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2009年8月29日 (土)

ヒステリック

私は経済政策の細かいことについてはわからないし、数字を挙げてあれこれ論ずることはできない。
60年以上生きてきて、「結局人間社会とはこんなことではないか」、といったおおまかな見方で、世のことを解釈しているにすぎない。

国民は自民党に愛想をつかせ、政権は民主党に移ることがほぼ確実である。
いったい自民党のどこが良くてどこが悪いのか、素人ながらよく考える。

山本大成さんの記事に、「良く整理して考えなければならないのは、現在の景気の悪化が与党を中心に運営されてきた日本の政治のせいで起こったのかどうか?(他の政党が政権を担当していたら防ぐことが出来たかどうか?)」
とある。

また、こちらの記事では、小泉内閣時代の政策への穏当な検証がなされている。→ http://blogs.dion.ne.jp/hanemone/archives/8651907.html

今や世の中は、「小泉改革が世の中をめちゃくちゃにした」と、一人ひとりが抱える不満を何でもかんでもコイズミのせいにする風潮に流されているが、目の前の不具合を評価の基準にするのでなく、時間的空間的にもう少し視野を広げて全体の流れを見たらどうだろうか。

竹中さんの経済政策には欠陥もあったのかもしれないが、バブル崩壊後のあの酷い日本経済を、では、いったい誰だったら、綺麗に処理してみせ、その後の経済を完璧に回復させることができたというのだろうか。

小泉改革はぶっ壊しただけだった、そのあとの構築をやらなかった、というけれど、小泉内閣はしぶとい政治勢力をついに動かすことができなくなってしまったということではないのだろうか。先日ラジオに出演した竹中さんは「政治は負けることがあるんです」と言っていた。
そう、負けたのである。おそらく、政治の裏をいやというほど見せつけられ思い知らされたことだろう。

郵政選挙で、反対した自民党議員は排除された。しかし、排除されたくないので賛成を装って残った勢力の存在が改革を中途半端なものにしてしまったのではないだろうか。

「民営化に反対なら元に戻せばいいんですよ。中途半端が一番いけない」と竹中さんは言った。

激しいせめぎ合いの末、敗北し、政界を去ったあとの状態をもって、「こんなことになってどうしてくれるんだ。にっくき小泉竹中め」と短絡的に糾弾するのは、ヒステリックに過ぎるというものだ。

とは言え、このまま自民政権が続くのも自民党自身のためにならないので、政権交代は許してもいいのではないか。

平凡な国民の視点でもって語るとこういう具合である。
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2009年8月25日 (火)

頓痴気

いつも夕方聞いているラジオ番組「荒川強啓デイキャッチ」で、社会学者宮台真司氏が、竹中平蔵氏の経済政策を「あさはかでトンチキだ」とけなしていた。

「もう経済成長によって豊かさを保ち、幸福感を得るという時代はこれから先ありません」と、このような言葉で始めたので、経済成長がなくても幸福感を得られる社会をめざすことが宮台氏の考える経済政策の大前提なのだろう。

「日本は豊かなのに幸せじゃない。人は経済的に豊かだから幸福になるとか、貧しいから不幸になるのではない。
 新しい社会の構築が必要だ。
 竹中平蔵みたいな単純で浅はかな経済モデルは間違っている。」
というのだ。

私は宮台さんの本を読んだことがないが、よくラジオでの発言を聞いているので、言いたいことはだいたいわかる。

最近の著書「日本の難点」を読んだ人のブログを読んでみても、まあ、だいたいこういうことだろう、と思うし、彼の思い描くこれからの社会像は理想的だと思う。人は経済的豊かさだけで幸福にはならない、というところなんか私個人としては大賛成だ。

ちなみに、勝手に引用させていただくが、こちらのかたの要約と感想が私にはわかりやすかった。 →楽山舎通信   

宮台さんの主張は、「小さな政府と個々の人間の自己責任」ではなく、「小さな政府と大きな社会」つまり、ちょっとつまづいたくらいで個人が絶望しないような大きな社会の再構築をやるべきだ、ということらしい。

