記」という本を元にしているのだから、納棺を生業としている人がいるのは事実でしょう。
「おくりびと」は、納棺という仕事をする人の目を通して、人の死を見つめた作品だと思います。良い映画でした。
ただ、映画解説などで、「納棺士は昔から日本にあった職業だ」などと紹介するのは間違っていると思いますので、そういうのを見つけたら即「それは間違っておる」と申し入れることにいたしましょう。
ところで、「ありふれた奇跡」終わっちゃいましたね。
最後のおじいちゃんの言葉がすごく良かった。これも良いドラマでした。

投稿: robita | 2009年3月26日 (木) 11時14分

そう、葬儀社に勤めていた作者が自分のことを納棺夫としてタイトルになさったのでしょう。
そして、もうひとつ、そう。…終わっちゃいましたね。
早速全編をDVDに保存して、今、なかなか全部は見れなかったというお隣の奥さんに(笑)。
井川おじいさんの言わんとしたことこそ、「変わらないためには、変わらないといけない」…ですね。
それを、また、あたたかく、言葉をはさむ、八千草おばあちゃん、ツボが押さえられていて、ジーンと。うまいですね。

で、件の台詞「変わらないためには、変わらないといけない」を吐いて登場した小沢さん!
「ちょっと、なによー」と愚痴りたい。
…またまた横道でごめん。
田中・金丸・竹下と金権本流の薫陶を受けた小沢さんの役割って、ご同類の自民党諸氏ともども退場なさることだと思っているのですが。検察も自民党には手を付けない?
うっそー!
それはないでしょう。プンプンの案山子です。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月26日 (木) 12時52分

★街中の案山子さん、

納棺士って、葬儀社の社員の中でも特別の作法を身につけた人のことだと思ってました。
ああいうの見たことがない、という人が多いので、「納棺の儀」をあのように丁寧に美しく行うのは一部の地方だけなのかなと思います。

>あたたかく、言葉をはさむ、八千草おばあちゃん、ツボが押さえられていて、ジーンと。うまいですね。<

そう、あのフォローが良かった。「今は何でも贅沢になっちゃって、ひ孫の顔が見たいだなんて私・・・」っていうのがね。

>田中・金丸・竹下と金権本流の薫陶を受けた小沢さん<

清廉な人は政界ではやっていけないのでしょうかねえ。
遅ればせながら、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を読み始めました。
まだ5分の一ぐらいしか読んでいませんが、Googleの目指すものが暗示されているんですね。世界政府を視野に入れたシステム開発ということらしいです。
世界中の情報を整理し尽くす、という目標は、全ての情報を集めるという意味があるけれども、そこには「人」は入り込めない。すべてコンピューターがやるので邪悪な作用はしない、というんですね。
Googleのスタッフの澄んだ瞳が目に浮かびます。
政治も、人間みたいに悪いことをしないコンピューターに任せればきっとうまくいく、ということにもつながりそうです。昔のSF小説みたいですけど。

(変換ミスは直しておきました)

