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2009年3月12日 (木)

昭和は遠く・・・・

映画「隠し剣 鬼の爪」に、主人公の武士が、商家に嫁に出した奉公人の娘をかばうこんな台詞が出てくる。

「俺の家サ来て三年半、死んだ母が手塩にかけて、家事、行儀作法を教え、どこサ出しても恥ずかしくない娘に育てたつもりだ」 (東北の武士なので)

良い嫁、良い母になるため、娘や預かった使用人を手塩にかけて躾けるのが家庭の主婦の役割だった時代があった。

いつの頃からか、母も娘も別のことで多忙になり、「手塩にかけた娘」はいなくなった。

産経新聞で「向田邦子と含羞」という記事を読んで、昭和の家庭生活に思いを馳せた。   → 【上】 【下】 

【「単なるノスタルジーではなく」という常套句があるように昔を振返るノスタルジーは近代社会のなかで評価が低い。にもかかわらず向田邦子は、ノスタルジーにこだわった。ことあるごとに消え去った昭和を懐かしんだ。まさに「昭和の子」だった」】と、著書「向田邦子と昭和の東京」で川本三郎氏が書いている。

たしかに、過去を振返らず前進するのが人間というものだけれども、過去の良いものを持ち続けることは決して愚かしいことではない。だから私はノスタルジーおおいに結構と思っている。

人は建築物や美術工芸品など、目に見える物体を残すことにはいやに熱心だが、作法や言葉遣い、また、身分相応の概念や権威に対する厳粛な気持ちなど、精神面での遺産を保存しようという熱意はあまり持っていないようである。
無理もない。自由と民主主義とはそういうことだ。

しかし、日本人は選ぶことができる。
経済的豊かさは二の次で、まず品格を重んじるか。
それとも、お金がなければ困る。とにかく景気を良くするよう努力するか。

両方はちょっと難しいのではないかと思う。そうではないだろうか。

向田作品には、長女としての責任を果たすべくせっせと母の手伝いをする本人の少女時代の姿がよく描かれる。
昔はどの家もそうだったなと思い出す。

今は娘たちも忙しい。勉学に、部活に、遊びに時間をとられて、手塩にかける暇もない。

どこに出しても恥ずかしい私は、どこに出しても恥ずかしくない娘を育てることに成功しているとは言い難い。

しかし、よくしたもので、娘は私なんかよりよほどしっかりしている。勤めるようになってからはますます大人になったように思う。親がダメでも、世間さまはちゃんと娘を育ててくださる。

「昭和の娘」はやはりノスタルジーに過ぎないのかもしれない。

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コメント

ワタシ、手塩にかけたんだけどなー(笑い)。
robotaさん、そうじゃありませんか。
手塩にかける=家事労働を教えること
ではなく、自立して生きられるようにと。
その成果があったかどうかは、別ですが・・・。

藤沢周平の上掲の映画2度みました。他にも何作かみています。優しいですよね。特に男性の優しさに気づかされます。
それって、時代は江戸後期に場面設定していますが、藤沢さんの心根じゃないでしょうか。だから、今であっても、江戸期であっても、そういう気遣いがありえたハズだというところで、いつも彼の物語りは作られているように思います。

向田さんの作品は以前結構読みましたし、ドラマがあると見てきました。あの時代のサラリーマン家庭のアレコレを記しているのは、確かに長女の目ですね。
今は、殆どがサラリーマン家庭でしょうが、彼女の子供時代では、一部エリート層だったと思います。

物語の書き手は、時代の筆記者でもありますが、自分の表現者という部分が大きいので、彼、彼女の作品が、その時代の大勢だというのとは、ちょっと違うと思います。

母親として、常々引っかかることがあります。
「勉学に、部活に、遊びに時間をとられて、手塩にかける暇もない。」
とありますが、robitaさんが書かれている、この意味での、「手塩にかける」って、女性に関してのこと、ですよね。
共学で育つ子供目線で想像してみてください。
男の子と同じ勉強をし、同じ仕事をしているのが現実だとしたら、もう一つの女性だからの部分、お嬢さんに、どう対応していらっしゃいますか。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月13日 (金) 09時26分