これはまったくその通りだと思うのだが、それでは、家族や地域社会の包容力が機能していた昔に戻ればいいかというと、そうではなく、たとえ家族が崩壊していても、その受け皿となって個人を救える社会を構築すればいい、というのである。

たしかに良い考えではあるが、では、どうすれば社会が宮台さん言うところの「包摂性」を持つようになるかというと、これが難しい。言うは易しである。

宮台さんとしては、自分のような学者がこういう考えを力説して、賛同者を増やしていこうという考えであろうが、賛同者が増えたとして、さて、具体的に何をするのか。

まずそういった評論レベルから政治レベルに持っていかなければならないのではないかと私は思うのだが。

そして、「経済的に停滞していても人が絶望しない社会」と「挫折も絶望もあるが成長し続ける社会」のどちらを日本人は選ぶのか選択を迫るレベルまで持っていかないと社会は動かないだろうと思う。

政治は戦いだから、賛同を得て勝たなくてはならない。勝つか負けるかである。

それとも、そんなことしなくても、賛同者が増えれば自然に社会はそのように変化していくのだろうか。そこのところがわからないのだが、本を読めば書いてあるのかな。でも難しそうだから読むのめんどくさいしな。誰か一言で解説してくれないかな。

宮台さんのブログに行って見たらこんな記述があった。

■総選挙の課題は「任せる政治から引き受ける政治へ」。
財政破綻と道徳的退廃をもたらす「大きな国家」をやめるかわりに「大きな社会」つまり包摂的で相互扶助的な社会を実現する。
我々ができることは我々がやり、それが無理な時に行政を呼び出すという形を、最終的にはめざす。「補完性の原則」といいます。
■これを実現するには、第一に自分たちの情報を行政に出させる情報公開と、第二にこれら情報を元に我々が自分たちを操縦する能力が必要です。
政府はこの能力をサポートする役割に徹するべきですが、
この「社会をサポートする国家」という感覚は、民主党でも、同年代にNPOのアクティビストがいる若い世代の議員にしかない。
民主党の世代交替がないと難しいかもしれません。(談)

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ところで、日本にとって財政健全化や経済成長戦略は必要不可欠である。

財政破綻や景気の停滞をこのままにしておいては、どんな提唱であろうと「社会の再構築」さえ不可能だ。

とにかくお金だ。節約し、且つ稼がなければならない。

竹中さんは、日本人の価値観の転換に責任を持つ人だったのだろうか。
経済成長や財政再建のための道筋をつけることが、経済担当の政治家としての竹中さんのやるべきことだったのではないのだろうか。

「貧しくとも心の豊かさを大事にし、人を絶望から救う大きな社会の構築」は、とても大事なことだけど、それは日本人の価値観を変える(というか、元に戻す)作業から始めないといけない。

そういう経済モデルを提示しないからといって、あさはかだとかトンチキだとか言って政治家を批判するのはかなり的がはずれていると思うのだが。

独裁国家ならば、支配者が価値観を押し付けることができるが、民主主義国家では国民の価値観が国を形成しているのではないのだろうか。
現に国民はみんな「お金がほしい」と言っているのである。「さらにいい暮らしを目指したい」と言っているのである。老人は若者の未来などおかまいなしに自分たちの取り分を主張するのである。

例をあげれば、こういうことだってある。
「猫も杓子も大学に行く必要はない。勉強の苦手な者だって大学に行かずに生きる道はいくらでもある」といくら評論家が力説しようと、親は子供の尻を叩いて塾に通わせるのをやめない。

