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2009年7月10日 (金)

親心

娘や息子の結婚難を受けて、親の婚活が盛況だと、よくテレビなどでレポートされている。

先日もテレビ朝日「スーパーモーニング」で、親同士の合同見合いの様子が放映されていた。

本人のプロフィールを交換し合い、候補をいくつか決めて、本人に確認をとってから本格的見合いの運びとなるらしい。

ああやってテレビにその様子が映し出されると、「親の見合いなんて」と奇異な印象を抱いてしまいがちだが、考えてみると、昔の見合いの習慣と原則的に同じようなものだなあ、と思える。

見合いとは、本人よりまず親に縁談が持ち込まれるのが普通だったのだ。

世話をする人は、親の人柄や家の雰囲気などから、「この家の娘さん(息子さん)に丁度いいのではないか」という「つりあい」を考慮して話を持ってきた。
親は、子供が適齢期になると、友人や知人に「どなたか良い人がいたらお願いします」とことあるごとに声をかけていたものだ。

今、相手が見つからなくて困っている人たちは、昔ならまず大方があっさり結婚していただろう。

見合い結婚が普通だった頃に適齢期だった私など、今の時代であれば相手にめぐり合わなかったに違いない。

自分で相手を見つけなければいけない今の人たちは本当に大変だ。

現代の親の婚活は、昔の見合いと同じ性質のもので、単に守備範囲が広がったものだと考えていいと思う。期待したい。

もちろん、価値観が大きく変わってしまったのだから、結婚したくない人だって大勢いて、結婚の話など振ると「余計なお世話だ」とか「セクハラだ」だとか言われてしまうご時世なのは仕方がないとしても、昔のようにお膳立てがあればたくさんのカップルが成立するかもしれないのである。

スタジオのコメンテーターたちが意見を言う。
「本人同士だとあれこれ考えすぎて高望みしてしまうのではないか」
「親が見つけてきた相手だと、適当なところで手を打つか、となる」
「親同士が気が合って決めるのだから、嫁姑の問題も起こりにくくなるのでは」

たしかに、昔を振返ってみると、結婚は必ずしも恋愛の延長上にあるものではなかった。
もちろん恋愛結婚もあったが、見合いの場合、結婚を前提にしての出会いであり、条件をつき合わせて検討するので、話は早かった。

そして、幸せな家庭が築けるかどうか、夫婦として添い遂げられるかどうかは、恋愛とか見合いとかで決定されるものではないのは、誰もが気づいていることである。

それはともかく、この現代の見合いはかなりの成果を上げているようだ。

たくさんのカップルが誕生することはそれだけでもとても楽しいが、その上、子供まで生まれたらなんと喜ばしいことか。

婚活ブームはおばさんもなんだかわくわくする。

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コメント

親同士の見合いというのは何年か前にテレビで見たことがありますけど、あれは、若い頃は自分ひとりではなかなか難しかったという人が結婚して20年とか30年経ってとても逞しくなったというのをよく表現していたように思います。

見合い(結婚)を積極的に勧めることができるというのは本人がそれだけ見合いなり結婚で幸せを感じていることなのでしょうし、そういう人が沢山いるというのは凄いことかもしれないですね。

投稿: コウイチ | 2009年7月11日 (土) 00時27分

 地域社会が崩壊して人と人との繋がりが弱くなった状況で、時代が回帰していると言うことなのかもしれませんね。

投稿: 山本大成 | 2009年7月11日 (土) 09時41分

おせっかいタイプではありますが、この手の話からは、とんと遠いところにおります。
お見合いって、どういう気分だろう。
やー、やっぱり、今度生まれてきても、お見合いしないだろうな。

投稿: 街中の案山子 | 2009年7月13日 (月) 10時07分

★コウイチさん、

>若い頃は自分ひとりではなかなか難しかったという人が結婚して20年とか30年経ってとても逞しくなったというのをよく表現していたように思います。<

そうなんです。経験上、相手探しの苦労がよくわかるのです。

>見合い(結婚)を積極的に勧めることができるというのは本人がそれだけ見合いなり結婚で幸せを感じていることなのでしょうし<

そうですね。
「幸せを感じている」ということもあると思いますが、結婚そのものの意味を心に刻んでいるということでもあると思います。

>そういう人が沢山いるというのは凄いことかもしれないですね。<

まあ、昔は結婚について今ほど深く考えなかったのかもしれません。

投稿: robita | 2009年7月13日 (月) 13時47分

★山本大成さん、

落語によく出てくると思うのですが、「お前さん、まだ独りかい? そいつぁいけねえな」みたいな言い方がありますよね。
「所帯を持たなくっちゃァいけねえ」と、周りがよってたかっておせっかいをしてたんじゃないでしょうか。
結婚は地域社会の問題だったのだろうと思います。
地域社会の崩壊ということもありますが、結婚が極めて個人的な事柄である現代では、余計なお世話になってしまいました。

