« 愛するものを奪われた 2 | トップページ | ほかほかごはん »
母が亡くなり、唐突に介護が終わった。
翌日、子供たちがおばあちゃんの庭の梅の実を収穫した。
ウィスキーで梅酒を仕込んだ。
頃合いになったら、またみんなで集まろうか。
.
投稿者 ロビタ 時刻 11時17分 | 固定リンク Tweet
こんにちは。梅があるのですね。誰かに支えてもらうことができたり、支えてあげることができるというのは尊いですね。
投稿: コウイチ | 2009年6月22日 (月) 15時39分
★コウイチさん、
たくさんの実をつけるのですが、足長バチが飛び回るので途中でやめた、と言ってました。でも梅酒一瓶造るのに丁度いい量が採れました。
>誰かに支えてもらうことができたり、支えてあげることができるというのは尊いですね。<
そうですね。それが幸福だと思います。
投稿: robita | 2009年6月23日 (火) 09時56分
ご愁傷さまです。 同居していた方が亡くなるって、喪失感がズシッと来るのでしょうね。 ご自分のお母様でしょうか。 最期まで介護、したことのない者には分らない感慨があると思います。 日常の時間配分も変わってくることでしょう。 アラカンは、「こうやって時が流れていく」そういう思い方をする世代じゃないでしょうか。
投稿: 街中の案山子 | 2009年6月24日 (水) 10時14分
★街中の案山子さん、
ありがとうございます。 実母です。 ずうっとこの日常が続くと当たり前のように思っていたのに突然の終わりでした。 眠るように逝きました。 姪が大きなお腹を抱えて駆けつけました。 そして、4.5日前、夫の方の姪に赤ちゃんができたとの嬉しい知らせ。 新しい命も次々にやってきます。
投稿: robita | 2009年6月25日 (木) 09時19分
同居していた肉親を失ったのは20年近く前、祖母を無くした経験しかありません。 体調不良を訴えてから肝硬変で僅か2日で亡くなったのですが、しばらくの間現実を受け入れることが出来ず、祖母の部屋に近づく事すら出来なかった記憶が残っています。 介護をされていたと言うことですので、生活自体が一変するわけですので、当時の私よりも遙かに大きな喪失感を感じていらっしゃるのでしょうね。 心よりお悔やみ申し上げます。
投稿: 山本大成 | 2009年6月26日 (金) 22時24分
★山本大成さん、
ありがとうございます。 いつもそばにいた人がいなくなった気持ちというのは何とも表現しがたいものですね。 いったいどこに行っちゃったんでしょうか。 大成さんのお祖母様は急死だったとのこと、なおさら不思議な感情に覆われたことでしょう。
妹も私も用事以外は家からあまり出ない人間なので、介護で拘束されているという気持ちはほとんどありませんでした。 妹は「朝、階下に下りてきてもお母さんがいない。仕事から帰って来てもいない。」と言います。 一人は寂しいということではなく、やはり体や心の一部がなくなってしまったような喪失感というのでしょうか。
投稿: robita | 2009年6月27日 (土) 10時18分
robitaさん、お久しぶりです。 この度はご愁傷様でした。
わたしは今、母親という存在がこの世から居なくなる事を想像することができませんが、母が母親(祖母)を失ったときの様子はよく覚えていますし、いまもそれを感じつづけています。
いつか同じ気持ちになることはわかっていますが。
投稿: 珍獣 | 2009年7月 3日 (金) 23時17分
★珍獣さん、
お久しぶりです ありがとうございます。
私はそんな後悔はしないだろう、とずっと思っていたのですが、やっぱりするもんなんですね、「ああもしてあげればよかった、こうもしてあげればよかった」と。
珍獣さんは最近着物に凝っていらっしゃるんですね。 忙しい時代だけれど、お洒落の一環として普段でも気軽に着てお出かけになるなんて素敵です。 慣れればそんなに面倒くさくないですよね。 私は慣れませんでしたけど(笑)