これまで何度も書いてきたが、人間と言うのは成長せずにはおれない生き物なんだろうと思う。 欲望は果てしないのである。 

「もう経済成長はなくてもいいだろう。それより今あるものを分け合って・・・」という考えもあるけれど、それはたぶん人間観を誤っている。

「このような社会が最良なのです」といくら誰かが号令をかけようが、人の欲望や自由意志はまずコントロールできない。法を犯さないぎりぎりのところまで勝手なことをしたがる。

道徳教育に力を入れるべきだ、と宮台さんは言いたいのだろうか。 まさか。

財政再建のためには構造改革も必要、経済成長も必要だ。それをするのが政治家の仕事ではないか。

それとも、宮台さんの言う「小さな政府と大きな社会」のほうへ持っていくべく強引に何らかの枠組みを作って、そこに人間をあてはめればいいということなのか。人工的実験国家を作ろうという試みの提唱なのだろうか。

理想的な社会にいくまでに、日本人、ネをあげると思うし、経済はもっとひどいことになるのではないか。

いずれにしても、それをするには、その国家像を具体的にわかりやすく国民に説明した上で選挙で勝たねばならない。

とにかくこの悪い財政状態を何とかしなければならない。そのためには不良債権処理が必要、霞ヶ関構造改革が必要、グローバルな世界で生き残る戦略が必要。小泉内閣はそれをやろうとした。それだけのことだと私は理解しているのだが。

「包摂性のある社会の構築」というのはまた別の話なのではないか。

もし宮台さんがどうしても誰かをトンチキと呼びたいのならば、それは小泉さんや竹中さんではなく、国民を、であるべきなのだと思う。価値観を選ぶのは国民なのだ。

経済と社会の関係なんて私にはわからないから、一度、宮台さんと竹中さんの討論でも聞きたいものだ。

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2009年8月24日 (月)

「本読む子 必ず為す有り」

【古典個展】立命館大教授・加地伸行 「本読む子 必ず為す有り    

「親の年収が子供の学力に影響する」という昨今の説は一応納得できるものではあるが、たしかに加地氏の言うように、お金がなくても親がその気になりさえすれば子供の知性を伸ばしてやることは可能だ。
この論説の最後のほうの「貧乏自慢」は、今の時代にあてはまるものではないので、ちょっと余計だったかなとは思うが、子供の学力を一定水準に保ったり、あるいは高くするのに収入は本当は関係ない、ということには賛成だ。

これに対する反論はいくつも出てくると思う。
親が疲労困憊するほど働いて、子供を図書館に連れていくほどの余力はない、とか、塾に入れるだけの収入がない、とか。

図書館の利用は一度覚えさせれば、子供だけでも行けるものだし、基礎学力をきっちり学びたかったら学校だけで充分だろうと思うのだけれど、問題は、やはり親の人生に対する態度だろうと思う。

貧困と怠惰の負の連鎖という現象が起こっている。

生活保護世帯の中には保護費の支給日を「給料日」と呼ぶ家庭があるという。
親が子供に「きょうは給料日だから」と話し、子供もそう思い込んで育つ。ある時、それが決して親が働いて得た金ではないことを知る。→ 
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090727/trd0907270800004-n2.htm

働かないことが当たり前の家庭に育った子供に夢や希望を持て、というのも無理な相談だし、そういう親は読書の習慣をつけてやることなんか考えたこともないかもしれない。

昔は貧しい家庭が多くて、それでも、「貧乏から抜け出すには学問しかない」と考えるだけの品格が人々に備わっていたと思う。

手厚すぎる生活保護制度がいけないのか、日本人が変わってしまったのか。

親を変えることは至難だが、子供に働きかける学校やNPOなどの努力に期待したい。

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2009年8月20日 (木)

皮膚科や眼科しかいなくなる!