投稿: robita | 2009年3月27日 (金) 16時24分

横道から元に戻って「『トイレ』表記についての一考察」
呉さんという方を、殆ど知らないのですが、彼(彼女?)の文章を読んで、そこまで咎めようとはおもいません。追刊の時校正すればよいだけです。
なんか、書くことを求められて、自分がそこに気が付いたので、小旗を挙げて喚起を促している、評論家の癖、のような気もします。
コレって、編集者のチェックモレ、見逃しでしょうね。
推理小説が大の苦手(元来の怖がり)なので、桐野夏生さんの小説は新聞広告で目にするだけで、読んだのは「OUT」1冊だけです。これも、読書会で取り上げたことから読んだだけ。でも、グッと読者を引き込む彼女の物書きとしてのキャパシティーを感じました。私小説とか、自分の身辺体験を織り交ぜての話題提供している物書きさんに比べ、エンターティナーって、こんな話を読み手に提供するのだ、と引き込まれました。だからといって、私が桐野さんの本を沢山読む人になるわけではありませんが、チョコットの表現ミスをあげつらうのも、どうかなと思わせるダイナミックな物語を書ける人です。
で、私もrovitaさんのように、時代考証が間違っているな、と常々思っているのは、例えば戦争中とか、それ以前の大正、明治の場面を描いていて、本を読んだりする場面で、その本が「古い」のです。平成の作り手からみると、大正は「昔」だから、本も、登場人物が「昔」に出版された本を読んだりしているのは正解なのですが、その時代としては、新刊本なのに、古っぽーい表紙だったりします。
そんな時は、心の中で「そんなに古くなっていないハズなのに、違うなー」と、誰にも言わないけれど、思っています。
それから、一番思うのは、NHKの大河ドラマで、女性陣がハキハキものをいうところ。あの時代で、女性が殿方にあんな台詞を吐くハズがない、そう思ってからは、大河ドラマは見ていません。但し、去年の篤姫は例外でした(笑)。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月28日 (土) 08時16分

★街中の案山子さん、

>コレって、編集者のチェックモレ、見逃しでしょうね。<

作者も編集者も若いのだから仕方のないことですね。
後の回で「お手洗い」という言い方を目にしました。指摘があったか、気がついたのか、単行本にする時は直されているでしょう。

桐野さんの作品は評価が高いですよね。私は一冊も読んでいませんが、以前、週刊誌に連載されていた「グロテスク」をずっと読んでいました。最初は展開が楽しみだったのですが、だんだん退屈になってきてその冗長さに我慢ができず、途中でやめました。最後まで読めば良さがわかったのかもしれません。
余談ですが、連載小説って作家にとってすごく不利なんじゃないかと思うのによく引き受ける勇気があるなあと思います。
好きな作家でも連載小説になるとがっかりすることありました。

ドラマに感動して没頭している最中に、ちょっとした誤りで「まがい物」をつきつけられるような気分になるのは、極めて個人的な性癖なのかもしれません。でも気になっちゃうのは仕方がない。

>その時代としては、新刊本なのに、古っぽーい表紙だったりします。<

あはは、そういえばそうですね。

>女性陣がハキハキものをいうところ<

強くてハキハキした女性は昔もいたとは思うのですが、その言い方が実際はどうだったのか・・・・、なんて疑いだすとキリがありませんね(笑)

因みに、呉智英さんはですね、いちいち突っかかる人です。でも言いがかりのつけ方が面白いので私は好きです。たぶん私は「お行儀の良い大人の男」があんまり好きじゃないんだと思います。

投稿: robita | 2009年3月28日 (土) 10時00分

 瓦業界などと言うところにいると、時代劇に登場する建物の歴史公証に思わず引っかかってしまう場合が往々にしてあります。
 今葺かれている和瓦は「桟瓦葺き」と言われ江戸中期の発明品で、それ以前は社寺仏閣に使われている「本葺き」と言われる彫りの深い瓦でないとおかしいのですが、5年くらい前まではNHKの大河ドラマなどで戦国時代を扱ったものでも当時は無かったはずの「桟瓦葺き」がたまに登場していました。

 まぁ、因果な商売です...。

投稿: 山本大成 | 2009年3月30日 (月) 11時46分

山本様へ。どんな商売でも、各々の分野でそう思うものです。
ウチの家業も、よくテレビドラマになる業界なのですが、ウッソ!ありえなーい。という設定がしばしばですよ。

瓦も奥が深いのでしょうね。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月30日 (月) 13時07分

★大成さん、案山子さん、

その時代や業界を知っている者にとっては、気になることが多いものですね。
中でも、「時代」は、同世代にとってはみんなで共有しているものだし、年配者のほうがテレビをよく見るので(つまり市場が大きい)、昔を舞台にしたドラマを作る時はもう少しその世代の意見を聞いたほうがいいのではないかと思います。

投稿: robita | 2009年3月31日 (火) 10時18分

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