投稿: robita | 2009年7月 6日 (月) 10時39分
名前:
メールアドレス: (ウェブ上には掲載しません)
アドレス(URL):
この情報を登録する
内容:
この記事へのトラックバック一覧です: 梅酒忌:
コメント
こんにちは。梅があるのですね。誰かに支えてもらうことができたり、支えてあげることができるというのは尊いですね。
投稿: コウイチ | 2009年6月22日 (月) 15時39分
★コウイチさん、
たくさんの実をつけるのですが、足長バチが飛び回るので途中でやめた、と言ってました。でも梅酒一瓶造るのに丁度いい量が採れました。
>誰かに支えてもらうことができたり、支えてあげることができるというのは尊いですね。<
そうですね。それが幸福だと思います。
投稿: robita | 2009年6月23日 (火) 09時56分
ご愁傷さまです。
同居していた方が亡くなるって、喪失感がズシッと来るのでしょうね。
ご自分のお母様でしょうか。
最期まで介護、したことのない者には分らない感慨があると思います。
日常の時間配分も変わってくることでしょう。
アラカンは、「こうやって時が流れていく」そういう思い方をする世代じゃないでしょうか。
投稿: 街中の案山子 | 2009年6月24日 (水) 10時14分
★街中の案山子さん、
ありがとうございます。
実母です。
ずうっとこの日常が続くと当たり前のように思っていたのに突然の終わりでした。
眠るように逝きました。
姪が大きなお腹を抱えて駆けつけました。
そして、4.5日前、夫の方の姪に赤ちゃんができたとの嬉しい知らせ。
新しい命も次々にやってきます。
投稿: robita | 2009年6月25日 (木) 09時19分
同居していた肉親を失ったのは20年近く前、祖母を無くした経験しかありません。
体調不良を訴えてから肝硬変で僅か2日で亡くなったのですが、しばらくの間現実を受け入れることが出来ず、祖母の部屋に近づく事すら出来なかった記憶が残っています。
介護をされていたと言うことですので、生活自体が一変するわけですので、当時の私よりも遙かに大きな喪失感を感じていらっしゃるのでしょうね。
心よりお悔やみ申し上げます。
投稿: 山本大成 | 2009年6月26日 (金) 22時24分
★山本大成さん、
ありがとうございます。
いつもそばにいた人がいなくなった気持ちというのは何とも表現しがたいものですね。
いったいどこに行っちゃったんでしょうか。
大成さんのお祖母様は急死だったとのこと、なおさら不思議な感情に覆われたことでしょう。
妹も私も用事以外は家からあまり出ない人間なので、介護で拘束されているという気持ちはほとんどありませんでした。
妹は「朝、階下に下りてきてもお母さんがいない。仕事から帰って来てもいない。」と言います。
一人は寂しいということではなく、やはり体や心の一部がなくなってしまったような喪失感というのでしょうか。
投稿: robita | 2009年6月27日 (土) 10時18分
robitaさん、お久しぶりです。
この度はご愁傷様でした。
わたしは今、母親という存在がこの世から居なくなる事を想像することができませんが、母が母親(祖母)を失ったときの様子はよく覚えていますし、いまもそれを感じつづけています。
いつか同じ気持ちになることはわかっていますが。
投稿: 珍獣 | 2009年7月 3日 (金) 23時17分
★珍獣さん、
お久しぶりです
ありがとうございます。
私はそんな後悔はしないだろう、とずっと思っていたのですが、やっぱりするもんなんですね、「ああもしてあげればよかった、こうもしてあげればよかった」と。
珍獣さんは最近着物に凝っていらっしゃるんですね。
忙しい時代だけれど、お洒落の一環として普段でも気軽に着てお出かけになるなんて素敵です。
慣れればそんなに面倒くさくないですよね。
私は慣れませんでしたけど(笑)
投稿: robita | 2009年7月 6日 (月) 10時39分