外科医の減少が深刻になりつつある、というニュースがありました。→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090818-00000501-san-soci

大変な仕事のわりに報酬が少ない、リスクがある(力を尽くしても患者側に不満があれば訴訟を起こされる)、というので、研修生が外科医を選ばなくなっている、ということです。

同じことは産科医や小児科医でも既に大きな問題となっています。

医者が少ないので、少ない人数で睡眠時間まで大幅に削って診療に当たる。私的な時間など取れるはずもない。その過酷な勤務環境に耐えられず、退職する。医師に去られたその職場環境はますます悪くなる、という悪循環です。

私はラジオでこのニュースを聞いていたのですが、キャスターが、一人のリスナーの「ご意見」を読み上げました。

≪医者という仕事を、「商売」として考えてほしくない。報酬が少なくたって忙しくたって人の命を救うという崇高な精神を持った人が医者になるべきだ≫

という主旨のお便りでした。

なぜ、このような意見をわざわざ読んだのか、その意図はわからないのですが、問題は、「崇高な精神を持っていない人が医師になっている」ことではなく、崇高な精神をもって医師になった人でさえ逃げたくなるような状態だということだと思います。

この投書の主さんはどうかわかりませんが、自分だって滅私奉公なんてまっぴらごめんなのに、人に「崇高な精神で頑張れ」「報酬とか私的な時間とかそんな贅沢を言うな」などと要求できるんでしょうか。
そんなことを言っていたら、何年か後には外科医や産科医や小児科医になろうという人が一人もいなくなってしまいます。「崇高な精神」ばかりに期待するわけにもいきません。「崇高な精神」だって疲れます。

個人の自由が優先されるこの時代に、「滅私奉公しろ」って、非常に言いにくい言葉だと思うんですけど。

人が嫌がるような辛い仕事ならば、報酬を高くするのは当然ですし、過酷な労働環境を改善することも緊急の課題です。

過酷な仕事、世の中に是非必要な仕事をしてくれる人の待遇改善をすること。世の中をうまく回すにはそれしかないんじゃないでしょうかねえ。

待遇改善のためには、財政再建も経済成長も医療制度改革も必要ですから、道は長いですが新政権には是非とも速やかにやってほしいものです。
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追記:

single40さんの記事につけられたnazunaさんのコメントに爆笑しました。高齢者医療問題も深刻ですから笑っちゃいけないんですけど。・・・いや、深刻だからこそ、こんな風に笑える提案は貴重かもしれません。 → 「命の値段が高すぎる!」

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2009年8月17日 (月)

何を選べば・・・

衆議院議員選挙が近づいてきて、各党論客による討論やら、テレビや新聞での解説やらが多くなって、同じような議論の繰り返しのように見えて、聞くのもめんどくさくなる。
だけど、「決めるのは我々国民です。今度こそよく考えて投票しましょう。」と言われると、国民がしっかりしないと政治も良くならないよなあ、勉強しなくちゃ、と思い直して、色々な意見を読んでみようと思うのだが、結局、何を選べば政治が良くなるのか、なんて誰にもわからない。

小さな政府か大きな政府か、なんていう問題になるとさっぱりわからない。
小さな政府が地方分権推進で自己責任で市場原理主義で、大きな政府が福祉重視で格差がなくなってみんなでそこそこ幸せになれるかというとそんな単純な話でもないらしいし。

日本人にとってこの選択は酷だ。

日本という国は、国民の「選択」の意志がなくても、ずっと昔から統治者はちゃんと国を治めてきて、民衆は、あまり深く統治者を疑うという習慣がなかった。

統治者は「支配者」ではなく、したがって搾取もなく、常に民の幸せを念頭に経済や福祉を采配してきたのが日本という国の形だったのであり、「慈悲深い独裁」が可能な国であり続けたのだと思う。
もちろん「完璧に」とか「理想的に」ではあり得ないが、少なくともその傾向が世界中のどの国よりも強かったのではないか。

