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2009年4月27日 (月)

わくわく

日曜日の朝7時、フジテレビ「ボクらの時代」というトーク番組を見ている。
昨日は、俳優江口洋介、大沢たかお、映画監督の紀里谷和明の3氏だった。

紀里谷和明氏が言ったことが興味深かった。
「今は、映画を作ることが楽しく、そのことで頭がいっぱいで、物欲がなくなった。
 以前はスーツを誂えにロンドンまで出かけたものだが、今は服飾などにまったく関心がない」

梅田望夫「ウェブ進化論」にも、地球上に完璧なネットワークシステムを構築することで人類の幸せを夢見る、モノに執着しない若者たちが描かれる。

身を飾ったり、大きい家に住んだり、おいしいものを食べたり、そんなミクロな贅沢とは比べ物にならないくらい身も心も躍るようなとてつもなく楽しいことが見つかったのだから、ということなのだろうか。

ついに人類はこの域に到達したと見るべきなのか。
そしてそれは果たして人類にとって幸福なのか不幸なのかさえわからない。

物欲がなくなるのが良いことか悪いことかはともかく、若者が没頭するほど好きなことを持つのは良いことだ。

同日、テレビ朝日「サンデープロジェクト」に経済評論家の勝間和代さんが出演。
仕事も子育ても趣味も効率的にこなすまったく無駄のない自身の生き方を紹介した。

みんなが「ほうーッ」と感心する中、最後にサブキャスターの女性アナウンサーが質問。
「そのように頑張って、勝間さんの行き着く先のゴールとはいったいどのようなことですか」

勝間さんの答えは明快だ。
「私の母国語は日本語です。ですから日本に住み続けたい。その日本を住みやすくするためにはどうしたらいいかを考えたいのです。未来を考えることは楽しい」

将来に希望が持てない若者たちが増えている一方で、「未来を考えることは楽しい」と、物欲にとらわれずワクワク感を抱く若い世代がいる。

ワクワクできるのは、もともと充たされているからということもあるだろう。

しかし、そういう元気な若者が、元気でない若者を引っ張り挙げるような元気な社会を作ろうとワクワクしながら仕事をしている。

紀里谷さんも勝間さんも41歳、シリコンバレーで中心となって働く若者たちもきっと同じ世代ではないか。

若い世代の、未来を見つめるそういう姿を見せられると、年配者もワクワクしてくる。

未来を考えることは楽しい。

それは豊かな時代の老人の特権でもある。

若者たちが何をしようとしているのか、それを見ながらワクワク感を味わうだけで、病気になりにくいような気がしてくる。

若い世代の躍動は老人にとっても元気の素なのだ。

老人にとって、次世代への場の明け渡しと投資は、自分の物欲を充たすことと同じくらい大事だ。
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2009年4月24日 (金)

識別

今日の産経新聞「正論」社会学者・加藤秀俊の ≪「後期高齢者」でもけっこうだ≫ 面白いですよ。

加藤氏は、老人も若者も、男も女も、区分けをするのは差別ではなく要するに「識別」と言っておられます。同感です。

こんなことにいちいち腹を立てて騒ぐ人は頭の中がやっぱりご老人なのでしょう。
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2009年4月20日 (月)

下から動かす

昨日「サンデープロジェクト」を見ました。
国の地方支配について、大阪橋下知事、宮崎東国原知事、そして地方分譲改革委員会委員長の丹羽宇一郎さんが意見を述べました。

要するに、「税源移譲をしなければ地方は国の言いなりにならざるを得ない。分権を進めることが地方再生のために不可欠であり、すなわちそれは国の構造の改革でもある」ということだと思います。

丹羽さんは「官僚は、麻生総理や総務大臣の言うことを聞かなければいけない」、と仰いますが、どんなにそれを言ったところで、官僚が権限を手放すはずがない、というのが現実です。
官僚が最高責任者である首相の言うことをきかない、というのは簡単に言えば「舐められて」いるのでしょう。

安倍元首相は政治主導で公務員制度改革を進めようとしたために徹底的に邪魔をされ潰されたそうですし、官僚組織を覆すつもりの民主党に霞ヶ関はどんなことをしても政権を取らせないだろう、とも言われます。

霞ヶ関にはそんなに悪人が揃っているのかと不思議に思いますが、それが権益を守ろうとする組織というものなのでしょう。組織の中にいる者には変えることができないようです。

「官僚を頭から押さえつけたり無視したりしてはだめだ。官僚を使いこなさなくては」などと以前はよく言われたものですが、この言葉ほど官僚を喜ばせるものはないそうです。

麻生政権は官僚と良い関係を保っているようですが、それは逆に官僚に使いこなされているということらしいです。

以前、このような記事を書きました。 →「下から上へ」  

橋下知事が「地方から変える」と言ったのに対し、丹羽さんは「地方でいくらそんなことを言ってたってだめなんですよ。上から変えないと」と反論していたのですが、昨日のサンプロでは、ようやく「国民一人ひとりの意識」というところに行き着いたという感じがしました。

