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2009年4月 9日 (木)

まあこんなもんでしょ

入学式の季節。真新しい制服を着た新入生と母親の二人連れを見かけることが多い。

昨日の産経新聞の読者投書欄「談話室」で、大学の入学式に親や祖父母までが出席する風潮を嘆く40代の主婦の投書を読んだ。
「子離れしないそういう親は一部だと思っていたが、自分の息子の大学入学式に出席してみたら、広い体育館は保護者でぎっしりで驚いた」、というのだ。

随分前から気づいていることだが、夏休みや春休みなど長い休みの昼間、中学生ぐらいの大きな男の子が母親と一緒にスーパーなどで買い物をしているのをよく見かける。

ウチなどは小学校高学年くらいから既に母親と歩くのを嫌がっていたし、やむを得ず同行する時は、離れて歩いていた。男の子ってそういうものだと思っていたが、近頃の男子はそうでもないらしい。

今の時代、そういうのは「マザコン」とか「親離れ子離れ」などというのとは別のことなのだろう。親子仲が良いのは良いことだ。
息子たちの大学の入学式に出なかった私はちょっと冷淡だったかな、と反省する。

「昭和は遠く・・・」でも書いたのだが、台所で母親と娘が一緒に料理する風景は女性文化の一つだと私は思う。
嫁入り前の娘はそうやって母親から家事のあれこれ、家の伝統などを伝授されてきた。
しかし、これからは母と息子が台所で仲良く作業をするのも別段おかしなことではなくなるだろう。男の子だって家事ができなければ家庭を持つ資格がないのだから。

男も女も親子関係も時代に合わせて変化する。投書の主婦も、そんなに嘆くことないんじゃないか。

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コメント

ここ数年だろうか、私が見かけて、ああ、今年もと思うのは、親子3人連れ、です。
朝日を浴びて、晴れ姿のお母さんと本人、そしてお父さんも。近頃は、結構お父さんも小学校の入学式に同行なさるのではないですか。

投稿: 街中の案山子 | 2009年4月 9日 (木) 21時44分

★街中の案山子さん、

>近頃は、結構お父さんも小学校の入学式に同行なさるのではないですか。<

そうなんです。この投書の主婦が書くには、大学の入学式でも「平日にもかかわらず、夫婦連れが多い。通路では、父親らがビデオを構えており、まるで幼稚園の入園式のようだ」だそうです。
そして、「最近の若者は、親に子ども扱いされても平気なのだろうか」と結んでいます。
まあ、親子の仲が良いということと、子供が自立する、ということは別のことだと思いますので、こういった現象が即「親離れしていない」ということの根拠にはならないとは思いますが、私たちの世代から見ると、時代は変わったな、というところでしょうか。

投稿: robita | 2009年4月10日 (金) 08時57分

robitaさん、こんにちは。

昨年土曜午前に行われた娘の幼稚園の父兄参観日。30名ほどのクラスで父親が来られなかったのはなんとひとりだけ。私自身は保育園しか知らないので、幼稚園ってこんなもんなのと夫に聞けば、いや俺の時だってこんなじゃなかった、と。

他の幼稚園はどうなんでしょうか、詳しくは知りませんが、昔(私達の親世代)に比して「父親“公式行事”参加」率が高まっていることは確かだと思います。

で、前世代の方が「甘やかし」と言う否定的な反応を示すのって、「父親」の育児/教育への「公式参加」に対してですね。なんででしょうね。父たるものニヤニヤ妻子と歩くべからず…とか?

「父親参加」に対する反応の理由は、実は人それぞれ多様に異なっているのでしょうが、私なんぞは、物事をそんなに難しく絡み合わせて捉えずに、シンプルでいいのに、と思っています。

平日だったりして父親が見られない、例えばおいもほり遠足だったりお誕生日会だったり、そんな子どもの園での姿を私(母親)一人が味わい、幸せな豊かな気持ちにさせてもらってホント悪いねーと感じます。

なんだかんだ言っても、前世代のある意味牧歌的な職場環境が完全に失われたこのご時世。私は、男たる父親にもう「幸せな豊かな気持ち」を味わうことを更に痩我慢させることもなかろうもん、と思います。父の喜び解禁令

もう自分が「成長」ではなく「エイジングゥー」段階であることを自己認識していれば、子どもあるいは後から来た者・小さき者、の成長を眺めることは、人間としての喜びです。それは間違いなく「幸せ」と呼ばれるもので、それを男だろうと女だろうと素直に味わう機会があるのはいいことだ、と。

そのことと「こどもの自立を阻む精神的パラサイト親」とは別のことであり、そのことがイコールにならない様に親は別のところで己を律するべし、と。いやココが難しいことを知っているから先人達は手前でNG出すんでしょうが、堂々ソコでNG出しましょうよ、と言う禅問答。


投稿: kaku | 2009年4月12日 (日) 12時44分

★kakuさん、

私は昔から、父親参観おおいに結構、男性の地域活動おおいに結構と思ってます。
うちの主人も子供の行事には毎回楽しく参加してました。運動会なんてはりきっちゃって.。
お父さんたち皆さん幼稚園や学校行事には参加なさってましたよ。

>子どもあるいは後から来た者・小さき者、の成長を眺めることは、人間としての喜びです。それは間違いなく「幸せ」と呼ばれるもので、それを男だろうと女だろうと素直に味わう機会があるのはいいことだ、と。<