時として腐敗も起こるが、民衆が蜂起しなくても、政権内部での自浄作用が働き、改革は行われてきた。

民衆が統治者を信用する伝統が根底にあった、と私が思うのは、やはり、日本人の気質の特殊性に思い当たるからだ。

日本では「おまかせ民主主義」がうまく機能するほど、人間が誠実であり、穏やかであり、柔軟(良く言えば)で、消極的で、人任せで、臆病で(悪く言えば)あったということだと思う。

日本人の気質のままではやっていけない、と気がついたのは幕末で、これが最初の「汚染」。

そして、戦後の日本も長らく、国民が自民党の統治能力を信用して、政権交代をせずにやってきた。
一党優位の体制で、これもおおざっぱに言えば幕藩体制と似ているのかもしれない。

自民党一党優位制は経済発展をもたらし、国際的にも信用を得、社会を安定させてきた。

徳川幕府も自民党も、賞味期限切れになり、腐敗が進んでくると、改革の要求は大きくなる。

で、今回、政権交代という大きな政変を国民が期待しているわけだ。

しかし、「政権交代可能な二大政党制」は日本に合っているだろうか、という疑問も湧いてくる。

こっちがだめならあっちの政党、とコロコロ入れ替わる不安定さを日本人は受け入れるだろうか。

政権が長く続くことによるデメリットを考慮してもなお、日本における一党連続統治の良さに勝るものはないのではないか、そんな風にも思える。

福田さんと小沢さんの大連立構想は失敗したけれど、あれは残念なことだったと今でも思う。
大連立も政権交代も、今の日本にとって政界再編への一つの道ではないだろうか。

政界再編して、55年体制のような、「国の存続と成長に責任を持つ政党」と「非現実的な理想しか語らないが不正追及や調査能力に長けた政党」の、政権交代はまず起こらない組み合わせに再び持っていくのが、もしかしたら日本国には一番合っているのかもしれない、と思ったりもする。

このことは、大きな政府を意味するのだろうか。それとも、そういう体制にしても地方分権は成り立つのだろうか。

そしてその一党優位の信用できる体制は、激動の国際社会で生き抜けるほど、日本人を強くするものだろうか。

そもそもグローバリズムというものが、そういう体制を許さない潮流なのだろうか。

ここでまた「汚染」されることを恐れるばかりでは、国際社会での「生き残り」が難しくなるということなのだろうか。

街中の案山子さんにこんなことを教えていただいた。
「中国は、日本のような、選挙はしても一党が長期政権を続けるという形にもっていきたいともくろんでいる、と。日本の形が理想だと。」 → コメント   

日本の発展の理由を研究してこういうところに気がついたのだろうけど、中国は日本人の気質を真似することはできないんじゃないかと思う。

理想の形は、日本人の気質によってこそ可能だったのだろうし、今の時代では、その日本でさえも再びその形でやっていくことは難しい。

ところで、私は今度の選挙は政界再編選挙だと思っているのだが、政界再編は、民主党圧勝では起こらないようだ。
民主党が圧勝して数の上で政権が安定すれば、分裂しようなどという機運は起こらないというのだ。
いくら考え方が違っても、なんとか意見をすり合わせて政権にしがみつこうとするのが政治家というものだと。
あの、気骨あふれるように見える民主党若手議員たちも、持論を引っ込めて、情けない姿を晒すようになるのだろうか。
それほどまでにに、政権党のうまみが魅力的なものであるならば、安定多数は与えないほうがいいな、と思う。

かといって、自民党が勝ってしまえば、またずるずると今までのようなだらしのない政治が続くだけとなる。

民主辛勝か、ちょっとだけ芽が出てる小党が勢いをつけて第三極づくりに成功すれば、政界再編は起こるかもしれない。

しかし個人には一票しかない。一票でガラガラポンは難しい。
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2009年8月10日 (月)