つまり、丹羽さんが、自分で言った「分権に賛成しない議員は次の選挙で落ちる、という強烈なメッセージを発信しなければ」ということが「国民一人ひとりの意識」そのものだということに気づいたのでしょう。

そのメッセージは政治家に向けられるものではありますが、その前提として、国民自身がその投票権という武器を強烈に意識することが不可欠になります。

今、麻生内閣を支持する人は増えています。
疲弊した地方や中小企業にとっては、麻生内閣のバラマキ政策はとりあえずありがたいのかもしれません。

しかし、本当の地方再生計画は、このままではまたつぶされてしまうのではないでしょうか。それは国全体のためにならないのではないでしょうか。

「下から変える」という橋下知事らの強い思いはこれからどう展開していくのでしょうか。

これは、右派とか左派とか保守とかリベラルに分かれて対立する問題ではないし、麻生が嫌いだとか橋下が傲慢だとか民主党がバカだとか言って片付ける問題でもないと思います。

本当に変える気があるのなら、変える意思のある人たちが束になって立ち上がるしかない。

来るべき国政選挙に向けての行動です。
新党結成を「冗談」で終わらせてしまうのか。結局誰も旗を揚げず、国民も意識を変えない状態をだらだら続けることになってしまうのか。

知事職を任期途中で投げ打つことが県民府民の望むところではないにしても、既成政党からではなく、新党結成しての国政進出であれば、理解は得られるのではないでしょうか。

こんなに景気の悪い時に政界再編は起こすべきではないのでしょうか。

それとも、こういう時だからこそ起きるものなのでしょうか。

先日亡くなられた上坂冬子さんだったら、ああでもない、こうでもないと言ってるだけの私たちを見て、「この国に男はいないのか」と一喝されたかもしれませんね。( 4/19産経抄  )

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2009年4月14日 (火)

この点でも日本の牽引力

カルデロンのり子さんと両親の別れの場面が涙を誘う。
13歳で親と引き離されるのはとても残酷なことだ。

それでも「日本を離れたくない」という子供の意思を尊重して、あの家族は別離を選択した。

あの家族が最も望むことはもちろん、3人一緒に「日本で」住むことなのだ。「祖国」であるフィリピンでなく。

一方で、中国残留孤児のみなさんの、日本を見たこともないその家族たちが、「祖国だから」と、日本に住むことを望まれる。

こんなに皆さんが住みたがり、「祖国」と呼びたがるほど日本というのは良い国なのだなあと嬉しくなる。

日本が大好き。日本に住みたい。そう強く願う外国人が増えているのだろうか。
「稼げるから」という理由だけでないなら、ぜひともそういう方々には日本に住んでいただきたいと私は思う。

日本は世界でも稀に見る温かく幸せな国だと思う。この希少性はおそらく日本人の気質や伝統が作り上げたものにちがいない。

だから、日本に住みたいと願う外国人のかたがたはぜひとも、この日本人特有の気質と伝統を理解し学んでいただきたい。
そしてこの日本の良さを破壊することなく継承していくことをこころがけていただきたい。

そういう意思がある人々を移民として受け入れる準備を日本はしてもいいのではないか。
いかに日本人が懐が深くても、誰でも彼でも受け入れるという無秩序は選択しないだろう。

   参考記事  →  『「日本的」というソフトウェア』

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2009年4月11日 (土)

女の掌

私は女性であるが、長年、世の中の女尊男卑の傾向にモヤモヤしたものを抱えてきた。
いや、「傾向」どころではない、そのあまりの不公平に怒りさえ覚えてきたのだ。

しかし、当の男性からそのことに対する明確な疑問や抗議が発せられることはほとんどない。
なぜかといえば「男のくせにごちゃごちゃ文句を言うな。男らしくない」と言われてしまうのがわかっているからである。

それではこの不公平を誰が指摘するべきなのか。差別される男性を誰が救うべきなのか。
正義感に燃えた私は、このブログで相当数の男女論を書いてきた。

それらの全てを表示しないが、いくつかピックアップする。

「お酌する?」 
「ドラマ化された『負け犬の遠吠え』」 
「男にもあるマリッジブルー」 
「女性を守るということ」 
「柔軟な心」 
「年上の女」 
「誰のおかげで食っていけるんだ」 
「男も女も元気なほうがいい」 
「家庭をプロデュースする」 
「男は黙って・・・」 
「女になりたがる男たち」 

情報誌「SAPIO」の最新号で「申し上げにくいのですが『女尊男卑』行き過ぎてませんか?」という特集をしている。
私も全く同じことを思っていたし、同じようなことをたくさん書いてきたが、やっとこれだけまとまった意見群に一度にめぐり合えてすっきりした。
「少子化の主たる原因は女尊男卑である」という説を私は支持する。

