ほかほかごはん
不景気を反映してか究極の節約ご飯「ねこまんま」が、大流行の由。
ご飯の上に色々なものを載せて食べるどんぶり物が安上がりでおいしそうだ。
卵、かつお節、ちりめんじゃこなどは昔からの定番だが、近頃の若い人はあらゆるものを試してバラエティを楽しんでいるようだ。
さきいかや柿ピーを散らした上にマヨネーズで味付けなんていうのも意外とおいしいという話だが、そういう「邪道」はさておいて、栄養バランスを考えた食材を載せるよう心がければ問題ないし、大量の米も消費することになるし、ねこまんまって今の日本にピッタリの食べ方じゃないかと思う。
たしかに、ご飯に焼き魚、青菜のおひたし、海苔、漬物、味噌汁など、質素でもきちんとそれぞれの器に盛り分けた食事の伝統を残すことはとても大事なことでおろそかにしてはならない。
でも時々ならば、朝食や昼食などにそういうどんぶり物もいいじゃないかと思う。
不景気でも、若い人は肉が好きでよく食べる。
ご飯より肉でお腹がいっぱいになるような食べ方をする人も多い。
しかし昔の日本人みたいにもっとお米をたくさん食べれば食糧自給率も上がる、という。
そのことも大事だが、お米をしっかりと食べてしっかりと働くためのエネルギー源として見直すことはもっと大きな意味があると思う。
ところで、米(炭水化物)は、消化に時間がかかるので、お米を主食とする日本人の腸は長く、それを納める胴体も長くなり、結果的に日本人は胴長短足なのである、という説が昔あった。
本当かどうか知らないが、今の若い人の体形が欧米人並みに格好良くなったのは、お米をあまり食べなくなったからなのだろうか。
しかし、と思うのである。
足が長いのは本当にカッコいいことなんだろうか。
昔、知人の女性が、「足の短い男の人が好きなの」と妙なことを言っていた。
彼女は華やかな業界で働く華やかな女性で、いつもパンツスーツを格好良く着こなしていた美人だった。
後に、彼女の恋人を垣間見たのだが、縄文人のような幅広の顔に、たしかに胴長短足、いかにも昔の日本人といった風貌の男性だった。
同性からも頼りにされる魅力的な男性ということだったから、彼女は彼の男気に惚れたのだろうと思う。
彼女の選択をカッコ良いと思った。
男は中身だ、などとありふれたことを言うつもりはないのだが(つもりか)、単に「足長」がなぜカッコ良いのか、不思議に思うことがある。
幕末期、紅毛碧眼の連中と何ら臆することなく堂々と対峙した小栗上野介や、誇り高い岩倉具視使節団のメンバーなど、きっと背が低く、足が短かったにちがいない。
そして、そのことを不恰好だなんて決めつける価値観はその頃の日本にはなかっただろう。
彼らの威風堂々たる態度は欧米人を唸らせた、と今に伝わる。
世界との交流が盛んになり、徐々に彼らの体躯の大きさとはったりが合わさった態度に圧倒されるようになったのだろうか。
それとも戦争に負けた時からのことだろうか。
足が短いことは恥ずかしいことになってしまった。
昭和30年代に石原裕次郎が出現して、背が高く足が長いことの価値の高さは決定的になった。
日本人が戦争に勝っていたら、足が長いことなんてそんなに価値はなかったかもしれない。
足が長くても頼りない男より、短くても堂々としてるほうが余程カッコ良いじゃないか。
男子高校生がズボンをずり下げてわざと足を短く見せたりするのは、日本男児の伝統的な体型に無意識の憧れがあるからじゃないだろうか、なんて思いたくなる。
・・・・しろうとの考えることはこの程度なのだが、何故足が長いのがカッコいいこととして定着してしまったのだろうか。
竹内久美子さんなら知ってるだろうか。
まあ、米を食べるとほんとうに胴長になるかどうかはさておいて、食糧自給率の問題として、エネルギー源の問題として、産業構造の問題として、そして政治を左右する問題として、米作は日本の国にとって重大な意味を持つ。
票田の呪縛が発生するずっと前から、日本の農家は米を大事に育て、日本人はそれをありがたくいただき、働くエネルギーとしてきた。
胴長短足でも腹の据わった日本人、我慢強い日本人、謙虚な日本人を育ててきたのは、もしかしたら米の文化そのものだったのかもしれないなあ、と思う。
まずは米を腹いっぱい食べて日本人の底力を取り戻さねば →人気ブログランキング
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