投稿: robita | 2009年7月13日 (月) 13時48分

★街中の案山子さん、

>やー、やっぱり、今度生まれてきても、お見合いしないだろうな。<

それは案山子さんが恋愛エリートだからですよ。

投稿: robita | 2009年7月13日 (月) 13時49分

よそ様のことはよく判りませんが、例えば、好きなドラマとか、本とか、社会情勢とか、そう、自分の関心のあることについて、夫婦って話題にするものなのですか。しないものなのですか。
子育ても終わってしまった私の世代では、夫の読んだ本は読まない、とか、テレビも好きな番組を別々に見ているとか。
それでも夫婦やっている人たち沢山います。
勿論robitaさんのところは、上記のケースとは違うと思いますが、
みんな結構、相手に無関心でも夫婦やっているのだな、そう思うことありませんか。
なんなのだろう。それでも結構築いてきた家庭は大事だから、不満持ちながら壊れはしない。
空気みたいな存在でいいってことかしら。

投稿: 街中の案山子 | 2009年7月13日 (月) 16時51分

★街中の案山子さん、

ああ、わかりました。
要するに、恋愛の夫婦はこうで、お見合いの夫婦はこう、という案山子さんなりの前提があってのお話だったのですね。
でも、なぜそのように決め付けられるのか私にはわかりません。
恋愛結婚でも冷たい関係になっていく夫婦や、見合いでもほのぼのとした夫婦愛を育む人たちなど、全然珍しくありません。
それに夫婦っていつも同じことに関心がなければならないとか、いつも一緒に行動しなければならないんでしょうか。
たとえば私たち夫婦は仲が良いほうだと思いますしお互い信頼感がありますけれど、好きなテレビ番組も趣味も違います。

お見合いは男女の出会いのきっかけの一つです。異性に不器用な人たちにとっては、とても有効な手立てだと思います。
第一、恋愛以外の結婚がなければ、これまでこんなに人間は生まれなかったでしょう。
私も両親が見合い結婚してくれなければ生まれませんでした。
案山子さんも、別人格に生まれ変わったら、見合いを有難い習慣だと思うかもしれませんよ。

投稿: robita | 2009年7月14日 (火) 09時11分

いや、私は結婚経緯がどうとか、余り関心がないのです。
どっちでも、今がどうか、が問題であり、自分のところが難点がない、なんてとても思ってもいません。
きっかけがお見合いじゃなかったからって、そんなに相手と相性がピッタリ、ってこともないのですよ。
ああ、勘違い!と思うことも多々あるものです。
ただ、自分で決めたという、その責任を自分で感じているのは確かです。
良かれ悪しかれ、自分でこの人生を選択したのだという、それはあるのだろう、そうおもいます。
こういう書き方をしたからといって、だからお見合いの人が違う、ということではないですよ。
そちらのケースは体験していないから、分らない、ということ。

投稿: 街中の案山子 | 2009年7月14日 (火) 09時53分

★街中の案山子さん、

>私は結婚経緯がどうとか、余り関心がないのです。<

「今度生まれてきても、お見合いしないだろうな」と仰っていたので、お見合いという出会い(つまり経緯)に懐疑的でいらっしゃるのかなと思いました。

>自分で決めたという、その責任を自分で感じているのは確かです<

きっかけはお見合いでも、選択の責任は自分にあるのは当然だと私も思います。
そしてその責任とはなんでしょうか。
私の場合は、家庭を崩壊させない努力を続ける、ということだったと思います。

>どっちでも、今がどうか、が問題であり<

仰る通りです。

>こういう書き方をしたからといって、だからお見合いの人が違う、ということではないですよ<

書き言葉は難しいものですね。
でも、案山子さんが「お見合いはある程度責任転嫁できるところが恋愛と違う」という意味で仰ったのがわかりました。

投稿: robita | 2009年7月15日 (水) 09時38分

もう一度コメント。
経験がなくてとやかく言えないのですが、「責任転嫁できる」というより、二人の結婚はしっかりしたサポーターに見守られている、そんな雰囲気があるのではないだろうか、そんな風に想像したことはありました。

投稿: 街中の案山子 | 2009年7月15日 (水) 15時52分

★街中の案山子さん、

「責任転嫁」ってちょっと嫌な言い方でしたね。すみません。

>二人の結婚はしっかりしたサポーターに見守られている、そんな雰囲気があるのではないだろうか、<

そういうところあると思います。
お見合いの時点から家族全体の関心ごとであるし、仲人さんも、夫婦になった二人はうまくいっているかどうか気にかけてくれるのです。
こちらも、仲人さんのおかげで良縁に出会えました、という感謝の気持ちを忘れまいとするし、心配してくれた周りの人々のためにも良い家庭を築こうという気持ちが働くのだと思います。

投稿: robita | 2009年7月16日 (木) 09時49分

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