女の私でさえこれを読んで全面同意するのだから、逆差別の理不尽に釈然としないものを感じていた男性にとっては胸のつかえがおりること請け合いである。

そうは言っても、記事の一つ(竹中英人氏)の末尾に書いてあるように、昔の性役割にはもう戻ることはないだろうと思う。
女性にも男性と同じような社会的立場や働きが求められる今の時代には、「男性を立てることで女性の真の力を発揮する」などという戦略なんてどだい無理な話なのであるから。

ただ、逆差別の実態というものはこのようなものである、ということをちょっと立ち止まって考えることぐらいしてもいいのではないかと思うのである。

もし、そんなことまったく感じていない、とか、女性保護はもっと進めて当然だ、とか考える男性がいるとしたら、それは次のステージへと進化を遂げた新人類だとみなすことができるかもしれない。

その進化は「生き残りのための戦略」なのか、人類を無意味な破滅へと導く神のお遊びなのか、私にはわからないけれど。

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2009年4月 9日 (木)

まあこんなもんでしょ

入学式の季節。真新しい制服を着た新入生と母親の二人連れを見かけることが多い。

昨日の産経新聞の読者投書欄「談話室」で、大学の入学式に親や祖父母までが出席する風潮を嘆く40代の主婦の投書を読んだ。
「子離れしないそういう親は一部だと思っていたが、自分の息子の大学入学式に出席してみたら、広い体育館は保護者でぎっしりで驚いた」、というのだ。

随分前から気づいていることだが、夏休みや春休みなど長い休みの昼間、中学生ぐらいの大きな男の子が母親と一緒にスーパーなどで買い物をしているのをよく見かける。

ウチなどは小学校高学年くらいから既に母親と歩くのを嫌がっていたし、やむを得ず同行する時は、離れて歩いていた。男の子ってそういうものだと思っていたが、近頃の男子はそうでもないらしい。

今の時代、そういうのは「マザコン」とか「親離れ子離れ」などというのとは別のことなのだろう。親子仲が良いのは良いことだ。
息子たちの大学の入学式に出なかった私はちょっと冷淡だったかな、と反省する。

「昭和は遠く・・・」でも書いたのだが、台所で母親と娘が一緒に料理する風景は女性文化の一つだと私は思う。
嫁入り前の娘はそうやって母親から家事のあれこれ、家の伝統などを伝授されてきた。
しかし、これからは母と息子が台所で仲良く作業をするのも別段おかしなことではなくなるだろう。男の子だって家事ができなければ家庭を持つ資格がないのだから。

男も女も親子関係も時代に合わせて変化する。投書の主婦も、そんなに嘆くことないんじゃないか。

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2009年4月 7日 (火)

田母神効果

山本大成さんのところで、前航空幕僚長、田母神さんの講演会についての記事「田母神敏雄 前航空幕僚長-岡崎講演会 本編 「わが国はいい国ではないのか」 を読んだ。
日本人はとてつもなく残虐で悪い民族だと糾弾し続けるアジアの2.3の国があり、また、日本は戦争を引き起こした罪深い国家だと刷り込みをされた日本人がまだ少なからずいる中で、田母神さんは「日本は悪い国ではない」という論文を書き、物議を醸し、更迭された。

危険で重要な仕事を担ってくれているにもかかわらず、軍事アレルギーの日本では、自衛官は「日陰者」のような扱いを受けることが多く、お気の毒でならない。

一年前にイージス艦と漁船の衝突事故が起こり、その時、こういう記事を書いた。 →「兵隊さんありがとう」 

どこの国も兵隊さんには冷たいようだ。兵隊一人ひとりのありようにもよるのだろうが、軍隊組織そのものが「悪いもの」であるかのような扱いを受けるのは、日本に特有の現象ではないだろうか。

「戦争はいけない。みんなで一斉に武器を捨て、軍隊を解体し、何でも話し合いで決めれば世界は平和になる。」そう信じる人たちの理想はたしかに立派だと思う。
しかし、そういう人たちにかぎって、日本の防衛力や外交力の未熟さをあざ笑ったりするのだ。
「PAC3など、ミサイルを迎撃する能力などない」とバカにしたり、誤探知などの失敗をあげつらい、外交において「もっとはっきり物を言え」などと、無理難題を言っては政府をなじる。

あなたがたはいったいどこの国の人間なのか、それらの不都合はみな、あなたがたが軍事を忌み嫌ってきたツケではないのか、と問い質したくなる。

大成さんの記事によると、田母神さんは、当初は更迭に釈然としなかったが、講演を聴きに来てくださる人の熱気を感じて、今ではかえってそのことが良かったと思っておられるそうである。

私も最初あの論文が明らかになった時、こういうことをしてはまずいのではないか、と思った。 →「軍人」

しかし、あの後、田母神さんがテレビや講演会などに引っ張りだこになったことから、軍人が歴史認識について意見表明したことのインパクトは非常に大きかったと考えることができる。

サイレント・マジョリティはこういう人の出現を望んでいたのではないか。  

                                       (4/8 修正)

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