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2009年5月 1日 (金)

沈黙と忍耐

週刊文春「ゴールデンウィーク特大号」で≪皇太子と雅子さま 病いと修羅を越えて≫という記事を読んだ。

皇太子ご夫妻に対する批判の嵐が吹き荒れる中、本当の事情はおそらくこのようなことであったろう、と私が想像していたようなことが書かれている。

不妊治療の難しさ、皇室特有の医療事情、人間として最低限守られるべきプライバシーゆえ周囲に(たとえ両親である天皇皇后両陛下に対しても)理解してもらうことの難しさ、マスコミの上っ面の報道やバッシング・・・・、皇太子ご夫妻はどれほど辛い年月を耐えて来られただろう。

「ご忠言」と称して、皇太子殿下に執拗に苦言を呈し続けた鈍感な言論人もいたが、そういった人々の想像力のなさは刃物のようにご夫妻を攻撃してきた。

以前、このような文を書いた。 →  「はじける笑顔」  

表面的に見えることだけで、なぜ人は簡単に「わがままだ」などと決め付けるのだろうか。

皇太子妃というとてつもなく重い立場にある人にかかるプレッシャーがどれほどのものか想像もできないのだろうか。

なぜ、よくある一般の人々の「詐病」と同次元で考えてしまうのだろうか。

「雅子妃 わがまま」で検索すると、勝手言い放題の軽薄な文章がわんさか出てくる。

ざっと読んでみると、大半が「遊びのお出かけはできるのに、公務には出られない。明らかにサボりだ」という短絡的なもの。

公務に出ず、遊びにだけホイホイ出かければ批判されるに決まっている。そんな簡単なことを、普通の大人が判断できないとでも思っているのだろうか。

私は「雅子さまはそのようなわがままを言う人にはなんとなく見えない」と思うからこういうことを書くのではない。

重大な責務である男子出産がかなわない時、その苦しみは本人でなければわからないことではないか。
苦悩の中にあって耐えている時、「まだかまだか」とせっつかれ、マスコミの好奇の目に晒され、外に出られなくなり、そのことで批判され、努力してやっと回復しそうになるとまた回復の仕方がおかしいと批判される。悪循環の泥沼である。
この泥沼が容易に想像できるから、私は、面白半分に批判をするのはやめなさい、と言うのだ。

皇太子ご夫妻の心情をあまり深くは理解されていないように見える天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻との関係についても私はとても残念に思う。

天皇皇后両陛下にしてみれば、自分たちも大変な苦労を乗り越え、国民統合の象徴たる皇室の責務を果たしてきた、という思いがおありなのだろう。

でも、お子様を3人も授かった幸運は大いなる力を美智子様にもたらしたのも事実であると思う。

皇太子ご夫妻にはそれがかなわなかったことと、回復をさまたげる悪循環の構図とをもっとよく理解して差し上げてほしかったなと思う。

それにしても驚嘆すべきは皇太子殿下の強靭な精神力である。

殿下は、雅子さまという「個人」を守ろうと決心された。
「将来の皇后である。公務が優先ではないか。皇太子妃という立場を自覚して何が何でも公務復帰するべきだ」という世の声がとてつもなく大きかったにもかかわらず、雅子さまという「個人」を守り通された。

それは「将来の天皇」という立場を蔑ろにして妻という「個」を優先されたからではないだろう。

是非結婚していただきたいという熱烈なプロポーズに応えてくれたかけがえのない妻への愛情は無論のこと、天皇制存続の重大性を考えられたからこそ、将来の皇后をなんとしても守らねば、と思われたにちがいない。

ご自分たちの心身の健康や良き夫婦関係があってこそ国民からの支持や信頼が成り立つ、と考えられたからにちがいない。

だからこそ、どんなに批判されようとも、雅子様を守ることに専念されてきたのだろう。

よくよく忍耐の強いかただと言うほかはない。

この皇室問題に関しては、「個より公」という考え方を曲解して、物事の本質を見失った人々が大局に立った判断をしていないように思う。

なかなか自分の意見が言えない立場である皇室のかたがたに対しては国民は安易な批判をするのでなく、物言えない人の事情や心情を推察する知力や寛容さを持つべきだ。

文春の記事には、【最近は、「子どもがなかなかできなかったこと、苦しみにも何らかの意味はあったのではないか、と考えるようになった」とご夫妻で語り合われるほどであるという。】 と書かれている。
このようなご心境になられたことに、ひとまず安堵の気持ちを持った。