★街中の案山子さん、

>手塩にかける=家事労働を教えること
ではなく、自立して生きられるようにと。<

案山子さんらしいなあ、と思います。
私は「手塩にかける=家事労働を教えること」のつもりで書きました。
だって昭和の子ですから。ノスタルジー大好きですから。
価値観を貫けない時代であるのは認めますよ、もちろん。

>優しいですよね。特に男性の優しさに気づかされます。<

藤沢周平が描く男性はヒーローです。
剣の達人が多いです。
武に優れているからこそ発揮できる優しさだなあ、と思います。

>一部エリート層だったと思います。<

そうでしょうか。
あの時代は今より格差があって、貧しい人が多かったのも事実ですが、彼女の家は「あの時代の平均的な中産階級」とよく言われます。「中産階級」というのはそう多くはなかったのでしょうか?向田さんの時代はともかく、あのようなサラリーマン家庭は私の子供時代では平均的であったのではないかと思います。

>共学で育つ子供目線で想像してみてください。
男の子と同じ勉強をし、同じ仕事をしているのが現実だとしたら、もう一つの女性だからの部分、お嬢さんに、どう対応していらっしゃいますか。<

これは、男女ともに同じように勉強や仕事で頑張っているのだから、なぜ女の子にだけ家事労働を教えなければいけないのか、という意味ですか?
それは単に私の個人的好みです。
娘はその好みを理解していますが、将来共働きになれば、それなりに自分たちで対処するでしょう。
私のような考えが女の足を引っ張っている、と言われるのは承知ですが、なんだか「女性たちよ、男を置いていったいどこまで行ってしまうの?」と心配になるほどの世の中で・・・・・、これは長くなってしまうし、今まで私が散々書いてきたことですので、ここでやめておきます。
でも、私思いますに、このように女性が古い価値観に悩み苦しめられ、事が改善されず、足踏みしている状態こそがもしかしたら安定状態なのかな、と。

投稿: robita | 2009年3月13日 (金) 10時44分

いやー、どうお考えか教えて欲しいことがあります。
母親が仕事をしている場合と、専業主婦の場合、それぞれ負担感とか、相手に期待してしまう部分は違うでしょうけれど、robitaさんは、こんなとき、どう思われますか。

①自宅から通っている総合職の仕事を持っている子供たち、男の子も女の子も、同じように家事参加協力してもらいますか。・・・我が家は自宅にいないので、こんな問題はないのですが、いい年をした息子娘の世話で忙しそうな方々を目にしたりするし・・・。
②例えば、結婚して子供らが帰省したとき、仕事を持っている娘と、専業主婦している娘なり息子の奥さんと、同じように家事協力を求めますか。
仕事を持つものの本音としては、休暇は休みたい、という部分はあります。
きっと、今の時代は過渡期なのでしょう。将来は納まるところに納まると思いますが・・・。

投稿: 街中の案山子 | 2009年3月13日 (金) 12時03分

★街中の案山子さん、

案山子さんとの話が面白いので、今日は頻繁に覘いてしまいます(笑)

①協力を求めるとか求めないとか、こちらがそんなことで悩まなくても、「大変そうだな」と思えば子供たちは自発的に協力するのではありませんか。
子供たちが小さい頃の忙しさに比べたら家事を一人で引き受けるのは何でもありません。(専業主婦の場合)
実際、私は子供たちの「お世話」をしている感覚はありません。食事の支度と洗濯だけです。ついでですから。
「家事が出来る出来ない」と「家事をするしない」とはちがいますね。上手にできなくても、しなくてはならない時にはするものだと思います。

②>仕事を持つものの本音としては、休暇は休みたい、という部分はあります<

そのままそう仰ればいいんじゃないですか。私休みたいからやってちょうだいと。

>きっと、今の時代は過渡期なのでしょう。将来は納まるところに納まると思いますが・・・。<

理屈で言えば、男女ともに同じように家事をするべきだ、というのはまったくもって正しいのです。同じように働いて同じように疲れている人間が同じように休息を取りたいのは当たり前です。

でも、その正しさの理屈とは別に(その理屈のおかげで、というべきか)、女性特有の文化が失われていくのもまた寂しいものです。

投稿: robita | 2009年3月13日 (金) 13時16分

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