なんとたくましい

先月の産経新聞にこんな記事があった。→「臨月選挙」に決意  

故小渕元首相のあとを継いで政界入りした小渕優子少子化担当大臣が、第二子を身ごもった体で衆院選の臨戦態勢に入ったという記事である。

大きなお腹を抱えて移動の列車内で関係者との打ち合わせをする小渕大臣の写真が添えてある。

一歳の長男がいて、お腹が大きくて、大臣の職務があり、自分の選挙だけでなく、他候補への応援活動など、ちょっと想像しただけで、なんと大変なことかとお察しする。

私は去年このような記事を書いた。 →「民主主義と宗家」 

その中の一部である;
≪世襲議員は、政治家になった以上は一生懸命政治に取り組もうと決意するでしょうし、選挙区だけでなく国全体のことや世界のことも考えながら忙しい政治生活を送ることでしょう。

辛いこともきっとたくさんあると思います。

仕事が大変なわりに受ける批判は激しく、国民の敵のような言い方をされることにひたすら耐えなければならない。

政治家の家に生まれなければ、あんなこと、こんなことやりたかったなあ、と夢想することもあるでしょう。

自由に職業を選べる人間に、世襲を逃れられない宿命を背負った者の気持ちはわからないと思うんですよね。≫

ちょっと前、TVタックルで、世襲は決して楽ではないと言う話になった時、司会の阿川佐和子さんが小渕優子さんと対談した時の話を披露していた。
自殺まで考えるほど立候補の要請には悩んだ、と。

ごく普通のお嬢さんが、政治家の家に生まれたばかりに、地元支援者の要請を無視することができず、引き受けざるを得なくなる。

普通に結婚して、子供を2.3人産んで、平凡な家庭を築きたい、そう願っていたかもしれない女性が、自分の意思とは違う生き方を強いられる。

いっそ消えてなくなりたいと思いつめるのも無理はない。

しかし彼女は決断し、政治家の道を選び、大臣の仕事も引き受けた。

そこに名誉欲などあったろうか。

うわついた気持ちなどあったろうか。

彼女が父小渕氏の地盤を受け継いで立候補した時、政治家の娘というだけで、なぜ立候補し、議員にならなくてはいけないのか、と私は訝しく思っていた。
おっとりした普通の娘さんのように見える彼女にいったい政治家が務まるのだろうか、と疑問に思っていた。

ネット上では今も彼女への誹謗中傷を見ることができる。

しかし、強固な組織は、小さな個人の力ではどうにもならないほど巨大だ。

彼女はどのような思いで決断したのか。

おそらく、もうこうなったら思いきって政界入りして、自分のできることをせいいっぱいやるしかない、と考えただろう。

小渕氏の政治的能力については私は知らない。

しかし、二人目の子供を持ちたいという希望をかなえながら仕事に奔走するその彼女の姿に私は胸を打たれる。

そこには「自分」はさておき、という強い意志が読み取れる。

「滅私」が感じられるのである。

「少子化担当」の大臣が、そういう姿を見せてくれるだけでも、私は小渕優子さんという存在は大きな意味を持っていると思うのだ。

世の中には色んなお母さんがいて、おおいに結構である。

自己実現をなにより優先するお母さんだって、お母さんのひとつの形なのだから。

お母さんというものはこうでなければならない、というプレッシャーにどうか負けないでほしい。

ただ私は、より大きなもののために自我を取り合えず横に置いておけるたくましい女性の姿に勝手に感動させてもらっているだけなのだ。

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2009年8月 6日 (木)

自民党に不満 民主党に不安

前記事に、わっきーさんからコメントをいただきました。

そう、自民党以外の政党がこの国の政治をやるなんて不安ですよね。
民主党自身も、威勢だけはいいけれど、おそらく不安でいっぱいでしょう。
我々国民よりはるかに政治の難しさをわかっているはずの人々ですから。