記事は、【 ご成婚から16年。お世継ぎに苦悩された8年と、雅子妃が病にたおれて6年。時に困難な道を、皇太子は沈黙とともに歩んでこられた。批判することはたやすくそうした声はとかく大きくとりあげられる。だが皇太子の沈黙こそがメッセージであり、そこに共感する声なき国民もまた多い。】
と結ぶ。

我々日本人の思慮と情愛が長らく天皇制を守ってきたのではなかろうか、と私は思う。

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コメント

私の幼少の頃の記憶を辿れば、恐らくrobitaさんより一世代上になる私の母は、若かりし頃の(といっても、丁度今の皇太子妃の年頃のころの)皇后陛下を余り良くは言っていなかったように思います。

それも「服がけばい」「帽子が似合わない」というような低次元な批判で、今の週刊誌を賑せている皇太子妃バッシングと同じようなものです(笑)まして、民間からのお輿入れということで興味本位で取り上げられる一方で、アンチもかなりいたはずで、風当たりも強かったと想像します。

しかし、男子を産んだことによって、誰にも文句を言わせなかったことが皇后陛下の幸運だったことであり、裏を返せば今の皇太子妃の不運でもあると感じます。

もちろん皇太子妃が「うまずめ」などという下卑た批判には与しません。皇統継続のために男子を産むことが求められる一方で、子宝は天からの授かり物である以上、皇太子妃には運がない、とするより他にありません。それ以上でもそれ以下でもない。

陰謀論を言い出せばきりがないし、物事は悪く見ようとすれば幾らでも悪く見えるものなので、皇太子妃バッシングからは距離を置いていますが、皇太子については例の発言には驚いたと同時に「漢だねぇ」と思った自分です。

投稿: かせっち | 2009年5月 1日 (金) 21時49分

★かせっちさん、

美智子さまの髪型や服装などに関しては、私の周りの大人も結構あれこれ言ってましたね。
でも、雅子さまに対するようなひどいバッシングではありませんでした。
美智子さまに対しては皇室内での旧勢力のいじめがひどかったようです。
でも、男子を二人も出産された強みはたしかに大きいものだったでしょう。

>物事は悪く見ようとすれば幾らでも悪く見えるものなので、<

そうですね。表面的なことだけで判断するのはフェアではないと思います。
天皇制の重要性を叫んでいる人々が皇太子ご夫妻を批判するのは実におかしなことです。
反天皇制勢力を勢いづかせるものでしかないと思うのですが。

>「漢だねぇ」<

たしかに。

投稿: robita | 2009年5月 2日 (土) 10時24分

こんにちは、初めてコメントさせていただきます。

東宮ご夫妻や幼い愛子様に対するバッシングは、本当に異常でした。今もチラホラと東宮ご夫妻に苦言を呈するような意見を目にしますが、私にはどうしても東宮ご夫妻がそこまで執拗なバッシングを甘んじて受けなければいけないことをなさっているとは思えないのです。皇太子様は強くお優しく、妻と娘を全力でお守りになられている。雅子様に対するプロポーズで、「私が全力でお守りします」とおっしゃったようですが、それを誠実に実行していらっしゃり、本当に素敵な方だと思います。雅子様も、知れば知るほど素敵な女性なんだなあと感じました。愛子様も可愛らしく聡明で、私にとって東宮ご夫妻は「希望」の方々だと感じております。
東宮ご夫妻に対するバッシングがあまりに異常なので、2年ほど前から個人的にその背景を色々調べてみました。ここでは詳しく書くことはできませんが、東宮ご一家に対するバッシングは、明らかに「ある一定の勢力が、組織的に意図的に行っている」という背景が見えてしまい、恐ろしくなりました。一時期は(今でもそうかも…?)、ネットで少しでも東宮ご夫妻に理解を示すコメントをすれば組織的に猛攻撃が起きたりもしたようです。東宮ご夫妻を批判する人々には、何か普通じゃないものを感じます。
東宮ご夫妻は本来であれば受ける必要のない苦しみ、悲しみを一身に背負ってきました。ご夫妻は、将来きっと素晴らしい天皇皇后になられると思います。また、多くの国民は、おかしなバッシングに惑わされることなく、東宮ご一家を応援し、見守っていることと信じています。長々と失礼いたしました。

