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2009年5月 9日 (土)

男性消滅

私が夕方よく聴くTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」では、毎日テーマを決めてそれについての意見をリスナーから募集するコーナーがある。

昨日のは「あなたはどんな時、異性になりたいと思いますか」というものだった。

「女性にはレディスデイという料金割引サービスがあって羨ましい」
「トイレの長い行列を待たなければならない時、男性だったらいいなと思う」
「女性は命という大切なものをお腹に宿すことができて羨ましい」
「女性専用車両は空いていて羨ましい」
「ゴキブリが大嫌いなのだが、男なのでキャーッと叫びにくい」

等々、まあ、異性に対するこれらの無邪気な羨望はお互い好きなように言い合っていればいいと思うが、コメンテーターの宮台真司首都大学教授は、男女問題の核心へのアプローチを示す解説をした。

宮台氏によると:
男の子は第二次性徴期に、ヒゲが生え始め、声変わり、ノドボトケの突出、夢精などを経験するが、そのことに「自分はこれで少年期は終わり、あのむさくるしいおじさんたちの仲間入りをするのか、というマイナスイメージを持つ」というのだ。
そしてまだまだ受動的でいたいのに、男としての能動性を期待されることに不安を感じる、という。

このようなことは、今の時代だからでなく、昔からずっと男の子が通過しなくてはならない関門だったにちがいない。

男性は、「男であらねば」という社会の約束事を忠実に守り、受動性(少年的女性的)願望を抑制することによってその関門を乗り越え、成長していったのだと思う。

しかし、近年、男女の性役割が曖昧になるにつれ「自由に生きることが人間の幸せ」であり、「漢でなくても一向に構わない」となり、・・・・いやいや、こういう風潮が強くなったのかどうかは定かではないが、とにかくユニセックス化は進んできたと仮定してみよう。

宮台氏が言うには:
「ボクも女性を羨ましいと思った時期はありました。だって、化粧をしたり、髪を染めたり、アクセサリーをつけたり、ヴァラエティに富んだ服装で気分を変えることができるんですよね。男なんて背広と普段着の二種類しかないんですよ。
 でも、今の時代、そういうことを普通にやるようになった男性を、女性は『私たちの仲間になってくれた』と歓迎するんです。
 同じ人間として向き合えるようになったんですね」

 

そして宮台氏は、「へえーそうなんですか」と呆れる荒川強啓キャスターに対し、「強啓さんは化石なんですよ」と言う。

私としては、「それで子供できますかね」という疑問を強啓さんに発してほしかったが、それをすることなく番組は終わってしまった。

私は男女問題をずいぶん書いてきたが、事の本質は「男女が対立すること」ではなく、性差を論じることの目的とは、人類存続のメカニズムが崩れつつあるか否かを考えることにあるのだ。

だから、女性が男性を「私たちの仲間になってくれた」と歓迎するような世の中になっても (まさに「女になりたがる男たち」の世界)、一定の子孫を残すべく欲情のメカニズムが働くのであればそれは一向に構わないのである。

どうだろうか、「やっぱり『女になった男』は男として魅力がない」のだろうか。 それとも、「『女になった男』だって、ちゃんと欲情するから大丈夫」なのだろうか。

若い人たちに聞いてみたいものだ。


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コメント

 四十代半ばの今に至るまで女性に関してずっと感じていたことは、男よりも女の方が同年代であれば遙かに大人だと言うことでした。
 私なりに考えたのは、女性は小学校の高学年に体の変化が起こり、以後毎月「子供を生むために自分は存在しているのだ」「自分は女のだ」とくどいぐらいに思い知らさせる。
 対して男は多少の体の変化はあるもののそれらは全て一過性で、「男である!」「男でなければならない!」と自分自身が自覚する日まで子供で居続けることが可能で、それらが要因となって女性のの方が同年代であれば遙かに大人だと言う現実になって表れていると感じていました。
(実際に10歳下の妻と結婚しましたが、男と女では成長過程が違うわけで、これだけ年が離れていても妻の方が大人だと感じる場面がいまだに多くあります。)

 対して女性化する男性は、自分自身が「男である!」との自覚を持つ機会が無いまま成長した結果、男でもなく子供でもない自分自身のアイデンティティの喪失により安易な道として(自覚しているしていないは別として)女性化を選んだものだと感じています。
 「女性なったらどんなものなのだろうか?」と興味本位の関心はありますが、私自身は次に生まれ変わる機会があったとしてもやはり男で生まれたいと思っています。

 以上は男の視点(正確には私の視点)なのですが、女性の立場で見られるとどう思われますか?

投稿: 山本大成 | 2009年5月 9日 (土) 16時33分

★大成さん、

>以後毎月「子供を生むために自分は存在しているのだ」「自分は女のだ」とくどいぐらいに思い知らさせる。<

少なくとも私はこういう自覚はまったくありませんでしたし、今でもいくつになってもちっとも大人になれないと自他共に認めるところです。
しかし女性というのは無自覚ながらも意識下に大成さんの仰るようなことを刷り込まれてきたのかもしれませんね。

>女性化する男性は、自分自身が「男である!」との自覚を持つ機会が無いまま成長した結果、男でもなく子供でもない自分自身のアイデンティティの喪失により安易な道として(自覚しているしていないは別として)女性化を選んだものだと感じています。<

そういう人は昔から存在したでしょうが、近年になって社会問題にまでなるほど顕在化しているのは、何か原因があるのでしょう。
記事にも書きましたが、その原因を私は「社会のしばりが緩くなったから」ではないかと思っています。
でもそうだとしてもそれは仕方のないことだし、元に戻すこともできません。
戻るとすればそれは、「対策」によるものではなく、自然にそうなる、と思います。

>私自身は次に生まれ変わる機会があったとしてもやはり男で生まれたいと思っています。<

大抵の人は生まれ変わっても同じ性になりたいと思っている、と何かのアンケートで見たことがあります。
結局みなさん自分の性に満足しているのでしょうね。

投稿: robita | 2009年5月10日 (日) 13時18分

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