それはともかく、民主党が政権を取ると、わっきーさんの仰る「経済からシステムからめちゃくちゃに破壊して国民の生活破綻も大規模に起こすほど崩壊」の状態になるのは非常に確率の高いことなんでしょうか。
もし、そうであるならば、我々のような一般国民より、学者や評論家が、もっともっと真剣に警告を発してもいいと思うのですが、けっこうみなさん「民主党のお手並み拝見」みたいな感じで鷹揚に構えておられますよね。保守系オピニオン誌や自民党支持の一般のブログなどでは「民主党が政権を取ると大変なことになる」と書いている人は多いようですが。

たしかに民主党には、防衛、外交、教育などの分野でとんでもない考えの人たちがいますよね。
一方で、まともな人たちもいます。実際に政権を担当することになって問題に直面したら、その人たちが政権党の議員あるいは幹部としてどのように発言、行動するかが注目されます。
私は分裂すると思っているんですけど。

民主党に支持が集まった一番の理由は、わっきーさんの仰る「手腕をふるえる能力が各担当大臣にあるのか」という疑問が、自民党自身へ向けられるようになったからですよね。

誰なら経済対策をちゃんとやれるのか、誰なら公務員改革を握りつぶさずにちゃんとやるのか、誰なら外交をちゃんとやれるのか、自民党にもまともな政治家いないじゃないか、というのが国民の思いなんじゃないですか。

ところで、話は変わりますが、いわゆる自民党政治というのは、談合、派閥、中央集権、世襲、などのマイナスイメージがあって、そういう古いやり方がいけないんだ、という気運が高まったんですよね。

しかし、これらをなくそうという過程で負の結果も生み出すことがあります。

談合に厳しくなったことで倒れる中小企業が出てきました。昔ながらの強固な派閥政治が崩れたために、度量の大きい政治家が生まれにくくなったとも聞きます。中央集権は地方を苦しめるというので、地方分権が推進傾向にありますが、果たして地方分権にすると、どの地方も発展するのでしょうか。世襲政治は悪いと言うけれど、政治がまったく世襲されなくなったらいったいどういうことになるのか。

良かれと思って廃止したら前のほうが良かったなんてことはたくさんあります。

それじゃあ、そういうものを温存すればこれからも日本は成長を続けるのか、といえばそんなことはないでしょう。

かといって、自民党が政権についたまま、そういった古い政治を改革していけるのかといえばそれも難しい、と言うより、不可能に近いんじゃないかと私は思うんですね。自民党はあまりにも長く続き過ぎた。あまりにもしがらみが強固になり過ぎた。そういうことじゃないかと思います。

で、わっきーさんの最初のコメント、「政権交代が目的でその後の改革が目的にはないという意識でしか無い国民の投票行動には、悪く変化した場合の我慢について全く想定は無いのではないだろうか。」なんですが、これを民主党はもっと言うべきだろうと思うのです。

「政権交代が目的ではない。改革には痛みが必要です。一年我慢してください」と言うべきだと思うんです。ま、言えないでしょうが。

とにかく、決めるのは国民です。

民主党に投票するなんて、なんてバカな国民が多いんだ、といくら嘆いても、数が多けりゃ勝つんです。

有権者には大きく2種類の人がいます。
1・自分にとって得だからこの党、この人に入れる。
2・自分の生活はさておき、日本を良い方向に持って行かなければ長い目で見て国民の生活も良くならないからこの党に入れる。

2のほうが賢明だとは思うのですが、さて、自民、民主、どちらに政権を渡せば日本が良い方向に向くのか、誰にも断言できないのが辛い。
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2009年8月 5日 (水)

目も眩む時代

政権交代がかかった選挙だというので、二大政党は「我が党こそ国民のみなさんを幸福にするのです」と、宣伝に忙しい。

どの党も「安心して暮らせる社会の実現」という、聞いてもしようがないようなフレーズばかり並べる。
まあ、安心して暮らせる社会の実現を目ざすのが政治の役目だし、政治家だってそう言うより他にないのだから、聞いてもしようがないなんて言ってもしようがないのではあるが。