投稿: 初めまして | 2009年5月17日 (日) 22時38分

★初めましてさん、

一気にブログランキングの順位が上がり、驚いてリンク先を見てみましたら、この記事が紹介されていたのですね。
経験したことのない膨大なアクセス数です。

陰謀のようなものについては私は判断はできませんが、東宮ご一家が孤立無縁な状態で長年耐えてこられたのは本当にお気の毒だったと思います。

>ネットで少しでも東宮ご夫妻に理解を示すコメントをすれば組織的に猛攻撃が起きたりもしたようです<

そうなんですか。私が「はじける笑顔」という記事を書いたのはずいぶん前でアクセス数もかなり多かったのですが、攻撃はありませんでした。
国民の大半は貴方様や私のような気持ちで見守っているということじゃないでしょうか。ただ大きな声を出さないだけで。

優しいご意見ありがとうございました。

投稿: robita | 2009年5月18日 (月) 10時19分

当時のお写真を見ると、皇室に入られた美智子様はよく耐えられたと思います。

1959年4月~いじめられていじめられて大変だった新婚時期の美智子様
http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-221.html

ナルちゃん出産後も壮絶なイジメに耐え続けるおかわいそうな美智子様
http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-222.html

投稿: とおりすがり | 2015年11月21日 (土) 20時02分

★とおりすがりさん

すみません。リンク先見られません。
開くのですが、下に動きません。
美智子様も大変苦労された時期があったのは事実のようですね。
雅子様も徐々に回復されているようで良かったなと思います。

投稿: robita | 2015年11月21日 (土) 23時12分

このブログから6年経ちますが、今も飽きもせず繰り返されている雅子様バッシング、東宮家バッシングの雑誌記事やネット上の意見などを目にするたびに、悲しく、嫌な気持ちになります。
雅子妃バッシングは弱いものいじめそのものです。
苦しむ人に対する想像力のなさ、精神的な病気に理解を寄せようという姿勢のなさ、物言えぬ人を相手に言いたい放題に放言して苦しめる軽薄さ、こんな悲しい心のありようを持つ人間がこの国にはこんなに沢山いるのかと、本当に寒々とします。

このような軽薄で無理解で思いやりのない態度そのものが、病気からの回復を邪魔しているという自覚のなさ。そういう態度を「もうやめようよ、暖かく見守ろうよ」と止めるベクトルも、どこからも出てこない・・。

「病気のふりをして公務をサボり、好きなことだけ興味を示す、ワガママ病」なんて、雅子妃の状態は決してそんなことではないと、思慮のある大人なら少し想像力を働かせれば誰でもすぐにわかるはずだと思うのですが、わからないふりをして、自分の好悪の感情だけで、苦しんでいる人を繰り返し繰り返しバッシングし続ける。信じられないです。イジメでなくて何なのでしょうか。

どうしてこう酷い、低レベルなバッシングが続くのか本当に不思議で検索していて、このブログに出会い、とても共感しました。自分と同じ感覚を持つ人もいるのだと確認できて嬉しかったです。

雅子妃には、くだらない誹謗中傷は一切気にせず、じっくりとご病気を治し、一人の人間としてお元気になって頂きたいと心から願っております。
心のない人間の言うことなどに傷つく必要はないのです。
どうか、皇太子さまとご一緒に、投げず挫けずお過ごしになり、お元気になって頂きたいです。

投稿: leaf | 2016年1月12日 (火) 17時20分

★leafさん

コメントありがとうございます。
仰る通りですね。
私は若い頃には皇室という存在の価値がわかりませんでした。
今も言葉ではうまく説明できませんけど、日本人にとってうつし鏡のような存在だと感じています。
だから国民として大事にお守りしたいと思いますし、詳しい事情もわからないのに、もの言えぬ方々へ批判の矛先を向けるのは間違っていると思います。
近頃は私はバッシング記事を目にしませんし雅子様もご回復に向かわれているようですね。
皇室のご安泰を望みます。

投稿: robita | 2016年1月12日 (火) 23時02分

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