同感です。

kakuさんも書いてらっしゃるように、大学の入学式(子供はすでに18歳以上)などはまた別の話ですよね。
ただ、アメリカなんかでは、大学の卒業式に家族が参加するようですね。
地域のお祭りみたいなものか、または、息子たち娘たちの祝典に両親も駆けつける、といった意味合いがあるのでしょう。

要するに、子供の行事に参加するしないの問題でなく、子供の自立の問題、ということで。

投稿: robita | 2009年4月12日 (日) 13時49分

は~い。大学の卒業式、夫婦で、それも飛行機にまで乗って、ホテル宿泊付きで参加しましたよ。父兄席は超満員でした。
一昨年の東京での大学院の修了式。これはさすが遠慮したのですが、遠方から来た親たちも多くて、来ればよかったのに、感動だったよ!と電話がありました。後日角帽にガウン姿の写真を送ってくれましたが、映画で見たこともある、アメリカの卒業式風ですね。予習に毎日5時間とか、勉強がしんどかったから、感激も大きいのでしょう。ほら、アメリカも大学卒業は大変だというから。

ちなみに、日本人と結婚し、子供を日本の学校に通わせている、アメリカ人のお母さんから、アメリカでは小学校の入学式とかのセレモニーは特にない、と聞いたことがあります。

投稿: 街中の案山子 | 2009年4月13日 (月) 14時25分

アメリカの話題に持っていったことから、もう一つ付け加えます。
日本ではなかなかなくならない、息子を装った「振込め詐欺」、アメリカでは考えられないそうです。
なぜなら、毎日だったか、毎週だったか忘れましたが、しばしば電話するのが一般的だから。
なんなのでしょうね。

投稿: 街中の案山子 | 2009年4月13日 (月) 16時22分

★街中の案山子さん、

お子様は外国の大学卒業なさったのですか。親御さんとしては色々大変だったでしょう。

>勉強がしんどかったから、感激も大きいのでしょう<

日本の大学を卒業するのとは感慨の深さが違うのかもしれませんね。

>毎日だったか、毎週だったか忘れましたが、しばしば電話するのが一般的だから<

欧米では、そうやって愛情や安否を確かめ合う行為が不可欠だから、ということかもしれません。
日本のように、「あ・うん」「便りのないのは良い便り」「言わなくてもわかる」といった信頼感が、家族間でさえ危ういのが欧米の伝統、なのかもしれないなあ、と思います。
近頃は日本も危うくなってきた感がありますけれど。

ところで、「子供の自立」ということで思い出したのがずいぶん前に書いたこんな記事 → 「間違った思い込み」  

「大学の入学式がまるで幼稚園の入園式のようだ。大丈夫か」という投書の主婦の気持ちもわかりますが、自立とはあまり関係のないことだと思います。

投稿: robita | 2009年4月14日 (火) 10時39分

まぜっかえすようで、何ですが、考えてみれば、「自立」云々って、きっと、戦後使われるようになった言葉・概念ですよね。「個人」という言葉・概念も明治以降に漱石らが使うようになったのでしょ。だから、テレビが普及する前の、情報の伝達が格段にゆっくりのころは、家制度が主流で、だから、跡継ぎが…、とか、嫁入り、とか、「家」があってのものだったのでしょう。急に、「今日から民主主義です」とか、「個人を尊重しましょう」なんていっても、根っこのところでは、家制度の尻尾みたいなものを引きずっているのではないでしょうか。お墓を誰が守っていく、とか。女性が改姓することに、喪失感を感じないのに、長男とか、息子が改姓するとなると、えっ!と思わないわけではありません。
日本は日本、だから、欧米を横目で見ながらも、日本式の家族仲良く、って形を築いていくべきですよね。

投稿: 街中の案山子 | 2009年4月14日 (火) 13時33分

★街中の案山子さん、

近代以前はきっと、「自立」なんて当たり前のことでわざわざ言うほどのこともなかったんでしょう。
仰るようにお墓の問題は、家名を残すことから来る問題ですよね。それが男性か女性かによっても問題はこじれますが。
今日の記事も「日本という名跡や伝統を残す」ことで、ちょっと関係あるかもしれません。
「残す」んじゃなくて世界に伝播すればいいかな、なんて。

投稿: robita | 2009年4月14日 (火) 14時22分

いや~。自立なんて、そもそも発想になかったと思いますよ。
寄りあって生きていくのが基本。忠君ですから、心を尽くして、上司とか、主に仕えていれば、守ってもらえる。
だから、自分の生活の輪、や地域社会の範囲で、それなりの世話を焼いたし、弱いものは助けられた。そう思います。
多分、今の途上国でも、同様な形の助け合い、というか、もたれ合いが見られるのではないでしょうか。

投稿: 街中の案山子 | 2009年4月14日 (火) 16時13分

★街中の案山子さん、

>いや~。自立なんて、そもそも発想になかったと思いますよ<

え、そうなんですか。
武家の元服とか、庶民はとにかく嫁をもらって所帯を持つとか、そういったことが大人になるための通過儀礼であったり、一人前になるという「自立」の発想から来てるものだと思ってました。
案山子さんの仰る「助け合いの精神」は、「自立の精神」とは、別の問題ではないでしょうか。
自分で生計を立てていようがいまいが、助けてもらうことはよくあることで、昔も今も人はみな助け合ったりもたれ合ったりして生きてきたんじゃないかなあ。

投稿: robita | 2009年4月15日 (水) 09時06分

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