曽野綾子さんは相変わらずキツイことをおっしゃる。

「選挙運動中のテレビの画面では、福島社民党党首が『皆が安心して暮らせる生活を』と、まだ口にしていた。『安心して暮らせる生活』などという状態は、いかなる時代のいかなる国家にも土地にもありえない。弁護士の教育というものは、そんな単純な現実と哲学さえも教えないのだろうか。それとも、そうした現実を把握しない人が政治家になるのだろうか。
政治家は常に50%の悪い状況を想定しておく義務があるが、残り50%は強固な希望を確保しなければならない。この矛盾と分裂に耐えるだけでも大変な仕事だ。」

私も同じように思うが、かといって、政治家が「我が党に任せていただければ、国民の7、8割は、まあまあ安心な生活を営めるようになると思いますが、残りの2,3割の方々はちょっと辛いかもしれません。しかしまあ、それも人生です。セイフティ・ネットは用意しますので、なるべく自力で上を目指してください。また、7,8割の一応安心なかたがたも、激動の国際社会の中で、いつなんどき生活の安定がおびやかされるかわかりません。そういう時に備えて、安易に絶望しないよう、精神力を鍛えておいてください。」などと言うことはできない。

政治家は良いことしか言わない。票を取るために選挙民におもねるしかないのである。
一票でも多く取って当選しなければ政治をやりたくてもできないのだから。

だからおいしいことしか言わない。

「痛みに耐えなければ改革はできない」「格差はあって当然」などと本当のことを言って絶大な支持を取り付ける政治家なんてそうそういない。

なにはともあれ、次の総選挙では国民は自民か民主かどちらを選ぶかの選択を迫られている。

戦後の大部分を自民党政治でやってきて日本人は豊かになったため、自民党への信頼感は強いし、民主党に政治を任せると大変なことになる、と具体的な予想を立てる人も多い。

しかし、目先のことでなく、日本の国の将来を考えると、政権交代したほうがいいんじゃないかと私は思っている。

脳科学者の茂木健一郎さんがこんなことを言っている。 →「与党脳」と「野党脳」を使い分けよ  

【例えば、アメリカの場合、民主、共和両党の間で政権交代があり、ひとりの政治家が与党的立場と野党的立場の両方を経験できる。これを交互にやることで政治家としてのバランスがよくなるのです。】

たしかに、万年野党では無責任に批判して反対するばかりだし、万年与党では改革ができにくい。

自民党におまかせの安定した時代を長年過ごしてきたので、「アメリカやイギリスのような政権交代は日本人には合わない」、と考える人が多いと思う。

他の国がどうあろうと、日本はこれで成功を収めたのだ、なぜ他の国を真似する必要があるのだ、と。

しかし、世界がグローバル化した今、おそらく今までのような政治のやり方では国際社会で生き残ることは難しくなっているのではないだろうか。
今までの政治で悪いところ、不都合なところ、無駄なところは極力改めていくことが必要だ。そのためには、政治家も政党も必死にならなければならない。時には冷徹になることも必要になるだろう。

与党と野党の切磋琢磨が必要だ。

国民も、そういう体制を育てる気持ちを持たなくてはならない。

今度の選挙は民主党に風が吹いていると言われる。たぶん民主党を中心とした政権が成立するだろうと言われる。

それでいいと思う。

ただし、民主党政権は遅かれ早かれつまづく。
特に社民党と連立なんか組んだら、必ず壁にぶち当たり、右往左往することになる。

その時こそ、「外交と防衛の基本路線は、与野党関係なく、国として一致しなければならないのか否か」という大議論が国民レベルで巻き起こるのではないだろうか。

政権交代で、与野党両方の感覚を持つバランスの取れた政治家は国民が育てるもの、という意識が広がっていくことを期待する。

折しも裁判員制度によって、国民が司法に参加するという一大転換期も迎えた。

日本人が、「おまかせ」から脱却して自立の意識に目覚めるという、目も眩むような時代に突入したのかもしれない。
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